茨木現場物語①〈限界、そして迷走〉

※事務所に掲示されてる教訓。

まずは強い男になろう。そう心に誓った…

 

1週間の長期休暇をもらい、2021年4月…僕は二つ目の現場、茨木へと足を運んだ。

 

前よりも規模が大きいマンションでⅠ期である東、そしてⅡ期の西と2つに分かれていたのだが、僕はⅡ期の西担当となった。

 

東はすでに上棟(建築物の骨格であるこのマンションであれば鉄筋コンクリート部分を最上階まで完了させる事)をすでに終えており7割方終わってるといった感じ、西はまだ本当の序盤の杭工事をしていた。

 

実際僕は始めから携わった事が無かったので実質一周目で、新鮮であると同時に学ぶ量が多く大変だろうなと察した。

 

事務所は東と西が一緒でいわば2現場分丸々の人がいたのでそれなりに豪勢だった。

また、1番仲の良い同期もいてひとまずは安心だなとは思っていた。

 

最初は所長、次席、僕と同タイミングで入った三席、四席の僕、派遣さんが2人、東西共通の事務員さんといった構成だった。

初日の夕方に自己紹介をした後、仕事の担当割振りを見て以前の2倍以上の仕事量を見た時には驚いたのと同時に

そうか…ようやく「仕事」が出来るんだな!と前の現場の不甲斐なさを払拭してやるぞと少し息巻いたような興奮を抑えられていなかった。

 

※この説明は第一章に関しては適当に読み飛ばしてもらっても今後に影響しないので大丈夫です。

※ちなみに第一章は2021年4月から10月までのお話です。

 

入って早々、後輩ができる

 

言うて当時は2年目になったばかりで、やっていく内容が初めての場所だったので実質1年目みたいな立ち回りだった。

 

そんな時に後輩が入るとの情報を聞いたのは4月の中旬だった。しかも4月までにはこちらで配属されるとの事だった。

 

僕は6月入社だったので方針が変わったのかと一瞬思ったが、変わってたのはコロナが流行り始めた時に入社してイレギュラー続きだった僕の年次の方だった。

 

後輩を教えるほどまだ学んだ事も少なければ、仕事しながら教えるといった同時並行が僕に出来るのかと急に不安になった。

 

それまでもやはり、新しい内容の仕事を初めてやったので毎日20時ぐらいまでは残ってやらないと間に合わなかったぐらいだ。

 

後輩が入って第一印象は、あ、優秀なヤツ来たなと直感で分かった。実際今も思うけどどこでもやっていけるようなタイプの優秀さがあった。

 

まずは物覚えがめちゃくちゃ早く、それも質もスピードも高い水準でやってのけていた。

また、コミュニケーション能力も高く、元気でいやらしさもないし真面目な後輩として良過ぎるポテンシャルを秘めた人だった。

 

要領の良い後輩が来たので、実際教える量が少ないのに丸々引き継げた量が増えたのは事実だ。

しかし、その分先輩から新しく教わる引継ぎをそれ以上にもらう事になった。

 

つまり、後輩に今までの仕事を教えつつ、自分の担当の仕事をこなしつつ、新しい仕事にも取り組まないといけないという三重苦に負われていたのだった。

 

おそらく同じような人もいるとは思うが、自分の仕事で精いっぱいだった僕は日に日に終わらない仕事が溜まっていき、ストレスも溜まっていった。

 

仕事を抱え込み過ぎる→優先順位が分からなくなり整理できずパニック状態になる→ミスが多くなる→多方面から怒られる→ミスの分、時間をロスしているので仕事が終わらない→残業により睡眠時間が減る→ストレスでうなされる→パフォーマンスが下がる、ストレスが減らない→また仕事が増えている→(最初に戻る)

 

を永遠に繰り返す負のスパイラルを3ヶ月ほど続けており、完全に抜け出せずにいた。

 

でも唯一、抜け出せる方法があった。

休みを取ればいいじゃないか!

 

僕は初めて熱出たフリをして休んだ。しかし、段々とこんな姑息な手を使っていいのか?僕がサボってる分、他のメンバーが僕の仕事をしてくれているんだぞ…という罪悪感が勝ってきて結局2日ほどでいつもの輪廻に戻ってきてしまった。

 

しかも、基礎工事という難しい仕事かつ肉体的精神的にくる仕事だったので、これまでのピークを遥かに超えるストレスがのしかかった。

 

怒号は当たり前として、叩かれた事もあった。

しかし、元を正せば原因は仕事もろくに出来ていないし約束も守れていない僕にあるので何も言い返せなかった。

 

簡単な話、一度怒られて次出来てなかったら殴るからなという流れでのミスだから一度は猶予を与えてくれている訳だし、その期待に応えられなかった自分がとても情けなく思えた。

悲しいかな…。わざとではなく、もう脳みそもクタクタでやる事が膨大にあり過ぎて優先順位の端に追いやってたり、完全に忘れてたりばかりで

真面目にやってるのに出来ていない、1番組織において使えない無能に自分がなってしまっている事が何より嫌だった。

 

相談出来る人もいなかった。いや、いたかもしれないけどもうそんなレベルじゃないくらいに心が死んでいた。それが7月の終わり頃まで続いた…。

 

2度目の限界

鉄板の上で灼かれそうになる8月初週、完全に限界ではあったけどそれでも頑張って行こうとは思っていた。

確かに糸は切れていたけど、選択肢を考える隙間すら僕には無かった。

 

ところで、僕は絶対に1人ではお酒を飲まない。

 

この意味を分かる人がいれば、同じ人種なのかもしれない。

というのは、1人で飲むととても寂しくなるからだ。

いわば、虚無の状態になる。極限を言えば死にたくなるからだ。

 

僕は、ストレスのあまり自宅で1人、ウイスキーを買って一瓶空けた。まるで身体の内部から焼けていくような熱さがあった。あーこのまま焼け死にたいなぁ。

 

そっから、スーパーに行きおもむろにチーズ、ハンバーグ、アイス、牛乳…と乳製品を買っていった。ちなみに僕は重度の乳アレルギーである。

 

僕はなぜだか、もう明日はいらないと思えてしまった。9階の部屋から飛び降りようかなとは思ったが、そんな勇気は無かった。そんな雑魚はアレルギー反応に頼らざるを得なかった。

 

かつて30滴でもしんどかったのに、コップ一杯分まるまる飲んだ。そしてチーズを食べ、アイスを食べ、残りの牛乳を浴槽に入れお風呂に入った。

本来ならオーバーキルなのだが、全身じんましんにはなっていたが、なぜかまだ生きていた。

しかし、それよりも酔いが回り過ぎたせいか、裸のまま意識を失っていた……。

その時にはもう5時、もう、出勤する時間だ……。

 

 

 

 

…ブーブーブー

 

 

 

 

 

僕は携帯の音で目が覚めた。

あれから何時間経ったんだろう…上司、同期、職人さん…すごい通知の数だ。そうか、無断欠勤したんだもんなぁ。

一気に現実が押し寄せてきたが、頭がクラクラする。そして心も限界だ。

電話に出たくなかったが、結果的に生きてしまったので生存報告をする。

 

上司が家に来るそうだ。こんなクソみたいな姿を見せるのは嫌だったが、了承した。

 

結局優しい言葉をかけられ、その場は終わった。

もう、この週が終わればお盆休みで2週間現場にいなくなる。そのまま辞めて消えても良かったのかもしれない。

でも、僕はそれでも続けたかった。その理由は分からない。けど、辞めたらそこで人生終了ですよ。と聞こえた気がしてきた。

なので、2日休んで現場復帰した。今思えばその決断は正しかったのだろう。

 

みんな、僕にすごく優しかった。大丈夫やった?とか、相談のれんくてごめんなぁ。とか、僕こそ申し訳ないのに。

職人さんからは辛辣で、無断欠勤は社会人としてやっちゃいかんわと諭された。まあ、ぐうの音も出ないね。

 

上司からはお前に仕事を振り過ぎたという事で自分の仕事に専念出来るようにしていただいた。

 

とはいえ、それでも全然忙しいので、必死についていくように働いていった。

 

転職という逃げ道

僕は会社の同期に誘われてフットサルに行くことになった。

高校の体育以来やってないなと思いつつ、ひさびさに体を動かした。案の定、全然ダメで陸上で培った脚力しか活かせなかった。

 

帰り道、フットサルのメンバーの1人に声をかけられ仕事の話をしていた。

現状不満である事を話すと、その人から転職してみない?僕こう見えて転職斡旋する仕事もやってたから応援したるで、と言って下さった。

 

ここのフットサルのリーダーは起業して会社を作りそのメンバーで週1で起業のサロンをしたり、今みたいにフットサルなどのレクリエーションなどもしているらしい。話しかけられた人はそのリーダーの幹部的存在の人だった。

 

こういう本読んだ方がいいで!と起業論についての本を沢山勧められた。

僕はとにかく変わらなければ!と思ったのでタイミングもタイミングだったしこの人に乗っかろう!と思い、しっかり本を読んだ。

 

そして日記のように毎日メールで出来事と笑顔の写真を報告するように命じられた。何であれ続ける事それ自体が大事だと言われたからだ。

そして月2ほどで起業などした人からの意見を聞くサロンに通い、自分の今後の人生の相談をしたりした。

たしかに起業こそ正義だ!とその時は盲目になっていた。魅力的に思えてきた。

 

そして、まず起業する前に、営業関係に転職して人間関係を上手く作っていこう!という事で今の仕事をしながら転職活動していった。

 

しかし、やればやるほど感じていったのは、今の仕事はあまりに優遇されているな、という事と、この仕事が好きなんだなという事だった。

 

詰まる話、こんな僕を面接ですら採用してくれる人すら少ないし、採用してくれる所なんて所詮月給16万とか、深夜あります、とかそもそも会社自体の魅力が無かったり…萎えていく一方だった。

 

そう思う理由はとてつもなくはっきりしていて、やりたい事が全く無いからだ。

 

なので、履歴書自体に魅力が無いし、未来が見えないので会社も採用しようとは思わないのである。

 

僕は昔から夢を持っていなかった。ただひたすら今を生きていて、そして生きたくなかった。

僕は24歳で死ぬプランで13歳から24歳まで生きていた。

 

それは、プロローグにあったように自分が生きてて迷惑なんじゃないかなという根本的思想がずっと根っこで絡まっていたからである。

 

そんな考えてもしょうもない事が僕の中でぐるぐると回転していっては人生をかき乱していった。

 

欲しい物、やりたい事

僕は言われるがままに転職活動と起業についての勉強を行なっていた。

その中でとある宿題を出された。

 

それは、欲しい物、やりたい事をそれぞれ100個ノートに書け といったものだ。

 

ルールは特にない。今の金銭面とか環境とか一切取っ払って考えても良い。とにかく100個を埋める。

そんなの簡単にできるんじゃね?と思った人は心が豊かである。

 

僕は、なんとその場で10個も書けなかった。しかも、3週間時間をもらっても30個すら埋める事がなかった。

 

しょうみで言えば、やりたい事はB'zのお二人とお話がしたいとか、絵を描くとかそんなぐらいで、欲しい物はロードバイクとか、具体的なものはそれくらいしか無かった。

 

1番欲しいものは抽象的なものだが、「余裕」が欲しかった。

その余裕はどう生まれるかといえば、自分の可能性をどこまで信じられるかに委ねられている。

 

可能性を信じられるならそこにエネルギーを投資出来る。秀でる事が出来れば自信、誇りが生まれる。

精神的支柱が安定すれば自ずと物理的にも概念としても余裕というのが生まれる。

余裕が生まれると自分だけでなく、相手の事にもエネルギーを使えるようになる。

そして、自分の存在のおかげで何か他者や物などに良い影響を与えるきっかけになれればいいなというのが

具体的では無いが、それが自分の完成形かなと思っている。

 

そして、この時の僕はとんだ事もあり、自分の可能性を何も信じられない自己肯定感の底の状態だった。

だから施工管理という仕事が好きでも全く向いてないのだから、まだやってもいない起業の方が一縷の望みがあるのではないかと思うようになった。

 

 

…正直やりたい事が全然思い付かなかった時、

自分がどれほど自分の中で可能性を狭めていたのかという部分と、欲を抑圧して生きてきたんだなというのを嫌でもかと感じた。

人を巻き込んで自分から成し遂げたいものなんて、無かったんだなと。

 

でも言い換えれば相手が何か成し遂げたいと思った時のきっかけや手助けとして携わる事が自分なのかと考えるようになった。

 

そこから、強い意志を持って自分のやりたい事をやるために切り拓く「起業」に向いてない人種だなと脳裏で感じるようになった。

確かにサロンでも自分の意思が無いことをよく指摘された。

 

会社はいわば自分が商品である以上、様々な契約や条件に縛られてしまう不自由がある一方で仕事さえ遂行していれば賃金をもらえる守られている立場でもあるのだ。

 

自分で全て行う起業は自由な一方、その自由とはまるでジャングルに放り込まれるような自然状態を意味した。

そして何も持ち合わせていない僕は裸同然の姿でポトンと落とされたような危うさしか無かった。

そこで生きていくにはまずは生き抜くための強い意志が必要だった。

起業で成功する人は落ちている物で道具を作れる人だ。生きる術を持ち、自力で獲物を狩り、食らう事が出来る人だ。今の僕にはそんな鋭い野心が足り得なかった。

弱肉強食の世界、迷ってては簡単に食われるぞと言われた時に僕は怖気付いたのもあった。

 

ますます、自分が何をしたいのか分からなくなってしまった。

 

そして、迷走

起業(につながる転職)に迷いが生じる一方で、その意図とは裏腹に話はどんどん進んでいった。少なからず起業もまた、「相手に影響を及ぼす」果ての根本にあり見事に言いくるめられた。

 

また、今の仕事は逃げていると指摘されたのだ。

僕はもう頭が混乱してもう何が正しいのか分からない状態だったので何にも言い返す事ができなかった。もはや洗脳を受けている人間さながらだった。

 

これが迷走ってやつかと何故かそこだけは客観的に判断できた。

 

自分が迷走しているのは分かっているのに、そこに自分の意思が全く伴っておらず、どんな意見であっても簡単になびいちゃう。もはや僕は笑い者だ。

 

起業という選択肢にまごまごしているのは、バックに今の仕事があるからだ。

それを無くしてしまえば転職せざるを得なくなる。ならば転職先決まったと嘘をついて上司と人事に明日までに報告しろ!と言われた。

 

僕はもう考える脳みそ在らずの状態なので、なるほど〜と思いながら、割とうきうきでタイミングだけ見計らって次席と人事に辞める報告をした。

 

しかし、完全に僕の心の迷走を人事には見破られていた。

電話で伝えたのだが、ちょっと会社に来いと呼び出された。

そして、2人きりになって1時間半は話していただろう。

 

まずは、「なんでこの会社を辞めようと思ったのか」と問われた。

施工管理という職が好きだけど向いてないという内容を告げた後、「じゃ、なんでその違う会社に入ったのか」とこれまた予想通りの展開だったので

やった事はないけど可能性があるなら賭けてみたい…

そう言ってのけた後、まあ正直それで食い下がる事なく終わると思っていた。

 

すると、人事は首を傾げながら

「いやぁね、キャリアが見えないんだよね。素直に違う事をやりたいという明確な意志があれば送り出すけど…失礼だけど今の仕事から逃げてるようにしか見えないな。」

と一蹴された。これは確かに言い返せないくらい図星であった。

 

確かに、今の僕は〇〇がやりたいという理由ではなく、施工管理をやりたくないという意味合いが大きかった。

しかし、フットサルの知り合いからは「人事は辞めさせたくないからあの手この手で引き止めようとしてくる。それに惑わされるなよ。」と釘を刺されていたため、僕は人事の意図を警戒していた。

 

しかし人事はその後も続けて、

「いや、辞めてもええんやで。そんなん言うたら人事失格やけど。

会社の安泰はもちろん大事やけど、それよりも大事なのは社員…いや、その人の幸せやと思ってる。

もし社員である事で幸せの枷になってるなら辞めた方がいいし、嫌々仕事されても俺が気持ち良くないからな。

俺の仕事はお前みたいに迷ってるやつがどうしたら輝けるかを考える事や。それが他社にあるなら送り出す。それだけや。

知り合い(?)に色々アドバイスもらって今のお前がおると思うけどその人は果たしてお前の事を幸せにしようと考えて動いてるかな?

いや、それは俺はその人と会ってないから分からんけど、そこにお前の意志が通ってるようにはお前の話振りからは感じられんかったな。

まあ、迷ってる時点で多分施工管理は嫌いじゃないと思ってるけどな。

まあ、今言った事は一度保留にしておくから、一回家に帰って1人で考えてみ。」

 

しかし、僕は帰る前から既に答えは決まっていた。

明らかに僕を思って意見を言ってくれていたのは人事の方だ。

 

まあ、研修などを通じて一緒にいた頻度が多かったのもあるだろう。

 

そして、僕は目が覚めた。施工管理が1番やりたい事か、向いているかは置いといて、まだ続けたいし好きなんだという事に気付いた。

 

失って初めて気が付くみたいな塩梅で転職活動、そしてこう言った本気で考えてくれる人事によって再確認したのであった。

 

そして、とどめとなったのはそのフットサルの知り合いに報告した時だった。

僕は結局、フットサルの知り合いが出した仕事を辞めるという第1歩目の任務を早々に棄却したわけである。

 

このようなメールを送った。

返信はあったものの、もう転職しない事を知った僕には興味が薄れてきたのが少し分かった。

 

フットサルの知り合いは僕の幸せを第一に考えていたのかと言えば、そうじゃないんじゃないんかと思えてきた。考えろというのもおこがましい話だが。

僕のような同じような迷える仔羊を何匹も抱えているわけだから、熱心な人に餌を多く与えるのは至極当然の話だろう。

所詮それまでの関係なのだから。

 

そして僕は完全に関係を断ち切った。

フットサルも、サロンも、報告メールも、LINEも全てやめた。

 

施工管理を続けるにはもう不必要な事だ。

 

その時には僕の中で出した結論は1つだった。僕は人事、そして次席に続ける旨を話した。

 

若手ではこうして仕事がしんどくて迷う事はよくある事だ。この先もまずしんどくなったら抱え込まず相談をして欲しい。

 

これは次席にも人事にも同じアドバイスをもらった。

僕の抱え込み癖はそうなかなか直らないものだったが、手を差し伸べてくれる人は運が良いのか沢山いたのである。

 

人事からは、まずはお前の元々親しい人とか、良くしてもらった上司とかそういった人と会って気を楽にした方がいい。信頼できる人とまず気兼ねなく話しよう。と言われた。

 

確かにおっしゃる通りだ。まずは自分を失くさずに生きないとな。

 

だから、僕は今まで時を過ごした高校や大学や会社の人達と飲もう…!!

そう決めたのである。

 

とは言っても前から結構企画して会ってたとは思うが、この2021年の春〜秋は確かに忙しかった分少なかったなという印象だった。

 

冬あたりをきっかけにまずはこれまでに会った人を中心に飲んで行こうと決めたのである。

 

これは仕事を続けるために小さく大きな一歩だ。

今の余裕の無い僕は仕事のために生きると胸を張れるほど立派なものでは無かった。

 

だからそれ以外の事でまずは自分が居てていいんだという空間、時間を作るべきだなと思った。

そしてゆくゆくは、自分の可能性を信じられる揺るがない「強み」が欲しかった。

それが僕の最終地点である「余裕」を手に入れたいからだ。

 

まだ暗中模索の状態であったが、僕は1つ「ある答え」を見つけるのであった。

 

それはまた、次の章の話である。

 

第一章 〜完〜