茨木現場物語 〜エピローグ〜

引渡しが終わりぞくぞくと引越し業者が部屋に入っていく姿を見ると、もうこの物件を手離したんだなぁ、自分達の物じゃ無くなったんだなとちょっと寂しい気持ちになった。

 

また、所員では次席、三席の私、四席である後輩以外は2月末でそれぞれ違う現場へと旅立った。空席だらけのやけに広く感じる事務所もまた物悲しさを生んでいた。

 

引渡し後の3月からの約1ヶ月はアフターと言い、引越した後内覧では気付かなかった不具合の対応を行なう。

とはいえ、1日に引越しする戸数も制限されているし、全員がそういった相談をする訳では無いので仕事はほとんどない。唯一現場管理がホワイトになる瞬間だ。

遅くても18時には退勤できた。

 

書類の整理、事務所の撤去段取り、次の現場の準備をするのが仕事になる。

 

僕はアフターが終わりきるより早くこの現場とお別れする事になった。

 

次の現場はこれまた遠い姫路である。なんと今の寮からでは新幹線を使わないと始発でも7時に着けないというエグい遠い現場だ。

という事で、7年ぶりに兵庫の実家に帰る事を決意した。

 

2年間を通して

とにかく良い現場だった。が、まず第一の感想だ。

僕の特性を分かっていて自由にやらせてもらっていた。ずっと自分を押し殺していた前の現場とは真逆だった。

 

そもそも現場も和気藹々としており、怒号が本当に少なく居心地の良い事務所だった。(実際そんな事務所は少ないと聞く。)ラジオも終始流していたし、定時を過ぎたら所長はお酒を飲みながら仕事をしていた。

 

そういう僕もB'z好きを全面に出してカラオケしたり、定時を越えればストロングゼロを飲んでいた。それを怒るどころかイジるくらいだった。

 

また上司が僕はマルチタスクさせるより、1つの事を深くやらせる方が良いと判断し仕事量を調節した。

 

もちろん、施工管理自体はマルチタスクの仕事なのでゆくゆくはやっていかなければならない。

ただ今回の現場では○○と○○、これを全力で覚えて次の現場ではそこにエネルギー使わんようにしろ!という教えだった。

 

また、僕の弱みを沢山見透かされていた。

 

まずはミスが多い。でもその根本は常に焦っているからだと指摘された。

 

作業が遅いので時間に余裕がなくなり、確認する作業を怠り、忘れたりミスが生まれる。

リカバリーをするのに時間がかかるのでまた焦ってしまう。この悪循環から抜け出せないのが僕の弱点だ。

 

これを何とかする方法は、まずは時間がどうであれ一旦冷静に振り返り確認をしっかりする事だ。

ひと呼吸置いて仕事するようにとアドバイスをもらった。そしてミスをするのは周りに相談せず1人で突っ走ってしまうからだと言われた。

 

そう、もう1つの弱点は頼れない性格だ。要するに仕事や悩みを抱え込んでしまうのだ。

 

所長の理念としては

まずは余裕が無かったり、分からない事があれば遠慮なく言ってくれ!

お前は忙しそうだからやめとこうかなと一歩躊躇いがちなので、まずは相談してみて実際に忙しい時は無理という事を伝えるなり、筋道のさわりだけ教えるとか忙しさはこっちで判断するからとりあえず分からない事は聞け!

分からない脳で悩んでも答え出ないから!出たとしても持ちかけた物が最善とは限らん!

最善は経験を積んでる俺たち上司のが持ってる可能性は高いから!

(でも何でもかんでも自分で全く調べずに相談はあかんで、あくまで自分がどうしたかとどうしたいかという意志を持って相談には来るんやで)

 

全くその通りだった。そのおかげか溜め込まずに相談をしたり、仕事を振ったりする事が前の自分より明らかに出来ている。

 

そういった精神面、仕事面の成長が出来た2年だった。

 

あと、とにかく事務員さんがよかった。可愛かった。美人というか、タイプで毎日癒されていたのもあるが、優しいし優秀だし、僕が溜め込み過ぎてボロボロな時はこそっと書類関係の仕事をやって下さっていた。

 

話は戻るが、賑やかで良い現場だなと思った1つは所員の誕生日を祝う文化があった。

他の方には昼休みにケーキ🎂を贈呈しては、1人じゃ食べきれないのでみんなで分けて食べる。

しかし、僕はアレルギーなので食べられない。

 

それに気を遣ってくれて僕の誕生日の時は卵、牛乳の入っていないケーキをくれた。それを段取りしたのが事務員さんだった!

てっきりケーキ以外だと思ってたので本当に嬉しかった。

 

また、僕が茨木最終日の時にはメッセージを下さったり終始優しかった。好きだな。今でも泣きそうである。

 

そんな色んな人の愛情をいただいた本当に救われた現場だった。

 

僕は最後に現場のメンバーの下の絵を描き、みなさんに感謝を込めて贈った。

 

 

ありがとうございました!!!

 

 

 

今後の生き方

まずはこの仕事を続けようと思っている。1級建築士の資格取らないといけない。うむ。話題を変えよう。

 

…この会社で生きる以上は会社の人や職人さんと仲良くなる事は必須ではないが、楽しく生きるには必須だと思う。

 

だからゴルフももちろん続ける。こないだ女性含め75人で社内ゴルフコンペがあったのだが見事最下位だった。それでも続ける。

 

そして忙しさを理由に躊躇っていた社内の自転車部に入部する事になった。

そのために良いロードバイクも購入した。来月早速新歓があるので繋がっていきたいと思う。

 

そして、引越しが完了ししばらく実家に住む事になった。

実家には母親と弟がいる。よく考えたら僕も素直な性格では無かったので全然喋れていなかった。元気なうちにちゃんと会話しておこう。

 

実家は兵庫の西寄りなので、なかなか大阪や京都からは遠くなりますが、全然誘ってくれたら会いに行きます!はい!ってか誘います。

 

第3部 姫路現場物語 〜モノローグ〜

今は現場間の9日ある長期休暇も終わり、次現場の姫路に行こう…と思ったら事務所が無いんだな、これが。

なので始まってからは姫路ではなく加古川にいた。ヤマトヤシキ…懐かしい。ってわかる人ほぼほぼおらんやろうけど。

 

で、実際に姫路にある現地に行ってみると狭い…そしてまっさらの更地だった。ほんま排水の水引きや電気の引込み、地盤の整地に事務所とトイレ入れなあかんなぁ、仮囲い計画などほんとに0からのスタートだ。

 

所長は前の前の現場の人だし、次席も今のところ優しそうな方だ。茨木現場で培った経験を活かしてがんばっていくつもりだ。

 

因みに今書いているタイミングで工繊出身の建築(施工管理)の集まりがあった。松ヶ崎会と言い、コロナ禍もろもろがあって3年振りの開催だという。

3年前は僕はまだ大学生だったので、初めての参加だったし、集まるほんのちょっと前にその存在を知った。

 

メールの宛先を見れば本当に錚々たるメンバーで僕の次に若い人が所長で50歳なので

僕の父親と同じ年齢でその所長の子どもさんと同じ年齢だった。

 

もちろんそれ以外の方はそれよりも歳上で役職も部長、統括部長、役員などもう…どうすればいいんだろうと緊張していたが、いざ始まれば色々話を振ってくださり気を遣っていただいた。

会社の話や、昔の工繊の話と今の工繊の話など沢山話すことが出来て正直楽しかった。

 

こういう繋がり大事にしないとなと、まあ欲を言えば間の人おらんのかなという事と、施工管理で後輩来なければ将来下手したら僕だけになってしまう可能性もあるって訳で、うん。来て欲しいな。

その中にも僕の同期と担当している方がいたり、所長同士が仲が良かったりだとか、自転車部の人がいたり、B'zの松本さんが好きな人がいたり、何というか一度できた関係性をきっかけとして二重三重にも色んな人と仲良くなるのがこの会社の良さだなと思った。

 

職人さんも同様で、今日前の鳶とは違う業者の鳶と仮設の打ち合わせをしたが、前の鳶の職長さんとやってた時があったらしく、前の職長さんの事を話すと、

「あの人は細かくて基本ええ人やけど一度キレたらほんまヤバいもんな、まじで殺されるかと思うくらいヤバいな」って見た目ヤクザみたいな人が怯えてるくらいだから、相当やばい人とケンカしたし仲良くなったんだなぁと。

 

その前の鳶の職長さんとは現場が終わった時に飲んで、過去一で気に入ってくれたらしく、

趣味も性格も生き方もまるっきり違うのにこうして仲良くなれるのが現場管理の面白さだなと思えた。

 

毎回同じような締めで飽きた方もいるかもしれないが、

本当に人の繋がりは大事。出会えたって事だけで奇跡なのに、そっから仲良く飲みに行けるような関係になれるなんて、これ以上の特別は無い。

 

そして、そういった関係の方が多い今の人生が本当に楽しい。生きてて楽しい。

 

人間だって誰だってとても普通で 出逢いはどれだって特別だろう (B'z 『RUN』より抜粋)

 

ベタなフレーズではあるが、この歌詞が物凄く自分に刺さった。

 

気付けばアラサーになり、そんな事耽っているうちにあっという間に臭いおっさんになっていくのだろう。

 

今は耽るヒマなんてない。

止まれないこの世界で胸を張って生きようじゃありませんか。

 

以上、茨木現場物語 モノローグ、第一章〜第四章、エピローグの計6部の締めとさせていただきます。

駄文も多かったとは思いますが、最後まで見ていただいた方や、ちょっとでもちら見していただいた方にも多大なる感謝を込めて。

 

〜完〜