バカに賢さをどう伝えるか

こんなタイトルでブログを始めるのも失礼な話だが、ちょっとメモ程度に残しておくとする。

 

昨夜、3人でご飯に行った。1人は仕事きっかけで付き合うようになった職人さん。珍しく同い年である。

まあこのブログで幾度かは書かせてもらった人と同一人物である。彼とは色々あって2年半も連絡が取れなかった。

それが一昨日彼から急に連絡が来てたまたま互いの職場が近い事もあり、これまた急遽翌日に会う事になったのだ。

 

最初は2人で飲みの予定だっだが彼は職場の地元の女も連れていた。

僕は会った事がない人だったが年下だったので基本は彼と僕優位で話は盛り上がった。なにせ2年半ぶりだ。積もる話もたくさんあった。連れの女の人とも早い段階で打ち解けた。

 

僕と彼は生きてきた世界が違うなと思うくらい学歴が違う。

しかし彼は有り余るくらい地頭が良く器用で生き方が上手い。そして価値観も僕と似ている。だからこそなんやかんやで一緒にいるのだろう。

 

彼には学歴自慢をしても意味がない事は分かっている。ただ連れてきた女の子の知能を推し量るため、あえて賢いアピールをした。

 

結果から言えば、彼女は会話にでてきた「地頭」の意味すら分かっていないお世辞では覆せないレベルのかなりのバカだった。

 

たとえば偏差値73の中高一貫の○○高に通っていた、と言っても全く伝わらない。ましてや○○高の近くに住んでいるのにも関わらず彼女は存在すら知らなかったのだ。

そりゃ知ってる人は周りの環境にいないだろうし知ってても意味が無いからである。

 

偏差値もどういう数値なのか、70が高いのかどうかも当然知らない。そもそも義務教育とはいえ真面目に勉強してきたわけじゃないから小中学レベルの学力があるわけでもない。

そんな人達が当然大学も知らない。東大がどれくらいすごい事なのかなんて理解できない。

大学に入学する事自体が彼らにとっては賢い事なのでどの大学であろうが一緒なのである。

 

そもそも賢さも生きる上で必須ではない。現に僕ら3人は生きている。

賢かろうがバカだろうが皆等しく人間なのである。

 

そんな話もしながら落ち着いてお会計。

9900円だ。

 

彼が1人なんぼ払えばええんやと聞き、女の子は当然頭が?でいっぱいそうな顔だった。いや、考えるのを放棄していた顔にも見える。

僕はすかさず4000円やで!とにっこり答える。

 

彼は天才かよ!計算早いな!と4000円を出した。疑いもしない。彼らは気付かずに損をしている。くくく。

 

否、僕がそんなクズではない。僕が女の子の分を奢るためだ。結局僕が6割払っている。

 

まあそれも、帰り約40キロ先の家まで車で送ってもらおうとしてたのでトータルでは彼と割り勘みたいなもんである。

 

帰りのあてもない女の子も乗っており3人で乗っていた。

高速道路に乗りしばらくした所で女の子がトイレに行きたいと叫び出した。

 

彼は我慢しろと諌めたが、

漏れる〜!漏れる!次で下ろして!!聞く耳を持たない。

 

確実に言える事はサービスエリアで用を足すのが1番だ。

途中で降りたところで近くに店があるとは限らないし、トイレがあるかも分からないし、誰かが使っているかもしれない。そんな不安定な確率にかけるのは漏らす漏らさないの前ではリスクがある。

我慢に1番必要なのは「確かな安心」だ。ゴールが分かればそれまでは耐えられる。

 

それは賢さというより彼女の理解できなかった「地頭」由来の経験の差だった。

 

僕は彼女にサービスエリアで降りようと諭しながら最寄りを探そうとした矢先、サービスエリア2kmと書かれていた看板が見えた。運が良い。

運転していた彼に120km/hにスピード上げてと指示し、あとちょうど1分で着くから待ってやと彼女を落ち着かせた。

 

彼女は1分!?持たない…!!と言ってるが、結局最寄りはサービスエリアしかない。

今持ってる空き缶があるからそこに入れたらいいよ

とギリ笑えない冗談で気を紛らわせようとした。それもありかも…と返した彼女はもう結構本気だったかもしれない。

 

そうこうしているうちにちょうど1分で着いた。偶然じゃない。120km/hを1分換算すれば2kmだ。計算が出来れば当たり前の話だ。

しかし、それを理解できない2人は驚き、えっ!?なんで分かったの??と口にする。

 

そこで計算式を論理的に喋るほど野暮ではない。

そりゃ賢いからねぇ。と一言笑ってみせた。

彼女は足早とトイレに駆け込んで行った。

 

 

バカに賢さをいくら正しい理屈で丁寧に伝えたところで何も受け取ってはくれないだろう。

こうして困ってる時に持っている知恵を行使すれば勝手に感謝してくれる。

ある意味、自分の本質を見てくれているようでちょっと嬉しかった。

 

つまり面白い事に中途半端なバカには「肩書き」というものが本質よりも誇大広告として効果を発揮するが、バカを突き詰めるとかえって肩書きの価値すら分からない為、効果が無意味になり、原点である「本質」を求められるようになるという事だ。

 

僕は僕を見てくれる人が好きだし、僕も肩書きや飾りなどを取っ払った本質的な話をしてくれる人が好きだ。

自分と同じようなIQの人と話が合うというのは言うなれば「自分がどこに話の重点を置いているか」が似通っているかだと思う。

 

悪い言い方をすればその条件さえ満たせばIQの差などは関係ないと思う。だから彼とは話が合うのだと思う。

 

多少はIQの高い方が合わせる必要はあるがそこまでストレスは感じないだろう。

むしろ、自分には無い考え方、発想もあり学ぶ事がとにかく多い。また僕は賢くなってしまう。多角的な視野が持てるという意味で。

 

ひょっとして朱に交われば赤くなるのかな…?そういう皮肉めいた自虐もありながら、まだまだ未熟な青い自分でいたいと思っている次第である。

 

明けましておめでとうございました。引き続きブログの方も書いていきますので本年もよろしくお願いいたします。最後に言う内容では無かったですね笑

ー完ー