作詞の良さを君に教える

 

このブログを投稿しようと思ったのは、

第一にはシンプルに自己顕示

第二に作詞の良さに魅了されたのは紛れも無く稲葉さんだったこと

第三にその稲葉さんが今回、歌詞に焦点を置いた作品を展示した事により、作詞に対するメッセージ、インタビューを受け、再び感銘を受けた

からである。

 

その感想も含め、自分なりの作詞の良さというものを伝えていく事にしよう。

 

1.稲葉氏のすごさ

こちらは、稲葉氏が今回の展示を受け、メッセージを寄稿している。

 

このメッセージで思った事は何個かあって、

文章から分かる品の良さと謙虚さ…好きですねぇ🫰

は、前提として

 

稲葉さんにもちゃんと「自己顕示」したいという欲があったんだなぁという安堵。

 

まあ35年もボーカルを務めていると同時に作詞家でもある訳である。

声は直接届く事はあれど、案外歌詞の「言葉としてのメッセージ」って自分から深く掘っていかないと見えてこないものなのである。

 

また、「音楽という、 ある意味絶対的な時間の制約がない状態で、 これらの歌詞を眺めると、 短い物語に散りばめられた、 自分なりの憧れ、 苦悩、 強がり、贖罪、 愛情、 望郷の念などが、 歌に乗った時とはまた違う角度で浮き彫りになったと感じます。

のように、音楽で乗せた時の言葉と文字の塊として読み取った歌詞では受け取り方が変わるとも書いている。

 

稲葉さんの歌い方がある意味答えになっていて妙に納得感があるからこそ、

改めて歌詞だけを見た場合「え、こんな事言ってたんだ…」ってなる事がある。そこを稲葉さんも当然ながら理解して歌詞を書いてるし、歌っていたという訳だ。

 

「この分厚い作品をお好きに目を通していただければと思います。」

これが実に稲葉さんらしい。

同じ言葉でも見方、そして受け取り方も人それぞれ違うという事。

だから答えというものは存在せず、自分が自然と思った事が答えだと述べている。

だから、「お好きに」と受け手に委ね、稲葉さん自身の答えを言わないようにしている。

そこは稲葉さんが歌詞に対する価値観として一貫している部分である。

 

最後の部分

皆さん、「自分にも書ける」と気づくかもしれません。

 

ここも良いですね。

後々インタビューでも語られるが、稲葉さんは自分の中や外にあるリアルをぶつけて歌詞にしている。

つまり、歌詞もまた作り手によって違うリアルが生み出されるわけだ。

 

なので、自分と向き合う機会があれば理論上は歌詞を作れるんだ!と稲葉さんは言っている訳です。

かく言う僕も稲葉さんに感化されて作詞をはじめたのですから、稲葉さんの言う事は正しいと思って一歩を踏み出したのである。

 

結論から言うと、僕でも作れるくらいなので作れます。

ただ稲葉さんの才能は実際に歌詞を作ってみて分かりました。

「なんでこんな普通の言葉の羅列で解像度の高いさまざまな人間の物語を描く事ができるんだ??」

 

それはあまりに簡単な話で、稲葉さんの人生経験の深さとそれを適切に言語化できる能力に秀でている(あるいはその積み重ねの賜物)があるからです。

等身大で作成するから、奇をてらったりカッコつけたりしないから歌詞がストレートに刺さるんですよね。

 

僕は人生経験も浅いし、言葉の引き出しも少ないのでこの歌詞の表現は適切なのか、とか事象やその流れを歌詞にするにはいちいち説明しすぎ、でも省き過ぎると真意を伝えられないないな…と色々苦悶するものです。

言葉もほぼ無限にあるはずなのに、限られたエリアの中でしか使ってないなーと悩んでいたんですが、

 

稲葉さんも実際そうらしいです。

稲葉さんは歌詞を作成する上で知らず知らず流れが勝手に刷り込まれていくらしいです。

その浮かんでくるワードを外して作る事も可能ですが、たいして知らない言葉を「知っていますよ」と歌うのが嫌らしいです。

 

 

あー分かる。稲葉さんってそうですよね。僕もひけらかすのもひけらかされるのも嫌いなんですよね。そういうイヤミったらしさが全くないのも稲葉さんの人格がそうさせているんでしょうね。

 

2.歌詞のチカラ

稲葉さんのインタビューを通して、コロナ禍や戦争を題材にした曲もある中、

「根本的な問題を解決をさせるチカラは無い」とした上で、

「これってまずいよね?という当たり前を歌う事で人と共有できる」と話した。

 

人は問題を抱えると不安になるものである。それを取り除くには外部からの救済が不可欠だと思う。

人それぞれ対処法はあると思うけど、言葉というのが1番ストレートに解決してくれるのかなと。

 

言葉1つでも受け取り方によって変わるというのはまさしくそうで、

「頑張れ」というと鼓舞される人もいればうるさいなと思う人もいる。

「頑張らなくていいよ」というと気が楽になる人もいれば、そんな事言わないで欲しいと思う人もいる。

どういう場面でその人に届くかによっても伝わり方が変わる。

もしかしたら誤解されてしまうかもしれない。

 

稲葉さんは誤解などもひっくるめて「面白い」事だと捉えている。

 

届いた先を想像してどういった影響を与えるのか。

どのような反応であれ、むしろ色々な解釈が生まれる時こそ言葉の可能性が広がっていくんだから発信する事が大事である。

 

僕は本当にその事に関して同意しかない。

稲葉さんと違って有名人でも何でもないのでフィードバックはほとんど返ってこないけど、それでも今のブログみたいに、とりあえず自分の思ってる事を発信してみる。

それで見ていただいて感想もらえたらめちゃくちゃ嬉しいし、見てもらえなかったとしても思考が整理されるので、

たとえばブログで書いたような事を話で聞かれたとして一度まとめたので端的に説明できたりといったメリットもある。

 

作詞は外部に発信というよりは「内面との向き合い」を目的としている。

もちろん見ていただいてフィードバックをもらうのが1番ありがたい話だが、わざわざ…って所もある。

 

ストーリーを短い言葉、文章でどうやってまとめていくか、

その中にはニュースになっていわゆる炎上した問題の自分なりの意見だったり、仕事や恋愛などの具体的エピソードをどう抽象的に普遍的に落とし込む事が出来るか。

 

そういった内面のモヤモヤを整理するにはとても良い手段の一つだと思っている。

 

そして、また振り返る時に見返すと、案外悩んでいた答えが過去の自分にあったりもする。

 

なんというか、忘れかけていた感情を思い出すような。だからたまに、自分の作詞を見たりブログを見返したりもしている。

恥ずかしさ半分と自己満足が半分の誇らしくももどかしい気分だ。

 

1つ言えるのは、日頃から言葉と触れ合って考える機会を設ける事だと思う。

読書でも日記でも軽いメモでもブログ書くとか作詞でも何でも良いから試して欲しい。

自分が今何を考えて行動しているかが分かればちょっとでも楽になれるだろう。 

 

作詞に関しては、引き続き何かしらの形で残していこうかと思っている。

完全に自己満足なのでたとえ見てくれる人が0でも支障無いとは思っている。

 

でも個人的な目標は、作品を見ていただいてもしかしたら何か生きる上でのヒントみたいなものがそこから見つかって、影響を与えられる存在になれれば良いな。

とおこがましい…というか、そうなるように魅力的な作詞をもっと書きたいなと…

 

そして、案外「あなたでも歌詞を書ける」という事です。

もし、誰か作詞しましたよ!っていう方は是非是非僕に見せて下さい!!

 

ちょっと堅苦しいブログにはなりましたが、ぜひやってみてはどうでしょうか。

ありがとうございました。

 

〜完〜

 

 

 

 

無能でもなんか光る所はあるんじゃない?

 

才能って色んな形があると思うんですよ。才能って200種類以上あんねん。

 

目に見えて分かるような表面から輝いているキラキラを人は才能と呼ぶのかもしれないですけど、

たとえばそのキラキラをいち早く見つける人も、キラキラを育てる人も、そのキラキラと育てる人を結び付ける人も、目立たないかもしれないですけど皆立派な才能だと思うのです。

 

僕は目に見える才能と言えば、似顔絵を描くぐらいでしょう。

とは言え、もっと上手く描く人なんて探せば腐るほどいます。

陸上だって人間全体で見れば速い方かもしれませんが僕より速い人なんていくらでもいます。

それで人生生きていけるほど甘くないのです。

 

大半の人はどっかしらの組織に所属して働く事になるでしょう。

そうしたら、まず自分がその組織の中でどのような役割になれるか…それこそ自分の才能をどう上手いこと作用させるかが鍵になっていくでしょう。

 

…となれば様々なカテゴリーを分析して何が弱みで何が長所なのか、まずは自己分析する事から始めるのがいいでしょう。

 

就職活動のこの自己分析は唯一?理に適ってるんじゃないでしょうか。

(まあ、それが会社と合致するかは入ってみないと分からないですが。)

 

ってな感じで、「私」を分析するじゃないですか。

それはそれは、仕事する上で全然向いてないんです。はっきり言って、自分の部下が自分だったら嫌ですよ。

 

箇条書きで挙げるとすれば…

・基本的に初めて行う事に対するスキルが低い、(仕事やスポーツ全てにおいて)

・習熟するのにも時間がかかる

・忘れっぽい、ミスが多い。実際に忘れてる時は注意力が散漫になる、単純作業が苦手

・落ち着きがない、焦っている時は特に脳内処理能力が浅い、複雑な作業も苦手

・考え過ぎる、段取りに時間がかかる

・完璧じゃないのに完璧主義者の思考(1つ1つの仕事の妥協点を見つけられない)

・1度上手くいっただけですぐに調子に乗る

・面倒くさがり、食べる事も面倒くさいと思っている

 

・メンタルが現場で鍛えた割には繊細

・他者への興味が薄い方、物への執着もかなり薄い

・肝心な時ほど人に頼れない

・自分が主役になれるカリスマ性はない

・自分ではブログや詩を作ったりしているので文章力があると思っているけど、思ったほど推敲能力は無い。

また、考えている内容に言語が追いついていない傾向にある。(特に会話時)

本とかラジオとか新聞、興味無い分野の情報を仕入れていないインプットの偏りが語彙力不足、語り口の薄さ、はたまた人間としての薄っぺらさまで表れている。

 

すいません、箇条書きじゃなくて過剰書きですよこれ。傷付きました。

 

上の8個は元来の物で死ぬまで引っ付いて離れない「特性」でしょう。

下の5個は自分の努力次第で変われる「要素」ですが、いわばこれらのマイナスとは上手く向き合っていかないと自分の首をますます締めつけるだけでしょう。

 

それでもこれだけマイナス部分がありながら何とかやっていけてるのはプラス部分で補っているからでしょう。

 

箇条書きで挙げるとするならば…

・分析力が高い。人や事象の長所短所を見つける事が出来る。

・圧倒的な正直者、他者や自分自身に対しても正直

・入り込めば集中力が高い

・顔や名前を覚える記憶力がある

・好き嫌いで態度を変えない、感情では動かない(博愛主義)

・良い意味で鈍感(寒さ暑さに強い、簡単にへこたれないという意味)

・絵が上手い方

・計算が早い方

・字が綺麗な方

・体力がある方

・お酒が強い方

 

感情で動かないというのはデメリットにもなり得る(怒りや情熱のエネルギーは何かを成し遂げるには大きな動機となるので)が、

こういったプラスがあるからこそ、その要素を活かす事で貢献が出来るのだ。

 

で、なんでこんな事話しているかと言いますと、ここからが本題で、

 

最近になって新たな自分の可能性を見つけたからです。

それは「仲介力」です。

簡単に言えば人と人との仲立ち人であれこれ調整する能力です。

 

今までそこに長所を見出せていなかったのに2つ理由があって、1つは日程の調整力自体は並以下です。セッティングというか、段取りは得意な方ではないです。

2つ目はあまり会話の中心にいるタイプではないので、自分に自信が無くあまり声をかけられなかった事にあります。

 

ただそれこそ序盤に話した事を回収するんですが、別に中心人物である事が才能でも無いですし、自分に能力は低くても上手いこと結び付ける事ができる能力が高ければそれは才能になり得るのです。

 

最初にふと思ったのは、

大学の頃、高校の先輩が中心の陸上部OBでの飲み会に中心人物では無いのになぜか幹事に選ばれた事でした。

正直先輩(特に女性)とはそこまで絡みが多い方では決して無かったですから。

 

まあ、みんな顧問との連絡や、場所や人数の調整を嫌がるからという理由も当然あったと思います。

でも僕は任された事に自分の存在価値を見出せたのです。(少なくともお前は来て良いんだという証明にもなるからです。)

 

また大学陸上部で主将になったのも、1番走りが速いわけでもないし、カリスマ性も無いし、裏方能力が高いわけでもないのです。

 

強いて言うなら「分析力」に伴う「バランス調整能力」だと思っています。

何が長けているのかというと、グループ全体を客観的に分析する力と、その結果に基づき自分の適切な「立ち位置」を見極める能力です。

主将になったのも、自分が主将というポジションに就くのがグループ全体のおさまりとして最善の形だったからです。

 

それは思った通りの形となって、自分の主将能力は今思えば反省材料しか無いのですが、個々の「役割」をそれぞれ活かしきる事に関しては出来たかなと思っております。

 

特に自分がそういった指示する側になれば、この人にはこれをしてもらうのが才能を活かせるなーと分かってきたのも「自分がリーダーになって成長したから」じゃなくて、「僕が持っているそもそもの長所が発揮された」事に最近気付きました。

 

そう、僕はまとめあげる能力はそこまで無いです。逆に言えば僕に無い能力をその人その人が上手く使ってくれていた事でうまく「まとまっていた」のです。

 

そういう場面は多々ありまして、B'z同好会でも自分の得意分野での企画、段取りは自分中心に動かしていって、そうでは無い場合は引き立て役や、あえてちょっとグループの輪に入れていない人に声かけたり、その時々で自分の役目、立ち位置を判断し行動していました。

 

まあ、全体的に僕の能力は低いので上手くいったかは別として、こうすればいいんだよと見本としての形として道を作りあげる事は出来たのかなと思っています。

 

この「道を作り上げて解決へ導いていく能力」を僕は「仲介力」なんじゃないかと考えたのです。

 

バランス調整能力よりも少し能動的行動寄りになったものと言うべきでしょうか。

道を作り上げるというのは0から1を用意する事です。

 

小さな事で言えば、先程話した飲み会を0から開くといったのが例になります。

今まで全く無かった飲み会という選択肢を声を掛けた事で道が敷かれ始めていくのです。

この場合、解決は飲む事という些細な事ですし、飲まない事で困る人もいないので、所詮「バランス調整能力」の延長みたいなものです。

 

「仲介力」が試されるシチュエーションとして

困った人が居たとして自分では解決できないが、そのツテを持っている人と繋ぎ合わせれば解決させる。とか、

相手と相手が喧嘩してお互いに話ができない時に双方の意見を聞きながらフラットな判断をして和解に繋げる。

など、現段階で困っているパターンが該当するんじゃないでしょうか。

 

この2パターンで分かる事は、別に自分が交わる必要性は無いわけです。問題は解決しないですが。

自分がこの問題を解決してやろう!という気概、勇気、そして責任が「仲介力」には伴ってくるのです。

そして僕はお人好しなのかは分かりませんがこの輪っかの仲介役として入る事が多く、これは偶然では無くこの「仲介力」が高いからこそ導かれているのでは?と思うようになってきたのです。

 

きっとそれは、自分の長所でも挙げた「感情に左右されないフラットな判断」「分析力の高さ」「嘘をつかない誠実な姿勢」がそれぞれ生きた結果だと思います。

 

それに、仕事をしてからというものの、自己肯定感も少しずつ上がってきて「仲介力」に必要な「気概」「勇気」「責任」が付いてきたのもあるでしょう。

 

知らず知らずのうちに、初めて会った会社の後輩や上司にも人づてで噂になって有名になる事が多くなりました。

まあ、絵を描いてたのも一因はあると思いますが、というよりもどちらかと言うとキラキラしていない側の僕の能力が上手い事作用しているのもあるのかなと思えてきました。

 

結論ですが、タイトルの「無能ですが何か?」は僕のキラキラした能力というのは大した事ないんです。それだけを「才能」と呼ぶのなら間違いなく僕は「無能」でしょう。

 

「無能」じゃないじゃん!って言ってくれる人もいるかと思いますが、僕は案外何も出来ない人間です。

出来てるんじゃね?って思う分野に関してはそのレベルに達するまで色々頑張ったからだと察して下さい。

絵も最初は下手だったし、走りもむちゃくちゃ遅かったし、歌も(今も上手くはないが)昔は音痴で嫌いだったし、ボウリングも最初は下手だったし、筋トレもそもそも腕立てが1回も出来なかったし、人と話すのも苦手だったしで生きるのも嫌になるくらい何にも出来ない人でした。

上記の分野に関しては、人より大量の時間を消費してようやく平均以上に伸ばせたのが僕です。

 

社会人から始めたゴルフとかも壊滅的ですからね。センス無いって言われてますけど、まあ、でも頑張ってます。

 

だから自分が1番能力が無いって事を自覚しています。

 

でも、だからって腐らずに頑張れるのは、目立ってはいないけど確かに存在する「自分の長所」を僕が知っているから、なんやかんやこうやって生きていけるんじゃないかと思います。知らんけど。

 

自画自賛回かよ!?ってつっこんだ方いるかと思います。

多分その方は愛に飢えている状態だと思いますので、近くにいる信頼できる人か、居なかったら僕に慰めてもらってください。

長所見つけるの得意なんで!(まあその分短所もすぐ見つけてしまうのですが…)

 

読んでいるあなたも、絶対に誰にでも1つはある才能を磨いて楽しく生きましょう〜

 

『みんなと違うという事が時として自分にしか成し得ない大きな影響を及ぼす事があるのです。』

byくみこ

 

 

ーおわりー

 

 

 

 

姫路現場物語 〜長岡京編①〜

1.さよなら杭だらけの日々よ

なんでこんな矛盾めいたタイトルなのかと言えば、

事もあろうかわざわざ兵庫に引越しした1週間後に姫路だった現場から長岡京にある現場に応援に行けと急遽会社から言われたからだった。

 

せっかく心機一転、新しい現場で頑張ろうとした矢先だ。心機がドテッとなった気分だ。

 

嫌な理由は沢山あった。

1つは当たり前だが引越しする前の大阪の家のが断然近いという事だ。これなら引越しを遅らせても全然良かったのだ。

 

2つはその発表が急だった事だ。言われた日が木曜日の昼で、異動が火曜日だ。

しかも、月曜日がよりによって1人しかいないので、実質木曜と金曜日で全ての仕事の引継ぎと荷支度をしなければならなかった。

 

3つは「終わりの期間」を知らされていない事だ。

それは会社からもあやふやな回答しか貰えず、当の長岡京の現場では応援に誰かが火曜日にやってくる事しか聞かされてなかったらしい。

1ヶ月とかだったら軽い荷物の方がいいし、とか段取りも組めないのでただただ困った。

 

もし、ずっと長岡京だったらそれこそほんとに引越しした意味が皆無となる。そう、4つ目は家から現場が遠過ぎるという点だ。

 

しかも駅からバスも無い徒歩25分、朝礼が7:45分家に5時に出ないと遅刻とかいう意味が分かんないスケジュールだった。

それに関してはとある方法で解決したのだが…それはまた後で話すとしよう。

 

という訳で僕は京都に行く事になった。

 

現場は僕抜きで3人おり、そのうちの三席にあたる先輩がどうやら内勤になり、現場を回せなくなるという事でピンチヒッターとして僕が選ばれたらしい。

 

いや、もっとこの危機的状況を早く認識していただろ…当初は不満がかなり大きかった。

 

現場は杭工事をしていた。杭って20mあんねん。

詳しい内容は教えられないが、要するに建物の大事な序盤戦だ。

1日で仕事内容のいろはを覚え、1日で1人で実践し、1日で新しく来た派遣さんに教えるという、回転の早いムーブメントにはびっくりしたが、そう言えば僕はもう4年目に差しかかっていたのだった。言い訳などしてりゃもはや負けなのだ。

 

よくよく考えればいくつもそんなバタバタを3年間乗り越えてきたんだ…真面目に覚えていけば1週間もすれば色々と落ち着いてきた。

 

確かにコンスタントに仕事量は多いが、周りは良い人達だし、上司と派遣さんは顔見知りだった事もありかなり気楽に仕事が出来た。事務員さんは色気凄いし、よく話しかけてくれる。同期の話、高校の話や趣味の話やB'zの話とかめちゃくちゃ喋った気がする。

現場全体の雰囲気も良いし相談しやすかった。まだ1ヶ月も一緒に居ないのに、今度現場でゴルフも行くぐらいだ。うん…みなさん上手いから困るんよね…。でもきっと楽しいだろう。

 

最初は境遇にイライラしていたが、徐々にこの流れすら必然に思えてきた。

僕は杭工事をメインで行った事が無かった。そして姫路ではいきなりメインでやらなければならない。その肩慣らしとしては丁度良かったのだ。(しかもしっかり問題も起きてトラブル耐性もついてラッキーだね!)

 

と、落ち着いてきた頃に応援は1ヶ月半までで姫路に戻る事を直々に部長から告げられた。

1ヶ月半という事は、長岡京の杭工事の終わりであり、姫路の杭工事の始まりでもある。

まだまだ杭が残るわけではあるが、この長岡京の応援は悔いなく終われそうである。

 

2.ルイとの愛の棲み家(実話)

長岡京応援…!?さすがに実家から2時間以上かけて通うのは馬鹿らしいので、最初はおばあちゃんの家から通おうと思った。

いやぁ、でもおばあちゃんは遅寝遅起きの学生みたいな生き方をしてる人間なので、現場のクソ早起きスタイルとサイクルが違うのでおばあちゃんの事を考えると良く無いなと断念した。

 

他に…うん、いや、ルイがいるじゃないか!

ルイとは僕の親しき友である。しかし、さすがに1ヶ月住まわせてくれというのは全然断っても良い案件である。

 

ただ、ルイは2つ返事でOKをいただいた…どころか、嫌そうというよりむしろ歓迎さえしてくれたのだ。

 

いや、なんという懐の深さだ…

母親も「いい友達を持ったね」と言っていたが、本当にそうだ。長岡京現場の時も思ったが本当に人間関係に恵まれている。

 

彼の家に住む事になったので、一気に現場がハードモードからイージーモードになった。

何より「近い」というのは残業をする上では武器となる。実家から通うのとルイの家から通うのでは往復3時間違うのだ。

その3時間で仕事できるし、ルイと話せるし、いっぱい寝れる。最高じゃないか!!

 

今なんやかんや3週間以上一緒にいるが、少なくとも僕は全く不満がない。あったとすれば家にドライヤーとハンドソープが無かった事くらいだ。まあ持ってくりゃいいだけの話である。

 

むしろ僕のが遠慮なく好き勝手に服を散らかし、風呂場では歌を歌ったり、独り言を喚いては朝はルイより早くバタバタさせてるので不満を持たれてるかもしれない。

反省はしていない。していたらそんな事ハナからしてない。ただ直すべき所があれば直しますので…。直るかは分かりませんが…。

 

お互い遠慮なく裸を見せ合える(実話)、合鍵と言う名の愛❤️鍵までもらい(実話)、同棲して(実話)プライベートも2人きりで遊んで映画も行ったよね。(実話)

 

これはもう、割と長めに付き合ってる彼氏(実は…)なんですよね。今までみんなには言ってなくてごめんね🙏

 

…んまあ、そんな暮らしも応援期間が終わればおさらばである。実にあっという間であった。ホスト側にとっては長かったのかもしれないが。

個人的には人生の断片にこのルイとの暮らしが入り込んだのは幸せだ。

 

彼もそう思ってくれるだろうか…。

主に想いが重過ぎて重荷になっちゃうかな…引かれてしまうのか…それとも惹かれてくれるのか、そんな雑な独り言にも付き合ってどつきあってくれたよね。その痛み、今でも忘れません❤️

 

Chu!💋韻踏過ぎてゴメン!お詫び致す、斬り捨て御免!!グジャア…あああ〜膵臓の音ォ〜🎵

 

嘘だと思いますが、僕はこんな感じの独り言を時折呟いておるのですが、それを彼は許容してくれるんですよ。そんな人なかなかいないと思いますよ。

僕よりきっといい彼女が出来ると思うんでもらってくださいな。

 

 

ところで、ゴールデンウィークってなんか緑色のイメージがあるの僕だけですかね?5月だから新緑感🟢っていうか…満月🌕を彷彿とさせる9月のシルバーウィークのがよっぽどゴールデンだと思うんですが。休みが少ないだとか敬老の髪の色だとかは知りませんが、シルバーは雪の降る銀世界にぴったりな正月に付けるべきでしょう!

あと、黄金比の1:1.618…白銀比の1:1.414…僕は白銀比の方が好きですね。金って所詮そんなもんです。誰が金>銀って決めたんでしょうね。

 

すいません、余談が過ぎました。つまり、いぶし銀のルイが1番好きですね!

 

以上!

 

 

 

 

 

 

 

茨木現場物語 〜エピローグ〜

引渡しが終わりぞくぞくと引越し業者が部屋に入っていく姿を見ると、もうこの物件を手離したんだなぁ、自分達の物じゃ無くなったんだなとちょっと寂しい気持ちになった。

 

また、所員では次席、三席の私、四席である後輩以外は2月末でそれぞれ違う現場へと旅立った。空席だらけのやけに広く感じる事務所もまた物悲しさを生んでいた。

 

引渡し後の3月からの約1ヶ月はアフターと言い、引越した後内覧では気付かなかった不具合の対応を行なう。

とはいえ、1日に引越しする戸数も制限されているし、全員がそういった相談をする訳では無いので仕事はほとんどない。唯一現場管理がホワイトになる瞬間だ。

遅くても18時には退勤できた。

 

書類の整理、事務所の撤去段取り、次の現場の準備をするのが仕事になる。

 

僕はアフターが終わりきるより早くこの現場とお別れする事になった。

 

次の現場はこれまた遠い姫路である。なんと今の寮からでは新幹線を使わないと始発でも7時に着けないというエグい遠い現場だ。

という事で、7年ぶりに兵庫の実家に帰る事を決意した。

 

2年間を通して

とにかく良い現場だった。が、まず第一の感想だ。

僕の特性を分かっていて自由にやらせてもらっていた。ずっと自分を押し殺していた前の現場とは真逆だった。

 

そもそも現場も和気藹々としており、怒号が本当に少なく居心地の良い事務所だった。(実際そんな事務所は少ないと聞く。)ラジオも終始流していたし、定時を過ぎたら所長はお酒を飲みながら仕事をしていた。

 

そういう僕もB'z好きを全面に出してカラオケしたり、定時を越えればストロングゼロを飲んでいた。それを怒るどころかイジるくらいだった。

 

また上司が僕はマルチタスクさせるより、1つの事を深くやらせる方が良いと判断し仕事量を調節した。

 

もちろん、施工管理自体はマルチタスクの仕事なのでゆくゆくはやっていかなければならない。

ただ今回の現場では○○と○○、これを全力で覚えて次の現場ではそこにエネルギー使わんようにしろ!という教えだった。

 

また、僕の弱みを沢山見透かされていた。

 

まずはミスが多い。でもその根本は常に焦っているからだと指摘された。

 

作業が遅いので時間に余裕がなくなり、確認する作業を怠り、忘れたりミスが生まれる。

リカバリーをするのに時間がかかるのでまた焦ってしまう。この悪循環から抜け出せないのが僕の弱点だ。

 

これを何とかする方法は、まずは時間がどうであれ一旦冷静に振り返り確認をしっかりする事だ。

ひと呼吸置いて仕事するようにとアドバイスをもらった。そしてミスをするのは周りに相談せず1人で突っ走ってしまうからだと言われた。

 

そう、もう1つの弱点は頼れない性格だ。要するに仕事や悩みを抱え込んでしまうのだ。

 

所長の理念としては

まずは余裕が無かったり、分からない事があれば遠慮なく言ってくれ!

お前は忙しそうだからやめとこうかなと一歩躊躇いがちなので、まずは相談してみて実際に忙しい時は無理という事を伝えるなり、筋道のさわりだけ教えるとか忙しさはこっちで判断するからとりあえず分からない事は聞け!

分からない脳で悩んでも答え出ないから!出たとしても持ちかけた物が最善とは限らん!

最善は経験を積んでる俺たち上司のが持ってる可能性は高いから!

(でも何でもかんでも自分で全く調べずに相談はあかんで、あくまで自分がどうしたかとどうしたいかという意志を持って相談には来るんやで)

 

全くその通りだった。そのおかげか溜め込まずに相談をしたり、仕事を振ったりする事が前の自分より明らかに出来ている。

 

そういった精神面、仕事面の成長が出来た2年だった。

 

あと、とにかく事務員さんがよかった。可愛かった。美人というか、タイプで毎日癒されていたのもあるが、優しいし優秀だし、僕が溜め込み過ぎてボロボロな時はこそっと書類関係の仕事をやって下さっていた。

 

話は戻るが、賑やかで良い現場だなと思った1つは所員の誕生日を祝う文化があった。

他の方には昼休みにケーキ🎂を贈呈しては、1人じゃ食べきれないのでみんなで分けて食べる。

しかし、僕はアレルギーなので食べられない。

 

それに気を遣ってくれて僕の誕生日の時は卵、牛乳の入っていないケーキをくれた。それを段取りしたのが事務員さんだった!

てっきりケーキ以外だと思ってたので本当に嬉しかった。

 

また、僕が茨木最終日の時にはメッセージを下さったり終始優しかった。好きだな。今でも泣きそうである。

 

そんな色んな人の愛情をいただいた本当に救われた現場だった。

 

僕は最後に現場のメンバーの下の絵を描き、みなさんに感謝を込めて贈った。

 

 

ありがとうございました!!!

 

 

 

今後の生き方

まずはこの仕事を続けようと思っている。1級建築士の資格取らないといけない。うむ。話題を変えよう。

 

…この会社で生きる以上は会社の人や職人さんと仲良くなる事は必須ではないが、楽しく生きるには必須だと思う。

 

だからゴルフももちろん続ける。こないだ女性含め75人で社内ゴルフコンペがあったのだが見事最下位だった。それでも続ける。

 

そして忙しさを理由に躊躇っていた社内の自転車部に入部する事になった。

そのために良いロードバイクも購入した。来月早速新歓があるので繋がっていきたいと思う。

 

そして、引越しが完了ししばらく実家に住む事になった。

実家には母親と弟がいる。よく考えたら僕も素直な性格では無かったので全然喋れていなかった。元気なうちにちゃんと会話しておこう。

 

実家は兵庫の西寄りなので、なかなか大阪や京都からは遠くなりますが、全然誘ってくれたら会いに行きます!はい!ってか誘います。

 

第3部 姫路現場物語 〜モノローグ〜

今は現場間の9日ある長期休暇も終わり、次現場の姫路に行こう…と思ったら事務所が無いんだな、これが。

なので始まってからは姫路ではなく加古川にいた。ヤマトヤシキ…懐かしい。ってわかる人ほぼほぼおらんやろうけど。

 

で、実際に姫路にある現地に行ってみると狭い…そしてまっさらの更地だった。ほんま排水の水引きや電気の引込み、地盤の整地に事務所とトイレ入れなあかんなぁ、仮囲い計画などほんとに0からのスタートだ。

 

所長は前の前の現場の人だし、次席も今のところ優しそうな方だ。茨木現場で培った経験を活かしてがんばっていくつもりだ。

 

因みに今書いているタイミングで工繊出身の建築(施工管理)の集まりがあった。松ヶ崎会と言い、コロナ禍もろもろがあって3年振りの開催だという。

3年前は僕はまだ大学生だったので、初めての参加だったし、集まるほんのちょっと前にその存在を知った。

 

メールの宛先を見れば本当に錚々たるメンバーで僕の次に若い人が所長で50歳なので

僕の父親と同じ年齢でその所長の子どもさんと同じ年齢だった。

 

もちろんそれ以外の方はそれよりも歳上で役職も部長、統括部長、役員などもう…どうすればいいんだろうと緊張していたが、いざ始まれば色々話を振ってくださり気を遣っていただいた。

会社の話や、昔の工繊の話と今の工繊の話など沢山話すことが出来て正直楽しかった。

 

こういう繋がり大事にしないとなと、まあ欲を言えば間の人おらんのかなという事と、施工管理で後輩来なければ将来下手したら僕だけになってしまう可能性もあるって訳で、うん。来て欲しいな。

その中にも僕の同期と担当している方がいたり、所長同士が仲が良かったりだとか、自転車部の人がいたり、B'zの松本さんが好きな人がいたり、何というか一度できた関係性をきっかけとして二重三重にも色んな人と仲良くなるのがこの会社の良さだなと思った。

 

職人さんも同様で、今日前の鳶とは違う業者の鳶と仮設の打ち合わせをしたが、前の鳶の職長さんとやってた時があったらしく、前の職長さんの事を話すと、

「あの人は細かくて基本ええ人やけど一度キレたらほんまヤバいもんな、まじで殺されるかと思うくらいヤバいな」って見た目ヤクザみたいな人が怯えてるくらいだから、相当やばい人とケンカしたし仲良くなったんだなぁと。

 

その前の鳶の職長さんとは現場が終わった時に飲んで、過去一で気に入ってくれたらしく、

趣味も性格も生き方もまるっきり違うのにこうして仲良くなれるのが現場管理の面白さだなと思えた。

 

毎回同じような締めで飽きた方もいるかもしれないが、

本当に人の繋がりは大事。出会えたって事だけで奇跡なのに、そっから仲良く飲みに行けるような関係になれるなんて、これ以上の特別は無い。

 

そして、そういった関係の方が多い今の人生が本当に楽しい。生きてて楽しい。

 

人間だって誰だってとても普通で 出逢いはどれだって特別だろう (B'z 『RUN』より抜粋)

 

ベタなフレーズではあるが、この歌詞が物凄く自分に刺さった。

 

気付けばアラサーになり、そんな事耽っているうちにあっという間に臭いおっさんになっていくのだろう。

 

今は耽るヒマなんてない。

止まれないこの世界で胸を張って生きようじゃありませんか。

 

以上、茨木現場物語 モノローグ、第一章〜第四章、エピローグの計6部の締めとさせていただきます。

駄文も多かったとは思いますが、最後まで見ていただいた方や、ちょっとでもちら見していただいた方にも多大なる感謝を込めて。

 

〜完〜

 

 

茨木現場物語④〈働く意味〉

足場解体が終われば一気に外周り、部屋の中を仕上げにかかる。そして一通りの社内、事業主の検査をクリアすればとうとうお客様に実際に見てもらう。そして書類提出など完全に終われば、管理会社へ引き渡しとなり、お客様の引越しが始まっていく。

その一連の流れである2022年11月〜2023年2月のお話である。

 

部屋内検査とは?

検査はもちろんだが、部屋の中の工事が終わったフロアから順々に行っていく。

 

墨出し→ALC(軽量コンクリ)→サッシ→ガラス→断熱ウレタン→設備配線→レベリング→墨出し→ユニットバス→収納家具→造作→電気器具→クロス→玄関石→キッチン→洗面、トイレ→家具扉→玄関扉→付属品取付→フローリング、巾木→部屋毎の扉→最終清掃

 

ざっくりこんな感じですかね、大体一部屋3ヶ月くらいですかね。

 

僕の仕事はこういった工事の進捗と搬入日程の管理をしている。

まあ職人さんによっては早い遅いがあるので、ピンポイントに搬入しないと部屋の邪魔になったり、搬入がかち合ってしまうと喧嘩の元なのできっちり決めておかないといけない。

 

もちろんだが、この→の順序を変える事もほぼ出来ないので、遅れた場合はその後続業者の日程もごそっと変える必要がある。

 

遅れると大概フローリングや木建屋の業者の時間が無くなるのであんまりズラすと怒られてしまう。そうはならないように持っていくのが僕や上司の腕の見せ所といった所だろう。

 

え?簡単じゃない?って思った人はそれがフロア毎で全部違うとなった場合どうか?そして今話したのは部屋の中だけの話だ。

 

大抵の現場は2階から仕上げて最後に1階を残す。1階の部屋を職人さんの詰所や道具置場にするからだ。

この現場では2棟8スパンずつの1フロア16部屋あるわけだ。

たとえば上棟したお盆明けくらいの僕が鳶さんと胸ぐら掴み合いしてた時くらいに他の階は何しているかと言うと

 

(左は先行棟、右は後行棟とする。)

14階 先行ウレタン断熱 ー

13階 サッシ ALC

12階 ユニットバス ガラス

11階 造作 造作

10階 クロス 造作

9階 電気器具 キッチン

8階 フローリング フローリング

7階 ー 最終美装

6階 監理検査 監理検査

5階 ー ー

4階 事業主検査 事業主検査

3階 事業主検査 事業主検査

2階 検査手直し 検査手直し

1階 ー 一部造作

 

これだけ同時に作業されているのだ。

下から上にかけてやっていくのだが、全てが並行して進んでいく。

なのに、外ではコンクリ、仮設足場、左官、補修、タイル、吹付、防水、手摺、EV、外構工事…こりゃーマルチタスク必須案件だねー。

 

もちろん、1人でやる訳ではないが全ての業種の本日の動き、翌週の動き、翌月のノルマなどある程度把握する必要がある。

 

そして、これから本題に入るのだが、

「検査」とは壁のキズなどの不良部分をひたすら粗探していく作業の事だ。

 

これを所員でやる事はほとんど無くて、大まかには

 

監理検査→社内検査(弊社で雇った会社の人に検査してもらう)→チェックレディ検査(事業主側が雇った会社の人に検査してもらう)→事業主検査→検査手直し→(最初に戻り、直ってるかどうか確認する「再検査」の実施)

を大体2フロアずつで実施する。

(チェックレディ検査に男性がいる事もあるし、今時のLGBTには配慮していないが、それ以外の名称が未だに無いので今回はこの名称で統一させていただく。)

 

それぞれ指摘箇所を違う色のマスキングテープを貼って差別化を図っている。そして今はスマホiPad)、PCで指摘箇所や該当業者など一括管理出来る!すごいね!

そしてそれを職人さんに伝えるために1枚1枚紙を印刷して渡している!すごいね!

 

結局は職人さんまで使えるようにならないとデジタル化なんて到底無理…というか、効率的にはならない。

まあ、無いに越した事はないし、この時代はデジタルとアナログの転換期なのだと割り切っているので仕方がない。

今はひたすらデジタルを無理やりでも入れていくのが最善だろう。

 

指摘箇所なんて、一部屋平均120箇所くらいある。

そりゃ雇われた人は見つけた数やマスキングテープの消費量でお金貰ってるから無茶苦茶な人に当たったら、

やたら多い長いマステ指摘の人や、同じ面の同じ内容の指摘なのに分けて指摘をあげる人、手直し業者が違ったりうまくスマホに対応出来ない人がいて余計な仕事が増えたり、これまた面倒なのである。

 

これをいわば0にする作業は途方もない。というか、不可能に近い。

見る目が細かいというのもあるし、基本施工する人が手直しするので余裕がない。

 

箇所によっては最初から出来上がっていた所を剥がしてやり直す場合もある。

再確認まで終われば、あとは僕たち施工管理側で残りを0にしていく。

 

途中階までは僕1人で行っていたが、まあー、間に合わないので、僕を主軸として4人体制で部屋の確認をしていったのだ。

 

鋼の15連勤術師

 

一通り確認が終わったらついに内覧会が始まる。

 

内覧会とは、新築の契約者(お客様)を対象とし、引き渡し前に行われる物件の状態確認を目的とした会を指す。

いわば検査の延長戦というか、僕らにしてみれば本番といったものです。

 

本番というのはノルマがあり、全体平均指摘2以下、指摘0を50%以上を達成する事が課せられている。

特に減給とか個人評価に関わる事ではないが、事業主や社内の評価の軸としてはそれなりに関わってくる。

 

指摘を減らすにはとっておきがあって、クイックリペアというものが存在する。

それは内覧会の当日出た指摘を汚れやちょっとしたキズならお客様が帰られるまでに業者や所員で直していくのだ。

 

するとあら不思議、1部屋30もあった指摘が0になったじゃーありませんか。

 

素晴らしい裏ワザである。

 

内覧会はこりゃまた忙しい。

検査指摘を0にする→内覧前セッティング→内覧会(→手直しあれば手直し→再内覧会→残、追加あれば手直し→再再内覧→残、追加あれば手直し→再再再内覧→残、追加あれば引渡しまでに手直し→引越しした時に見てもらう)

 

をひたすら段取りする。

結論から言えばカッコ内の輪廻に入ってしまうのは半数以下なので見た目よりはマシではあるが、そもそも「指摘0と内覧前セッティング」が鬼みたいな時間を要する。

 

「指摘0」とは検査で貼られていたマスキングテープを全て剥がした状態にする事だ。全部屋合わせると20000箇所以上もあるのだから当然、見落としは存在する。まあこれはまだいい。残っているままなら業者を呼べばいいのだから。1部屋5分あれば出来る。

 

「内覧前セッティング」がヤバい。

キズなどが本当に0なのかの再確認、バルコニーの落ち葉拾い、及び汚れの拭き取り、扉の木枠のノリ汚れなどの美装、キッチン、洗面、浴槽などの水廻りの水アカ拭き、床、収納スペースなどのホコリの除去、電気のブレーカー確認、トイレ内のチェック、その他決められたルールに沿ってセットする。

 

何がヤバいのか。美装業者が足りないのだ。

こ…これを所員がやろうとすると…雑にやっても1部屋1時間かかる。

普通にやっても2時間かかる。これでも正直良くないくらいだ。つまり1日5部屋だ。(ただし残業を正とする。)

因みにほんまに綺麗にするなら4時間はかかる。

 

内覧会が始まる3日前の時点でセッティング出来てる部屋は…0だった。

 

いや、もーっと前からやってれば良かったやん?ってなる人がいると思う。

無理な理由が2つあった。

 

一つ目は、こんな大事な時に後輩は盲腸&コロナで2週間、僕もコロナで1週間、計20人分の損失という盛大なやらかしをしてしまうのだ。

 

もちろん、残って頑張ってる所員は内覧セッティングだけが仕事じゃない上に休みの人の分の引継ぎまでこなさないといけないので手伝える余地などまるでない。

正直、この2人がピンピンしてたら苦労する事なく間に合っていただろう。

 

二つ目は事業主側との打合せがグダグダでセッティングのルールが決まったのがそもそも内覧の5日前だった。

 

ギリギリ間に合ったのは、内覧が1日15戸〜20戸だからだ。内覧前に4人がかりでやれば何とかなる。

それは「内覧前」だから出来た事だ。

 

ちょっと前にお話した階数ごとに並行して作業を行うから大変!といったのがそのまま内覧でも表れて

 

残りの指摘をあぶり出す

残った指摘の業者振り分け

指摘の手直し指示

手直し完了確認

内覧前セッティング(1番時間かかる)

当日内覧対応(後で詳しく説明、ってかこれで1日分の仕事と言っても差し支えない量)

内覧片付け、翌日の内覧準備

内覧で出た指摘の業者振り分け

内覧手直し指示

内覧手直し完了確認

 

を1日ずっとやるんだから終わるはずがない。

 

そして、エグい事に当然ながら土日祝こそいわゆるお客様がお休みの日なので多い。かと言って平日も普通に内覧会をやっている。

中日のクール期間が2日ほどしかなく、そこで一気に大きな手直しを行っていくので休める筈がない。

信頼を失っても何も思わない人間なら休めるだろう。

人手不足?もちろん応援を入れてやってはいるが、1日しか来ない初めての人が来たとて教えるだけで時間を潰し、かえって業務量が落ちるという本末転倒が起きる。どう頑張っても一同背負ってしまうと頑張ってしまう輪廻からは脱却できないのだ。

 

その結果が15連勤である。

 

でも思ったより何とかなったのはめちゃくちゃ動く仕事でも脳を使う仕事でもないからだろう。ただ休む時間はほぼ無いので、段々理性を失ってただ任務をこなすマシンの如く働いていた。

 

効率の良い働くためだけの駒に手っ取り早くなる方法だね!

そういえば、就活では完全週休2日って言ってなかったけ、あの発言どこに行った?

……君のような勘のいいガキは嫌いだよ

本末転倒【定期】

さて、内覧会当日の動きをさらりと説明すると

 

6時30分に現場到着、そして現場の鍵開けをし、15〜20戸を後輩と2人で電気付けたり床暖房を付けたりやなどの段取り。そして、全体の朝礼を行う。

 

僕は基本的にお客様の指摘をi Padで入力する仕事だ。

9時、11時、14時の部で平均5〜7組の中のおよそ1〜2組のお相手をする。

本来はそのために雇った人達が施工担当として代わりに相手してもらう。しかし、ピークの忙しさになると来てもらった人達では追いつけなくなるので所員が投入される。それが僕だ。

 

大まかな流れとして、お客様がエントランスからやって来る。

受付の方(事業主側)が部屋番号を聞き、部屋の大まかな説明をするアテンド(事業主側)と質問に対応する施工担当が同行し、部屋の中に入る。そして15分ほど部屋の中でアテンドが説明した後、お客様に部屋の不具合が無いか見てもらう。

もしある場合は現地にテープを貼り、i Padにて指摘箇所を入力する。

指摘があるにしろ無いにしろ、ひとまず見てもらったら一旦部屋を出てもらって、施工担当はそこで離れ、アテンドのみで共用部(駐車場、駐輪場、ゲストルームなど)の説明に20分ほど回る。

指摘がある場合は、その回ってる間に先ほど述べたクイックリペアを出動させ直していく。

回りきった後、且つリペアが終わった後に指摘のあったお客様には再度部屋を見てもらう。

アテンドによる説明が全て終わった後は自由時間があり、そこで部屋の採寸をされる方もいれば直帰する方もいる。

 

これでも大まかに話した方だ。それなのに言いたい事はたくさん溢れていく。

 

まず、説明を聞いたらわかるように人によって見て帰る時間の振れ幅が大き過ぎるのだ。

 

早い人なら説明込みでも50分ほどで終わる。しかし、長い人はその指摘を見る時間だけでも2時間かける人もいる。その間は休憩はおろか、電話対応もままならない。

そういう人が重なればいわゆる人手が足りない状態になるのだ。

 

そして指摘には「追加」も存在し、クイックリペアで直した後に違う場所が気になって再指摘したり、自由時間の採寸をした時に見つける方もいる。

 

そうなった場合、たとえば9時の部の再指摘を見る時間がもう次の11時の部の内覧中でかぶって見れないとなった時は僕らが召喚される事になる。

言っちゃ悪いが運ゲーである。

 

ヤバいお客様もいるって話はここではやめておく。でもいない訳ないよね…(震え)

 

あとi Padを導入したのが関西ではこの現場が初めてで、且つ媒体もアプリも全て事業主側で与えられたものである事がかなり尾を引いた。

 

問題①みんな慣れてない

ちょっと昔はみんな紙で指摘を一つずつ書くアナログスタイルだったとはいえ、今時はデジタルでもある程度は対応出来るようにはなっている。

 

が、そのアプリ自体が少し複雑でその操作に慣れるのがまず難しく、新しく来た人にはまず教える所から始めないといけない。アプリが重たく起動も遅いし、間違ったボタンを押すとアプリ自体が落ちる時もある。

 

で、慣れてないと本番でもミスも多いし時間もかかるしで、結局人手不足で応援の方を付けても所員が隣にいて教えながらやるという本末も七転八倒噴飯物である。

 

問題②情報共有が出来ない

これが1番の問題である。指摘をもらえばまずやる事は業者の振り分けだ。これは所員で最終チェックし、事務員さんなどにまとめてもらう。

 

しかしi Padのデータにはお客様の個人情報もおるので迂闊にデータを共有出来ないのだ。(というルールなのだ)

なので、施工側が知る事になるのはお客様が完全に帰ってから事業主側から送られてくるメールで初めて伝わるのだ。

 

つまり、アナログの時より1テンポ以上遅れるし、PDFデータなので内容を結局自分のPCに直接タイピングして整理しなければならないのだ。

残念ながら指摘が多い人ほど当然遅く帰られるので、施工管理さんどうぞ残業してくださいね〜状態になる。

実際帰るのは電気を消し、アテンドさんの出したゴミなどを片付け、戸締りをし業者割振りして明日の準備をしたら、平均21時帰りになる。

もしアナログ形式だったらもう1時間は早く帰れただろう。

 

まあまだ試験段階だったので許すしかないのだが、i Padのせいで苦労も多くなってしまった。

 

まあ、後は内覧会の初日に所長がコロナになったのもまあまあな要因だった。

 

本来のポジとしてエントランスに次席がお客様が来た時にインカムで裏にいる所長が聞いてそれぞれ待機している人に指示していく。

所長がいわば内覧会の核となる存在になる筈だった。

お客様の指摘を一通り聞いた後、所長に連絡をし、業者をそれぞれ注ぎ込む。時間と人数が有限なのでどの部屋にどう入れるかも大事になってくる。

まさか、所長の代わりが僕になるとはねぇ。

 

そんな大層な仕事ではないが、この仕事をするとずっと所定位置に付きっぱでまじで休憩時間すら無い。ごはんが食べれるか食べれないかぐらい。そしてその間は内覧セッティングが出来ない。

つまり、内覧終わってからやるのだ。20時まで休憩無しでひたすらやっていく。

 

話は戻るが美装の人手が足りてないって話…。これはなかなかに内覧会でも厳しい現実を突きつけられる。

まああ、指摘として汚れが多いのだ。

これを事業主が良く思わなかったそうで、それが次席の耳に渡り、僕らが手を抜いているんじゃないかという注意を受けた。

いやいやいや、こんな必死でやってるのに。

まあでも次席も人手不足なのは分かっているから強くは言えなさそうだったが、やはり僕ら後輩がコロナでのうのうと休んだ事による全体的な余裕の無さが次席のイライラに繋がったのだろう。

誰も責められないし言い返せなかった。

 

だが恐ろしい事にその翌日から、

事業主が雇ってるアテンドさんが事前に部屋をチェックし、汚れなどがあればお客様が来る前に「所員」で綺麗にするという(クソみたいな)決まりになった。

これで指示役の僕も余裕がある時は誰かと代わって掃除したりなど前よりも任務が追加され忙しくなった。

アテンドさんやってくれよとは思うが、汚れている原因は施工側にある。

キズ、汚れを見つければ揚げ足を取るかのように報告されるのは正直ちょっとやめてくれよ…とはなった。

 

内覧が始まって1週間後には所長も復活し、全体的にキッチンや洗面中心が汚かったので、美装ではなくその施工業者の洗い屋を呼ぶ事にした。

 

藁をも掴むように猫の手も借りたい…とは思っていたがまさかほんまの素人アルバイトが来るとは思っていなかった。

5日間計画で内覧当日以降の部屋をとりあえず拭いてもらうという簡単な仕事だ。

 

リーダーがいるから大丈夫と番頭さんは言っていたがリーダーも素人だった。リーダーは5日間ずっと来るからリーダーらしい。なるほど…なるほどじゃねぇよ!

 

まあでも、毎回現場に初めて来るで経験無い人だったら、その都度現場ルールや清掃手順を説明しなければならない。

素人リーダーがいる事でその人に説明さえしていれば、後はオートマティックに上手くいく訳だ。

 

いつもリーダー+2人の3人で来られていた。2人は道具すら持って来ていないというなかなかの気概ぶりだ。

 

最初は「素人の僕」が素人のリーダーに清掃手順を教える。

不安要素が多いが、素人の僕は指摘の多い箇所を把握しているので要所は掴んでいる。

 

そして内覧で1日潰れるので彼らを見ている暇は無い。

彼らはバイトなので定時後に来て、定時前にとっとと帰るので、帰ってから部屋を抜粋して確認する。

ん?部屋によって綺麗汚いのばらつきがすごいな…

 

翌日問いただすと、リーダーは比較的真面目にされていた。(それが最低限で最大の救い)

1人はその翌日も来られていたドラえもんみたいな女性なのだが、身長が低くて上側が拭けなかったらしい。

なので脚立を付けようかと思ったが、ぶつけてキズを付けられても良くないので、リーダーに上だけ拭いてもらう事にした。

もう1人も若い女性だったが、2度と来なかったからか、エグいくらい残っていた。クソですねぇ。

 

なのでその日の新規も若い女性だったが、少しキツめにもう一度僕が説明をした。

明日からリーダーが僕が言ったような説明をお願いします。

と少しでも仕事が減るように呼んだんだから頼むよと心の中でため息をついていた。

 

やはり、リーダーは真面目で少し抜けはあったものの仕事はきっちりこなしていた。

なんだろな、新しく来た若い女性の箇所はやっぱり1番汚かった。まあその日限りだし、リーダーがそのケツを拭ってくれているので効率は落ちてるかもしれないが許した。

 

それよりも、格段に汚れの指摘が減っており呼ばれる事も減れば、業者割振りの仕事も減ってきたので総じて考えれば大戦力になっていた。

 

気付けば2週間、全ての部屋の1回目の内覧が終わった。つまり完売しているのだ。この時点で完売は相当人気だという証拠である。

 

そして全体平均指摘2以下(モンスターを除く)、指摘0が50%以上は達成された。

 

最初の内覧が終わっても、指摘が残れば再内覧、再再内覧…とひたすら上記と同じ段取りは続くし、やはり残っていくお客様は粒物揃いになっていくので、それなりに直したらオッケー👌にはならなかった。

所員は所員で業者により厳しい目線で手直しを見て回り妥協をしなかった。

 

他にもまあ、色んな事があったが言いたい事は書いたのでそろそろ本題に入ろうかと思う。

 

責任をどう操るか

検査、内覧を通して思ったのは「責任」と「働く意味」である。

 

上では散々文句を言うていたが、実際来てもらったお客様に喜んでもらえるとやって良かったなと思える。

それが建築の中でも特に繊細な住宅、そしてそれを0から作り上げる施工管理が味わえる特権だと思う。

味わいが様々な苦悩と共に抽出されるので深いし重い。

 

働く意味を考えた時に今のようなやりがいって大事だなと思った。また、自分が行なった事が周りに良い影響を与えた時気持ちいいな。

あーこれが承認欲求ってやつか、貢献する事で自分がこの世界にいて良いんだと自己肯定感につながる。

 

僕の働く意味はこの社会の歯車でも何であれ貢献してその貢献した自分をつまみにして気持ちを満たす事である。

プライベートもそれが社会の歯車じゃなくなっただけでやってる事は似たようなものである。

 

やりがい搾取と聞けば嫌な語彙にはなるが、やはりそのやりがいというのは不思議な魔力が秘められているのだろう。

 

もう一つは責任の問題だ。

責任は自分にとってマイナスになる恐れがある場合にしか基本発動しない。

マイナスが無くても責任を保てる人は自分自身でマイナスを定めて律しているからなのである。

 

僕の仕事は良くも悪くも誰1人欠けても一気に大変になる状況で働いている。

休む日は当然の事ながら前日に引継ぎをし、休みの日分の仕事が翌日に積もっていく。無理やり休むより現場が稼働しているなら働いていた方が総合的に楽な時すらある。

 

そして、もしその仕事が出来ていなかった場合直接怒られる訳である。そして結局尻拭いするのは自分自身である。

仕事を真面目にするのは実際現場のためなのかもしれないが、そういった責任が自分にまとわりつくのは結局自分がやらないといけない、やらないと怒られるという環境があるからなのだ。

 

たとえば指摘していく検査員が別に適当に多く貼っていても、自分が手直しを指示する訳ではないので痛みを気にせずぺちぺちテープを貼れるのである。その尻拭いは施工管理が行う。

 

アテンドさんもお客様に文句を言われても、自分が作ったものではないので、口では謝っててもそれだけなのだ。後は一切関与しない。

そんな人達が3連勤大変なのよ〜って昼ごはんの時ぺちゃくちゃ喋りながら17時30分に帰ってた時はさすがに腹が立った。

また、意味分からないくらい人数が居て暇そうな人が多かったのも無性に腹が立ったし、1人分の仕事量の価値を減らしている分、責任を分散させており意識が低かったように思える。

どうせ誰かが助けてくれるみたいな思考回路で施工側に頼ったりなどしていた。

施工管理に至ってはそんな事はあり得ない。

 

手直しに来る職人さんも番頭さんも、結局直しが甘かった場合、お客様などに怒られるのは施工管理なのである。

そういった怒りをしっかり職人さんや番頭さんにぶつけないと彼らは深刻さを理解出来ないのだ。

 

なぜなら、ちゃんと自分を律している責任のある人は手直しもしっかり一度で綺麗に終わらせるからである。

 

出来ない人が結局残るし責任が薄いからそうなってしまう訳である。だから僕らが植え付ける必要があるのだ。

 

施工管理側も叱責を手を抜こうと思えば出来るわけだ。正直流れに身を任せて許す方が簡単だ。

基本的に怒られるのは上の立場の人だ。まあそこから下へ流れてくる訳だが。

 

施工管理はいわば板挟みされた怒り請負い人であり、責任の到着地点なのである。

 

そんな損な役回りではあるが、自分が手を抜けばその分だけ現場環境がすぐ悪くなったりと反映しやすい仕事なだけに気は引き締まる。

緩くやってても何も良いものは生まれないですからね。

 

で、話を最初のやりがいには戻るのだが、そういったリスクや責任を背負って神経すり減らしながら働くからこそ得られるものだと思う。

また、こうやって怒られる環境は逆に恵まれているんだなと思えてきた。まだまだ自分を変えられる可能性に満ち溢れているからだ。

 

これが正解とかでは無くて、僕は性に合っているだけで、責任が付きまとうのがイヤな人は別の仕事、生き方をすればいいだけの話である。

 

 

…今後いろんな人と仕事で関わっていく上で、現場は生半可な気持ち、責任の無い人がいてしまうと結局僕たち施工管理の仕事が溜まってしまう。

 

怒るというのは手段として最後の方として、きちんと条件を課さないと相手は縛りが無ければすぐに弛んでしまう。

相手に仕事をしてもらうようには簡単に許さないようにする。そこを妥協してしまうと自分に仕事が増えるだけだ。

 

自分1人で「仕事を背負う」のは交渉から逃げてるだけでいわば「仕事の怠慢」なのである。

それが上手く仕事をするやり方だし、今後も大幅に仕事量が増えていく中でしなければいけない課題である。

 

書きながら全然自分は上手くやれていないなーとため息つきながらこの第四章を終わらせる。

 

あとは残すところエピローグのみとなりました。

この章は特に長かったですが、最後まで読んでもらえると僕のやりがいもあったなぁと思うものです。

まあ、半分以上は自己満なので強要はしないですが。では、また👋

 

茨木現場物語③〈折り合い〉

屋上までコンクリート打設が終わる事を上棟と言う。これがちょうど2022年のお盆前に完了した。

今回はそこから足場解体までの2022年8月から10月までの短い3ヶ月の間の物語である。

 

外部からの刺激

第二章までは身内と関わる事が多かったので身内じゃない人とも絡む機会が欲しいなという事で忙しいながらも手を出してみた。

 

まずは合コン。これは、会社の同期の友人?からの勧めで、1発目はその同期のピンチヒッターという事で急遽誘われた。

当たり前だが友達の友達は他人なので、5対5であったが9人とも知らないというめちゃくちゃアウェイの中、しかも周りは共通の友人を固めたような入りづらい状況だった。

 

お酒の力もあってかそこそこ楽しめたし、何より違う分野の話や違った価値観を知る事が出来たのは何より収穫だった。

そこから何度か行っては、バーベキューなどのイベントにも参加したりして男女関わらず施工管理以外の職種の苦労話など聞いた。

 

…で、肝心の恋愛は全く進まずというか、全くやる気にすらなっていなかった。

周りも出来てきているので流石に焦らないといけないのだが…。うん。分かっている。

 

ゴルフに関しては、一度コーチを付けてもらって練習し、家族で本来の半分である9ホール回ったりもした。

始めた理由は第二章でも話したが、現場仲間でゴルフやろうかってなったって事と、そのうち付き合いで絶対通る道ではあるので、嗜めるくらいは上手くやりたいなと思ったからだ。

 

ゴルフ難しい!!

 

何が難しいってまずボールに当たらない…。ちゃんとした立ち位置でちゃんとした振り方をしないとまず芯に当たりもしない。

僕は書いてる今、この時から半年以上続けているのに未だコツを掴めていない。それくらい難しいスポーツである。

 

まあ、僕が鈍臭いのもある。現に僕より遅く始めた人でも全然僕より上手いなんてザラだ。

それはそれは泣けるくらい上達速度が遅く、何回もやめたくなった時もあった。

 

ただ、やると決めた以上は上手くなりたいし、ゴルフで楽しみたい。

なにせ、大学の友人からも僕がやってる事を聞くとまたやろうぜ!と誘われたもんだからやらないと損だろう。

 

おっさんになっても楽しめるのはこういったゴルフとかの付き合いだから、やる!やるからまたやろう!!

取っ組み合いのケンカ

僕はどちらかと言うと短気な性格だったと言うとみんな驚くかと思うが、実際小学生の頃まではそうだった。

最後に人にブチ切れたのは高3が最後だ。

まあ、社会人になってからもちょくちょくキレているが、暴力は一切していない。

いつの間にか…というか、大人になったらしないものだと思っていた。

 

キレたのは屋上の設備の土台のコンクリなど色んな小物類を打設した時だ。

ミキサー車から生コンをホッパーというバケツの中に約0.3㎥入れる。

 

それをクレーンで屋上まで吊って組み立てている設備土台用の型枠の中に入れる。それをひたすら繰り返すというチマチマした作業だった。

 

誤算だったのは2回目という事で、1回目の時間で大体の計算をしてしまった事だ。

1回目の人は要領が並ぐらいの人だったので±30分を予想していたが、それ以前の問題だった。

玉掛け(クレーン指示)が2人いるのだが、どちらも初心者且つ要領がよろしくない人だったので、そもそも作業が進まないのだ。

 

クレーンを使う業者は他にもいる。その日は仮設足場の業者、いわゆる鳶で第二章の表紙を飾ってるあの人だ。

その人はコンクリが終わるまではやる仕事が限られる。足場材料の運搬はクレーン無しでは行えないからだ。

 

その人はそのコンクリ業者の要領の悪さに見るに耐えず、俺がクレーンの指示するからコンクリ入れるのに集中しろ!あと俺の部下も手伝わせるから!と2人追加した状況になった。

 

そっからはいつもより物凄い速いペースで進んでいった。そりゃクレーン指示の上手い鳶の職長さんと、コンクリ打設経験豊富の部下がいればあっと言う間だった。

 

屋上だけで終われば早く終わって嬉しい〜で終わっていたが、屋上下の階にも打設しないといけない場所があった。

それはホッパーではクレーンが入り込めないのでホッパーに入っているコンクリを一輪車に入れて走り回る。

しかし、我々元請けが持ってる一輪車はせいぜい2台だ。

なのでいつも左官業者(モルタルで躯体の整形など行う業者)にもう4台ほど借りて使う。

 

この日は左官業者もギリギリまで一輪車を使っているので、一輪作業が終わってから貸すという約束をしていた。

しかし、思ったより1時間も屋上打設が早く終わってしまい、まだ終わってないから貸せないという状況になった。

 

鳶業者の善意はもちろん、1秒でも早くクレーン作業を行いたいからだ。しかし、2台のペースだと終わらない…。

鳶業者は2台しかない段取りの悪さにイライラし始めていた。

 

くそっ…どうしょうか。僕は3択を迫られていた。

①トロ箱(コンクリを入れる箱)を用意して一旦、ホッパーの中にあるコンクリを吐き出して少しでも早くホッパー作業を終わらす。

うん…これが無難かな…。ただ二度手間だもんな。(ホッパー→トロ箱→スコップで掬って一輪車)

左官業者に何とか交渉して一輪車6台用意する

一悶着はあるだろうが、この選択肢もあるな…。

③コンクリを工事用エレベーターで移動させる。

ホッパーを使わないという利点はあるが、上がるだけで4分かかるのにそれを何往復もさせるのは酷だし、ミキサー車の延滞もかかる。最悪この選択肢だな…

 

まあ、当然の事ながら鳶業者は②を言い続けていた。1番早く終わるからだ。だが、交渉は失敗した。

それも当然で、約束が違うし左官業者もまた一輪車が無ければストップしてしまうからだ。

あと30分待ってくれ、早く貸せるようには動くから…!

 

そして、やむなく1階から①をする準備していたら、屋上から怒号が。

『おいっ!!!早く一輪を持ってこいよ!!ぶち殺すぞ!!ごらっ!!早よ来いよ…殺したる!!』

 

あ、やべぇ、なかなかに怒らせてるなぁ…

まあ、行くしかないのでエレベーターにトロ箱を載せて上へ行く。

 

屋上下の階のコンクリ打設は材料を下から上へ上げるために開けていた荷揚げ開口を閉じるためで、それは各部屋にあったので16個分ある。

 

まず、水で濡らし同じ高さに合わせて入れて綺麗に均すまでが1セットだ。一概に早くやればいいってものではないのである。

しかし、エレベーターでたどり着いた時には恐ろしい惨状だった。

 

開口に入れたら入れっぱなしの最悪の状態だ。2台で少しでも早く終わらせようとコンクリ業者が鳶に気を遣ってかフルで回しているのだ。

そのままコンクリが固まってしまうと悲惨な状態になる。

鳶業者の方は完全にブチ切れている。一輪車が乗ってない時点でいくらか察している。トロ箱のやり方をしないと質の悪い出来になってしまう。

 

その話を遮るように、『お前、なんで一輪持って来てねぇんや?トロ箱なんか回りくどいやり方したらお前コンクリ業者も俺らも遅くなるだけやんけ?お前バカとちゃう?もういいわ、失せろ』と反論された。

 

それは半分正しくて、半分間違っていた。コンクリ業者は少なくとも今ただただ一輪を乱雑にドバドバ入れてる状況はよろしくない。一輪車が多いに越した事はないが、2人しか居ないのだからロスもそこまで無い。

しかしそれを反論する僕の頭と鳶さんの頭は無かった。

僕の最優先は口よりもまず手だ。『とりあえず、僕が綺麗に均しますんで勝手に失せますよ。』と言ってからコテを持ち、汚いコンクリを均し始めた。

 

まあ、それでも鳶さんの怒りは収まるどころかヒートアップしていって、30分経って追加の一輪が着いた頃にはもう殆ど完了していた時には『そんなん遅いねん!!もう無駄やねん、手間取らせやがってよ!!ホンマ、あいつクソやわ…!』とやるせの無い怒りを全て僕にぶつけていた。

 

思い通りに行かずクソぉ…と思いながら、鳶さんが手伝ってくれる事を考慮してなかった俺の段取り不足が悪かったなぁ…と少し思っていた。言っている事が正論な分、反論できなかった。

 

そして、終わりかけにお前来いよ!!と呼ばれた。僕はまだ均し終えていなかったが渋々屋上に上がると

『お前な、なんでこんな段取り悪いねん…ずっとぼけぇとしやがって、俺らをコキ使いやがって…何やと思っとるねん…』

相当溜まってると思ったが、僕もやるべき事があるし、今こうやって口喧嘩するのは時間の無駄だと判断したので、嫌そうに下りようとすると、それに対して怒りを買ってしまい、

『お前っ!!ちょっと来い!!ぶっ殺してやる!!と胸ぐらを掴まれた。

僕も反射的に胸ぐらを掴み、やれるもんならやってみて下さいよ!と反論した。

しばらく言い合いと睨みが続いて、「もう失せろよ。お前とは一生口聞かんから」と手をほどき、そのままコンクリ打設は終わってしまった。

 

正しい事は正しいのか?

あんだけ仲良かった鳶さんとも次の日謝りに行ったが口を一切聞いてくれなかった。

 

さすがにやばい。仕事に完全に支障をきたしている。どうしよう…。何が正解だったのだろう。

僕が完全に折れるのが正解だったのか?もっと突っ張る方が正解だったのか?今日も謝りに行ったのは正解だったのか??

 

そもそも、正解ってなんだ??

 

この時の僕が考えていたのは「折り合い」だ。

 

正直に全て話す事でも、全て鵜呑みにする事もどちらも正解ではない。

 

未来を見据えた時、後悔しない方…もっと言えば、上手く付き合っていく方に賭けるしかないんだなと言う事だ。妥協ではない。

 

妥協すると言えば、折れてやったんだぞという驕りが片隅にあって、結果として上手くいかなかった場合、妥協したせいにする事もあった。

折れてやったのに…みたいな。それは結局、独りよがりなのだ。

 

主観の判断も大事だが、相手の意見を尊重した上で自分の意見を尊重する事が1番大事だ。

 

僕の場合、コンクリの出来上がりの質が落ちるのがどうしても譲れなかったので、あのやり方が最善では無いと判断して歯向かってしまったのである。

 

しかし、元を正せば鳶さんにとっては一輪車をもっと段取りよく用意すれば良かった。それが全てであり、そこを含めたもっともっと前からの段取りが僕には足りてなかったというのは確かにあった。

鳶さんにとってはそれが最善なのだから。

 

そこは紛れもなく正しい事なので、僕はこれ以上反論しても生まれないので反省し、自分が全て悪い事を認めた。

それが妥協ではなく折り合いだ。

 

とはいえ、2日経っても無視され続け、ついには周りに迷惑をかけるレベルまで打合せが出来ていなかった。

 

担当は僕しかいない。これもまた、折り合いだ。

 

しっかりとした打ち合わせが出来ないと、安全の部分がおざなりになって災害のリスクが増える。足場作業なら尚更である。

それを私的な理由で会話不足で問題が起きる事は許されない事だと自分でも思うし、相手も職人としての矜持があるなら、絶対それだけは譲ってはならないものである。

 

ほんとはここで無視し続けた方が楽なのだが、僕は詰所に駆け寄り、心から謝った後、大きな声で

『ほんと、それ以外の部分で無視してくれても全然良いんで!打ち合わせ…打ち合わせだけでもさせていただけませんか?これが出来ないと安全の部分に支障きたしますんで…!どうか、お願いします…!』

すると5メートルくらい離れた鳶さんが見かねたのか、手をこまねいてくれていた。

 

そっから打ち合わせし終わった後、おい、いいから飲めよ。今度同じ事すんなよ。と缶コーヒーをいただいた。

 

泣きそうなくらい心から安堵していた。

 

それから、より一層絆が深まった(気がした。)

 

足場解体は折り合いの連続

そこから1ヶ月後、足場解体計画を始めていった。

簡潔に言えば、建物を囲ってるあの仮設の足場をクレーンによってバラしていく作業である。

この現場では丸々1ヶ月を要した。

 

組立ては1フロアずつやるが、解体はブロックごとに一気にやっていく分、リスクもそれなりにある。

仮設足場を解体するにはまず外装(タイル、塗装、ガラス、手摺、その美装など)を完成させる必要がある。それを見越した段取りが必要である。1つでもズレたらアウトだ。

 

また、下側では外構(1階の外回り)、植栽工事も始まっていく。その業者の工事や材料の邪魔にならないような段取りも必要だ。1つでも段取りが上手くいかなければアウトだ。

 

そして何より、バラした足場の材料の置くペースとスペース、引き取りの車の呼ぶタイミングを上手く噛み合わせないといけない。

 

足場の解体が早すぎても引取りの車が来なければ置くスペースが無くなり鳶さんが手持ち無沙汰になる。

かと言って車のペースが早くても、引き取る材料が無くなると車運賃の損失となる。

 

なので1番大事なのは、鳶さんが1日あたりどれくらいのペースで解体出来るかを人数や能力などから読む事である。

 

これはもちろん鳶の職長さんが考える。しかし、同じ時期に足場解体をする現場が多いため人数が多く来れないかもしれないとの事でだいぶ日和ったスケジュールになっていた。

 

ただ、これじゃ全体の工程が間に合わない。足場解体で必要なでっかいクレーンを解体しないと進めない工事もある。僕はそのスケジュールから詰めないといけない。それが仕事だ。

しかし、読めない以上日数を減らすも動かすも無いやろうが!とここでも揉め合った。まあ、口での喧嘩はよくある話だ。

 

しかし、鳶さんの段取りに合わせないと外装業者の日程も確定出来ない。1日もずらす事はできない。

足場解体が早いとそもそもタイルや塗装は仕事出来ないし、手すりがないと隙間が出来るので簡単に人が死ねてしまう。

外装も外装で他の現場がみっちり詰まっているため、そう簡単に日程を変えられる事が出来ない。逆に言えば外装の行ける日程に合わせて解体の日程を決める時もある。

 

まあ、その数業者を調整する仕事が僕の担当のほんの一部だ。

 

また、業者あるあるだが〇〇まで出来ますといって実際それより出来ないってパターンを恐れるため、少なく見積もる事が多い。

実際余裕があるように見えた。が、言わないようにして、ノルマを達成したらクレーンを使わない前段取りを中心にやって欲しいとお願いした。

 

綿密な打ち合わせの元、最終的に色々と段取りしていたのに、いざやっていけば人数も揃いに揃っていたため、思ったよりも2倍弱早いペースで解体していった。

打ち合わせを毎日やっているのに台風予想のように毎回予定とやっている事が変わりその度に書き直しては調整していった。

 

いきなり番狂せだ。引取りの車はその翌日から増やしていけたのでまだ良かった。外周りの工事も何とか交渉してスペースを作って作業できた。

 

問題は外装が早いペースにピンポイントでついていけない事と、内装などの搬入も打合せ通りありきだったのでかち合ったりした事だった。

 

しかし、鳶さんは止まるはずもなく、これから人が減る可能性もある。お前らの詰め詰めのスケジュールで終わらせるならこれぐらい先行してやっとなんやぞと反論してきた。

 

なんやかんや日数が経つと解体のペースはとどまる事を知らず、ついに外装の日程を大幅に変えないとマズい事態になっていた。

 

とはいえ、この状況を先手では打っていたため、一悶着はあったが何とか変える事ができた。

 

が、鳶さんは解体の時は特に自分中心に回したい、1つの待ちを許したくないイケイケ状態だった。

僕は僕でそれを最大限尊重してあげる事が仕事だ。

朝全体朝礼で言った事が昼前の打ち合わせでは全然違う事を他業者に謝りながら説明する訳である。ブーイングは起こるものの、それが僕だけに照準が当たるのは許せなかった。

 

なので、言ってる事やってる事違うのは筋合いちゃうんちゃうか?

という事で本来足場解体中は打ち合わせ出ない鳶さんにも来てもらって明日の進捗をきちんと説明してもらうようにした。

 

それが、けじめであり、折り合いだ。

 

そして、紆余曲折あったが何とか無事に解体は終わる事が出来た。

 

解体の時が1番やる事が多かった気がする。

7時までには絶対来て、早朝から解体の段取りを最終打合せをする。

解体の現場での仕事は仮設電気の整線(単管にセットしていたものを取る)、工事用EVの万能板の解体、掲示物の解体、1階仮設手摺盛替え用のアンカー打ち、引取り車の段取り、詰める順番の整理、翌日の引取り車の確認、昼前の打ち合わせ、内装の進捗確認、直近の内装搬入の調整、外装等の日程確認、外構の進捗確認、各検査、及び検査前の準備、段取り、その他雑務、安全パトロールの同行(月4)

そして17時が終われば、所員での打合せ、進捗の整理、2〜3週間分の工程管理、搬入調整、検査があれば検査後の書類整理、検査前なら前日段取り、翌週の引取り車の台数確定、予約、その他品質、安全関係書類作成。

 

仰々しく書いてあるが、あんまり多くはない。が、これが全部ではない。

平均がこれくらいでそっから多少増えたり減ったりして15時間労働してるといった感じだ。

 

めちゃくちゃ忙しい訳ではないので、たまに飲んだりも出来たし楽しくは働けたと思う。

 

イライラした事も多かったが、逆に言えば本気で仕事に取り組めているんだなぁと冷静かつポジティブに考えることが出来た。

 

自分の気持ちにもある意味折り合いが付けれたという事だろう。お後がよろしいようで。

 

第三章〈折り合い〉 〜完〜

 

茨木現場物語②〈一筋の希望〉

2021年10月〜2022年7月にかけて、現場はサイクル工程に入っていった。

 

サイクル工程とは、マンションでいえば2階から最上階手前までの躯体工事で多少の違いはあれど1フロアずつ上げていく流れの掴みやすい工事の事を指す。

だから暇なのかと言えばそうでもなくて、出来上がった階から外装や内装の工事も入っていくので、結局しんどいのは変わらない。

 

実際そのタイミングで三席(6年目)と僕(2年目)の間の5年目の女性が入ってきた。くらいには人が足りておらず、現に平均21時まで毎日残業してたくらいだ。

この時はようやく人数がちょうどいいくらいになったのだが、当時の三席はこれはマズイ兆候だな…誰か抜かれるからこの采配をしていると勘繰った。

 

まあ、そんな事はどうでもいい。今の僕はとにかく現場を学んで学んで楽しく生きる事に決めたんだ!

でも…飲みは楽しいけど、仕事はやっぱり楽しくない。どうすればいいのだろうか…。

 

楽しくなった「きっかけ」

僕はタバコを全く吸わないが喫煙所に行っていた。職人さんの一服の時に話をするためだ。

 

そもそも、この当時の朝の流れだが

5:30起床、朝シャワー、歯磨き、着替え

6:00外出、自転車にて最寄駅へ、コンビニで朝昼ごはんを購入、電車、自転車にて現場へ

6:50出勤、着替えて、PCを付け、朝食、PC作業

7:40所員朝礼

8:00全体朝礼(職人さんも合わせてラジオ体操、出面確認、今日の流れを発表)

 

朝はこのようになる。

そして職人さんは基本的に8:00〜17:00の間働く。

そして12:00〜13:00は昼休憩、そして10:00〜10:30と15:00〜15:30に一服休憩が入る。

そこに僕はコミュニケーションを取っていた。

 

特に仮設足場の担当だったのでその職人さんとはずっぽり詰所に寄っていた。

最初は怒られるだけの嫌な場所だったが次第に自分の頑張りが認められ始めていき、缶コーヒーをもらいながら仕事の話、プライベートの話、女性の話、しょうもない話、色んな話をしたように楽しい場所に変わっていった。

 

その中で、写真上の職人のリーダーである職長さんと仲良くさせてもらっていたのだが、

その人からお前休み何しとんねん?と言われ、まあ…飲んだり絵描いたりっすねー。と返答したら

ちょ、お前…俺の顔描けんのか?と急に顔を近づけられたので、いや何なら今日の昼休憩の間に描きましょか?

 

という事でものの1時間弱で画像の絵を他の所員にバレないように描いてみせた。

そして、次の一服でコソッとA4の紙を持って行き見せると、一同大爆笑。おいおいおい!!見ろ見ろ!めっちゃ似てるやん!!肩を組んできて、

お前…めちゃくちゃ才能あるやん。ずっと仕事できん変わってるヤツやと思ったけどこんな一面のあるのは意外やったなー…にしても似てるなぁ…と紙をしばらく眺めながらニヤついていた。

 

ここで意外だったのは、ものすごい賞賛された事、そしてたった1枚の絵で人の心を動かす影響力があった事だ。

 

僕は絵を趣味とは言っているが、特技とは言っていない。自分の絵に挫折して建築の道を選んでいるくらいだ。自信が無かったのだ。

なので、嬉しかったがたまたま今回はリアクションが良かっただけだろう。と思っていた。

 

しかし、驚く事にその噂は足場の職長さんを通じてか、すぐに現場内に広まり、僕に声をかけてくれる職人さんが多くなったのだ…!

 

それだけでなく、当時、業者間がどのようにしても仲良くならず現場でも困っていたのが、この絵が話題になり、みんなの絵を描く事になった。

その度にみんなが集まって似てるなぁ…とか笑い合ったり、描いてもらった本人から、これ嫁さんに見せるから欲しいと言われプレゼントしたりしていくうちに、

現場全体の雰囲気が良くなり、驚く事に業者間の仲の悪さが改善されていったのだった…!

 

これは明らかに全体として大きく貢献していた。

打ち合わせや交渉がそもそもしやすくなったし、絆が深まるとちょっとした事を手伝ってくれたりミスも少しは許してくれたり、会話も弾むし何より現場を楽しいと思えるようになってきたのだ。

 

最初の職長さんだけでなく、みんなにも同じような大きなリアクションをしていただいたので自分の実力は間違いないんだなと、段々自信が持てるようになっていった。

 

短期間で色んな人を描いていったので正直、休憩時間や睡眠時間を削って描いていた事もあったが喜んでくれると思えば全然苦ではなかった。

 

まさか、仕事では使わない能力と決め付けていたものがこのように大きな影響を持つ事になるとは思いもしなかった。

 

なので、これを読んでいる方も自分の長所がもしかしたら他の場面で役に立つかもしれないから仕事に不要だからと捨てずに磨いていくのもありという事ですね。

 

色んな人と飲み重ねる

第一章では話したが、まずはお世話になった人と飲もうと決めた。

 

11月はまず引き留めてくれた人事と次席の3人で飲んだ。そして、前の現場の次席とも飲んだ。

その頃には僕の絵の事は広まっており、その話をしたりもした。

また、前の現場の次席からは自転車部に誘われた。

近々やりたいなと思いつつ、休みにそんな動く余裕無いなーという気持ちが正直この時は勝っていた。

 

そして、12月からは身内と飲もうかということで

大学時代の先輩、同期、後輩や高校時代の友人など中心にお礼の意味も込め誘ったりした。

現場に居すぎるとやはり価値観が凝り固まるのでもはや外部となったそれぞれの人達とトークするのは脳みそに新鮮な空気が入ったかのように気持ち良かった。

 

これは相手が許してくれる限りはずっと続けていきたいなと思った。

何せ、相手に家族が出来てしまうともう誘いづらくなったりするので人生長いようで誘える残り時間は案外僅かだったりするのだ。

そんな感じで今誘わないと後悔するような人とは積極的に会った。

 

引っこ抜かれて叩かれて強くなる

1月に入って早々、三席が他現場に引っこ抜かれる事になった。悪い予感が的中した訳だ。

 

そして想定外だったのは若い派遣の方が親の事情で1月末で抜けなければならないという事だった。

その派遣の方は僕の2歳上の男で面倒見が良かった。特に僕がいっぱいいっぱいのツラい時に声をかけて下さったりして、弱音を吐かせていただいた。

年齢も近い事もあり精神的な支えにしていた人を無くすのは単純に人員が減るといった意味合いよりも強く寂しさと不安を感じた。

 

それでも、僕はもう1人の派遣さんや事務員さんにかなり優しくしてもらってたので本当に救われている。(現に、その2人からは最終日にメッセージをいただいたくらいだ。)

 

この表でもあるように若い派遣さんの代わりにベテランの派遣さんがやってきた。

その人も優しい方で本当に良かったと思っている。結果的には1人減っただけだから、前より少し忙しいだけで済んだ。この頃から絵を描く余裕はすっかり無くなっていた。

 

しかし、その2月あたりに今度は11月に入ってきたばかりの5年目の女性が他現場に行くという話になり、さすがにそれに関してはやべぇんじゃねぇか?と警鐘が鳴った。

 

つまり、僕が三席な訳だ。

 

まあ、小規模な現場ならこの若い年次での三席はあり得るのだが、まあまあな規模での三席となると仕事量がバグみたいになる。

結局僕が抱えきれなかったものは次席に直接仕事が溢れてくるわけなので、次席が今度はしんどい状況となり、日々人事に電話していたくらいだった。

 

僕が力不足なばかりにと憂う日々もあったがそんな暇があるんやったらとつつかれそうなくらいには皆んなに余裕がなかった。

 

2月くらいからゴールデンウィークを除くこの7月までは飲みにおいても自粛せざるを得なかったくらいには頻度が減り、仕事量が増えた。

 

しかし、次席の電話の甲斐があってか、5月には僕の1つ上の4年目の女性が入ってきて大幅に業務に関して救われる事になった。

本当に今までの人と違って(?)責任の強い人だったので細かな事や気が付いたら+αの事もやって下さりつくづく良かった。

 

同期という存在

これは高校、大学にも共通して言える事だが、実際同じタイミングで入社した「同期」という繋がりだけなのだが本当にそこにできた筋は太いものだなというのは実感として染みている。

 

離れても、一緒になるのは同期が自然と多い。離れた環境でも定期的にお互い会おうとなるのが「親友」だと僕は思ってる。

 

という意味では友だちは少ないかもしれないけど「親友」は多く恵まれてるなと思うばかりである。

 

この当時は研修やらもあったので会社の同期と飲んだり遊んだりすることが多くなった。

 

僕の場合、いつもの5人組なるものが存在していて、和気藹々と楽しんでいる。色んな意味で気を一切遣わないこの関係が居心地良い。

 

毎回僕は言っているのだが、

 

人間関係に関しての運は本当に良い

 

ほんとにいい。

 

ブログという拡散し残る媒体なので、個人の話を出しづらいのが惜しい。

まあ、ブログやTwitterとかで話せない事を話すのが飲みという事ですよ。

 

え?ゴルフ⛳️??

7月後半、所長にゴルフに誘われた。9月あたりに所員でゴルフやらないかと僕たちに声をかけたのである。

 

が、僕の人生史にゴルフの3文字は全く刻まれていない。

断ろうとしたが、僕以外のメンツは全員行きたいです!とノリノリではないか。

 

どうしようかと悩んだ時に、父親と祖父がよくゴルフを嗜んでいた事を思い出した。

父親に連絡したら嬉々として、全部セットあげるし、教えたるからやってみるのありちゃう?とこれまたノリノリだった。

 

そう。現場ではまだまだゴルフ付き合いという習慣は残っている。

所長がゴルフ好きかにも依るが、いずれぶつかる道ならこの現場では少なくとも練習しておかなければなと判断した。

 

そこから僕はゴルフに良くも悪くも振り回される人生になるのだが、それはまた次の章にてお話しましょう。

 

第二章〈一筋の希望〉〜完〜

 

 

茨木現場物語①〈限界、そして迷走〉

※事務所に掲示されてる教訓。

まずは強い男になろう。そう心に誓った…

 

1週間の長期休暇をもらい、2021年4月…僕は二つ目の現場、茨木へと足を運んだ。

 

前よりも規模が大きいマンションでⅠ期である東、そしてⅡ期の西と2つに分かれていたのだが、僕はⅡ期の西担当となった。

 

東はすでに上棟(建築物の骨格であるこのマンションであれば鉄筋コンクリート部分を最上階まで完了させる事)をすでに終えており7割方終わってるといった感じ、西はまだ本当の序盤の杭工事をしていた。

 

実際僕は始めから携わった事が無かったので実質一周目で、新鮮であると同時に学ぶ量が多く大変だろうなと察した。

 

事務所は東と西が一緒でいわば2現場分丸々の人がいたのでそれなりに豪勢だった。

また、1番仲の良い同期もいてひとまずは安心だなとは思っていた。

 

最初は所長、次席、僕と同タイミングで入った三席、四席の僕、派遣さんが2人、東西共通の事務員さんといった構成だった。

初日の夕方に自己紹介をした後、仕事の担当割振りを見て以前の2倍以上の仕事量を見た時には驚いたのと同時に

そうか…ようやく「仕事」が出来るんだな!と前の現場の不甲斐なさを払拭してやるぞと少し息巻いたような興奮を抑えられていなかった。

 

※この説明は第一章に関しては適当に読み飛ばしてもらっても今後に影響しないので大丈夫です。

※ちなみに第一章は2021年4月から10月までのお話です。

 

入って早々、後輩ができる

 

言うて当時は2年目になったばかりで、やっていく内容が初めての場所だったので実質1年目みたいな立ち回りだった。

 

そんな時に後輩が入るとの情報を聞いたのは4月の中旬だった。しかも4月までにはこちらで配属されるとの事だった。

 

僕は6月入社だったので方針が変わったのかと一瞬思ったが、変わってたのはコロナが流行り始めた時に入社してイレギュラー続きだった僕の年次の方だった。

 

後輩を教えるほどまだ学んだ事も少なければ、仕事しながら教えるといった同時並行が僕に出来るのかと急に不安になった。

 

それまでもやはり、新しい内容の仕事を初めてやったので毎日20時ぐらいまでは残ってやらないと間に合わなかったぐらいだ。

 

後輩が入って第一印象は、あ、優秀なヤツ来たなと直感で分かった。実際今も思うけどどこでもやっていけるようなタイプの優秀さがあった。

 

まずは物覚えがめちゃくちゃ早く、それも質もスピードも高い水準でやってのけていた。

また、コミュニケーション能力も高く、元気でいやらしさもないし真面目な後輩として良過ぎるポテンシャルを秘めた人だった。

 

要領の良い後輩が来たので、実際教える量が少ないのに丸々引き継げた量が増えたのは事実だ。

しかし、その分先輩から新しく教わる引継ぎをそれ以上にもらう事になった。

 

つまり、後輩に今までの仕事を教えつつ、自分の担当の仕事をこなしつつ、新しい仕事にも取り組まないといけないという三重苦に負われていたのだった。

 

おそらく同じような人もいるとは思うが、自分の仕事で精いっぱいだった僕は日に日に終わらない仕事が溜まっていき、ストレスも溜まっていった。

 

仕事を抱え込み過ぎる→優先順位が分からなくなり整理できずパニック状態になる→ミスが多くなる→多方面から怒られる→ミスの分、時間をロスしているので仕事が終わらない→残業により睡眠時間が減る→ストレスでうなされる→パフォーマンスが下がる、ストレスが減らない→また仕事が増えている→(最初に戻る)

 

を永遠に繰り返す負のスパイラルを3ヶ月ほど続けており、完全に抜け出せずにいた。

 

でも唯一、抜け出せる方法があった。

休みを取ればいいじゃないか!

 

僕は初めて熱出たフリをして休んだ。しかし、段々とこんな姑息な手を使っていいのか?僕がサボってる分、他のメンバーが僕の仕事をしてくれているんだぞ…という罪悪感が勝ってきて結局2日ほどでいつもの輪廻に戻ってきてしまった。

 

しかも、基礎工事という難しい仕事かつ肉体的精神的にくる仕事だったので、これまでのピークを遥かに超えるストレスがのしかかった。

 

怒号は当たり前として、叩かれた事もあった。

しかし、元を正せば原因は仕事もろくに出来ていないし約束も守れていない僕にあるので何も言い返せなかった。

 

簡単な話、一度怒られて次出来てなかったら殴るからなという流れでのミスだから一度は猶予を与えてくれている訳だし、その期待に応えられなかった自分がとても情けなく思えた。

悲しいかな…。わざとではなく、もう脳みそもクタクタでやる事が膨大にあり過ぎて優先順位の端に追いやってたり、完全に忘れてたりばかりで

真面目にやってるのに出来ていない、1番組織において使えない無能に自分がなってしまっている事が何より嫌だった。

 

相談出来る人もいなかった。いや、いたかもしれないけどもうそんなレベルじゃないくらいに心が死んでいた。それが7月の終わり頃まで続いた…。

 

2度目の限界

鉄板の上で灼かれそうになる8月初週、完全に限界ではあったけどそれでも頑張って行こうとは思っていた。

確かに糸は切れていたけど、選択肢を考える隙間すら僕には無かった。

 

ところで、僕は絶対に1人ではお酒を飲まない。

 

この意味を分かる人がいれば、同じ人種なのかもしれない。

というのは、1人で飲むととても寂しくなるからだ。

いわば、虚無の状態になる。極限を言えば死にたくなるからだ。

 

僕は、ストレスのあまり自宅で1人、ウイスキーを買って一瓶空けた。まるで身体の内部から焼けていくような熱さがあった。あーこのまま焼け死にたいなぁ。

 

そっから、スーパーに行きおもむろにチーズ、ハンバーグ、アイス、牛乳…と乳製品を買っていった。ちなみに僕は重度の乳アレルギーである。

 

僕はなぜだか、もう明日はいらないと思えてしまった。9階の部屋から飛び降りようかなとは思ったが、そんな勇気は無かった。そんな雑魚はアレルギー反応に頼らざるを得なかった。

 

かつて30滴でもしんどかったのに、コップ一杯分まるまる飲んだ。そしてチーズを食べ、アイスを食べ、残りの牛乳を浴槽に入れお風呂に入った。

本来ならオーバーキルなのだが、全身じんましんにはなっていたが、なぜかまだ生きていた。

しかし、それよりも酔いが回り過ぎたせいか、裸のまま意識を失っていた……。

その時にはもう5時、もう、出勤する時間だ……。

 

 

 

 

…ブーブーブー

 

 

 

 

 

僕は携帯の音で目が覚めた。

あれから何時間経ったんだろう…上司、同期、職人さん…すごい通知の数だ。そうか、無断欠勤したんだもんなぁ。

一気に現実が押し寄せてきたが、頭がクラクラする。そして心も限界だ。

電話に出たくなかったが、結果的に生きてしまったので生存報告をする。

 

上司が家に来るそうだ。こんなクソみたいな姿を見せるのは嫌だったが、了承した。

 

結局優しい言葉をかけられ、その場は終わった。

もう、この週が終わればお盆休みで2週間現場にいなくなる。そのまま辞めて消えても良かったのかもしれない。

でも、僕はそれでも続けたかった。その理由は分からない。けど、辞めたらそこで人生終了ですよ。と聞こえた気がしてきた。

なので、2日休んで現場復帰した。今思えばその決断は正しかったのだろう。

 

みんな、僕にすごく優しかった。大丈夫やった?とか、相談のれんくてごめんなぁ。とか、僕こそ申し訳ないのに。

職人さんからは辛辣で、無断欠勤は社会人としてやっちゃいかんわと諭された。まあ、ぐうの音も出ないね。

 

上司からはお前に仕事を振り過ぎたという事で自分の仕事に専念出来るようにしていただいた。

 

とはいえ、それでも全然忙しいので、必死についていくように働いていった。

 

転職という逃げ道

僕は会社の同期に誘われてフットサルに行くことになった。

高校の体育以来やってないなと思いつつ、ひさびさに体を動かした。案の定、全然ダメで陸上で培った脚力しか活かせなかった。

 

帰り道、フットサルのメンバーの1人に声をかけられ仕事の話をしていた。

現状不満である事を話すと、その人から転職してみない?僕こう見えて転職斡旋する仕事もやってたから応援したるで、と言って下さった。

 

ここのフットサルのリーダーは起業して会社を作りそのメンバーで週1で起業のサロンをしたり、今みたいにフットサルなどのレクリエーションなどもしているらしい。話しかけられた人はそのリーダーの幹部的存在の人だった。

 

こういう本読んだ方がいいで!と起業論についての本を沢山勧められた。

僕はとにかく変わらなければ!と思ったのでタイミングもタイミングだったしこの人に乗っかろう!と思い、しっかり本を読んだ。

 

そして日記のように毎日メールで出来事と笑顔の写真を報告するように命じられた。何であれ続ける事それ自体が大事だと言われたからだ。

そして月2ほどで起業などした人からの意見を聞くサロンに通い、自分の今後の人生の相談をしたりした。

たしかに起業こそ正義だ!とその時は盲目になっていた。魅力的に思えてきた。

 

そして、まず起業する前に、営業関係に転職して人間関係を上手く作っていこう!という事で今の仕事をしながら転職活動していった。

 

しかし、やればやるほど感じていったのは、今の仕事はあまりに優遇されているな、という事と、この仕事が好きなんだなという事だった。

 

詰まる話、こんな僕を面接ですら採用してくれる人すら少ないし、採用してくれる所なんて所詮月給16万とか、深夜あります、とかそもそも会社自体の魅力が無かったり…萎えていく一方だった。

 

そう思う理由はとてつもなくはっきりしていて、やりたい事が全く無いからだ。

 

なので、履歴書自体に魅力が無いし、未来が見えないので会社も採用しようとは思わないのである。

 

僕は昔から夢を持っていなかった。ただひたすら今を生きていて、そして生きたくなかった。

僕は24歳で死ぬプランで13歳から24歳まで生きていた。

 

それは、プロローグにあったように自分が生きてて迷惑なんじゃないかなという根本的思想がずっと根っこで絡まっていたからである。

 

そんな考えてもしょうもない事が僕の中でぐるぐると回転していっては人生をかき乱していった。

 

欲しい物、やりたい事

僕は言われるがままに転職活動と起業についての勉強を行なっていた。

その中でとある宿題を出された。

 

それは、欲しい物、やりたい事をそれぞれ100個ノートに書け といったものだ。

 

ルールは特にない。今の金銭面とか環境とか一切取っ払って考えても良い。とにかく100個を埋める。

そんなの簡単にできるんじゃね?と思った人は心が豊かである。

 

僕は、なんとその場で10個も書けなかった。しかも、3週間時間をもらっても30個すら埋める事がなかった。

 

しょうみで言えば、やりたい事はB'zのお二人とお話がしたいとか、絵を描くとかそんなぐらいで、欲しい物はロードバイクとか、具体的なものはそれくらいしか無かった。

 

1番欲しいものは抽象的なものだが、「余裕」が欲しかった。

その余裕はどう生まれるかといえば、自分の可能性をどこまで信じられるかに委ねられている。

 

可能性を信じられるならそこにエネルギーを投資出来る。秀でる事が出来れば自信、誇りが生まれる。

精神的支柱が安定すれば自ずと物理的にも概念としても余裕というのが生まれる。

余裕が生まれると自分だけでなく、相手の事にもエネルギーを使えるようになる。

そして、自分の存在のおかげで何か他者や物などに良い影響を与えるきっかけになれればいいなというのが

具体的では無いが、それが自分の完成形かなと思っている。

 

そして、この時の僕はとんだ事もあり、自分の可能性を何も信じられない自己肯定感の底の状態だった。

だから施工管理という仕事が好きでも全く向いてないのだから、まだやってもいない起業の方が一縷の望みがあるのではないかと思うようになった。

 

 

…正直やりたい事が全然思い付かなかった時、

自分がどれほど自分の中で可能性を狭めていたのかという部分と、欲を抑圧して生きてきたんだなというのを嫌でもかと感じた。

人を巻き込んで自分から成し遂げたいものなんて、無かったんだなと。

 

でも言い換えれば相手が何か成し遂げたいと思った時のきっかけや手助けとして携わる事が自分なのかと考えるようになった。

 

そこから、強い意志を持って自分のやりたい事をやるために切り拓く「起業」に向いてない人種だなと脳裏で感じるようになった。

確かにサロンでも自分の意思が無いことをよく指摘された。

 

会社はいわば自分が商品である以上、様々な契約や条件に縛られてしまう不自由がある一方で仕事さえ遂行していれば賃金をもらえる守られている立場でもあるのだ。

 

自分で全て行う起業は自由な一方、その自由とはまるでジャングルに放り込まれるような自然状態を意味した。

そして何も持ち合わせていない僕は裸同然の姿でポトンと落とされたような危うさしか無かった。

そこで生きていくにはまずは生き抜くための強い意志が必要だった。

起業で成功する人は落ちている物で道具を作れる人だ。生きる術を持ち、自力で獲物を狩り、食らう事が出来る人だ。今の僕にはそんな鋭い野心が足り得なかった。

弱肉強食の世界、迷ってては簡単に食われるぞと言われた時に僕は怖気付いたのもあった。

 

ますます、自分が何をしたいのか分からなくなってしまった。

 

そして、迷走

起業(につながる転職)に迷いが生じる一方で、その意図とは裏腹に話はどんどん進んでいった。少なからず起業もまた、「相手に影響を及ぼす」果ての根本にあり見事に言いくるめられた。

 

また、今の仕事は逃げていると指摘されたのだ。

僕はもう頭が混乱してもう何が正しいのか分からない状態だったので何にも言い返す事ができなかった。もはや洗脳を受けている人間さながらだった。

 

これが迷走ってやつかと何故かそこだけは客観的に判断できた。

 

自分が迷走しているのは分かっているのに、そこに自分の意思が全く伴っておらず、どんな意見であっても簡単になびいちゃう。もはや僕は笑い者だ。

 

起業という選択肢にまごまごしているのは、バックに今の仕事があるからだ。

それを無くしてしまえば転職せざるを得なくなる。ならば転職先決まったと嘘をついて上司と人事に明日までに報告しろ!と言われた。

 

僕はもう考える脳みそ在らずの状態なので、なるほど〜と思いながら、割とうきうきでタイミングだけ見計らって次席と人事に辞める報告をした。

 

しかし、完全に僕の心の迷走を人事には見破られていた。

電話で伝えたのだが、ちょっと会社に来いと呼び出された。

そして、2人きりになって1時間半は話していただろう。

 

まずは、「なんでこの会社を辞めようと思ったのか」と問われた。

施工管理という職が好きだけど向いてないという内容を告げた後、「じゃ、なんでその違う会社に入ったのか」とこれまた予想通りの展開だったので

やった事はないけど可能性があるなら賭けてみたい…

そう言ってのけた後、まあ正直それで食い下がる事なく終わると思っていた。

 

すると、人事は首を傾げながら

「いやぁね、キャリアが見えないんだよね。素直に違う事をやりたいという明確な意志があれば送り出すけど…失礼だけど今の仕事から逃げてるようにしか見えないな。」

と一蹴された。これは確かに言い返せないくらい図星であった。

 

確かに、今の僕は〇〇がやりたいという理由ではなく、施工管理をやりたくないという意味合いが大きかった。

しかし、フットサルの知り合いからは「人事は辞めさせたくないからあの手この手で引き止めようとしてくる。それに惑わされるなよ。」と釘を刺されていたため、僕は人事の意図を警戒していた。

 

しかし人事はその後も続けて、

「いや、辞めてもええんやで。そんなん言うたら人事失格やけど。

会社の安泰はもちろん大事やけど、それよりも大事なのは社員…いや、その人の幸せやと思ってる。

もし社員である事で幸せの枷になってるなら辞めた方がいいし、嫌々仕事されても俺が気持ち良くないからな。

俺の仕事はお前みたいに迷ってるやつがどうしたら輝けるかを考える事や。それが他社にあるなら送り出す。それだけや。

知り合い(?)に色々アドバイスもらって今のお前がおると思うけどその人は果たしてお前の事を幸せにしようと考えて動いてるかな?

いや、それは俺はその人と会ってないから分からんけど、そこにお前の意志が通ってるようにはお前の話振りからは感じられんかったな。

まあ、迷ってる時点で多分施工管理は嫌いじゃないと思ってるけどな。

まあ、今言った事は一度保留にしておくから、一回家に帰って1人で考えてみ。」

 

しかし、僕は帰る前から既に答えは決まっていた。

明らかに僕を思って意見を言ってくれていたのは人事の方だ。

 

まあ、研修などを通じて一緒にいた頻度が多かったのもあるだろう。

 

そして、僕は目が覚めた。施工管理が1番やりたい事か、向いているかは置いといて、まだ続けたいし好きなんだという事に気付いた。

 

失って初めて気が付くみたいな塩梅で転職活動、そしてこう言った本気で考えてくれる人事によって再確認したのであった。

 

そして、とどめとなったのはそのフットサルの知り合いに報告した時だった。

僕は結局、フットサルの知り合いが出した仕事を辞めるという第1歩目の任務を早々に棄却したわけである。

 

このようなメールを送った。

返信はあったものの、もう転職しない事を知った僕には興味が薄れてきたのが少し分かった。

 

フットサルの知り合いは僕の幸せを第一に考えていたのかと言えば、そうじゃないんじゃないんかと思えてきた。考えろというのもおこがましい話だが。

僕のような同じような迷える仔羊を何匹も抱えているわけだから、熱心な人に餌を多く与えるのは至極当然の話だろう。

所詮それまでの関係なのだから。

 

そして僕は完全に関係を断ち切った。

フットサルも、サロンも、報告メールも、LINEも全てやめた。

 

施工管理を続けるにはもう不必要な事だ。

 

その時には僕の中で出した結論は1つだった。僕は人事、そして次席に続ける旨を話した。

 

若手ではこうして仕事がしんどくて迷う事はよくある事だ。この先もまずしんどくなったら抱え込まず相談をして欲しい。

 

これは次席にも人事にも同じアドバイスをもらった。

僕の抱え込み癖はそうなかなか直らないものだったが、手を差し伸べてくれる人は運が良いのか沢山いたのである。

 

人事からは、まずはお前の元々親しい人とか、良くしてもらった上司とかそういった人と会って気を楽にした方がいい。信頼できる人とまず気兼ねなく話しよう。と言われた。

 

確かにおっしゃる通りだ。まずは自分を失くさずに生きないとな。

 

だから、僕は今まで時を過ごした高校や大学や会社の人達と飲もう…!!

そう決めたのである。

 

とは言っても前から結構企画して会ってたとは思うが、この2021年の春〜秋は確かに忙しかった分少なかったなという印象だった。

 

冬あたりをきっかけにまずはこれまでに会った人を中心に飲んで行こうと決めたのである。

 

これは仕事を続けるために小さく大きな一歩だ。

今の余裕の無い僕は仕事のために生きると胸を張れるほど立派なものでは無かった。

 

だからそれ以外の事でまずは自分が居てていいんだという空間、時間を作るべきだなと思った。

そしてゆくゆくは、自分の可能性を信じられる揺るがない「強み」が欲しかった。

それが僕の最終地点である「余裕」を手に入れたいからだ。

 

まだ暗中模索の状態であったが、僕は1つ「ある答え」を見つけるのであった。

 

それはまた、次の章の話である。

 

第一章 〜完〜

 

 

茨木現場物語 〜モノローグ〜

 

ついに茨木現場の引渡しが完了した…。それはつまり、新たな旅立ちとこの現場の別れを意味する…。

 

3月にもなり、少し働く時間も落ち着いてきたという事で茨木で働いた2年間をこのブログに納めようかなと思う。

 

ただ全て一度に書いてしまうと膨大な量となるため、あらかじめ6つの章に分けて、内容も主に仕事に関するものに絞って綴っていく。

 

恋愛や趣味については他のブログで散々書いているので問題ないだろう。では、本編に移る前に目次だけ目を通していただいてモノローグに入っていこう。

 

ノローグ: 甲子園編 〈「1年目」の洗礼〉

第一章: 杭〜基礎工事編 〈限界、そして迷走〉

第二章: サイクル工事編 〈一筋の希望〉

第三章: 足場解体編 〈折り合いと感情〉

第四章: 検査、内覧編 〈働く意味〉

エピローグ: アフター編 〈今後の生き方〉

 

これを見ていただくと分かる通り、モノローグは茨木現場ではなく、前の甲子園の現場の10ヶ月間を軽くおさらいしていく。

当時も現場についてのブログを書いていたが、「真っ只中」と「その2年後の今」とでは考え方が変わった部分も当然あるので、「今目線」で書いていこうかなと思う。

 

「1年目」での洗礼

2020年6月、僕は甲子園にある現場に配属された。

7階建の建築物だったが、その時にはある程度…4棟のうち1棟は3階ほどまで出来ている段階だった。

本当に途中の段階で入ってしまったので、なかなか人付き合いが難しく、すでに内輪のノリが出来てるグループに1人単身で入るかのようなそんな気まずさがあった。

 

メンバーは所長、次席、三席、四席、派遣の方、図面士、事務員さん、そして五席の僕が入った形となる。

所長はドシッとした口数こそ少ないが言葉に重みがある人、次席は優しくも成長を促してくれる良き上司、四席も優しい先輩だった。

事務員さんもベテランの方だったので余裕もあり色んな意味で優しく「社会人たる者」を教えていただいた。

派遣の方や図面士の方はあまり話す機会は無かったが、優しく見守ってくれたと…勝手に思っている。

 

ここで記していない人が1人いるが、あくまでこれはモノローグなので割愛させていただいている。

簡潔に話すと、結構な理不尽を押し付けられていたので日々ストレスが溜まっていて、その人からの着信が来ただけで心臓が震えるほどだった。

後述するが、生きるのをやめようかと思うぐらいには病んでいった。

 

この現場には10ヶ月ほどいたが、正直学んだ量が…。当時はあんまり思わなかったが、今回の茨木で学びが多かった分、余計に少なく感じるものがある。

 

主な理由としては自分が末席だったという事もあり、雑用を押し付けられる事で大半をその雑用等で時間を費やしてしまったからである。

主に安全の書類確認(という無駄な時間)や、搬入動線が狭い環境だったのでゴミの出し入れやコンクリートミキサー車の往来などには少々苦労をした。

 

他には所長が他現場の異動により所長+事務員さんが変わるという、うちの会社的には珍しい事が起きてあたふたしてたのも少しはある。

次席がほぼ先頭きって対応しないといけない分、みんなの仕事量が多くなり、僕を教える余裕が無かったように思える。

だからそこまで質の高い事は教えられなかったし、終いにゃ要領もよろしくないので当たり散らされていたのも分かる。今なら。

 

良かった事と言えばまず職人さんと仲良くなれた事である。

僕は人見知りだったので全然喋れなかったのですが、お喋りなコミュニケーションが上手い人が多かったのもあり救われた。

 

怖い顔の人ほど優しいのはほんまやったんやなーというのはある。まあ、でもやっぱ怒ったらめちゃくちゃ恐ろしいんだけども。

 

特に同い年の職人さんと仲良くなって愚痴を言いまくってストレスの捌け口になってくれたのはありがたかった。

仕事の愚痴は携わる人じゃないと全然ニュアンスが伝わらないし、他の現場の人にはむしろストレスの生産側なので話す事すら出来ないから余計である。

 

それ以外にも朝まで飲んでたり、ガールズバー行ったり、真冬に外でご飯食べたり色んな事喋ったり本当に楽しかった。

 

今までの環境とは全く違う生活環境、人間の環境での1年間は確かにそれだけでも刺激としては沢山あったように思う。

 

それまでは本当「似たような価値観」の人とだけ付き合ってきたんだなというのがひしひしと伝わった。

中卒、高卒でそこから職人一本の人がほとんとで、ヤクザ手前の人とか、前科者とか…日本人なのに日本語が伝わらない人とか倫理観崩壊してたり性根が腐ってる人とか…本当に色んな人がいた。

ほんと今まで見ていた景色とは全然違っていた。

 

 

僕は大学の時点で井戸を脱出し大海を見ていたように勘違いしていたようだ。

大海はどうやら、ただのしょぼい池だったらしい。

社会人になってまた一段と世界の広さというものを思い知り、ひけらかすように話しているが、今こうして見ている世界も所詮は小さい湖程度なんだろうなと思う。

 

そして周りが大学院生や大学生がマジョリティであったが故にそういった現実を余計に感じるようになった。

 

自殺という選択肢

4月の1週間という長期休暇を使って死のうと画策したのは2021年3月の話である。

簡単に言えば自己肯定が底を尽きたのが原因で、

「これから迷惑をかけ続けるくらいならできるだけ早く死んだ方が長い目で見れば迷惑をかける量が減るんじゃないか」という答えに辿り着いてじったというだけで自殺をかなり真面目に実行しようとした。

 

どこまで行ったかと言えば、遺書は書いたし(今も残している)、近くだと帰れてしまうので遠い場所を選び、片道分だけのお金を握りしめて出かけ、高い橋の上からダイブして死のうという計画の中で、橋桁の淵までは辿り着いてあと一歩踏み外したら死ねるという状況まで来ていた。

 

しかしながら直前で襲いかかってきた恐怖はあまりにも大きく、結局生き永らえる事になってしまった。

絶対に死んでやるという「覚悟」が無いと自殺すら出来ないんだな…自殺できる人って偉くないけど凄いなと感嘆していた。

「生きたくない」じゃ死なない。「死にたい」ではもっと死ねない。「死ぬ必要性と強い志」が無ければ人は死ねない。

 

あまりにも矮小な自分には嗤う事しか出来ず、片道分しかお金を持ってなかったので遠い距離をひたすら歩きながら…色んな事考えながらひたすら歩いていた。

 

その中で、この自殺未遂の経験が今後活きてくる日が来るだろうと…。

今生きているのにも意味があるんだとしたら、それは間違いなく次の茨木の現場で少なからずとも答えは出てくるだろうと。

 

まだ1つ目の現場仕事で比較対象も無いまま死ぬという答えを出すのは早計過ぎたのだ。

次でどれくらい自分は貢献できるのか、それをまずは知ってからでも遅くない。

 

「生きる」はコントロール出来るようで出来ないけれど、「死ぬ」はコントロール出来ないようで出来るものである。

 

どれだけ永く生きていたいと思っていても最終的な生きる権利は自分が持っていない。

しかし、全てが嫌になって消え去りたいと思った時、死の手綱を持ってるのは自分だ。死にたかったらいつでも死ねるのだ。

その「死の手綱」が、かえって僕の不安を消す「安全帯」となっているのだ。

ならば、死にたくなるまでは思う存分、苦しもうが生きてやろうかって気になった。

 

長い長い帰り道の末、太い太い一本筋の通った自分なりの今の解答を手に入れて、僕は次の現場へと向かうのであった…。

 

〜第一章へと続く〜

 

 

くみこ 2ndアルバム『真空』

『真空』は、ただの素人であるくみこが2020年6月〜8月に作成された2作目のアルバムである。

△解説

アルバムタイトルは表題曲である「シンク」の歌詞に出てくる「真空」から取っている。

2020年6月はちょうど作者が現場配属になった時期で、特に最初の時期は「息が詰まるように苦しかった」と話しており、そこから息ができる空間ではないという意味での「真空」が使われているという説もある。

 

△収録曲

全作詞:くみこ

1.蒼い冬

2.黒の果実

3.殻っぽ

4.平然のI don't know

5.シンク

6.階段

7.運命論者

8.蜘蛛の意図

9.〜1Years

 

△曲解説

1.蒼い冬(2020年6月作成)

社会人になって初めて作られた曲。作者のまともな青春を送れなかった高校時代を描いている。

爽やかな青色よりもしっくりくる蒼と春より冷たい冬からタイトルが取られた。

作者のポイント

娯楽も快楽もない妄想だけがモノクロの彩り

「モノクロの彩り」や「氷が熱を帯びて」など相反するものを合わせる事で思春期の不安定さや整合性の無さを出している。

 

2.黒い果実(2020年7月作成)

ストレスを心の中に溜め込むのではなく、体外の代わりの場所に保管すれば自分の中にストレスを全く溜め込まなくて済むのでは?という作者自身の経験から出来た曲。

何を言っているのか分からないかもしれないが、作者自身も何を言っているのか分からないくらい当時は迷走していた。

 

溜まったストレスは頭上に黒い大きなぶどうのように実っていく。

ストレスを発散する時に風船を針に刺した時のように外皮が割れ、乾いた黒い砂のような中身がこぼれ出すイメージだという。

 

その方法で果たしてストレスが減ったのかというと全くそうではなく、当たり前の事だが体外と言えど心の中からの枠からは逃れていないので、普通にストレスが溜まっていたそうである。

作者のポイント

電車の音 かき消すようにまた1日が始まる

その主人公にとっては電車の音が1日の始まりの合図で無理やりかき消してストレスから逃れようとしている。

 

3.殻っぽ(2020年7月作成)

空っぽではなく、「殻っぽ」というタイトルにしているのは中身が空洞なのが重要ではなく、中身がない容器の方をスポットさせているからである。

ここで言う容器とは人間の体の事で、何も考えられない抜け殻になった主人公を指している。

 

作者はこの頃に主幹ブレーカーが落ちたかのように生きる事をやめたくなる時期があり、その自殺を考えていた期間とそこからの復活までを歌詞にしている。

作者のポイント

殻っぽのカラダに入る冷たい思考と缶コーヒー

これは完全に作者の実体験で、仕事の休憩中にベテランの職人にもらったアドバイスと冷たい缶コーヒーで一気に我に返った事からそのまま歌詞として使っている。

 

4.平然のI don't know (2020年7月作成)

人に頼ることでしか生きていけない才能のない人間を主人公にしている。ちょっとイライラした時に書いた曲。

作者のポイント

才能無い脳どう使わせんのう?平然のI don't know 待つしかないの

この語尾を「のう」で韻を踏みまくった歌詞。そしてこの部分が歌詞の本質でもある。

知らないという事を恥だと思う事もなく、頼る事を前提に生きているため、薄っぺらい人間になるんでしょう。

 

5.シンク (2020年8月作成)

シンクは「身躯」「辛苦」「真紅」「深紅」など様々な要素が含まれるためカタカナ表記となった。息詰まる現代社会に抗いながら生きる主人公をテーマにしている。

 

作者のポイント

真空状態 息詰まる現代社会 奥の埃をわざわざ舞い上げる

まさしく今の社会そのもの。コロナが流行ってから直接的な交流よりSNSでの交流が多くなり、見なくて良かった情報を見てしまうという事も多くなったように思う。

 

6.階段 (2020年8月作成)

作者は中高6年間を私立の閉ざされた空間で過ごしていたため、大学生になった時一気に大人に上り詰めた感覚と大人って大したことないなという感覚が同時に湧いた感情を歌詞にしている。

 

ただ大学に行けば色んな人と出会う事ができ、ほんまにクズみたいな人もいれば自分まだまだやなと感じるくらい努力してる人センスのある人がいて総じて自分の客観的位置を知るには良い4年間だったなと今では思っている。

 

作者のポイント

昇っていけどゴールなどない 高みを目指し続けるこそが大人明日を変え続けるのが大人

目標を持って、その目標を突破しても、また次の目標を作ってキャリアを自ら切り拓く人間こそ大人だと言ってるわけですね。

用意された階段を登ってるだけじゃ辿り着けない境地です。驕ってるヒマはないんですよね。

 

7.運命論者 (2020年8月作成)

「人生とは一本道で、全てあらかじめ決められたレールの上を通って生きている。」

これは作者の考えでもあるいわゆる運命論である。

無数の選択肢があるように見えるが結局は1つの答えに辿り着くわけでその1本の答えもまた自分の意志を超越した運命に導かれてると考えている。

 

ただ1番大事なのは運命が全て采配してるからって努力をやめたり、後は野となれ山となれ状態には絶対になるなという事ですね。

自分の魅力を上げないと当然ですがせっかく降ってきたチャンスを掴み取る機会と成功率が上がりませんので…。

努力するかしないか、成長するかしないかもまた運命が決める事なのですけどね。

 

作者のポイント

過去はもう変えられないんだ 未来もすでに決まっている ひたすらに選ばれてみろ 紙一重の今を幾重にも重ねて

未来も決まっている ひたすらに選ばれてみろ というのは何か受け身な印象も受けるけど実際は努力を前提とした運命論に沿った歌詞である。

運命をさだめとかきせきとか他の意味で読ませるのはちょっと運命がうるさかったってのもあるが、only one要素を入れたかったので「きせき」と読ませてある。

 

8.蜘蛛の意図 (2020年8月作成)

主人公は太宰治でも有名な「蜘蛛の糸」に出てくる「かんだた」と少し似ている。が、この歌詞の主人公の方が根っからの悪党である。

 

ご都合主義で奪うように貪るように生きて幸せを得てきた。

 

しかし、我に返ったら幸せの定義を見失い、ただただ物が溢れてるだけの独り身になっていた事実をつきつけられ、因果応報だなと呟いてる。

 

作者のポイント

落ちても全うしても死ぬことが決まってるなら登りつめたいとあがいたのさ

登りつめたいとの中に「糸」があったり、なんてすっぱいんだの中に「スパイダー」がいたり、あちこちに蜘蛛の要素が散らばっている。

原作がある分、ストーリーの補助として一役買っており、曲の完成度も高いと作者自身も話している。

 

9.〜1Years (2020年8月作成)

かつての彼女と付き合った1年ほどを歌にしている。

お互い忙しくなり、連絡する頻度会える頻度も減ってきた今こそきちんと愛情を伝えるべきなのかではないかと考えていた。

共依存ではなくお互い自立していけるようになるのが目標だった。と作者は言う。

 

作者のポイント

…歌詞解釈したくないなぁ、色んな事思い出して心がぐちゃぐちゃになりそう。まあ気を取り直して

強がってる 強い君

強がれるだけ強いよねという事です。案外強がれないよ。

だって自分は

お互い忙しくなり会えなくなってから君を心配するばかりに僕はぶっ倒れて

また君に気を遣われ情けなくなった

なんだから。情けないよね。

 

△まとめ

社会人の不条理は抗うのも一苦労で本当にしんどかった。自分の価値を根本から見失うくらい。

 

仕事に従事するほど徐々に変わりゆく思想が歌詞に出てきたりして、自分の中の変化に気付けるのはこういったブログや作詞ならではだなという発見を大事にしようとノートにまとめていったのもこの時期である。

 

くみこ 1stアルバム『憂 & 哀』

『憂 & 哀』は、ただの素人であるくみこが2019年5月〜12月に作成された1作目のアルバムである。

 

△解説

アルバムタイトルは「あなたと私」を意味する「You&I」と今回のコンセプトである溜まっていた憂鬱や哀しみを吐き出すために作ったという経緯から漢字を当てはめたとされる。

最初の歌詞創作活動であったが、作者は「一度作り上げたら気持ちいいくらいに浮かんできた」と話している。

 

主にリアルな恋愛や日頃のストレスをぶつけた曲が多く作者の心理状態が垣間見える。作者が大学時代の頃作った唯一のアルバムである。

 

△収録曲

全作詞:くみこ

1.ヒアイ

2.Ecstasy!!

3.凍爆の一闇

4.あなただけでも信じてみたい

5.何もない道につまづく者達よ

6.赤い呼吸

7.ぬるま湯

8.ブスパイラル

9.オレとワタシ

10.人刺し指

11. 0Years〜

 

△曲解説

1.ヒアイ (2019年5月作曲)

1番最初に作られた曲。

作者が女性と別れた時のショックを引きずっており、その哀しさからの脱脚という目的で歌詞を綴ったとされる。

逆にその経験が無ければ作詞と巡り会えなかったと語っており、作者の思い入れが強い1曲となっている。

 

タイトルである「ヒアイ」をカタカナにしてあるのは、主人公にとっては「悲愛」そして、哀しみからの脱却としての「非哀」、相手にとっては「非愛」、全体のストーリーとしての「悲哀」の4つの意味が込められているからである。

 

内容としては別れた後の歌になっているが、未練がましくまだすがろうとする主人公と1人苦しみながら健気に頑張っている相手との対比を描いている。

・作者のポイント

及ばなさに嘆く君を どうにもしてやれなくて 僕もその及ばなさに 嘆いていたんだ

この歌詞が最初に思い付いてから、ちっぽけな無力感を演出するために折々に星や宇宙の要素を散りばめている。

当時発表された「B'z」のアルバム「NEW LOVE」のタイトルと宇宙をバックにしたジャケ写も意識している。

 

2.Ecstasy!! (2019年5月作曲)

作者が大学時代に所属していた陸上部にて掲げていた「走ることそのものを楽しむエクスタシー」を謳った曲である。

歌詞自体は陸上ではなく人生に置き換え普遍的なものとして落とし込んでいる。

 

・作者のポイント

最後の最後に輝くのさ そのためだけの ecstasy!!

苦しみや憎しみでギリギリになってる時こそ、生きている心地を実感できるのだと教えてくれるアツい曲です。

 

3.凍爆の一闇 (2019年6月作曲)

タイトルは「とうばくのいちや」と読む。

当初のタイトルは「凍爆の一夜」であったが、心に潜む嫌悪の深さを考えた結果、夜を闇に変更した。

これも陸上部に関する曲でエンジョイ勢であった主人公とガチ勢だった後輩との確執を描いている。

深夜に後輩から長文の苦言LINEと突然の脱退により色々な事を思い馳せ眠れなくなったもやもやを晴らすために作ったとされる。

 

ちなみにあの時どうすれば良かったのか、そしてどういう方針で進むのが正解だったのかいまだに分からないままでいる。

 

・作者のポイント

藍色に染まってゆく irony

「藍色に」と「アイロニー」という韻踏みを使いたかったというのが始まり。

奥に潜んでる midnight 覗くほどに増してく狂気

「奥に潜んでる闇」ではなくmidnightにしたのは闇の中でも1番深い部分を端的に表したかったから。

凍爆は造語である。凍は冷たい視線、爆は怒りの爆発という相反する熟語で表しており、対象者への静かなる侮蔑を視認出来るように心がけた。

 

4.あなただけでも信じてみたい (2019年8月作曲)

何も信じきれない主人公が純粋な相手を見つけ、童心に帰るかのように信じてみようとする曲。

作者は「僕はどちらかというと疑い深い人間ですね。純粋な相手のモデルは実在しますね。思い浮かべながら作りました。」と明かす。

 

・作者のポイント

見える確かなものですら 真実だとは限らない

周りが信じられないのももちろんあると思いますが、本当に信じられないのは自分自身なのでしょう。

あなたの笑顔 何気ない仕草 交わしたぬくもり どうか愛だと思わせて

裏テーマはあなたを信じてみる事で自分を信じられるように肯定していくという事なんです。

 

5.何もない道につまづく者達よ (2019年8月作曲)

これも「あなただけでも信じてみたい」と同様、実在する人を主人公として作ったとされる曲。

不器用でありながらも一生懸命頑張りもがく姿を切り取っている。

・作者のポイント

強さなど必要ないんだ 強い人に頼りゃいいんだ

自分が強くなる必要は実はあんまりない。1人でやれる事にも限界があるからだ。頼ることが諦める事ではなく、むしろトータルを考えれば最善の選択である事が多い。

円にひそんだ四角を…

円と四角の明確な違いは尖ってる部分があるかどうかである。自分にも分からない尖った才能を見つけて欲しいというのを婉曲的に伝えている。

 

6.赤い呼吸 (2019年9月作曲)

作者が咳風邪を引いた時に血が沸き上がるかのような苦しさがあった事からこのタイトルが付けられた。

 

また「赤い呼吸」が日本のロックバンドB'zのjuiceという曲のサビ「あついジュース」と語感が似ている事から全歌詞がjuiceのメロディに沿って書かれている。

尚、juiceとは歌詞の内容が異なるため作者は別の曲として認識している。

 

・作者のポイント

死んでも絶対死なない 言い訳なんてくだらない する暇あるなら動かせ

身体がしんどくても心が死んでなければやっていける。言い訳を考えた時点で心が折れかけているから考えないように限界の身体を動かせというなかなかブラック労働精神溢れた曲。

だが人生そのくらいの気概で生きてかないとやっていけない教訓歌でもある。

 

7.ぬるま湯 (2019年9月作曲)

作者が大学時代住んでいたとされる祖母の家のお風呂に浸かりながらひらめいた曲。季節は夏。

ぬるさと大学の4年という人生のぬるさをかけ合わせている。

 

・作者のポイント

刺激のないぬるま湯人生 それでも日は暮れてくれる

何もしなくても残酷にも時間が過ぎてしまうけど、それすらも焦りに感じていない主人公が見えてくる。

今一度壊れてもいいくらい嫌な思いでもしてみよう、疲れたらまた浸ればいい

人間は痛い目に遭わないと刺激として学ぶ事があまりない。

だけどエネルギーは使うからたまには休んでもいいんだとアドバイスもしてくれる。心優しい歌詞になっている。

 

8.ブスパイラル (2019年10月作曲)

見た目、才能、性格どれも取り柄のない主人公が年齢を重ねるごとに悪化していく様を描いている。この主人公にモデルはいないとされる。

・作者のポイント

綺麗なものに蓋をして 着飾る努力もやめて 他人の不幸を貪り

幸の可能性 自分自身で芽を摘んでる

性格がブスになるのは結局自分磨きを怠ってるからなんですよね。それでいて心を磨いていくと不思議な事に顔も良くなってくる…と信じております。

 

9.オレとワタシ (2019年10月作曲)

強気なオレと弱気なワタシが同じ人間に同居したいわゆる二重人格の主人公の苦悩を書いた曲。

作者は二重人格ではないが、感情が不安定なのでそれを誇大化させた延長線が今作の主人公だと話している。

・作者のポイント

虚空がドバドバ溢れ出す

虚空が溢れるという矛盾めいたフレーズだが、オレでもワタシでもないNullの状態の混乱めいた感情を表している。

きっと きっと 私は救われる

最後、一人称が「私」になっているのはオレとワタシ両方の自分を指している。

 

10.人刺し指 (2019年12月作曲)

作者が高校時代の1番荒んでいた時に考えていた事をそのまま曲にしている。

この頃卒論が上手くいかずストレスが溜まっており、作詞する事でうまく発散させる事ができたとし救われた曲であると話している。

 

・作者のポイント

中指を立てるような 荒ぶった暮らしをしながら空の人差し指で色んな人を撃ってみる

2本の指を上手い事使って主人公のギスギスした自暴自棄さを描いている。

大事なものほどなんて脆いんだ...

命すら人の善意のもと、たまたま生き残ってるだけで殺人を許されるような自然状態になればなんてあっけないものなんだと主人公は妄想している。

そう、人は無意識にこの理性というブレーキがあるからこそ生かされているのだ。

 

11. 0Years〜 (2019年12月作曲)

当時の彼女と出会ってから付き合ってしばらくに至るまでを描いてる。1年も経ってない状況なので1Yearsではなく0Yearsなのである。

yearが複数形なのは2人の育みであることから。

 

歌詞の内容は「あなただけでも信じてみたい」に似た内容だが、本歌詞は恋愛をコンセプトに作っている。

・作者のポイント

出会いの季節に出会った

まだ学生であるならば、このフレーズから新学期、春を想像するだろう。

そこから大きな花火→夏 冷えゆく季節→秋 朝はもう早くなってる→新年(1月以降の冬)

とそれぞれ季節の描写をさりげなく入れることで移ろいを表している。

同じ過ちをしてしまいそうで怖くて眠れない

これは過去の恋愛を引きずっているからこその歌詞でトラウマも相まって相手を信用できないでいる。そこからの

ずっといたいそんな気持ちになった それが恋だというならば

迷わず君を抱きしめよう この恋は間違ってない

なので胸が熱くなる展開となっている。

 

 

 

△その他

作者がファンだと明言しているロックバンド「B'z」のボーカリストであり作詞者の稲葉浩志氏の歌詞のフレーズや言い回しなど色濃く影響されている。

 

稲葉氏は歌詞解釈について、曲をリリースした瞬間に曲は聴き手のものになるので解釈は聴いた人に委ねている。だから自らは歌詞の説明はあまりしないと語っている。

 

だが、くみこ氏に関してはあえて自分が手掛けた工夫点や解釈、背景を出しているというのが稲葉氏とは違う点である。

 

理由は

歌詞そのものというより、背景からの歌詞作りのアイデア、考え方の過程を大事にしているという点や、

自分の工夫した点や自分の考え方を、皆に知って欲しいという承認欲求や、また知ることによって曲の解像度を高め、結果的に自分自身の解像度を上げるためといった点が主に挙げられる。

 

以上を踏まえた上で、曲を見てもらい解釈して欲しい。聴き手によって答えが違うのが面白いんだと語っている。

 

当時のインタビューでは「社会人になってからは恐らく時間が取れないので今後(歌詞を)作成するのは難しいだろうね。」と漏らしていたが、2023年1月現在も気ままに作詞活動を行っている。

 

次回、2ndアルバム『真空』につづく。

 

【個人的】ストレス発散ランキング〜

 

どうも、13連勤中のくみこです。鋼の。

 

ストレス発散ランキング〜(突然始めていくスタイル)👏👏👏👏パチパチ

 

今回の選定基準はどれだけコスパやタイパがいいかですね。

タイパはコストでは無くてタイム(時間)で、短時間で大きなリターンを得られるかという最近流行りのワードらしいです。

 

たとえばYouTubeを1.5倍速で聞くみたいな、そんなやつです。まああんまりポジティブなワードでは無いですが情報過多の昨今では求められるスキルでもあるかもしれません。

 

…という事で、ストレス発散の項目を5つに分けて総合的な評価をしたいと思っております。

 

1…時間

始めるまでにかかる初速度、それ自体にかかる時間をそれぞれ評価する。

2…コスト

お金、労力がこの欄に該当する。お金と労力が相反する事もあるが平均して評価する。

3…条件

場所、日程など出来るタイミングが多いほど高い評価になる。

4…ストレス発散度

ストレスを発散できる値を評価する指数。高いほど発散出来ている。

5…リターン(貢献度)

いかに他者に対して良い方向に働きかけるかを評価する。

 

それぞれ5段階で評価します。

 

それではさっそく10位から発表していきます!

 

10位…サウナ

発散度は高いが…

時間☆☆ 大体1〜2時間で終わる

コスト☆☆☆ 1000円あれば行けるし入るだけ!

条件☆☆ 混んでるとねぇ…

発散度☆☆☆☆ 汗のデトックス良いね!

貢献度☆☆ 1人だと寂しい

 

個人的には誰かと行きたいなという感じです。裸で話し合うってなんか心まで裸になれた気がするじゃないですか。(男女問わず)吊り橋効果?プラシーボ効果ですかね〜

あと混んでると待ち時間が何も出来んし、変な客とかおるとむしろイライラするし、半年以上現時点で行ってないのが答えかもしれません。それでも10位です。

 

9位…寿司を食べる

日本人で良かった

時間☆☆☆ チェーン店ならすぐ

コスト☆☆ まあまあ高い

条件☆☆ 頻繁に行ってたら価値下がりそう

発散度☆☆☆ 満足度は高め

貢献度☆ チェーン店は0

 

食をストレスすら感じる僕ですが寿司は美味いですね。

別に他が嫌いとかって訳じゃないですけどストレス発散は寿司しかないです。

僕は食を人と話す手段としか考えてないから、1人だと何にも感じないですね。

 

8位…絵

コスパが良くない…

時間☆ 少なくとも1作品1日はかかる

コスト☆☆☆ 初期費用のみ、ただ労力が…泣

条件☆☆☆☆ 鉛筆、紙、下敷きさえあれば

発散度☆or☆☆☆☆☆ 上手くいくか次第

貢献度☆☆☆☆ 趣味として公表できる

 

お金はほとんどかからないっていうのと割とどこでも出来るし、完成した時はやっぱり嬉しいし、周りにもアピール出来るしほんと貢献度は高い発散方法だとは思いますが、いかんせん時間がかかり過ぎる。

発散が時間に見合ってないんですよね。しかも上手く描けない時もあってその時はイライラする事もありますね。

でも一度集中した時のあの絵と一体化したかのような気持ちいい感じは忘れられないですね。

 

7位…漫画を読む

絵はすぐ読めるので効率的

時間☆☆ 作品毎となるとまあ時間はかかる

コスト☆☆☆ お金と労力はあんまりかからない

条件☆☆☆ 漫画喫茶行けば

発散度☆☆ 展開を見るのは楽しい

貢献度☆☆ 周りと会話するために

 

面白い展開とかあればやはり唸りますよね、良い終わり方をする漫画ならほんとに満足度高くていいですよね。

他の人とコミュニケーションを取るための手段として始めて、これからもまだ読んでない漫画読みたいですね。ハガレンとか。

 

6位…ブログを書く

イデアをまとめる時が1番楽しい

時間☆☆ 正直時間はかかる

コスト☆☆☆☆ 無料だし案外苦じゃない

条件☆☆☆☆ スマホを使える状態ならどこでも

発散度☆☆☆ 書く前が割とピークだったり

貢献度☆☆ 稀に需要ある情報も出すので

 

まあ、今まさしくやってるような事ですよね。

ランキング作ったろ!とかどう評価して順位決めようか。どういう文章書いたろか〜とかあれこれ考えてる時が1番楽しいかもしれませんね。

今文章を書いてる時は流れ作業ですから、でも完成が近づくにつれ気持ちは昂ぶりますよ。

 

5位…スマホを見る

圧倒的タイパとコスパ

時間☆☆☆☆☆ 起動すればすぐ

コスト☆☆☆☆☆ 課金しなければ無料

条件☆☆☆☆ スマホ見れる状況なら

発散度☆☆  暇を埋めるだけ

貢献度☆ ほとんどいらない情報ばかり

 

スマホを見る はSNSやソシャゲの事を指します。起動すればすぐ閲覧出来るのは非常に良いですよね。

ただでもそれだけで、見終わってから時間を無駄にしてしまったと虚しい気持ちになるのでほんまにドラッグと同じですわ。

有益な情報も無いわけではないのでそういったコミュニケーションツールとして使うのはアリだと思います。

 

4位…作詞

圧倒的自己満足。な趣味

時間☆☆☆ 1曲実は1時間もかからない

コスト☆☆☆☆ もちろん無料

条件☆☆☆☆☆ 脳があればどこでも出来る

発散度☆☆☆☆ 意外と脳汁ドバドバ出る

貢献度☆ ほんまにただの自己満足

 

ほんまよほど僕の作詞を気に入ってくれてる方以外は完全に自己満足の範囲でしかないんですよね、でも逆に言えばそれぐらいしか欠点がない良い趣味だと思いますね。

 

良いフレーズがあれば仕事中でも電車の中でもメモすればいいですし、ほんとにどこでも出来ます。

また、そのフレーズさえ思い浮かべばすぐ1曲作れます。お金もかからないしそこまで労力使わないし、しかもアイデアが思い浮かぶたびに快感がたまんないんですよね。

共感があんまりしてもらえないのが残念ですね。

 

3位…カラオケ

腹から声を出して吐き出すのほんま大事

時間☆☆☆ 1〜2時間で満足

コスト☆☆☆ そこまでお金もかからない

条件☆☆☆ さすがに熱唱はどこでもできない

発散度☆☆☆☆ 何も考えず歌うのが良い

貢献度☆☆☆ 余興の練習として

 

叫ぶ(歌う)事自体がそもそも発散方法として素晴らしくコスパが良いかと思います。

ただカラオケぐらいでしか近所迷惑になるので叫べないのが難点…否、叫べる場所が1つでもあるならそれでいいじゃない。

今回の現場はみんなカラオケが好きなので曲の練習として行って仲良くなるといったツールとしてもリターンが大きくていいですね。

 

2位…飲み

やっぱ喋る事が何よりの発散

時間☆☆ 少ない!決めてからが時間かかるよね

コスト☆☆ お金はかかるし前々セッティングが…

条件☆☆ 予約とか日程調整がねぇ…

発散度☆☆☆☆☆ でも当日楽しい〜!!

貢献度☆☆☆ 友達でずっといられる方法

 

まあ、前々のセッティングの労力がかかるのは結構な難点ですね。

僕はよく幹事をするので感じます。

ただ幹事ならではの人選の決定権があるのでどういったメンバーで飲もうかと考えてる時が1番めちゃくちゃ楽しいですね。その楽しさがあるから労力エグくても幹事してまでセッティングするくらいです。

当日は色んな人の色んな話聞けてめちゃくちゃ楽しいですね。1番の発散かもしれません。

また、話を聞いて、今度じゃあこの人誘おうかと違うメンバーで飲んだらまた違った角度から話が出来て毎度飽きないんですよね。

 

ただもっと喋りたい!!!ってなるのがねぇーー。時間が足りない…

 

番外編

ここからは惜しくもランキングから外れたものを発表していきます。

・読書

文字を読むのは時間がかかるし、発散度はそこまで無いかも…実際最近は読めてない

・ランニング

発散度こそ満点に近いが休みの日に走ろうと思う労力が大きくハードルが高い。そもそも仕事で動き回ってしんど過ぎる

・映画

発散度も高いし、時間、コストも悪くないがそもそも観たい映画がそこまで無いのと、感想をブログに書きたいってのもあるので6位のブログに内包される内容である

・ライブ

発散度は全ての中でMAXに近いが席によっては変な客もいたりするのでそこだけは注意。

今回はコスパの高いランキングなので、あまりに頻度が低いという点があるのでランキングからは外させてもらった

 

…と言う事で、堂々との1位を飾ったのは…!!

 

1位…筋トレ

筋トレ最強!!

時間☆☆☆☆☆ 思い立ったが筋トレ

コスト☆☆☆ 無料でも十分鍛えられる

条件☆☆☆☆ 家でも職場でも

発散度☆☆☆☆ 思ったより気持ちいい

貢献度☆☆☆☆☆ すぐに筋肉に結果が出る!

 

まず、時間に関しては家でやりたいなと思えば0秒で出来ますよね。筋トレ最強。

コストこそ、より鍛えたいとなるとジムに行かないとだめだし、始めるまでが面倒くさいなという労力もかかっちゃいますが基本は身体1つあれば道具も何もいらないですし、そこそこ結果も出ます。自分磨きにもなりますしね。筋トレ最強。

 

それよりも筋トレって身体にとっても精神にとっても善行なのでやって得しかないんですよね。

やった自分はえらい!という自尊心の安寧にもつながりますし、

筋肉そのものが喜ぶ声が聞こえるのが分かります。

 

かく言う僕は言うて社会人になってからはサボりがちで毎朝腹筋と腕立て伏せしかしてないですが、

腕立て伏せ。これ本当に朝やった方がいいですよ。

鼻詰まり改善、整腸効果、眠気覚まし、気持ちのリセット、筋肉増強、冬の季節だと発熱作用も期待できますよね…もはや万能薬です。筋トレ最強。

 

まとめ

ストレスは絶対に溜まるものです。

また、格納庫にストレス閉じ込めても勝手に減る事なんてありません!いつか開けなあかん時が結局訪れるだけです。

まずは自己完結する方法で発散できる対策を用意して他人にストレスをぶつけないように、心を健やかにして生きて下さい。

ぶつけられる側が非常にしんどいんです!!

…といった愚痴をぶつけた所で今回のランキングをお開き👐させていただきます。

 

 

 

 

 

作詞がついに40個を超えてしまったよ(独り言)

 

どうも、内覧会でくたばりかけているくみこです。

 

今回は独り言という事でテーマは「作詞」です。

いいですか!ポエムじゃありません、まあポエムと言われても全然良いんですけど。

 

実は2年半前にもブログに書いてあるんですけどね、ちゃんと残したいなと思いブログという形をとらせていただきました。実はブログ始めるより前に既に作詞はやってたんですねー

 

大学から始めたB'zの歌詞解釈をやっていくうちに、作る側もやってみたいなとふと思ったらペンが進んでいました。

それが作詞のきっかけで4回生の5月頃です。

すごい僕に詳しい人ならその時期が何か分かりますでしょうし、分からない方は反省してブログで半生を読んで下さい。

 

当時は大学4回で綴りたい事も多かったので意外とすんなり作れてましたね。社会人になってからも鬱憤が溜まってましたので良いものが出来た気がします。

 

何でやってるかって?

 

もやっとした心のわだかまり言語化させる事で気持ちが整理できて心が晴れていくんですよね。僕はそれを言語化カタルシスと呼んでいます。

表向きの理由はこれですね。

 

そして、なにより気持ちいい。

裏向きの理由ですね。ここでは言いますけど。

 

綺麗な言葉で表現するなら「内側からの発散」ですかね。

 

僕の場合、自分の気持ちをそのままに作詞でぶつけてますので、もはや心の露出狂ですね。裸を見られてるようです。あら恥ずかしい〜。

 

しかしながらなんとそれが合法なんですよね。快感ドバドバです。

圧倒的自己満足ですし、もはや自慰を生配信してるような感覚ですよね。みんなが見てるかは別として。見られてるかもしれないってこの気持ちゾワゾワしますね〜

 

正直エッチなビデオ観るより気持ちいいですよ。ビデオの展開は正直自分の思い通りになってるとは限らないじゃないですか。取捨選択して自分の癖に合ったものをピックアップさせる作業があるんです。

なぜって、ビデオは外側からの情報だから!

 

ただ、400mを全速力で走り切るだとか絵を描くとか作詞するとかは全て自分の内側による快楽の成分なんですよね。純度100%なんですよ!そりゃあ気持ちいいに決まってるんですよね。

 

え?なんの話でしたっけ?ああ、作詞の魅力ですね。

 

まあ、要するに作る時こそ快楽なので出来上がってしまえば別に何でもないんですよね、、

 

ただ、当時こんな事考えてたんやなーという忘れてしまいそうなリアルな感情を書き留める事が出来るというメリットもあるし、ちょっとそういうの他人に見てほしい承認欲求も芽生えたりします。疲れてる時は特に。今とか。

 

 

 

まあ作詞するだけなんで曲作るわけじゃないし歌う訳ではないんですけど、一応この取組みを「作詞」と呼んでいます。

 

展開がサビがあったりと曲そのものだったり、内容よりも文字数とか語感とか気にしながら作るので「詩(ポエム)」というより「歌詞(リリック)」であると僕は主張したいです。

 

というのを、もはや4年弱続けて1年に10曲ペースでやってたらようやく40曲踏破したので全曲紹介できればと思います。

「歌詞」である事にこだわってるのでしっかりアルバムもあってちゃんと4つに区分されてますよー

紹介したいですけども、

今回はここまでとさせていただきます。いわばインストゥルメンタル的なやつですね。

 

アルバムごと…まあ1年で区切ってまとめてますので今後はそういった形式でまとめます。

 

こんなの誰のためにやるって?

 

自己満足だよ。それだけよ(以上!!)

 

 

映画『THE FIRST SLAM DANK』🏀の感想が言いたくて

 

途中からネタバレ含みます。まだ大丈夫ですよ。スラムダンク知ってる方の方が見ない方がいいかもしれないです。知らない人か既に映画観た方向けです。

 

こんにちは。くみこ、なんですね〜

2023年も宜しくお願いします。

 

さて、元旦からがっつりスラムダンクの映画観に行きました。

きっかけはONE PIECEの映画観に行った時の予告で出てきたんですよね。もうこの時からちょっと興奮してきて行こうとは正直思ってました。

ディープなファンってほどでは無いですけどスポーツ漫画では1番好きですね。

 

最初は1人で行くか友達誘うかで迷ってたんですよね。

ただ、まさかの家族から年始一緒に見ないかと誘われたんすよね。

考えが一緒やったので、奇遇だねぇ?とつっこもうとしたんですが

あーそーいや家族経由で俺ファンになったんだわって気付かされて、せっかくですし家族みんなで行こうかという事になりました。

 

…はい、冒頭の1人語りはこれくらいにして今から本格的な1人語りしていきましょう。

 

※このゾーンからネタバレしない程度での感想をちらほら小出しにしていきます。

ネタバレする時はまたちゃんとお知らせするんでそっから嫌な方は閉じて下さい。しばらくは大丈夫です。

 

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『B'z 歌詞が重たい曲』ランキング👑〜後編〜

 

くみこ、(以下く)「今からB'zの歌詞が重たい曲ランキングの後編をやっていくらしいよ。」

 

ぺい寅(以下ぺ)「前編を見てない方は前編から見るのがおすすめだぜ。ま、このノリについていけるなら後編からでも大丈夫だぜ!

 

じゃ、6位から発表していくぜ!」

 

 

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