※1年前の話です。今は元気なので大丈夫だという事を念頭に話を見てください。
いつからだろう…悩み始めるようになったのは。
いつからだろう…生きる価値が無いなと考えるようになったのは。
いつからだろう…毎朝死にたいと頭の中でいっぱいになったのは。
2021年冬、それを決行しようとしたのは何かしらのきっかけというより日々の積み重ねだった。
ふと自分の生きる価値が0を切りマイナスだと思えたのだ。
これからもずっとそうだとすると延々とマイナスを重ねてゆくこととなる。ならとっとと存在を消せばマイナスが最小限で済むなと僕の中で論理的に判断したのだった。
朝起きればいつ死のうかどう死のうか死ぬまでどうしようか、そればかりが頭中を駆け巡る。巡っていくうちにある程度のシナリオが描けてゆく。
うーん、死ぬ迷惑を最小限にするには何かの節目がいいなぁ…人目が少ない所のがいいよなぁ…最期くらい綺麗な景色、観たいなぁ…部屋はきれいに片付けておくか。遺書も記しておこう。次々と思い付きだんだんと具体的になっていった。
そしてその年の春に仕事の大きな節目があったのでそのタイミングにしようと心に決めた。
死ぬ前に友人と会っておこう…。色んな友達を誘って旅に出かけた。最後になる特別な気持ちにはなったが決心は揺らがなかった。
死ぬ予定日の後の予定も立っていたがどうでも良かった。だって死ぬのだから。
旅を終え予定日の前日となった。死ぬ場所の下見をした。
初めて行く所だったがネットで調べ景色の良い所だなと思えたのでそこをチョイスした。
とある田舎の駅から徒歩40分…どんどん山に近付き川を渡った先に駐車場が見えてきた。そこからさらに山を登り15分ようやく山をつなぐお目当ての橋に着く。僕はその橋の上から飛び降りて死のうと思ったのだ。
下見はお昼頃行ったのだが観光客が意外と多くそこで死ぬにはさすがに躊躇いがあった。他の人の幸せなひと時を奪うのには抵抗があったからだ。
なので僕は橋を観光客みたいにわくわくしながら渡っていた。そして本番は明日の深夜、誰もいない山の中ひっそりと死ぬんだということを想像していた。
死ぬには十分過ぎるほどの高さで景色もとても綺麗だった。一本道ではなく富士山のようにいくつかルートがある事を確認し、帰りは別ルートを通りながら本番への作戦を練っていた。
まず、行きに通った駐車場のあるいわゆる表側のルートで侵入するのはリスクが大きいということだ。駐車場にはガードマンが滞在するゲート小屋があり昼では使われていた。それが夜でも使われている可能性はあった。
またそこを通り抜けるには川を渡る必要がありそれを夜中光の無い所で横切るのは非常に困難だと判断した。しかも山を登ってすぐに案内所である大きめの小屋があり人がいる可能性も高い。そこをかわす事はできないと判断したため裏道を通る事にした。
裏道は結局帰り道でゆっくり眺めながら下見していた。
まずそこそこの観光客が居たにも関わらず誰ひとりとしてその道を使う人はいなかった。そして整備されているのかというくらい半分獣道みたいな場所だった。しかも最寄りから徒歩70分もかかるというメリットも無い道ではあったが一度きりの死を授かるための道としては最適ではあった。
しかしながらそのルートにもいくつか問題はあった。
一つ目は下山した山道にポツポツと民家があったという事だ。もしその住人に見つかったら大変な事になる。解決策として民家にも行かない本当の裏ルートを開拓する事にした。民家の裏には三面張のコンクリートで舗装された段々の水路があり水もほとんど流れていなかったため段差はすごいし危険だが通れると踏んだので使うことにした。
二つ目はまじで獣道なので深夜に向かうと真っ暗で迷うし危険であるという事だ。
まあ死ぬ人間が危険とか本当はどうでもいいのだが橋の上で景色を見たいという目標もあったのでそれ以前で死にたくは無かったのだ。少なくとも小型の懐中電灯と軍手は必須だなとメモした。また、迷いたくなかったため見渡しながら目印を見つけ歩いていった。
そんな帰り道は久しぶりに楽しいと思えてきたのだった。死ぬことに関してはなぜだかポジティブになれた。
……そして、当日。
まずは大掃除から始めた。死んでから汚い部屋を誰が掃除するんだという話である。出来るだけ断捨離を行った。黒歴史の書物もそこで捨てた。
死んでから見られるのが嫌だったからである。
そして遺書を書いた。
前々から考えていたのですらすらと綴っていき何も置いてない机の上に置いた。
そして最期のメッセージのようなブログの下書きを書き終えいつでも公開できる準備だけした。
ごはんは排泄物吐瀉物の事を考え食べなかった。僕は最後の晩餐は多分食べないという選択をする人間だ。
そして深夜、1000円を握りしめ現地へと赴くのであった。
裏道の山のふもとまで駅から70分あったがそんな事どうでもよいくらい不思議とわくわくしていた。
その間にカルピスを買った。僕は牛乳アレルギーなのでカルピスは飲料用ではなくとどめ用なのである。
そして山のふもとまで行き一つ気付いた点があった。それはもうすでに電灯が無く辺りが真っ暗で入り口すら分からないといった事だ。
当然の事ながらもう山なのでアプリのマップに道など載っておらず何が正解か全く分からない状態だった。
前日の記憶と勘を便りに小川に降りて道なき道を進む事にした。
木をかき分け蜘蛛の巣に引っかかりながら腰を下ろした低姿勢で真っ暗な自然を進んでいくうちに得体の知れない恐怖に襲われた。
もしかしたら橋までたどり着けないのでは…。そんな不安と闘っているうちに道がひらけ、裏の裏ルートであったコンクリ三面張りの水路にたどり着いた。
落ち着いたので一旦スマホでも見ようか…と思ったらなんと…スマホが無い…。え、なんで。なんでなんでなんでなんで??この時の僕はなぜかスマホを紛失した事実を受け入れられずパニックを起こしてしまったのである。
記憶を辿ってゆくとアプリのマップを見た所が最後の記憶でおそらくだが道なき道を低姿勢でかき分けていた時にポケットから落ちたのだろうと推察した。
どうせ死にゆくのだから見捨てても良かったのだが当時の僕はなぜかそれを許さずまたあの道へと戻って探すことにした。おそらく死ぬまでは自分にとってのパーフェクトなシナリオで死にたかったのだろう。
中盤まで戻った時にピンクのスマホが落ちていた。迷彩柄じゃなくて良かったとなぜかその時思っていた。スマホを手に入れ一気に落ち着いた僕は一度知った道をまた進んでいった。
ようやく正規の裏道へたどり着く事ができ真っ暗で半分舗装されてないとはいえ道があるだけ安心だった。懐中電灯を持ち一歩一歩登っていった。踏み外せば転がり落ちて死ねるなーとは思いつつでも半端に死ねない可能性も十分にあるので踏みとどまった。
そしてようやく橋にたどり着いた。入口はゲートで塞がれており入れない状態…いや、よじ登れば楽に侵入できた。背徳感も合わさりながら橋を渡っていった。
見下ろすと表ルートであった案内所の小屋の光が点々とついていたので裏ルートで行った甲斐があったと安堵した。
手すりをよじ登り外側の鉄骨の上へ立った。意外と気持ちいいもんだなと余裕を見せていた。
ああ、十分に高さはあるな。ようやく死ねる。その上でアレルギーであるカルピスを一気飲みをした。喉が腫れていく…身体に蕁麻疹が出て意識が朦朧としてきた。
そして僕は最期にB'zのLOVE PHANTOMを聴いた。聴いた。何度も聴いた。あれ?なぜ俺は「何度も」聴いているんだ?その時ふいに我が返った気がした。
まるでバンジージャンプを一向に飛ぼうとしない人みたいに拒否反応が出ていた。
気がつけば膝はガクガク震えてるし涙も出てきてる。自分の様子を客観的に判断できてしまった時にはもう鉄骨の上でうずくまっていた。僕はなぜ死にたくないのか心では理解出来なかった。
でも身体がそれを拒否していたのだった。その事実が僕の命運を分けたのかもしれない。
まあ、正常な判断が全くできないくらい疲れ過ぎてたのだろう。
しかしアレルギー反応がひかないためしばらく橋の上で寝る事にした。
1時間くらい寝た時に…うん、このあとどうしようかと冷静になった。なにせ1000円しか握りしめてなかったので往復分の運賃は無い。
下山も含め10kmほど歩き始発の電車までホームに寝そべり寝る事にした。春とはいえ1日半もごはんを食べてない状態だとさすがに寒気がした。
なんとか家に帰りまずは思いっきり寝た。そして思いっきり食べた。そして空っぽになった心は死ぬ事も生きる事も考えていなかった。
ただ1つだけ分かった事があった。僕には死ぬ勇気が無かったということだ。つまり死にたいという強い意志は無かったということである。
よくよく考えれば迷惑なんてかけてしまうものだ。かけ散らかしてのうのうと生きてる人間だっている。
価値が無いから生きてはいけないという考えそのものが違っていた。別に生きる意味なんていらなかったのだ。
なぜ生きてるのかって聞かれれば僕は答えられないのかもしれない。ただ身体が生きようとしている限りは生きないといけないなという使命感はある。
使い果たした先に何が残るのか。僕自身は別に何も残らなくてもいいのかもしれない。
ただ僕はいまその瞬間を楽しんでいけるような人間でありたいしその楽しみを友達などと共有し楽しい記憶の1つに僕がいたら生きてる意味もあったんじゃないかなと思えてきた。
だから僕は、この事を忘れないでいる。
またしんどくなった時自分を振り返るために。そして戒めのために。
僕がこうなってしまった原因は抱え込み過ぎと自分を出せずにいてしまったことだった。
もっと楽に生きよう。その一言に尽きるのかもしれない。
自分は自分なりの人生で全うできればそれでいいしそれが正解だと思う。
そして1年経った今なら思う…死ななくて良かったと。