茨木現場物語②〈一筋の希望〉

2021年10月〜2022年7月にかけて、現場はサイクル工程に入っていった。

 

サイクル工程とは、マンションでいえば2階から最上階手前までの躯体工事で多少の違いはあれど1フロアずつ上げていく流れの掴みやすい工事の事を指す。

だから暇なのかと言えばそうでもなくて、出来上がった階から外装や内装の工事も入っていくので、結局しんどいのは変わらない。

 

実際そのタイミングで三席(6年目)と僕(2年目)の間の5年目の女性が入ってきた。くらいには人が足りておらず、現に平均21時まで毎日残業してたくらいだ。

この時はようやく人数がちょうどいいくらいになったのだが、当時の三席はこれはマズイ兆候だな…誰か抜かれるからこの采配をしていると勘繰った。

 

まあ、そんな事はどうでもいい。今の僕はとにかく現場を学んで学んで楽しく生きる事に決めたんだ!

でも…飲みは楽しいけど、仕事はやっぱり楽しくない。どうすればいいのだろうか…。

 

楽しくなった「きっかけ」

僕はタバコを全く吸わないが喫煙所に行っていた。職人さんの一服の時に話をするためだ。

 

そもそも、この当時の朝の流れだが

5:30起床、朝シャワー、歯磨き、着替え

6:00外出、自転車にて最寄駅へ、コンビニで朝昼ごはんを購入、電車、自転車にて現場へ

6:50出勤、着替えて、PCを付け、朝食、PC作業

7:40所員朝礼

8:00全体朝礼(職人さんも合わせてラジオ体操、出面確認、今日の流れを発表)

 

朝はこのようになる。

そして職人さんは基本的に8:00〜17:00の間働く。

そして12:00〜13:00は昼休憩、そして10:00〜10:30と15:00〜15:30に一服休憩が入る。

そこに僕はコミュニケーションを取っていた。

 

特に仮設足場の担当だったのでその職人さんとはずっぽり詰所に寄っていた。

最初は怒られるだけの嫌な場所だったが次第に自分の頑張りが認められ始めていき、缶コーヒーをもらいながら仕事の話、プライベートの話、女性の話、しょうもない話、色んな話をしたように楽しい場所に変わっていった。

 

その中で、写真上の職人のリーダーである職長さんと仲良くさせてもらっていたのだが、

その人からお前休み何しとんねん?と言われ、まあ…飲んだり絵描いたりっすねー。と返答したら

ちょ、お前…俺の顔描けんのか?と急に顔を近づけられたので、いや何なら今日の昼休憩の間に描きましょか?

 

という事でものの1時間弱で画像の絵を他の所員にバレないように描いてみせた。

そして、次の一服でコソッとA4の紙を持って行き見せると、一同大爆笑。おいおいおい!!見ろ見ろ!めっちゃ似てるやん!!肩を組んできて、

お前…めちゃくちゃ才能あるやん。ずっと仕事できん変わってるヤツやと思ったけどこんな一面のあるのは意外やったなー…にしても似てるなぁ…と紙をしばらく眺めながらニヤついていた。

 

ここで意外だったのは、ものすごい賞賛された事、そしてたった1枚の絵で人の心を動かす影響力があった事だ。

 

僕は絵を趣味とは言っているが、特技とは言っていない。自分の絵に挫折して建築の道を選んでいるくらいだ。自信が無かったのだ。

なので、嬉しかったがたまたま今回はリアクションが良かっただけだろう。と思っていた。

 

しかし、驚く事にその噂は足場の職長さんを通じてか、すぐに現場内に広まり、僕に声をかけてくれる職人さんが多くなったのだ…!

 

それだけでなく、当時、業者間がどのようにしても仲良くならず現場でも困っていたのが、この絵が話題になり、みんなの絵を描く事になった。

その度にみんなが集まって似てるなぁ…とか笑い合ったり、描いてもらった本人から、これ嫁さんに見せるから欲しいと言われプレゼントしたりしていくうちに、

現場全体の雰囲気が良くなり、驚く事に業者間の仲の悪さが改善されていったのだった…!

 

これは明らかに全体として大きく貢献していた。

打ち合わせや交渉がそもそもしやすくなったし、絆が深まるとちょっとした事を手伝ってくれたりミスも少しは許してくれたり、会話も弾むし何より現場を楽しいと思えるようになってきたのだ。

 

最初の職長さんだけでなく、みんなにも同じような大きなリアクションをしていただいたので自分の実力は間違いないんだなと、段々自信が持てるようになっていった。

 

短期間で色んな人を描いていったので正直、休憩時間や睡眠時間を削って描いていた事もあったが喜んでくれると思えば全然苦ではなかった。

 

まさか、仕事では使わない能力と決め付けていたものがこのように大きな影響を持つ事になるとは思いもしなかった。

 

なので、これを読んでいる方も自分の長所がもしかしたら他の場面で役に立つかもしれないから仕事に不要だからと捨てずに磨いていくのもありという事ですね。

 

色んな人と飲み重ねる

第一章では話したが、まずはお世話になった人と飲もうと決めた。

 

11月はまず引き留めてくれた人事と次席の3人で飲んだ。そして、前の現場の次席とも飲んだ。

その頃には僕の絵の事は広まっており、その話をしたりもした。

また、前の現場の次席からは自転車部に誘われた。

近々やりたいなと思いつつ、休みにそんな動く余裕無いなーという気持ちが正直この時は勝っていた。

 

そして、12月からは身内と飲もうかということで

大学時代の先輩、同期、後輩や高校時代の友人など中心にお礼の意味も込め誘ったりした。

現場に居すぎるとやはり価値観が凝り固まるのでもはや外部となったそれぞれの人達とトークするのは脳みそに新鮮な空気が入ったかのように気持ち良かった。

 

これは相手が許してくれる限りはずっと続けていきたいなと思った。

何せ、相手に家族が出来てしまうともう誘いづらくなったりするので人生長いようで誘える残り時間は案外僅かだったりするのだ。

そんな感じで今誘わないと後悔するような人とは積極的に会った。

 

引っこ抜かれて叩かれて強くなる

1月に入って早々、三席が他現場に引っこ抜かれる事になった。悪い予感が的中した訳だ。

 

そして想定外だったのは若い派遣の方が親の事情で1月末で抜けなければならないという事だった。

その派遣の方は僕の2歳上の男で面倒見が良かった。特に僕がいっぱいいっぱいのツラい時に声をかけて下さったりして、弱音を吐かせていただいた。

年齢も近い事もあり精神的な支えにしていた人を無くすのは単純に人員が減るといった意味合いよりも強く寂しさと不安を感じた。

 

それでも、僕はもう1人の派遣さんや事務員さんにかなり優しくしてもらってたので本当に救われている。(現に、その2人からは最終日にメッセージをいただいたくらいだ。)

 

この表でもあるように若い派遣さんの代わりにベテランの派遣さんがやってきた。

その人も優しい方で本当に良かったと思っている。結果的には1人減っただけだから、前より少し忙しいだけで済んだ。この頃から絵を描く余裕はすっかり無くなっていた。

 

しかし、その2月あたりに今度は11月に入ってきたばかりの5年目の女性が他現場に行くという話になり、さすがにそれに関してはやべぇんじゃねぇか?と警鐘が鳴った。

 

つまり、僕が三席な訳だ。

 

まあ、小規模な現場ならこの若い年次での三席はあり得るのだが、まあまあな規模での三席となると仕事量がバグみたいになる。

結局僕が抱えきれなかったものは次席に直接仕事が溢れてくるわけなので、次席が今度はしんどい状況となり、日々人事に電話していたくらいだった。

 

僕が力不足なばかりにと憂う日々もあったがそんな暇があるんやったらとつつかれそうなくらいには皆んなに余裕がなかった。

 

2月くらいからゴールデンウィークを除くこの7月までは飲みにおいても自粛せざるを得なかったくらいには頻度が減り、仕事量が増えた。

 

しかし、次席の電話の甲斐があってか、5月には僕の1つ上の4年目の女性が入ってきて大幅に業務に関して救われる事になった。

本当に今までの人と違って(?)責任の強い人だったので細かな事や気が付いたら+αの事もやって下さりつくづく良かった。

 

同期という存在

これは高校、大学にも共通して言える事だが、実際同じタイミングで入社した「同期」という繋がりだけなのだが本当にそこにできた筋は太いものだなというのは実感として染みている。

 

離れても、一緒になるのは同期が自然と多い。離れた環境でも定期的にお互い会おうとなるのが「親友」だと僕は思ってる。

 

という意味では友だちは少ないかもしれないけど「親友」は多く恵まれてるなと思うばかりである。

 

この当時は研修やらもあったので会社の同期と飲んだり遊んだりすることが多くなった。

 

僕の場合、いつもの5人組なるものが存在していて、和気藹々と楽しんでいる。色んな意味で気を一切遣わないこの関係が居心地良い。

 

毎回僕は言っているのだが、

 

人間関係に関しての運は本当に良い

 

ほんとにいい。

 

ブログという拡散し残る媒体なので、個人の話を出しづらいのが惜しい。

まあ、ブログやTwitterとかで話せない事を話すのが飲みという事ですよ。

 

え?ゴルフ⛳️??

7月後半、所長にゴルフに誘われた。9月あたりに所員でゴルフやらないかと僕たちに声をかけたのである。

 

が、僕の人生史にゴルフの3文字は全く刻まれていない。

断ろうとしたが、僕以外のメンツは全員行きたいです!とノリノリではないか。

 

どうしようかと悩んだ時に、父親と祖父がよくゴルフを嗜んでいた事を思い出した。

父親に連絡したら嬉々として、全部セットあげるし、教えたるからやってみるのありちゃう?とこれまたノリノリだった。

 

そう。現場ではまだまだゴルフ付き合いという習慣は残っている。

所長がゴルフ好きかにも依るが、いずれぶつかる道ならこの現場では少なくとも練習しておかなければなと判断した。

 

そこから僕はゴルフに良くも悪くも振り回される人生になるのだが、それはまた次の章にてお話しましょう。

 

第二章〈一筋の希望〉〜完〜