作詞の良さを君に教える

 

このブログを投稿しようと思ったのは、

第一にはシンプルに自己顕示

第二に作詞の良さに魅了されたのは紛れも無く稲葉さんだったこと

第三にその稲葉さんが今回、歌詞に焦点を置いた作品を展示した事により、作詞に対するメッセージ、インタビューを受け、再び感銘を受けた

からである。

 

その感想も含め、自分なりの作詞の良さというものを伝えていく事にしよう。

 

1.稲葉氏のすごさ

こちらは、稲葉氏が今回の展示を受け、メッセージを寄稿している。

 

このメッセージで思った事は何個かあって、

文章から分かる品の良さと謙虚さ…好きですねぇ🫰

は、前提として

 

稲葉さんにもちゃんと「自己顕示」したいという欲があったんだなぁという安堵。

 

まあ35年もボーカルを務めていると同時に作詞家でもある訳である。

声は直接届く事はあれど、案外歌詞の「言葉としてのメッセージ」って自分から深く掘っていかないと見えてこないものなのである。

 

また、「音楽という、 ある意味絶対的な時間の制約がない状態で、 これらの歌詞を眺めると、 短い物語に散りばめられた、 自分なりの憧れ、 苦悩、 強がり、贖罪、 愛情、 望郷の念などが、 歌に乗った時とはまた違う角度で浮き彫りになったと感じます。

のように、音楽で乗せた時の言葉と文字の塊として読み取った歌詞では受け取り方が変わるとも書いている。

 

稲葉さんの歌い方がある意味答えになっていて妙に納得感があるからこそ、

改めて歌詞だけを見た場合「え、こんな事言ってたんだ…」ってなる事がある。そこを稲葉さんも当然ながら理解して歌詞を書いてるし、歌っていたという訳だ。

 

「この分厚い作品をお好きに目を通していただければと思います。」

これが実に稲葉さんらしい。

同じ言葉でも見方、そして受け取り方も人それぞれ違うという事。

だから答えというものは存在せず、自分が自然と思った事が答えだと述べている。

だから、「お好きに」と受け手に委ね、稲葉さん自身の答えを言わないようにしている。

そこは稲葉さんが歌詞に対する価値観として一貫している部分である。

 

最後の部分

皆さん、「自分にも書ける」と気づくかもしれません。

 

ここも良いですね。

後々インタビューでも語られるが、稲葉さんは自分の中や外にあるリアルをぶつけて歌詞にしている。

つまり、歌詞もまた作り手によって違うリアルが生み出されるわけだ。

 

なので、自分と向き合う機会があれば理論上は歌詞を作れるんだ!と稲葉さんは言っている訳です。

かく言う僕も稲葉さんに感化されて作詞をはじめたのですから、稲葉さんの言う事は正しいと思って一歩を踏み出したのである。

 

結論から言うと、僕でも作れるくらいなので作れます。

ただ稲葉さんの才能は実際に歌詞を作ってみて分かりました。

「なんでこんな普通の言葉の羅列で解像度の高いさまざまな人間の物語を描く事ができるんだ??」

 

それはあまりに簡単な話で、稲葉さんの人生経験の深さとそれを適切に言語化できる能力に秀でている(あるいはその積み重ねの賜物)があるからです。

等身大で作成するから、奇をてらったりカッコつけたりしないから歌詞がストレートに刺さるんですよね。

 

僕は人生経験も浅いし、言葉の引き出しも少ないのでこの歌詞の表現は適切なのか、とか事象やその流れを歌詞にするにはいちいち説明しすぎ、でも省き過ぎると真意を伝えられないないな…と色々苦悶するものです。

言葉もほぼ無限にあるはずなのに、限られたエリアの中でしか使ってないなーと悩んでいたんですが、

 

稲葉さんも実際そうらしいです。

稲葉さんは歌詞を作成する上で知らず知らず流れが勝手に刷り込まれていくらしいです。

その浮かんでくるワードを外して作る事も可能ですが、たいして知らない言葉を「知っていますよ」と歌うのが嫌らしいです。

 

 

あー分かる。稲葉さんってそうですよね。僕もひけらかすのもひけらかされるのも嫌いなんですよね。そういうイヤミったらしさが全くないのも稲葉さんの人格がそうさせているんでしょうね。

 

2.歌詞のチカラ

稲葉さんのインタビューを通して、コロナ禍や戦争を題材にした曲もある中、

「根本的な問題を解決をさせるチカラは無い」とした上で、

「これってまずいよね?という当たり前を歌う事で人と共有できる」と話した。

 

人は問題を抱えると不安になるものである。それを取り除くには外部からの救済が不可欠だと思う。

人それぞれ対処法はあると思うけど、言葉というのが1番ストレートに解決してくれるのかなと。

 

言葉1つでも受け取り方によって変わるというのはまさしくそうで、

「頑張れ」というと鼓舞される人もいればうるさいなと思う人もいる。

「頑張らなくていいよ」というと気が楽になる人もいれば、そんな事言わないで欲しいと思う人もいる。

どういう場面でその人に届くかによっても伝わり方が変わる。

もしかしたら誤解されてしまうかもしれない。

 

稲葉さんは誤解などもひっくるめて「面白い」事だと捉えている。

 

届いた先を想像してどういった影響を与えるのか。

どのような反応であれ、むしろ色々な解釈が生まれる時こそ言葉の可能性が広がっていくんだから発信する事が大事である。

 

僕は本当にその事に関して同意しかない。

稲葉さんと違って有名人でも何でもないのでフィードバックはほとんど返ってこないけど、それでも今のブログみたいに、とりあえず自分の思ってる事を発信してみる。

それで見ていただいて感想もらえたらめちゃくちゃ嬉しいし、見てもらえなかったとしても思考が整理されるので、

たとえばブログで書いたような事を話で聞かれたとして一度まとめたので端的に説明できたりといったメリットもある。

 

作詞は外部に発信というよりは「内面との向き合い」を目的としている。

もちろん見ていただいてフィードバックをもらうのが1番ありがたい話だが、わざわざ…って所もある。

 

ストーリーを短い言葉、文章でどうやってまとめていくか、

その中にはニュースになっていわゆる炎上した問題の自分なりの意見だったり、仕事や恋愛などの具体的エピソードをどう抽象的に普遍的に落とし込む事が出来るか。

 

そういった内面のモヤモヤを整理するにはとても良い手段の一つだと思っている。

 

そして、また振り返る時に見返すと、案外悩んでいた答えが過去の自分にあったりもする。

 

なんというか、忘れかけていた感情を思い出すような。だからたまに、自分の作詞を見たりブログを見返したりもしている。

恥ずかしさ半分と自己満足が半分の誇らしくももどかしい気分だ。

 

1つ言えるのは、日頃から言葉と触れ合って考える機会を設ける事だと思う。

読書でも日記でも軽いメモでもブログ書くとか作詞でも何でも良いから試して欲しい。

自分が今何を考えて行動しているかが分かればちょっとでも楽になれるだろう。 

 

作詞に関しては、引き続き何かしらの形で残していこうかと思っている。

完全に自己満足なのでたとえ見てくれる人が0でも支障無いとは思っている。

 

でも個人的な目標は、作品を見ていただいてもしかしたら何か生きる上でのヒントみたいなものがそこから見つかって、影響を与えられる存在になれれば良いな。

とおこがましい…というか、そうなるように魅力的な作詞をもっと書きたいなと…

 

そして、案外「あなたでも歌詞を書ける」という事です。

もし、誰か作詞しましたよ!っていう方は是非是非僕に見せて下さい!!

 

ちょっと堅苦しいブログにはなりましたが、ぜひやってみてはどうでしょうか。

ありがとうございました。

 

〜完〜