姫路現場物語② 〜愛のままに〜

長岡京の1ヶ月の応援の末、ようやく姫路の現場に戻る事ができた。そして兵庫の実家に再び帰る事になった。

いやー荘厳ですね。

姫路城!イメージ以上!!

 

…………。

 

…始めましょうか。

 

第三章 竈門炭治郎みたいな後輩

姫路…と言えば、姫路城。これは日本人なら1億人はそう思うだろう。

そしてガラの悪いイメージ。僕は通っていた中学校の頃からそう刷り込まれていた。

事実、実際にガラは悪い。飲み屋も多く尼崎に近い野蛮さがある。しかしそれは姫路駅の北側、つまり姫路城がある方の話だ。

 

僕の現場は姫路駅より南側の地域だ。そんな姫路城の無い方面なんて遠方から来た人は間違いなく行かないだろう。(偏見)

そうなのだが駅を挟んだらまるで別世界のように落ち着きのある住宅街なのだ。

かと言って気品みたいなのはあまり無く、窮屈でもない。等身大の自分で居られるような心地が良い雰囲気がある。

新幹線もJRの新快速も停まるような駅なので利便性も良いし個人的には住みやすい街なのかなと。そんな場所に現場がある。

 

…僕は毎日6時に家を出て40分電車に乗り、15分歩いて現場に到着する。時計を見ると7時10分。近くもなく遠くもなく…といった感じだ。

 

僕はいつも2番目に到着する。1番は次席だ。6時30分には着いてるらしい。

今年で40歳の次席は見た目は30代前半に見えるほど若い。

性格は慎重で細かくおとなしい…といったところか。

後輩には優しく、分からない事に関しては手を止めて教えてくれる。良い上司だなと思う。

ただ判断が遅い時があるのがたまに傷である。鱗滝さんなら間違いなくぶっていただろう。

 

所長に関しては昔、一つ目の現場で同じだった人だったので特に緊張もしなかった。

所長もまたおとなしい人だが、現場について確かな眼があり、今後起こりそうな事を想定し的確に指摘をくれる。

決して硬い人間という訳でもなくて、たまに冗談を言ってくれたり労ってくれる。賢い人ってこういう人なんだなと感心させられる。

 

そして、後輩。これが1年生で現場入りたてほやほやだった。僕がいない2週間は年齢の近い人が居なくて気まずかった筈だ。

彼の第一声がお待ちしておりました!と言うあたり間違いないだろう。

姫路という西の辺境には1年生は来ないと思っていたが、彼もまた西側出身だったため抜擢されたのだ。こちらとしては手元としてありがたい話だ。

 

まずは杭工事から始まる。

あれ?進〇ゼミでやったような?そう、長岡京の杭担当が早速生きたのである。

職人さんも同じ人がいて正直かなりやりやすかった。とはいえ、なかなかに忙しい事には変わりない。

トランシット、レベルの据え付け、深さの確認、土質の確認、鉄筋の確認、コンクリ、出来形の確認、土砂汚泥の対応、書類のメンテ、資材置場の配置計画、まあキリが無い。

それでもまだルーティンに近いので相対的に見れば楽な工事なのだ。その間に今後忙しくなる掘削や基礎工事の準備をしないといけない。

 

しかし、僕はそこまでの余裕は無かった。当たり前だが、右も左も分からない後輩をまず育成する所から始めないといけない。

書類のチェックからとりあえず現場ではひたすら僕と一緒について行かせ、1から教えた。

 

ひとまず後輩について思ったのは、決して器用ではないがかなり熱心であった。率先してやろうとしてくれるのは助かっている。

あとは真面目…というかまっすぐな奴だった。目がキラキラしてる感じというか、少年ジャンプの主人公みたいな…ずっと誰かに似てるんやけどなぁと思いながら脳内を駆け巡っていた。

 

その一方でまっすぐな性格が仇となる時もあって、割と上司のアドバイスに、「まじっすか!?さすがっすね!」と言い放ったり、年上の職人さんにも容赦なく突っ込んだり…

この何だろう、本人はいたって真面目なんだけど無意識に煽ってるこの感じ…と帰りの電車で考えていたら、ピコンと当てはまる人物が浮かび上がったのだ…アイツ、竈門炭治郎や…!!

 

彼の竈門炭治郎さは他にもあって、試用期間で定時帰りをしていた時は早くご飯を食べて2時に起きて一級建築士の勉強を毎日していたらしい。

なのに、それを人知れず行いながら日中も元気でしゃべってる。エネルギッシュ且つ努力家な面は竈門炭治郎そのものである。

更に凄いのはあの一級建築士を塾も行かず独学でやりながら模試ではかなり良い成績を取っている事だ。やばい、俺。

 

また、彼はタバコを吸うのだが(竈門炭治郎は吸わない)仕事中は一切吸わず、昼休憩で職人さんと喋る時以外は吸わない。大抵の喫煙者とは違って完全に脳をコントロールできているのだ。

それは竈門炭治郎の如く日の呼吸を会得し、ヒノカミ神楽が…いや、もうやめとこう。

 

まあ何が言いたいかって、面白い後輩が入ってきて賑やかで楽しい…かったです。歯切れが悪いって?それは次章で分かります。

 

第四章 負のスパイラル 1丁目

どの会社も当たり前であるがどれだけ利益を出すかに力を注いでいる。

しかし、それ以上に大事な事を忘れては意味がない。働く人達だ。

人と人が協力して働いて初めて会社が成り立ち、収益として還元される。働く環境が良くなければ潰れて終わってしまう。

 

弊社も2020年から躍進していくぞ!と宣言した矢先のコロナ禍による新築物件の減少による利益減。これは給与にも多少響いてしんどい時期だった。

しかしながら、そこからは利益貢献のため営業が頑張った。年々新築物件を増やし続け、大幅な利益回復が実現した。

そこに大きな落とし穴がある事も知らずに…。

 

物件が増える…という事は1現場あたりに割ける人数が減るという訳だ。かと言って人員の増員は無い。

だがもちろん、トータル仕事量は変わらないので1人あたりの仕事量は増える。残業は増える。脳味噌のパフォーマンスが下がる。視野が狭くなりミスが多くなる。上司によってはパワハラが発生する。メンタルは病むが浅い睡眠じゃ回復出来ない。効率が悪くなる。仕事が全然終わらない。またミスを繰り返す…

この負のスパイラルはなかなか断ち切れない。

 

この繰り返しの最終が会社を辞めるという選択肢だ。つまり、こういうのもあれだが、ただでさえ足りない状況から更に人数が減るわけだ。

その対応として応援に行かせたり、新しい人を補充する訳だが、根本的な問題は全く解決していない。これではメンタルが図太いが来るまでガチャするようなもんだ。

 

しかし、もっと恐ろしい事にそこからまた新しい現場は増え続ける。

つまり今まで大丈夫だった現場も誰かが引っこ抜かれて新しい現場へ着任。穴埋めも特に無く、余裕が無くなり現場がぐちゃぐちゃ…なんてざらに起きてしまうのだ。

実際に後輩や同期が次々とトんでいったり辞めていったりした。事情を聞けばまあそりゃそうなるよなーと納得するものばかりだった。会社よりも大事なのは自分自身だからだ。命を涸らしてまでも頑張る必要は無い。と他人事みたいだと言われそうだが…

 

と言っていた僕もそしてとうとう犠牲になってしまったのだ。姫路にもう1つ新しい現場がスタートしたらしい。

 

選ばれたのは…所長でした。

そして代わりに新しい所長が来…ませんでした〜。!?

 

ややこしい話だが、今の次席が繰り上げで所長になったのだ。

じゃあ、次席は誰なのだ…と言われるとしばらく来ません。とだけ上から告げられた。え?

 

そう、次席が来ないという事は2番手は自ずと私になる。え?

とは言いつつ、僕が次席になる能力は無いので空白というなかなか珍しい展開になった。

 

元所長(33年次)、現所長(18年次)、僕(4年次)、後輩(1年次)で妥当だったのが18、4、1の体制になるとさすがにマズイ。

さらに拍車をかけるように後輩が会社の勉強合宿で2週間いなくなり、しばらく2人体制になってしまったのだ。

しかもこの時は事務員さんもおらず事務所からの電話や郵便関連の細々した対応や書類メンテまでも自分の仕事になっていたので思うように自分の仕事に割く時間を奪られてしまった。マズイ。

 

また、杭工事も終わり、山留め掘削という狭い敷地にとってはなかなか考えないと詰んでしまう工事に移行したのも大変な要因となった。マズ過ぎる。この後やっていけるのか俺…。不安で正直現場に行きたくない日が続いた。

 

第五章 なぜ飲みに行くのか?

それでも何とかなったのはやはり愚痴を言い合える仲間の存在だという事を知らされた。

会社の愚痴はなるべく会社関係の同期に収めるようにした。専門的な事も多いので聞く側もエネルギーを使うという事を学んだからだ。

それでも高校の同期や大学の同期など「同期」というのは特別だなという事を離れてからむしろ感じるようになった。

僕は特に寂しがりなのでたまに誘うが真っ先に思い浮かぶのは同期なのだ。お互い気を遣わなくていい…ってのが真理だと思う。

単純に先輩なら気を遣うし後輩なら気を遣わせる。

その気楽な関係こそ同じ環境で同じタイミングで出会えたという奇跡のもと成立するのだから存分に楽しみましょう。

 

また、現場でも現所長がたまにサシで誘ってくれた。おとなしい人ではあるが、飲みの場では色んな話をしてくれたり聞いてくれたりして3時間があっという間に過ぎる事もあった。

昔の現場の話や、お前のおかげで現場が成り立ってるんやと褒めてくれたり、中学生の息子の野球観戦したらプロ野球の面白さも知ったという話や、朝早く起きてしまったらもう寝られないんよなーという他愛のない話まで、結構してくださり割と何度かご飯に誘っていただいた。

 

そんな面倒見の良い人に支えられてる環境だったのでしんどい思いも少し中和された。

 

もちろん、後輩ともご飯に行き、その時は僕が主体でブログに書いてあるようなしょうもない話を領域展開している。

先輩に奢ってもらい、後輩に奢る。

辛ければ辛いほど飲みに行かないとやってられないので経済が回って酔いも回っていくのだ。それが世の常である。

 

まあ、こういうブログでの振り返りで飲みの話は結構しているように思うが、僕がそもそもなぜここまで飲みに執着しているか…っていうのをそう言えば考えた事があまり無かった。

 

1つたどり着いた答えとしては、

「他人に自分の考えを伝えた時の反応を見たいから」

が1番大きいように思える。

僕の脳内では起きてる時も寝てる時も常にずーーっとしょうもない事を考えている。

 

仕事の時は基本仕事の事で頭いっぱい(というかキャパオーバー)になるが、暇な時ならこの音楽のこの歌詞ええよなーとか、このひらめきはブログで使おう!とか、この人かっこええな、かわええなみたいな歩く先々で思ったり、いつ誰と飲みに行こうかな…とか時事ネタや炎上してる問題に自分なりの落とし所を凝らしてみたり…脳内が静寂になる事は無い。

 

色んな事を考えているうちに脳内はあっという間にぐちゃぐちゃになるので整理する必要がある。なのでブログなどを書いたりするのだが、あくまで一方的に発信するだけで答えを得られていない状態なのである。

それを1番ダイレクトに話す事ができる場所が飲みなのかなと思っている。

反応を見れば自分の考えている事が皆んなが同意するようなものなのか、変なのかというのが分かる。

そしてそのフィードバックをもとに、これ分かると思うんやけど〜とか、俺だけかも知れんけど〜と他の人への会話の糸口のきっかけにしていく事も出来る。

それと同時に「他人のエピソードなどから新しい知見を得られる」

のも大きく、自分の考え方が広がるのでより自分を多角的に見る事ができ、人生において豊かに過ごすためのプレゼントをいただけるという事だ。

そしてそれを再び脳内で整理して他者へと発信する。僕にとっての飲みは話がメインなので自ずとそういう方向に会話が弾んでゆくのだ。

 

今でもその時間は大切にしているし、時間の無い時こそ一度飲みに行って新しい空気を入れるかのように気持ちをリフレッシュさせているのだ。

 

…焼ぎ肉でぇす!🫷(^.^)🫸(ネットミームを添えて)

 

第六章 愛のままにわがままに

僕はB'zが好きだという事を散々言いふらしているが、そんなB'zも35周年という事で大々的にライブを開催していた。

6月〜9月にかけてほぼ毎週末の土日に全国津々浦々で行われた。

僕に関しては7月に1回、9月に3回、計4回参戦する事にした。

ほとんど同じライブやのに何でそんな参加するねん、って思った方…。

僕も昔はそう思ってました。

 

1番の理由は「誰を」誘うか。そこが半分を占めるといっても過言ではない。

基本的にはコアな曲が中心な時はファンと、メジャーな曲が中心な時は初ライブの人と行くのを鉄則としている。

まあつまり、布教ですよね。間違いなくライブは人を引き寄せる力はあると思ってるので…そこまでの1歩が遠いんですけど。

 

それで今年はメジャーな曲がメインという事で色んな初ライブの人を誘わせていただいた。という流れです。

そっからハマってくれれば、また来年以降にあるアルバムツアーだとかにも誘って欲しい!と言ってくれれば、僕の顔は悦びで弛緩するでしょう。

 

…今年のライブの魅力はなんせ古い曲が多かった!

LOVE PHANTOMから始まり、いきなりテンションぶち上げの状態にさせ、かっ飛ばすかのようにテンションの高い曲や有名曲を歌い上げる。かと思えばイチブトゼンブのバラードアレンジで一気に静寂に包まれた中での演奏は魅了された。バラードもいいんだよね。色気、中までたっぷり。

スタジアムというどデカいステージからマイク無しで奥まで声を届かせる演出もあり、まさに圧巻。

更には1曲の間に競技場なので1周400mはあるアリーナを走りながら歌うとかいう狂気は度肝を抜いた。だって音程も外れてないし息すら切れてないんだぜ?しかも59歳だぜ?おかしいだろ。

 

僕の中での1番は「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」をやってくれた事ですかね。

 

実は10年丸々ライブに参戦してるんですけどこれまで1度も演奏した事ない曲だったんですよねー。(実際15年やって無かったそうです。)

1番売れたシングルなのにですよ?演奏すれば間違いなく盛り上がるのにですよ?どうかしてます。

しかも演出がニクくて星がキラキラ光る映像で次何の曲が来るかなと溜めて溜めてのあの神イントロですよ。

そして映像では一気にモーゼの十戒の如く中央から光を分ち、その広がった光の中に過去のライブの映像が次々と映し出され振り返らせる展開ですよ。泣くに決まってるじゃないですか。そのために15年も温めてたのですね。だったら分かります。

 

特に最終日は愛まま推しの彼と行ったので、展開も分かっていたはずなのに2人で大泣きしてました。

特に最後の「繋いだ手なら離さない 降りしきる雨の中で 埃まみれの絆も 輝き始める」肩組み合いながら一緒に歌ったあの瞬間、今回で1番最高でしたね。

しかも終わってからultra soulですよ?やばいっすね。ウルトラソウッ!でそのまま魂ごとトびました。まだ飛び切った魂が降りてないような気がします。

いやぁ、良かったですよ。生きてて。

 

第七章 やるしかないよな

仕事に話は戻るが、やはり二席を全うしなければならないのが大変だった。つまり、新しい事にもバンバン挑戦しなければならなかった。

 

1つは付属棟ではあるが施工図の作成(CAD)だ。また、本体棟の鉄筋コンクリート造における基礎の鉄筋かぶりとその配筋の納まりを決めていくものだ。

 

納まりというのは実は設計図書には記載していない。寸法などに関しては協力業者(俗に言う下請)との連絡や上司と相談しながら決めていく。

施工図はその各協力業者に向けて噛み砕いた分かりやすい図面と捉えていい。

設計図書はあくまで完成形の寸法記載であり、詳細や、各パーツの寸法などは記載していない。

それを決める仕事が施工管理でもあるのだ。

 

作成していくと、設計図書通りではうまくいかない部分だったり、曖昧な表記で分かりづらかったり、そもそも書いてなかったりする。

そういった箇所は質疑書を設計者や監理者などに聞いて寸法を納めたり規制を緩めてもらったり…など聞いていかなければならない。

特に配筋などはまともに考えれば絶対に問題にぶつかる。というか、物理的に水平方向と垂直方向がぶつかる。それを避けるようにすればかぶりが大きくなったり小さくなったりする。

 

かぶりとは躯体から鉄筋との距離だ。小さいといわゆる露筋のリスクが上がる。大きいと内側に鉄筋が偏り、強度が下がる。そのかぶりも上手い塩梅に納めないといけない。なのでそのギリギリの範囲や、違うアプローチを質疑書で挙げていくのだ。

 

得られた回答からまた修正して最終的に仕上げていく。大変だけどやるしか無い。

明らかに所長が1番大変だからである。所長こそ初所長で所長仕事すら初めてでままならないのに次席の仕事もこなさないといけない。

 

本当はもっと所長の仕事を食わないといけないくらいだ。

しかし、現実は甘くない。昼間はほとんど現場対応で時間が吸われてしまう。

 

今回は鳶、鉄筋業者は正直融通が効いてめちゃくちゃやりやすい。主張はもちろんするが譲り合いの精神や、ちゃんと片付けなどする。言われたらちゃんとやる人達だ。

型枠業者は正直大変である。仕事が結構雑で注意しないといけない場面も多い。しかし、人としてそこまで悪くない人達だったり、融通は聞いてくれるので何とかやれている。

 

今回やばいのは掘削業者だ。7月下旬〜9月上旬、まじでしんどかった。

まず全体朝礼で1業者ずつ職長が今日の作業内容などを発表していくのだが、それが全然言えない。というか、出来ない。(職長が)

また道具も全然持って来ない。仕方なく貸したら無くしたり、使い方が雑で汚したり、まず片付け出来ない。現場はゴミ箱か?みたいに物が散乱している。指示しても言う事聞かない。ゴミ。

(片付けって指標としてめっっっちゃ大事なんよ。片付け出来ない人らがちゃんとした仕事が出来る訳ないんよ。これは絶対にそう。)

まともに打ち合わせできない。仕事が遅い。というか、チームでの連携も出来ないのでみんなバラバラの効率悪いやり方をしている。自分の事しか考えてない。

自分の考えが無いのに頑固。文句ばかり言う。人を増やしても同レベルの人間が来るだけやから一緒。ちょっとでも楽しようとする。ただでさえ仕事が終わってないのに指示してない事をやろうとする。図面を読めない。計算出来ない。理解しようともしない。ミスしても人のせいにする。教えてるのに出来ない。なのにこっちがミスをするとめちゃくちゃイジってくる。うるせえ。論外。ほんま動物を育てるってこういう事なんだなと思った。

 

その1ヶ月半はまじで時間長く感じたし、常にふつふつ軽い憤りが積もっていた。ほんとはもっと愚痴を言いたかったけど止めた。それを何とかするのも施工管理の仕事だ。文句ばかり言うてたらあいつらと同レベルだ。

ならこっちはとことん付き合ってやろうじゃないか。

 

こちらは2人〜3人で仕事しているのでずっとは見てられないし、本来はある程度は任せないといけない。

しかし、ちょっとでも目を盗んだらレベル(高さ)を間違えてたり、やってる事が違ったりするのでやらないといけない書類を後回しにしてまで見ていたら、

今度は後続の鳶、鉄筋、型枠大工に仕事遅いねん!図面まだかよ!とケツを叩かれる始末なのである。詰みなのだ。

でも1番大事なのは目の前の現場なのだ。

そこが終わってしまったら取り返しが付かない。そして彼らは成長しない。成長する人間なら今のザマになってないよな。そうよな。

 

結局仕事が遅いせいで工程が遅れて土曜出勤になったりと散々だった。

しかし、終わった瞬間のあの肩の荷が下りた瞬間のカタルシスはなかなか快感で、あーこれが達成感ってやつかとまやかしに引っかかったかのような面持ちだった。実際はマイナスでしかない疲れ損だ。無意味にため息ばかりついていった。

 

人間なんて大した事ないんだよ。

全員がリテラシー高く崇高に生きられる世の中なんて一生出来ない。自分にとって都合の良い事しか受け入れない人間がいる限り平和なんて訪れない。人間のレベルなんてたかが知れている。自分もまたそのうちの1人だななんて。

この人達をどうにかしようだなんて考えてた俺が烏滸がましかったよ。無理に決まってるじゃん。脳味噌のレベルはもう動かないんだから。優しく優しく合わせてあげますから。優しさとは諦め、そして見限りなのですよ。

タメ口でいいで笑じゃねーんだよ。お前らと距離を取りたいから敬語で喋ってるんですよ。あーこういうのがダメなんかな。

疲れが真夏だからというのもあって死ぬほど蓄積した。

 

そんな大変さが続くとやはり、次席がいればなとずっと頭で考えてしまうのである。そういったしょうもない対応が全部僕に回ってくる。

しかも後輩は1級建築士をなんと一次試験突破したので、本格的な2次試験、製図の勉強をするために8月から10月まで半分以上いないという事態で、ほぼ所長と僕2人の現場体制になっていたのだ。いやー頑張ったよ。

 

そしてようやく10月になり次席が来る事になった。そこからの仕事の話は次編で話すこととなる。

 

第八章 愛の行方

別れてからというものの、最初こそやっていたマッチングアプリも段々とめんどくさくなって姫路着任になってから遂には解約してしまった。気付けば1年以上デートすらしていない状態である。

 

代わりに増えたのがスナックやキャバクラや風俗などである。個人的に非常に良いが非常に良くない事だと思っている。

 

良いこととすれば自分のタイミングで会えるという事だ。そしてお金さえ払えば相応の愛を確かめられる事ができる。愛を奉仕するものだと考えれば、

お金という奉仕をすればその時間だけ話を聞いてくれたり心を気持ち良くさせてくれる。愛の等価交換が成り立っている訳なのである。これを愛って人は呼ぶんだぜ!?

 

良くない事とすればそんな都合の良い愛ばかりハマっていればますます付き合うといった状態からかけ離れてしまうという事だ。

付き合うというのは折り合いをつける事。いわば色々大変な事も請け負う必要がある。今みたいに面倒な事から逃げてる生き方はできなくなるし、そんなめんどくさがりはモテない。

よほど根本的な魅力を包括してない限り…イケメンだったり喋り上手だったり能力が高かったりすればクズな人間でもモテるが、そうじゃなければマメさは重要であると思っている。

 

そして、今の僕が付き合いたいかと言うと、正直言って全くない。強がりじゃない。時間を割こうと思わない。

まずは「飲み」の時でも話したように、快楽のスイッチが話を聞いたり自分で話したりする所にある。だから半年に一回とかでも満足してしまう人間なのだ。それぐらいの関係が今は丁度いい。

 

そして、自分の中で大きく変わった事は「自分を大切にできるようになった」ということだ。

言い換えるとするならば自己肯定感が上がったと言えば良いのだろうか。

 

かつての僕は自己肯定感がとても低かった。そんな人間はまず自分の評価が大変低く自分を大切にできない。俺如きが幸せになってもいいの?ってなってしまう。傷付く事に慣れてしまう。

受け取っているはずの愛情ですら何でこんな俺に構ってくれるの?と疑念を抱いてしまう。

 

それが大学生活や女性と付き合っていく中で増えたかと言えば…多少はマシになったが「下の下」が「下の上」になっただけで結局低いままだったように思う。

そして社会人1年目、2年目前半で打ちのめされまくって逆にまた「下の下」まで落ち切ってしまった。自分なんかが生きてても意味ないよね…までなってしまった。

 

しかし、3年目、4年目となっていってから徐々に仕事で自信が付いてきた。ありのままの自分でいいんだと受け入れられるようになった。

自信というのが1番自己肯定感を上げるのに重要なファクターだ。自分を信じられるという事だから。

パートナーは居なくても信頼できる仲間や友達が増えた。

それに応じて自分を労われるようになった。自分のために生きて良いんだ、って思えるようになった。自分に愛情をかけられるようになった。

 

その結果、この人生が1人暮らしでも完結するんじゃないかと思えてきた。もちろん結婚を拒んでいる訳でもない。どっちでもいいのだ。1人だろうと1人じゃ無かろうと大した問題じゃない。

ストレスリカバリーや幸福を得られるサイクルがしっかり構築されているからだ。

 

しかし、それもまた簡単に揺らぐ事だってある。世の中に永遠の安定など無いから、人は安定を求めるのだ。

いつかのパンデミックのような事がいつ起こるかなんて分からない。

 

でもまずは自分を愛さない事には他人に愛情をあげる事もできないと思う。自分の器から溢れたものをあげられる余裕を持つことが大事だ。

そこからでも全然遅くない。今は、今の自分を育てながら頑張っていく。

 

僕はそんな愛情理論を愛のままにわがままに突き進んでいこうと思う。

 

〜次編へ続く〜