前編を見てくださった方、おつかれさまでした。
後編はもっとハードになります。
それではどうぞ。まずは大学(京都編)からです。

49.マネージャー
大1の春
大学でも最初から陸上部に入ろうとは思っておらず、自転車部に入ろうと思いますがメンバーが僕を見下すような人だったのでやめます。
新歓ブースで声をかけられたのがたまたま陸上部で、向かうと当時の部長とマネージャーらしき女性がいました。そのマネージャーは同じ学科の先輩で400m走者を特に探していたらしく、ぜひ入って欲しい!とお願いされちゃ入らん訳に行かんでしょう。
マネージャーなんて中高いなかったので正直興奮してました。工繊陸部に入ったきっかけです。
50.茶髪
大1の春
大学デビューに失敗。原因は大学生からスマホを持ったのでスマホ慣れしていなかった事です。学科グループLINEを知らず、ほとんど最後に入っており新しい環境のクラスメイトもキラキラしてて馴染めませんでした。まあその中でも仲良くしていく人がぼちぼち出てきますが、思ってた大学キャンパスライフとは違っていました。ちょっと抑圧されたものをはっちゃけようとしてやったのが茶髪でした。
結果、99%の人に黒髪の方が良かったと言われる始末で黒髪の良さを再認識するだけの回になりましたとさ。
51.初戦自己ベスト
大1の春
入部してすぐにお祝い金を使って良いスパイクを買いました。そして毎日筋トレしていたのもあり身体がさほど鈍っておらず、高校の時に死ぬほど頑張って出した記録をあっさり初戦で追い抜いてしまいました。
前のスパイクは走るたび足から皮がめくれて血が出て包帯ぐるぐる巻きで走ってたしそりゃそうかという感じ。
多分ですが努力の方向性が間違ってたんだと思います。考えながら陸上に取り組むのと気楽に真剣にという自分の陸上道が確立した記録会でした。
52.三繊
大1の夏
ざっくり言えば関関同立みたいな大学の括りで、内訳は信州大学、東京農工大学、京都工芸繊維大学の繊維に関わる3つの大学です。
それら三繊で合同で試合を行うのですが、(詳しくはブログで)試合に勝ったはずなのに勝負に負けたような感覚になったのは初めてでした。
まず盛り上がりがすごい。圧倒されました。これを言っちゃなんですけど工繊は理系陰キャの集まりなんで騒がしい所がみんな苦手なんですよ。ただし1人を除いては。
同期のそいつはまだ未成年にも関わらずお酒を飲まずともアウェイの雰囲気をものともせず1番盛り上がっていました。彼のことを今までは練習にあまり参加しないくせに遅刻したりして薄っすら嫌いでしたが一気に尊敬の念に変わりました。
結果というものは確かに大事ですがそれよりも道中を楽しんだり盛り上がったりする事の方が人生大事なんかなと学びました。
53.センスない
大1の夏
デザイン・建築学科は1年の前期だけデザインと建築を両方学び、もう後期にはデザインと建築にはっきり分かれます。
僕は最初はデザイン希望でしたが、与えられた課題に対する評価が散々で周りを見ても僕のセンスの無さだけは一目瞭然でした。素直に就職の裾野が広い建築の勉強をする事になります。
54.徹夜ひとカラ
大1の秋
バイトをまだ始めておらず、まだ仕送りをしてもらっていた頃だったのでそこまでお金のかかる派手な遊びはしていませんでしたが、大学の近くにカラオケがあったのでまずはそこでB'zを1人で熱唱していました。
ピークの頃は夜中を使って1日100曲くらい歌っていました。もちろん友達とオールする事もあれば1人で謎にオールする事もありました。そういう無意味なことは若いうちにした方が良いって誰かが言ってました。(適当)
55.週2不定期
大1の秋
車の免許講習を終わらせてからバイトをし始めます。授業、課題、陸上全てを上手くやるにはバイトに力を入れては出来ないので自由にシフトを決めることができてそこまでエネルギーを使わないコンビニバイトをやる事にしました。
大手コンビニではなく駅ナカのコンビニでやる事も少なかったはずなのに相当しんどかったです。これでしんどかったら社会人やっていけないのでは?と不安になりますが(今考えるとあながち間違いではない)なんとか大学卒業までは続けることができました。
高校がなんて狭い世界だったんだと思えるほど大学では色んな地域から来ている分広く感じて、バイトではさらに働いている人達、お客さんなど広い世界を知れたような気がします。良い意味でも悪い意味でも。
56.西九条
大1の冬
1回生の後期からだんだんと仲良くなる異性ができます。同じ学科で席も近く、毎日会えたのは大きかったかもしれません。
やはり、建築課題というのが前日は徹夜でみんなで仕上げるというのが習慣になっており倫理や理性というのがふっ飛ぶので距離感が一気にバグって付き合いやすくなるみたいです。その綾にあやかって何回かデートした後USJに2人で行く事になります。
園内で告白しようとしたのにためらって出来ず、なんと人も大勢いた西九条駅で告白してしまいます。高2で公衆の前で告白した時からまるで成長していないと当時の担任から叱咤されそうです。
しかしながら、結果はOK。付き合う事になったのです。
57.京大B'z同好会
大2の春

出会いはTwitterでタイムラインで流れてきた事です。すぐさまDMを送りカラオケ会に参加します。当時にはもう結構マニアになってましたので入ったと同時に幹部の方と絡むことができました。
B'zのことはもちろん、恋愛に関しても色々学び、異性との程よい距離感を掴め始めたのは同好会のお陰かなと思います。
58.50秒切り
大2の春
高1の頃、三者面談で担任から(陸上のタイムが)遅いと言われたこと、もちろんずっと忘れることが出来ませんでした。そこで決めた目標が400m50秒切りでした。
大学1回の頃は順調にベストを更新していったのですが夏に故障し結局50秒前半と惜しいとこで止まっていました。冬で治し、春に身体を調整して5月末とうとう50秒を切ることができたのです!
嬉しくて嬉しくて本当に最高でした。僕にとっては人生のしこりが1個消えて、よりタイムに囚われず部活を楽しむ事に専念できるようになったかなと思います。
59.高瀬川ダイブ
大2の夏
とうとう20歳になり、お酒が解禁されさっそく失敗した事件です。
大学同期と打ち上げをしていたのですが、店で飲んだ後は近くの川沿いで花火をしていたのですが
僕はそのまま川にダイブしあろうことか川の中で腕立て伏せをし始めたので引き上げられました。
その後看病していただき、服も親切に持ってきてくれた人もいて迷惑もゲロもかけ散らかしました。本当にその節は申し訳ございませんでした。
60.衝突事故
大2の秋
色々なことが過渡期になった頃、自転車同士の衝突事故を起こします。
正直な話、相手の確認不足が原因だったのですが、怪我したのが相手側で太ももを何針も縫う警察と救急車も駆け寄るおおごとになってしまいました。
これで✖️が付いて部活出来なくなったらどうしようかとパニックになりかけましたが何とか穏便(穏便じゃないけど)に済みました。当てた相手が最悪で保険に入ってなかったら下手したら裁判沙汰になりかけて結構ヤバかったので自転車保険は入っておくようにしときましょう。
その1件と重なり才能不足が露呈し勉強のモチベも下がり、付き合っていた彼女とも別れ陸上も上手くいかず落ち込む時間が続きます。
61.部長
大2の冬
陸上の成績としても、統率力にしても僕はあった訳ではありませんでしたが、変えたいという気持ちと熱血ガチ勢とサボり勢の中間くらいの真剣エンジョイ勢の僕が向いていると思い部長になりました。
何かのリーダーになるということを今までした事がありませんでしたのでプレッシャーに負けそうな時もありましたが、自分のやるべき事は出来たかなと思います。
間をとりもつ仲介が向いてるなと感じ施工管理職を視野に入れるきっかけにもなります。
62.幹事
大2の冬
高校陸上部6学年くらいでの集まりに幹事として抜擢されました。これもまた初めての経験でした。
飲み会自体はお酒も飲めるし好きなので思ったより店選びは苦じゃありませんでした。それよりも自分が幹事なので日程や店をある程度コントロールできるし感謝されるしでメリットの方が多く、この集まりを機に幹事を率先してやるようになります。
普段行動力が無い分、重い腰を上げる1つの良いきっかけになりました。
63.歌詞解釈の道
大3の春
B'z同好会では基本的には受動的でしたが、歌詞解釈を趣味として展開していたのでちょこちょこ自分企画でやったりしていきます。
部長の時と言い、前に出る機会があんまり無かったので最初は言葉が思い浮かばなかったりなどの失敗もありましたが、みんなが満足して帰る姿を見るとやって良かったなと感じます。
64.四苦八苦エクスタシー
大3の夏
思ったより陸上では成績が伸びず、400mの自己ベストは49.89(四苦八苦)が最終となりました。正直身体的には200mが1番向いているのですがそれでも400mをやっていたのはエクスタシーを感じたからです。
人間は無酸素運動が40秒が限界と言われており、400mのラスト100mではその無酸素運動が限界を起こし、乳酸の蓄積が非常に大きくなり極度に疲労した己の肉体と精神との闘いになります。
その苦しみがイヤで400mを走りたがらない人が多い中で僕はその苦しみを快楽へと昇華していました。400m走者にマゾが多いのはそれが理由です。
僕はエクスタシー教の教祖として一緒にこの苦しみを共有するメニューを作ったりしては喘ぎ悦び合いました。
65.マイル優勝
大3の夏
マイル…400m×4のリレーで合計1.6km≒1マイルなのでそう呼ばれています。割愛こそしていましたが僕はこのマイルにも情熱をかけてきました。
個人では優勝した事がなくてどんなに小さな大会でも運動会ですら2位が最高でした。
1回でもいいから優勝したいなと頑張っていたら、ついに京都選手権という大会で優勝する事が出来たのです!その時のタイムも工繊歴代1位の記録で未だに塗り替えられておりません…!
続けて良かったという安堵もありましたがチームで取れたのが何より嬉しかったですね。
66.合同合宿
大3の夏
僕が部長になってやりたかった事の1つです。たまたま(当時の)大阪府立大の部長が白陵高校時代の仲の良い同期でそれを活用しない訳には行かないでしょ!という事から動き始めました。
なかなか準備でドタバタしたり今までお世話になっていた合宿場所を切り捨てる必要もあり反対意見もあったりして簡単な道のりではありませんでした。それでも僕の熱意でねじ伏せました。

無事5大学合同で行う事になった時は多分そんな憂いはみんな消えてやって良かったと思ってくれている筈です。熱中症で倒れたりあんまり会話出来ずに縮こまってしまった事が反省点ではありますが、それでも有り余るくらいには楽しかったです。

67.ボヘミアン・ラプソディ
大3の秋
3回生の秋はB'zも陸上も恋愛も充実しており最高でした。200mでは22.28秒と大幅自己ベストな上に工繊記録を樹立したのです。(1年で塗り替えられますが。)これも後からちょっとだけ伏線になります。
でもここではあえて恋愛を挙げたいと思っております。
まともな人と付き合うと自分の惨めさが際立ち、自己肯定感が薄れていった背景もありました。なのでベクトルを変えて、変さと真面目さを持った人を好きになりました。
その人はQueenが好きでちょうどボヘミアンラプソディが映画化されプチブームになってました。結果的にそれに乗じる形で曲も聴き、一緒に映画も観ました。ボーカルのフレディー・マーキュリーはまさしくこの変さと真面目さを共存させた人で好きだった人に似ていました。
相手は本物が好きなのでテンションは上がってませんでしたが、エンディングムービーが本物で1番盛り上がっていました。頃合いだと思い、歩いて帰りながら告白したらなんとか受諾を貰いました。まあそれ以前にも何回もアタックしてようやくといった感じでした。勢いと意思表示は思ったよりも大事です。
68.ビラ1枚の出会い
大3の秋
今の会社に入社したきっかけと言われたらこれでしょう。人事の方が大学に来訪されてコンペのビラを配っていました。その時に名刺もいただき、コンペには参加しませんでしたが、一度設計部門に入るための試験を受けはしました。(落ちましたけど)しかし、そこから施工管理のインターンに誘われて(なんやかんや面接して)今に至る訳です。
69.似た者思考は傾くだけ
大3の冬
付き合って上手くいってる時は楽しいのですが、相手の気分が乗ってない時は慰め方も分からずお互いネガティブ思考の沼にハマって良くありませんでした。
分からないですが上手くいかない時にどう乗り切るかが結構付き合う上で大事になるじゃないですか。それが無い現状がとてもつらくそれだけが原因でもないですが4回生の春で別れを切り出されます。
70.涙
大3の冬
気付けば僕は涙を流していなかったのでした。最後に泣いたのは覚えている。小6の冬、おじいちゃんが亡くなった時だ。ほんとにそれ以来泣いていなかったのです。
別に感動してなかった訳でもなく、でも泣こうとしたら何かつっかえるような感じ…奥底では心が空虚になってたような気がします。
B'z同好会ではB'zのコピーバンドをやっており、僕はいつも観客側でしたが本当にクオリティも高く毎回満足しておりました。
最初はボーカルとギターの2人の先輩から始まった企画がいつの間にやら十数人を巻き込み一大イベントにまでなって、そんな2人もとうとう卒業される事になり卒業ライブを開催しました。
ボーカルの先輩とギターの先輩は実は高校からの同級生で一緒に京大に入った筋金入りの親友で、だからこそ込み上げる想いもありMC中にボーカルの先輩が号泣しました。それにつられギターの先輩も普段泣くような人では無いのにボロボロ泣いてて、それを見た僕まで一気にタガが外れたようにボロボロ泣いてしまいました。
そして歌ったのがRUN。分かる人が分かれば良いです。泣かせ曲です。もう涙で前が見えませんでした。本家でも泣いたことなかったのに。
あの涙以来、心が少し楽になったように思えます。それが何なのかは当時は分かりませんでした。
71.副会長
大4の春
京大B'z同好会メンバーも入れ替わり4回生となり最高学年となったのもあり、副会長になりました。(会長は京大の人しかなれないため。)
歌詞解釈などを主軸とした企画は自分で立ち上げたり、バーベキュー、カラオケ、テストなど様々な事も行ったりしました。また文化祭ではセンターに立って盛り上げたりそこそこ頑張ったように思います。

でも僕は上に立つ器じゃないなーと同時に感じるようになります。誰かを動かす力が無い。カリスマ性が足りなさすぎる。
もしかしたら努力しようとも埋められない領域なのかもしれません。
72.作詞の可能性
大4の春
あれ、俺歌詞解釈し過ぎて歌詞書けるかも?
と思い、ちょうど別れたてほやほやだったのでそれにまつわる歌詞を書いたら上手いこと仕上がりました。

また、心にあったもやもやを言葉で表現して具体化させる事自体が悩みがちな性格ととてもマッチし、ストレス発散の手段としても用いるようになります。それ以来歌詞を書く事が趣味となります。(現在150曲ほど)
73.舞子リメンバー
大4の秋
卒論として舞子の都市史をテーマとし、文献を漁っていました。
舞子で産まれ舞子で育ち、そして一度京都に離れたからこそ知った舞子の良さがありました。

就活もすぐに終わったので4回生でも普通に陸上部で練習し、バイトと同好会と恋愛と…で全然勉強していませんでした。しかし秋頃になれば流石に焦り始めて地元に帰り現地視察を行ってました。やはり地元の景色は最高です。と呑気に当時は調べていました。
74.卒論再提出
大4の冬
僕のやってた事は文献を漁っているだけでただのまとめに過ぎず、つまり、新しい切り口を論文では示さないといけないのにただの歴史を列挙しただけになっていたのです。
と指摘され、卒論提出前には必死にまた文献を漁り資料を手に入れようと奮闘しました。図書館以外はほとんど家に篭りPCとひたすら睨めっこし文章を推敲しておりました。
必死にギリギリで出来た卒論を提出し発表したものの、頭が真っ白になりちゃんと発表出来てたかもあやふやでした。
なんと結果は前代未聞の再提出。それが受理されなかったら留年…というか内定も取り消しになるという最悪の事態になりました。
新しい論点を見出すための資料に確証性が無いと言われ、1週間以内に見つけ出せとの事でした。
そっからは図書館で大正時代の神戸新聞をひたすら読み漁り3日かけてよ……うやく小さいコラムにインタビューした情報が書いており、それが証拠となり卒論が受理されたのです。ギリギリセーフ過ぎる。肝が死んだかと思いました。
75.もらいもん人生
大学卒業後
気付けば僕は支えられながら何とかやってこれたんだなと耽ます。家族、友達、他にも色々…。
4年いたおばあちゃん家から1人暮らしへ大阪に引越しをします。

4年の夏に後輩と付き合うことになり、両親とも仲良くなり1人暮らし用の食器などほとんどいただきました。助かりました。
76.ブログデビュー
大学卒業後
きっかけはB'z同好会のボーカルをやっていた先輩の自作恋愛小説を読んだ事です。もちろんフィクションではあるが、自分の思考だとか蓄積させたものが詰まっており読み応えが非常にありました。
大学卒業後はヒマだったので何かするには良い機会だと思い、まずは生い立ちから今まで起きた事や思考を全て書き出そうと思い、「自分の半生」を1ヶ月以上かけて大長文を作りました。
https://kumiko-0001.hatenablog.com/entry/2020/03/29/020757
このシリーズは自分の思った以上に反響があり、自分の半生も書き切った後も作詞と一緒で脳内の具体化はストレス発散方法として良い方法だと感じ今もこうやって続けています。
77.コロナ入社
社1の春
4月に入社して研修も束の間、緊急事態宣言の発令、未曾有の感染災害となりました。
自宅待機となり、初めての1人暮らしを慣らすためにはありがたい期間だったかもしれません。
ただまともな教育を受けずいきなり現場という野に放たれます。
78.限界
社1の夏
仕事は最悪に近い状態でした。思ったより泥臭く地味でしんどくて容赦なく怒られて、かと言ってコロナで飲みもカラオケすらもまともにできずストレスばかり溜まっていました。
そんな日々を飲み込み頑張っていたある日朝起きたら突然一気にスイッチが切れたようにめちゃくちゃ死にたくなって精神が参りました。
幸い職人さんにコーヒーを貰った時の冷たさで我に返ったのですが、急に死にたくなると対処出来ないなと怖くなります。適度に仕事中も息を抜くのも大事だなと学びます。
79.夜を嗜む
社1の秋
同い年の職人さんとその息抜きがてら話をしてたら仲良くなり、コロナ禍でも空いてる店としてガールズバーやスナックを紹介してもらいます。
そこでは酒も呑めるしカラオケも歌えるし気が紛れました。最初こそ慣れませんでしたが通ううちに客観的に楽しめるようになりました。
これが後の空白の2年を楽しむキッカケになります。
80.希死念慮マシマシ
社1の冬〜社2の春
それでもストレスがピークになります。女上司のパワハラです。

自分が存在してもいいかなと自己肯定が最低になり、どうせ迷惑だけかける存在なら早くいなくなった方がトータルの迷惑をかける量は少なくて済むのでとっとと自殺した方が良いのではと考えるようになります。
そして実際に死のうととある吊り橋の上から飛び降りようとしますが未遂で終わります。急に死に対する本当の恐怖がゾワっと押し寄せたからです。もうこの時の僕は脳みそが思考停止して自分でもコントロールが効かなくなっていたのでした。

81.多分、鬱
社2の夏
主な症状は自分で意思決定ができなくなる、毎日死に方を考えている、食事がしんどい、頼る事ができない、自分も他人も信用出来ない…などです。多分鬱だったんでしょうね。
これがハマるとなかなか抜け出せないし一度鬱になると完全に治る事はないですね。寛解はしますけど結局気分が沈むとまた陥りそうになるのが嫌です。この時も仕事を飛んだり、自殺未遂したり、怪しいサロンに入りそうになったり迷惑をかけました。
当時の恋人には到底相談できる内容ではありませんでした。多分綻びもそこから出てきたんでしょう。
82.似顔絵
社2の秋
そんな僕が鬱スパイラルから抜け出せたのは絵でした。きっかけはひょんな事でとある職長さんから趣味を聞かれて似顔絵ですと答えたら昼休み中に描け!と言われて仕上げます。
それがめちゃくちゃ評判が良くて噂が現場全体に広まり、なんと色んな職長さんや同僚の似顔絵を描く事になり人気者になります。

そこで仕事とは違うベクトルですが、自分の存在価値を感じ毎日を生きてても良いなと思える日が増えてきます。仕事じゃ役に立たないスキルが仕事で活きるとは思ってなかったです。
83.会社の愚痴は身内で
社2の冬
この頃1番会っていたのは会社の仲良い同期5人組です。同期研修がある度に飲んでいました。
最初は仕事の愚痴を大学の友達にもしていたのですが、まずはこの仕事形態を話さないといけないわ、専門用語も多いわ、何より現場監督は普通の仕事と同じようにくくっちゃ駄目です。
そんなん誰かに任せりゃええやん…は通用しないです。そもそもその面倒くささを請け負ってるような職種ですからね…。
つまり、愚痴を話すのにもエネルギーがいるし聞き手も理解しながら聞かないといけないのでそれもまたエネルギーを使ってお互いにとって損しか無いです。極力やめようと思いました。
なのでストレスを分かり合える会社の同期の存在が仕事のストレスが多かったこの時期には非常に救われました。同期、大事、絶対。
84.恋愛を考える
社2の冬
大学4回生から付き合い始めた結婚も視野に入れてた人と別れました。今まで1年付き合えてなかった男が2年半弱付き合えたのですから、そりゃ学ぶ事も多かったです。特に相手の両親とは仲良くさせてもらい、普通ではできない貴重な経験もさせてもらいました。
この人で無理ならもう居ないんじゃないかとしばらく恋愛するのはやめようと考え始めます。
85.マチアプ・騙
社2の冬
職場の上司から勧められマッチングアプリを始めてみます。そもそも気が乗らなかった上にこのアプリは他人とひたすらやり取りしないといけないのでエネルギーを使いしんどかったです。
そしてようやくLINEまでたどり着いた人がなんと不動産営業の詐欺師でした。恋心を弄んで商売されてると知ったときの気分は最悪です。ここでマッチングアプリに対する心が折られました。
86.ザ・ゴルフィー
社3の秋
ゴルフを始めたきっかけは同僚でゴルフに行こうとなったからです。僕以外は参加すると聞いたらさすがに焦り、初めてですけど練習します…と返してました。
記憶を辿れば親父が大のゴルフ好きで上手でした。祖父もやっていたのですが年齢もあり引退し一式を親父に譲ったらしく、その親父のお下がり丸々を僕がもらう形になりました。
そして、親父にゴルフを色々教えてくれました。そこからは足繁く打ちっぱなしに通い、会社の同期と練習したりしました。

これを見てもらうとわかると思いますが、どヘタです。スイングのフォームにおいてこうなることは一瞬たりともありません。笑
努力不足は置いといて、ここまで成長しないかというスコアです。しかも車も運転できないし文字通りの大きなお荷物です。それでも楽しいは楽しかったです。感情のあるお荷物です。
何より今まで共通の趣味もなく話す事もあまりなかった親父が僕とゴルフをやって楽しそうにしている姿を見られて良かったです。
87.1ヶ月同棲
社4の春
普通、姫路の現場が決まった直後に京都の長岡京に応援に行ってこい!期間?来週からで終わりはって?そんなの知らん(鼻ホジ)とかあります?姫路側に引越ししてもうたわ…
どうしようかと迷っていた時におばあちゃんの家か…とよぎりましたが、そういえばおばあちゃんは遅寝遅起きの限界大学生と同じ生き方をしてるので早起きの僕とは生活リズムが合わないなと思い諦めます。
そこで思い浮かんだのは大学の友達が高槻で1人暮らしをしていたのでダメ元で聞いてみたら快く承諾してくれました。服と生活雑貨だけ持込み友達の家に転がり込むように居候させていただきました。(同棲ではないです、Xではその単語を使う方がインパクトもあるので…ね)その節はどうもありがとうございました。

結局1ヶ月の応援という形で居候生活の幕を閉じました。そのメンバーとは後からまた一緒になったり、その友達とは更に絆が深くなったり縁という形では切っても切り離せない貴重なものとなりました。
88.舞子カムバック
社4の春
7年ぶりに実家に住む事になりました。現場が実家寄りだったからです。やはり地元は居心地が良い。まあでもこれが最後になるでしょう。結婚しようがしまいが現場が終わればまた1人暮らしを始めようとは思ってました。
親父は単身赴任で相変わらずいないし、弟は付き合ってる彼女と半同棲を始め、基本的には母親と居ました。
社会人になってお金を持ち始めるようになってからは経済的に援助してもらう事が無くなったので喧嘩ばかりだった昔から一転、割と仲良くできて良かったです。
89.和歌山ラウドジム
社4の秋
B'z活動はここには書いてませんが相変わらず激しく参加してまして、大学を卒業してからもB'z同好会ではリモートで歌詞解釈講義を行ったりコピーバンドライブも参加していました。もちろん本家のライブも毎度参戦し稼いだお金を落としていきました。当選確率の低かったB'z×Mr.Childrenのコラボライブにも行けました。

この年はB'z結成35周年でツアーの規模も大きく有名な曲をバンバン出すライブだったので、それこそ会社の同期だったり、居候した友達だったり、母親だったり色んな人を連れて行きました。
その中でもB'z友達の友達の和歌山でB'zコンセプトバーをやっている店主と仲良くさせてもらう機会があり、歌詞解釈の話で盛り上がりぜひ和歌山のグループに入って欲しいと誘われたので入る事になります。
京大B'z同好会はあくまでメインは学生なので正直年上が幅をきかすのは肩身が狭く意気揚々と語れる場所がなくなっていたのです。しかし、和歌山ラウドジムは僕が最年少なくらいみんなが40代〜50代なので気を遣わず語れました。そしてその中でも9歳年上の人と歌詞で意気投合し仲良くなります。それが今の彼女…とかではないです。男性です。
90.空白の2年
社2の冬〜社4の冬
僕が彼女がおらず遊び呆けてた2年を空白の2年と呼んでいます。これぞターニングポイントの醍醐味だと思いますが、一見ムダだと思ってたものが活きた時って気持ちいいですよね。この2年が無ければ今の妻とは付き合えてなかったと思います。
キャバクラ、ラウンジ、スナック、倶楽部、風俗などの夜の遊びを別れて独り身になってから一気に遊ぶ事になりました。
そこではお金を出してるからこそ女性とも沢山話が出来て、女性との距離の詰め方だったり会話の引き出しや知識、改善点など様々教えてくれました。
その中でも特に響いたのは友達だったキャバ嬢の「マッチングアプリは会うまでも勝負」という事です。
僕は会ったらそこそこ喋ることが出来る方だとは思ってますか、いかんせんメッセージのやり取りは苦手で辿り着けずにいました。それは甘えだとばっさり切ってきたのです。
人気者の女性は何十人も何百人も同時にやり取りしている訳で時間も有限ですから会う価値のある人しかやり取りしないと意味がない。つまり、メッセージから既に面接が始まってるのです。
男が選ぶ側ではなく選ばれる側だという認識を忘れてはなりません。最初から会う価値のあるスペックになるかメッセージで逆転するしかないのです。
しかし、当時はこのまま遊んでいた方が傷付かずに済むし、お金さえあれば愛は買えると思ってましたのでぽっかり空いた穴を埋めるように遊び続けます。
91.マチアプ・再
社4の冬
きっかけは会社の同期のスペック良の男がマチアプでモテ過ぎて選ぶのに困ってるという内なる怒りが沸く相談を受けた事です。
彼があたふたしている間に俺が先に付き合ってやんよ!と久々に火が付きました。
1ヶ月と期限を決め、出来る限りの工夫を凝らしマッチングアプリを再開させました。
始めて3週間…やばい、LINEすら交換出来てねぇ…やはり競争には負けてしまうのか。
そんな時に相手からいいねがやってきたのは見るからに美人な年上女性…今の妻です。
最初はそういうのが詐欺師なんだよなーと警戒しながらやり取りをしていましたが、どうやらそうでもなさそうだったのでLINEを交換し、背水の陣…!他の女性は消してアプリごと抹消しました。この女性で無理だったら俺は恋愛諦める!!
その気持ちで本気以上にこの女性を逃してはならないと躍起になります。
92.6年半ぶりユニバ
社4の冬
そして1回目のデートで5時間ほど飲み交わして2回目のデートをユニバに決めます。一世一代の大博打、僕はここでダメならずっとダメだと楔を打ちます。
ユニバになったのは僕が全然行ってなかったのと彼女が年パスを持って行って1週間前にも行ったという情報を聞き、好都合だったからです。

ほとんどのアトラクションが目新しくない彼女にとって、楽しむ要素は僕という待ち時間のアトラクションが鍵を握ってると言っても過言ではない。しかし、僕はそこには自信を持っていました。それは見事にハマり3回目のデートを手繰り寄せる事にも成功したのです。
ここのユニバが確実に付き合う事を確定させた大きな1歩になったと思ってます。
93.ちいかわ
社5の春
彼女がちいかわ好きで僕も追いかけるように漫画を見て見事にハマりました。かわいいだけじゃない少しダークな世界観だったりシュールなボケだったり意外と面白さにも深みがあるんです。


それを両親にも紹介したら想定以上にハマって気付けばちいかわの事で母と彼女がLINEでやり取りするくらいになり、仲をスムーズに取り持った架け橋としての役割までしてくれた恩しかないコンテンツです。
94.月1旅行
社4の冬〜社5の冬
前提で言うと僕はあんまり旅行が好きじゃないです。飲みくらいの時間で一緒にいるのは楽しいんですが泊まりがけで一緒に時間を共有するのが申し訳なく思うんですよね。
特にごはんがアレルギー体質で相手のごはんが制限されるのが要因として大きいです。
そんな中でも彼女とは関西圏を中心に月1という頻度で旅行に行ってました。遠かったり田舎は両者とも車を運転する事がないのと、彼女の勤めている会社のホテルに格安で泊まれる事が大きく、結局は駅前になるといった感じです。
ずっと長いこと一緒に居るはずなのにこんなに楽しいのは家族でも友達でも正直ありませんでした。ある意味では気を使わなくてもいいという部分と彼女がすごい楽しんでくれているといった所でしょう。
これは今後も一緒になる事を見据えていく上で1つの決め手になった要素でした。
95.ゴールインの本当の意味
社5の夏
付き合って半年経った頃には彼女に結婚を前提に交際を続ける事を直接宣言します。
その時にゴールインという文字がチラつきます。
結婚をゴールインとメディアではよく聞きますが、いやいや…これからだからむしろスタートだろ…と斜に構えていましたが、ゴールの意味がようやく分かりました。すなわち「相手探しの旅」が終わったという事です。
まあ別に相手が見つからずに、あるいは見つけずに終わるのも一つの選択肢ですが、あえてこの人だと最終決定して生きる過ごし方を選んだ訳ですからそれ相応の覚悟は要りますよね。
そういった責任みたいなのが最初に感じたのはこの「ゴールイン」という言葉からでした。
96.自己開示スタイル
社5の夏
結構彼女との動向を開示していくようになったのはやはりもうこの人が最後だと思ったからでしょう。
今まで少し躊躇していた、いわゆる惚気(のろけ)を全面に押し出していいのではと考えるようになります。
そういった心のさらけ出しが恥だという事が恥じゃないかという開き直りですね。自己開示自体はブログが最初のきっかけでしょうけど、今しか感じられない感情をわざわざ押し殺すのはもったいないのではと思うようになります。
どうせなら、そういった惚気を互いに共有できる場があってもいいんじゃないかということで発足したのがNRK(のろけ)の会です。結果的に女性ばかりですが妻公認なので大丈夫です。
97.リュック紛失
社6の春
お酒には自信があった僕の過信と軽率で酩酊しおそらく電車の中でリュックごと紛失します。
無くした事自体も金銭的にもまず大損失ですが、免許証やマイナンバーカードなどあらゆるカードの再発行という時間の損失、お酒が強いという自信の損失、相手への信頼の損失。さまざまな損失が降りかかり、さすがに反省しました。あれ以来は馬鹿な飲み方は一切しなくなりました。
個人的には1つ浮かれていた自分のブレーキとして痛みを伴った罰として必要な経験だったと思います。
98.婚約指輪
社6の夏
彼女と付き合って1年半、ついにプロポーズをしました。同棲はまだその時は2ヶ月ほど、しかも週末のみの半同棲という形でしたが、早めに舵を切り決断に踏み切りました。
ついに戻れないところまで来たなという実感がさすがに湧きました。
99.ソフトクリーム
社6の夏
大阪万博のヘルスケアパビリオンで食べたソフトクリームの話です。別に大した話に聞こえないかも知れませんが、僕は今までソフトクリームを食べた事がありませんでした。
しかし、卵もなんと乳製品すら使わないソフトクリームが開発されて売られていたのです…!
僕は初めてソフトクリームを持って一口目をかじる…え?冷たっ…!?
そう、僕はソフトクリームが冷たい事を知らなかったのです。ソフトクリームの電飾とかをたまに見かけるから勝手にあったかいイメージを持ってました。冷たいんかい!
冷たさに驚き過ぎて味を気にしていなかったのでもう一口、滑らか…美味い…美味すぎる!!君たちはこんなに美味しいものを食べていたのか!!と嫉妬するくらい美味しくてあっという間に1個分を平らげてしまいました。万博で1番感動しました。
今世でソフトクリームを食べる事が出来ると思ってませんでした。ソフトクリームを食べることが出来てよかったなと周りも言ってくれる人が居てその温かさも含めて嬉しかったです。
100.男は足し算、女はかけ算
社6の秋
好感度…それは増えて損は無いのかもしれませんが時として牙を剥く事を忘れないでください。
それは男性は足し算で好感度が増えていくのですが女性はかけ算で好感度が増えていくという点です。
たとえば男性の場合は良い事があればプラス、悪いことはマイナスで増減します。プラスが多ければ多いほどマイナスがあってもこれまで貯まったプラス貯金を崩すといった形でトータルがマイナスになる事ってあんまり無いんですよ。
だけど女性の場合は、良い事があれば1.2倍とか最初の数字が少ないとあんまり上がったように感じませんが、1の1.2倍と100の1.2倍が20も違うように上がる時は一気に上がっていきます。しかしその分下がるのも100の0.8倍で80みたいに一気に下がります。
しかし、本当に恐ろしいのは一気に-1倍みたいなマイナスのかけ算になった場合です。それこそ不倫とかした場合は愛情のエネルギー分の裏切られたショックと怒りや憎しみにひっくり返ります。
つまりどれだけ好感度の貯金をしてようが一回の過ちでゲームオーバーになる事は恋愛では起こりうるのです。
これは男性は足し算(引き算)思考なので余計にすれ違いが起きるんだと思います。
これに気付いたのは妻が不倫報道で今まで推しだった俳優に幻滅し、嘘みたいに嫌悪感を露わにしたのを見た時です。
引き算のマイナスでは無い証拠はどうでもいい人の不倫や好感度の低い人の不倫に対してはそこまでショックを受けてないという点です。
今は僕は好かれていたとしても自分ではたった1つの不祥事でとは思うかもしれませんが、その「たった1つ」に足元を掬われる可能性があるという事を肝に銘じて生きようと思いました。油断は命取りですよ、男性の諸君!!
101.そして入籍へ…
社6の秋
両親とも顔合わせをし、結婚式の段取りも行なっている最中、早いタイミングではありますが婚姻届を出すことにしました。

それは次の現場を同棲先になるべく近くにし、半同棲や別居にならない為の理由を人事に圧力をかけるためもあります。
今はとても幸せですが、正直ガワだけ固めて将来どうしたいかとかはまだ考えられていないのが現状です。家族には会わせましたが、親戚にはまだ会わせられていないですし、そういった問題もこれからまだまだ沢山あると思うので頑張らないといけないです。
まとめ〜ここに至るまで〜
書いている途中で婚姻届を出す事になり101個になりましたが、それを含めても自分に起こった出来事が多過ぎて100個に絞るのが大変でした。
過去を振り返って、本当にここの中の1個でも違えば自分の人生が変わってしまうんだなと考えると感慨深いものもあります。
大学卒業後に一度振り返ってはいましたが、当たり前ですが社会人になってからの6年分は初めてまとめました。言うて小分けにしてたものをギュッとしただけですが。
あの時はまさか別れる事も、そこからまた付き合ってそこから結婚出来るとも到底思ってなかったですし、仕事もなんやかんや続けているのも想定外ですし。B'zが紅白に出た事も笑
またここから6年後は今では想像できない未来が待ってるでしょうし、過去の出来事がまさかの伏線になってるかもしれないですし。結婚によって更に人間関係の交わりも増えて新しい発見に出会えるかもしれないですし。そう考えるとまだまだ楽しめそうですね。

〜To be continued...〜