自分の半生 ~社会人編①-2

得てして新しい挑戦をしたわけでは無かったのですが社会人1年目は様々な新しい事象や価値観に惑わされました。
元々このブログは自分が起こった出来事を自分自身がまず忘れないために覚えておくために書いてます。めまぐるしい時の流れによく忘れてしまうので…
そんな2020年の7月から9月までの自分自身の価値観の流れを綴っていきます。

第五章 甘え

僕は自分を律していたつもりでした。
一応毎日の家計簿をつけ、なるべく節制しようと心がけておりました。
なるべく自炊し昼もおにぎり2つ、娯楽(ストレス発散)を1人カラオケだけに限定し、それも平日の夜中料金になる前1時間を利用して安く抑え、その他は飲み以外での出費を減らし、勉強や読書に時間を費やしました。

仕事も一生懸命頑張っていました。一切サボらず上司や先輩から言われたことをパーフェクトにこなすため努力しておりました。
しかし、前章でも話しましたがミスも多く不甲斐ない1日を送ることがザラにありました。

新入社員の3ヶ月間は定時に「帰らなければならない」決まりがあり、それがかえって僕を苦しめました。

帰らなければならない理由は残業を認めてしまうと新入社員なので強いられてしまう危険性があったのです。
そんな口先の約束だけでは効力が無いので「もし残業をしても17時以降の給与が発生しない」というもう一つの縛りが加えられました。
それによりお金が出るから残業してもメリットがあるという口実を消し、本当に定時帰りを実行せよという人事部からのメッセージでもありました。と言いつつ、いくつかの現場は新入社員にサービス残業で仕事をさせていたそうですが…。

とは言いつつ私の現場の所長は定時を過ぎたら早く帰れとうるさい(ありがたい)人だったので定時に帰れました。

ただ、1ヶ月も過ぎると仕事が段々と増えていきいつしか定時では全く終わらない量となってしまいました。そんな中でも所長は早く帰れとおっしゃるので早く帰らなければならないのです。

残業させて下さいと次席に言っても、それは定時以内に仕事が出来ないお前の要領が悪いと言われ、それは半分は合っていたのですがそれを加味しても時間が足りないように思えました。

いつしかちょこちょこと仕事が溜まっているのが分かりつつもこなしていかねばならず、この仕事をお願いしますと先輩に頼んだら、それはお前の仕事やろと一蹴され、かといって溜まっていれば怒られるという詰みな状況に挟まれました。
溜まってるのを何も出来ず見届けるまま終わる仕事はもやもやが溜まり気が休まりませんでした。

少しでも溜まった仕事を減らすために今まで以上に早起きをし、朝に仕事をやっていくことにしました。この頃は毎日4時30分に起きて出勤していました。

また管理というものは1つでも不備があると職人さんに、また所員に叱られる仕事でもあります。つまりパーフェクト出来ることが言わば「当たり前」の状態なのです。

この頃の僕はそもそも何がパーフェクトな形なのかも分からない。先輩から教えられる曖昧な事から無い知恵で憶測しやってみる、結局少し違うと怒られる。怒られる事で答えを教えてもらい、次に生かしていく。その繰り返しなのです。

そして何より言われたことをパーフェクトにこなすだけではまだ足りないのです。それでは気が利かないと怒られるだけです。
言われずとも掃除をして綺麗にしたり、先輩の仕事を盗んで積極的に学んでいくという姿勢を取らないといけないのです。

何回も言いますが、僕は自分のことですら精一杯どころか足りてないわけです。だから集中をして早く終わらせようと努力してるわけです。
パーフェクトが出来て当然というその舞台すら立てずにいるのに視野を広くして他の良くない部分や先輩の仕事を奪うような時間すら無いのです。

むしろ集中している分視野が狭くなって仕事「以外」の所に気がいかなくなってより怒られることが増えました。僕は同時に2つ以上がギリギリで3つ以上の事が出来ないマルチタスク苦手人間なのです。

僕は一度自分がそういう人間だということを次席に伝えました。
最初は要領が悪く不器用でこなすのに時間がかかりますがこの先は頑張ります…と。
すると
それは言い訳に過ぎない、メモを取って一度やったことを覚えて要領よく行けば何とかなる。あともっと自発的になれ…コミュニケーション取らんと学べないで、と言われました。

確かに正論ではあったものの、当時の僕の仕事は主に設計図から実測したものを写真に撮りデータに映したり検査したり、今まで通り安全や環境の看板の作成や書類の整理、その他雑用をこなしたり職人さんに言われたことをその場(しのぎ)でこなしたりと「覚える」というよりかは手際よく段取り良くやるようなことであまりその要領よくいけばなんとかなるという言葉は響きませんでした。その方法を教えて欲しいのに…

また職人さんとのコミュニケーションも取らなければならないことも分かってはいましたが仕事の内容や仕事を早く終わらせるためには優先順位も低くとりあえず終わらせることに集中したい分むしろコミュニケーションは非合理的だと思えたので話していなかったのです。

そう言ったことも言えずひたすらモヤモヤが消えないまま、またそんな愚痴も結局自分が出来ないことがそもそも問題なので愚痴る資格もないと思い、いつしか仕事でもプライベートでもあんまり吐き出せなくなっていったのです。

社会人の厳しさを知り、今まで甘えていたのです。頑張ったら誰か褒めてくれる…なんて今まで思ってたのですから。そんなの甘過ぎます。
社会人が誉められる時は結果を出した時なのです。しかし、僕の仕事には結果などありません。
当たり前のことをただひたすら埋めていくだけなのです。しかしそれすら出来ていないのです。
頑張ってはいるかもしれないけどそれは仕事をやる以上当たり前なのです。

分かってはいたのです。ですが僕は学生の頃まで知らず知らずそう言った優しい承認欲求のような蜜を今までチューチュー吸っていました。

自分で動き上司の手助けをし、初めて誉められるという現実…。まあ自分で勝手に動くのも難しいしそんな余裕も無いんですけどね、それすらも甘え…なのかな?
今まで情けないなりに自分を誉めて何とか尻を叩いていたのですがこの頃から自分を自分で責めることが多くなり精神が一気に追い詰められました。
その頃から僕は不思議な現象が起きました。

第六章 黒い果実

………僕の頭の上に黒い果実のようなものがふさふさと実ってゆき、怒りや圧迫されるストレスと共にその果実がぷすりと砂のように崩れ風に仰がれ消えてゆきました。
その時の僕の身体には何1つ変化もなく、「頭上」で感情が発動して果実が割れた時ですらその時の自分の心には怒りというものが全く無かったのです。
つまり負の感情そのものを果実が代わりとなり処理していったのです。恐らくこれ以上自分の身体に負の感情を入れてしまうと保っている糸が切れそうになるからだと判断したからでしょう。

しかし、無償では果実は処理してくれませんでした。割れて砂になる度に僕の心の奥の中で諦念にも似た虚しさの繊維がアスベストのように溜まって残っていくのを感じました。
最初はその代償を知らなかったので新しいストレス発散方法を見いだしたと思い、喜びました。
果実を割る量が徐々に増えていきこの手段に頼る事が大きくなりました。
しかし段々と心が重くなったことに気が付いて初めてこの方法は良くないと思いました。しかしもうその頃には遅く………。

僕は研修を受け、自分がまだまだだということを知り明日の仕事は頑張ろう!と意気込み眠りにつきました。
その日の夢は醜男にディープキスをされるという夢でした。そして夢の覚め際に「お前はもうおしまいだ」と吐き捨てられたところで起きました。

5時…間に合いはするが溜まった仕事を処理するには遅い時間帯でした。
今まで通り頑張ろうとしたが、精神が全く起き上がろうとしません。この時完全に自分のスイッチが「オフ」になったのが分かったのです。

食欲は全く起きず、ただ1つだけ考えていたことがありました。

それは…
「今週末死のう」  です。

丁度本来オリンピックがある週で仕事も水曜日で終わったような気がします。三連休が確かあって友達と家族に会う約束があり、その後で支度をして終わらせようと考えたのです。
ご飯を食べたら戻しました。頭は何も入って来ず、仕事中も死のうかな、簡単に死ねるけど尊敬する職人さんはいたのでそういった人を巻き込みたくないと思ったので踏みとどまれました。

いつしかのこのブログで僕は死について語ったことがあると思いますが、僕は人の目に触れないように迷惑を極力かけずにキリよく死にたいと思っているこだわりがありますのでそれ故の「今週末」だったのでしょう。
普段から死ぬことを考えているので段取りを済まし始めていました。
僕は死のうと思ってはいましたが生きたいともまだ思っていたのでしょう。

エネルギーが枯渇しきって自分の力でエネルギーを補給出来なくなっただけなので他者のきっかけで復活しないか希望に頼るしかなかったのです。

そう、僕もなぜ死にたいか分からないのです。なぜってその前日までは確かに頑張ろうと思って生きてたからです。
これは僕の意志の遠い外…あるいはエネルギー枯渇による病んだ本来の僕の制御が外れて動き出したというべきか…中二っぽいけど本当にそうなんです。でもその時はなにもかもを放り出して死にたがっていました。

僕は救われるきっかけを友達に託そうとしていました。しかし、きっかけはそれより前に思わぬところで回収されました。

エネルギー枯渇してから1日、食事をとるもののそのたびに身体が拒否して吐いていました、風呂も入らずスーツのまま寝て顔だけ洗い仕事場へ向かいました。
頭ではずっと死ぬスケジューリングを立てながらニヤニヤしていました。
終わりもなくずっと走り続けることは難しいけど残り200mですと言われたら走り切れるような、まさにラストスパートだなと思いながら、来週から頑張らなあかんでと言われても俺には来週は無いんやけどな…と心で笑ったりもう、限界でした。

喉が渇きました。さすがにずっと動いていれば暑くなります。僕は事務所に帰って水を飲もうとした時に職人さんに呼び止められました。その職人さんは行きのバスで一緒になってからちょくちょく喋るようになったベテランのおじいちゃんです。
疲れてそうな僕をまあまあ座れよと呼び止め、冷えた缶コーヒーを1つ渡され促されるままゴクゴクと一気に飲み干しました。

今はこうやってわしらがかわいがっとるけど年次が上がったらこんなわしらなんて見向きもされへんのやろなぁ…という冗談に対して僕はいやいやそんなことないですよ…と話していくうちに少しずつ「戻っていっている」ような感覚がありました。

そして5分ほど経った時には完全に死ぬことなどさっぱり忘れていたのです。そして同時にああ良かったと思いました。

ここから僕は無理に追い詰めることをやめようと思いました。それは決して甘えとかではなく、徐々に出来ることからやっていこう、身の丈に合ったスピードでこなしていこうと決心しました。
そう、始めからパーフェクトを目指してしまうからつまづくのだと。

きっかけが職人さんということもあり、職人さんとは時間が無くてもちゃんとお話していこうと決めました。
また、頑張っているのだから本当にやらなければならない仕事はしっかりこなし、目先だけでもいいから頑張っていることをアピールしようと思いました。

第七章 不向き合う

8月からは2週に1回土曜出勤も増えました。まだ定時帰りだったのでむしろありがたいなと思ったくらいです。

どういう意味かというと今までは金曜日で終わっていたのですが土曜日もずっと現場は動いているんですよ。
その分の仕事も勝手に増えているんですよね。つまり月曜日の朝には書類だったり本来土曜日に怒られるようなことが朝に付箋で貼られてるんですよね。

月曜日の朝がめちゃくちゃ重いまま始まるんですよ。それが土曜日も出勤やと土曜日に溜まった仕事を処理出来るし、何より月曜日の朝の憂鬱が少し減るので土曜出勤はデメリットだけではありませんでした。

朝礼や昼礼では人前で話すことも多くなり電話対応も多いので段々と慣れるようにはなりました。
この頃には職人さんは100人以上いておよそ30業者ほどいました。その業者ごとに職人の長である職長さんとは打ち合わせなどで会話するタイミングも多いので話すくらいなら少し出来るようになりました。

ただ、先輩とかみたいに世間話とか懐に入るような話が出来ず表面だけの会話しか出来ず、コミュニケーション能力の無さを情けないほどに知りました。

無い理由を主に2つ挙げるとするならば良い返しが出来ないのと知識の偏りが主な原因でしょう。

良い返しとはせっかく職人さんがボケているのにツッコミが出来ず会話がそのまま流れたり途切れたりしたり、また自分から会話を膨らますことが出来ないので全て相手任せになっているのです。
相手が喋る人となら会話は続きますがそうでもない人とは会話出来ずに終わるのです。

またその会話を膨らましたりきっかけとしてその類の知識を得ることがとても大事です。
例えば野球の話で盛り上がってるのに僕は全然野球を知らないので輪に入れないわけです。

知ってることが少しでも多ければあまり仲は良くなくても知ってることを共有することをきっかけに仲良くなることもありますから。

これらは大学生の時、社会人になって危惧していた事態そのままでした。まあ、3回生の半ばらへんの章で書いているかと思います。
そういうこともあり流行には乗ろうと思って取り残されて化石にならないように、B'zばっかり聴いてたらほんとにそうなりかねないので…

彼女とはこの8月あたりで付き合って1年となりなかなか濃密だったなと感じています。相手の結婚観も分かっていますし自分の意志も彼女に伝えていますし、まあ時の流れに身を任せるという感じでしょうか。
なかなか会いづらい状況で9月になってようやく2人きりになれたかなと
これまで2人という場面は確かにあったのですが周りに人がいたり、時間に制約があったり精神的には2人きりでは無かった気がします。

やはり2人きりというのはそれほど濃密な話が出来るということで気を遣ったりなどそういうのが一切無くなってようやくありのままを出すことが出来てかなり心が楽になりました。

友達とはちょくちょく会っては仕事を内とするならば外の空気を吸うような心と身体の気持ち良さがそこにありました。

ようやく落ち着いてきたかなと思い始めた頃、再び忙しくなってゆくのです。

第八章 能動力

9月から僕は大きな担当としてはコンクリート担当というものになりました。
7月からはサブとして先輩の動きを見つつ8月はメインではありながらまだ先輩がサブとして監視していたので分からないことがあれば聞ける状態ではありました。
そして9月になると先輩は俺は他の仕事もあるから全部任せたぞとコンクリート担当になった訳です。

コンクリート打設はすごい段取りが多いんですよ。コンクリートの予約するために決められた調合と図面や実測により数量を測ってコンクリートを入れる業者、コンクリートを押さえる(平らにする)業者、コンクリートを高い所から入れるためのポンプ車を手配する業者、コンクリートを運ぶミキサー車の手配や誘導をする業者、当日のコンクリートの試験をする業者に電話し、内容を伝える作業。
前日までにはコンクリート入れる所にゴミがあればゴミ拾い、図面と違う部分があれば訂正、ミキサー車は4.5㎥、1日入れる量は平均で200㎥ほどなので少ない時で30台、多い時では70台超える時もあります。それの搬入ルートを潤滑にするため確保したりポンプ車も大きいのでその場所も確保しなければいけません。
今述べた全ての業者が円滑に進めるために前日までと当日慌ただしく動く必要があります。またその都度入れる場所や階によっても入れる順序だったり形も変わったりと対応が変わるので臨機応変さが求められます。

またコンクリートは生モノでその日によっても中身も変化するので実際数量計算は完璧にはアテになりませんし、前のをそのまま参考にすると痛い目に遭うという厄介さ。それほど難しいのに更に4.5㎥一台余らせただけで10万円払わないといけないので所長に怒られるし少しでも足りないと職人さんに怒られるという極めて理不尽な担当となっています。

そのため終盤では一番上の階から下の階まで駆け上ったり下ったりして細かくミキサー車のドライバーや手配業者と会話し最終調整をやっていきます。

終わった後は飛び散ったコンクリの処理、ポンプ車の洗いの手伝いなど肉体労働に切り替わります。

これが3日続いた時には…真夏の時は…と考えれば地獄ですよ。上の階を打つのだから当然屋根は無いですし、連続の日は本番段取りと前日段取りを同時にこなすわけですから。まあ、そこまでは何とかなるんです。

問題は想定外な事や手を止められる時が異様に多い事です。
コンクリが思ったより硬い(流動性が低い)とかは間違いなく怒りの矛先はこちらに向かうので分かった瞬間に電話したり対応します。
道が混んでてミキサー車が来るのが遅いという明らかに自分に非が無い時でもとばっちりを食らうのでもはや怒られないのは不可能に近いです。

他にも沢山あるんですが専門性が高く文章では長くなってしまうので割愛します。

まあ、その中の1日に想定外が連発してうまくその場で段取りが出来ず四方八方職人さんや上司にフルボッコを食らった日があったんですよ。

ここまで物理的メンタル(?)がやられた日は初めてでさすがに落ち込んでたんです。で、終わった後次席から反省会が開かれた訳です。
何がダメだったのか?と

僕は想定外があったとはいえ、日頃からその想定内を完璧に把握しておけば対応出来たのでは無いかと話しました。

しかし、次席は違うと僕の意見を否定しました。
その想定外もいわば想定しとかないといけないやろ?とそれが足りない時点で今日はお前の負けや。と言われました。

それは答えになってるようでなってないなと僕は思いました。
確かに今回の想定外は20年弱働いてきた次席にとっては想定し得たことでした。他の想定外も最初の想定外のいわば連鎖で生まれたことなので今回起きた想定外の数々は自分の反省材料とし次に生かすことができるのです。ここまでは正しいと思います。

しかし、まだ担当になって数回の僕にはそれ以外の想定外も沢山存在する訳です。
想定外はあらかじめ想定出来ないから想定外なのです。
それを想定しておけというのはさすがに教えられない限り無理がありますし、想定出来ないということを「負け」と表現するのはあまりに無骨だなと思ったのです。しかし、それからの発言で少しずつ僕の考えも変わってきます。

次席は僕の痛い所を突くように
お前には責任が足らんのや、よく自分のせいでしたって言うよな、それは能動的にしっかり動けて責任のある人間が初めて使える言葉や
お前はまだ「自分のせい」ですらないんや、考えが甘いねん、誰かが動いてくれるやろと思ってるやろ?そんな穴だらけの段取りでこの結果になるのは当然やねん

職人さんが円滑に仕事が出来るように準備して用意するんは誰がするんや?勝手に用意される訳でもないし…
職人さんは職人さんの仕事だけを全うするのが仕事や、お前はそれに応えられるように全力でサポートせなあかんやろ?そういう気概で仕事に取り組まなあかん、それが足りんのや

僕は阿呆でした。確かに怒られることばかりに気を取られ枠組まれた段取りを「こなす」ように頑張ってきました。その時点で間違っていました。
だから段取りから外れるとどうすればいいのか分からなくなったのです。

しかし、根本的に僕らの仕事は段取りを組む…ということはもちろん大事ですがそれ以上に職人さんの負担を少なくし、建物を質の高い状態ものに仕上げて貰うことこそが大事なのです。
想定外が起きたとして慌てるのではなく、まずそれぞれの職人さんにどういう指示をすればいいか、どう段取り変更して自分はどう動くべきか能動的になる必要がある…僕にはそれが圧倒的に足りなかったなと目から鱗の説教を受けたのでした。

甘えてるつもりはありませんでしたが受け身的考えが根っこで張りついておりそれに気付いてなかったのです。結果甘えていたのです。

そこから僕はこのままでは成長しない…と思い、能動的に動く能動力をつけようと思いました。
具体的には職人さんとしっかり会話する、やることに対する意味。その前後に何があるのかを把握するといった仕事に対して直線ではなく膨らみを持った考えで接する事で意義や芯を見いだし染み込ませて学ぶ事で想定外に対する対応力を付けようと考えました。

第九章 サービス

9月はコンクリ以外にも残業が始まった月でもあります。
第五章でも述べたように残業出来ない苦しみもありましたが、当然の事ながら残業する苦しみもあります。
なぜなら「新入社員は残業代が出ない制度」は9月まで続いているからです。つまり、働いているのにお金が出ないサービス残業です。

まだ9月上旬は18~19時の可愛い時間で帰れたのですが下旬になってからは現場の電気消し、鍵閉めの担当になってからは20時近くまで残る日も増えていきました。
あれ?前所長が残業にうるさかった人じゃなかったっけ?って?

そう、これが一番の想定外…9月下旬~末から所長が違う現場の担当となったのです。つまり新しい所長へ変更することになったのです。

所長も引っ越し等で慌ただしく動くことになったので僕もその動きに合わせて長めの残業が始まっていったのです。

トップが入れ替わることは割と異例中の異例らしく次席含めさすがに動揺していました。
トップが変われば事務員さんも変わり、大きな工具や道具、小物(ペンとかラミネートとかも)も所長の持ち物だったりするので今までの要領が割と変わってきます。
まあ新しい所長と事務員さんが一番不安だと思いますが…。

詳しくは割愛しますが唯一の救いは新しい所長も良い人だったので助かりました。とはいえ変更したことは前後の仕事量を考えるとキツかったです。

また、一級(7月受けて落ちたんです)の二周目の勉強も9月から再スタートとなりました。
これが何を意味するのかと言うと、9月時点で4週6休です。休みは土曜2つと日曜4つ。そこから日曜4つ、朝から夜まで全て予備校に行くことになるので休みが土曜2つだけになったのです。(今思えば可愛いものだ)

まあ、急に休みも減って仕事時間と仕事量増えて怒られる回数も増えるとそりゃしんどくなるよねって話ですよね。
ほんでヤバいのは10月の給料が案の定スッカスカに安かった時の軽い絶望感にうなだれました。

やはりやりがい分だけの金額は欲しいものです。諸事情で月70000円は払い続けないといけませんのでそうなった場合ほとんどお金が無いので結局外食は控えて時間が無いのに自炊することが多かったです。

とはいえ、前みたくエネルギー切れにはなりませんでした。オンとオフを切り替える事が出来るようになったのが一番の要因だと思います。

仕事で頑張った後の帰りは泥酔したかのように記憶が飛ぶので夜ご飯を食べずにそのまま寝てしまったりしてガリガリに痩せました。
でも目覚ましは掛け忘れるのにちゃんと起きれるので身体時計って怖いですね。

本当は12月まで書きたかったのですが思ったより文章が長くなって制作中に冬休みも終わってしまいましたのでここまでにさせていただきます。

10月から12月は主にとある職人さんと仲良くなった事(価値観が物凄く揺れ動いた話)やニーズの薄いB'zの話(でも絶対にする)や気分屋な女性先輩の愚痴(初めて口応えする諦めを感じた話)と会社辞めようかどうしようか悩んでる話でもしたいと思っております。

会社辞めるかどうかは今年の1月現在ではする気はありません………今はね。