あと6日を生きてみる

2020年7月21日午前5時、吐き気を催すかのような嫌な夢から覚めたその瞬間、全てのブレーカーが落ちるかのように心の中で何かが切れた音がした。


僕はそれの原因にすぐさま気がついた。エネルギー切れだということに。

僕は何もかも順調かのように思えた。何なら前日の20日は研修を通じて気持ちを新たに切り替え頑張ろうと本気で思っていた。


追い詰めてるなと思ってきたのは結構前からだ。このブログにも書いてあるが僕が生きようと決めたのが就活が終わった時だ。
そこからは前向きだったがそれと同時に自分が分からなくなってきたのだ。
そこで僕は「乖離」していることに気がついた。

それはこの世界で生きるためには自分を欺きながらでないと生きていけないと。つまり僕はこの7年自分を騙し、そしてみんなを騙し生きてきた。騙すことは必然的にエネルギーを要する。
段々とそのエネルギーが尽きていくのも分かった。特に社会人になってからそれが消費されるエネルギー量が多く供給も追いついてないのも分かった。

僕はすでに根っこが腐っている。それをひたすら枝葉を取り繕ってきただけの人生でとうとうこの21日にそのエネルギーが尽きてしまった。それだけの話だ。


特別なにかきっかけがあった訳ではない。ただガソリンが無くなるように自分の中にあるエネルギーが切れただけだ。

唯一あるとすれば僕はこの上なく恵まれた環境にいた。それにも関わらず僕の根っこが変わることが無かった。
それはある意味絶望なのかもしれない。もうこれ以上の幸せは無いのではと思うくらい幸せな気持ちになったはずなのにいつまでも僕の心は空虚なままだったのだ。もう僕の助かる術はない。



朝起きてから現場に着くまでひたすら生きる活力を見失っていた。電車の揺れに合わせながら死ぬ手前どうしようかとばかりで脳の10割がそれを占めていた。

現場に着いてからもう少し冷静に考えた。まだ現場に行ける活力はあるんだなと。

僕はすぐさま死のうとは思ってはいなかったが死ぬ場所はもう決めていた。あとは死ぬ支度をするだけだった。

僕はそして予定と支度を全て終えてから…つまり日曜日までは生きようと思った。そこまではなんとか生きていける。死ぬと思えればギリギリ前向きになれる、距離も把握していないフルマラソンと残り200mとわかっている時のフルマラソンでは心持ちが全然違うのと同じである。もう最後だからこそ走り抜けられるというものだ。

そして日曜日までちゃんと生きてそれでも生きる力が失っているままならばそれがタイミングだということだろう。僕はそう決断した。

つまり、僕はあと6日を生きてみる。死ぬつもりで生きてみる。もしかしたら絶望の淵で希望の一滴がまた降ってくれることを祈って。





2日目…昨日よりもひどい。当然である。日々すり減っているのだから。友達や家族に会って何か変わって欲しい。本当に死んでしまう。家族に会っても何も変わらないか…

午前中の仕事もここでも死ねるなとは思いながら現場の所員の先輩や職人さんは誰も良い人でここで死んだら直接彼らに迷惑をかけてしまう…と思ったら踏みとどまった。量の多い仕事もあとラスト1日だと思えば何とか乗り切れた。
もう1人の僕はずっと僕に問いかけていた。

「お前、情けないな。もうこんな序盤で終了か?まあそりゃそうだな、俺はずっと生きていてずっと死にたがっている。お前にとってお荷物だもんな~よく5年間も生きてこれたよ!褒めてやる…だがなぁーお前、みんな優しくしてくれているがそれは別にお前である必要は全くねぇんだ。他の誰でも同じことだ。つまり必要のない人間なんだよお前は!ハッハッ!!物覚えは悪いわ、不器用、そのくせ愛嬌も元気もねぇ。こんな人材誰が欲する??そしてそんな人間がこれから有望な人間になりうるのか?出来る人間はもう今の段階で出来上がっている…諦めろ…これからいっぱい迷惑かけるくらいなら今死んだ方が最小限で済むぞ…」

僕は何も言い返せなかった。と言うかそんな元気も無かった。そんな気力が1ミリでもあれば僕は生きる選択肢を決める筈だから。

もう日曜日に死ぬことを決めた。
もう心は真っ暗だった。スマホでいえば0%だ。でもまだ身体は残っていた。
午後になった。あと4時間、最後の仕事だ。と思えれば頑張れた。

これからお前の担当だからな、よろしく!や来週からはもっと頑張らないと駄目だよという言葉が異常に軽いものに聞こえてきて笑えてきた。
俺はもう死ぬんだよって。聞こえないくらいの声で。悲しいことのはずなのに心は乾ききっていた。暑い中身体を動かしていたので当然身体も乾ききっていた。僕は一度もう身体も限界になってきたので事務所に戻ろうとした。


その時だった。何か僕を呼ぶ声がした。
それは最近ここの現場に入ってきた70代のベテラン左官屋さんだった。
見た目はすっかりおじいちゃんだがいわゆるコミュ力が高く1人になりがちな僕に度々声をかけてくれた。最近では行き帰りの通勤でも何度か一緒になって話しかけてくれた。


呼び止められた時には同年齢ほどのおじいちゃんが3人いて座っていた。こっちおいでと呼ばれ、お前さん好きなもん取れい!とクーラーボックスの中にあるブラックコーヒーをいただいた。

その時のブラックコーヒーの味は忘れもしない。いつも僕が飲んでるはずの小さな安いコーヒーなのに心の奥から沁み渡るような泣きそうなほど身体にも沁みた…


確か一級建築士の話や弊社の社長の話などたわいもない話をしながら僕の心も落ち着いてきたところで
「50年もこの仕事に就いてりゃあっという間に君たちは出世していくよ、今のうちだよこうやって新人を良くしてあげられるのは。はは
そのうちわしらをこき使う立場になってもうこうやって君も寄ってくれなくなるかもしれんからのう、はは」

この時の僕ももう出世どころか来週からもういないんですよと心で言いながら、もう1つの声が聞こえた気がした。

3人のおじいちゃんは優しかったのと同時に本当に職人ということに誇りを持っていて頼もしさを感じた。そんな人達の生き様…いや言葉では表せないが何か死ぬのが馬鹿らしくなってきたのだ…

もう1つの声は確かこう囁いた気がした。

「俺はまだ生きているじゃないか」

俺は目覚めた。スマホでいえば再起動、真っ暗な部屋にろうそくが1つ灯った。
その瞬間僕が生き返った。来週のことを考えられるようになった。そして死ぬことを考えなくなった。良かった。ほんとに良かった………。





今はその生きている自分がこうしてこのメッセージを書いている。
原因は気を張りすぎたのだ。周りからのプレッシャーに急ぎ過ぎだのかもしれない。常に人と会話し仲良くなるべきだと思ってた。でも僕は僕だ。そんな一瞬では人は変わらない。それが出来る人ならば僕は派手に陰キャやってないよなーと今更ながら思った。まずは出来ることから1つずつゆっくりやっていけばいいじゃないか。

まだ半年ほどこの現場にいられる。半年で大体の人と仲良くなればいいじゃないか。もうすぐ担当になる仕事も増えれば嫌でも人と話さないといけない。その時だけ頑張ればいいじゃないか。
今恵まれた環境にある。勝手に僕のことを律してくれる環境にある。流れに乗れば強くなれる環境にある。だったら僕自身だけは甘えていかないと誰が癒やしてくれるんだ。

このエネルギー切れになると自分の力ではどうにもならないことが分かった。むしろそれでは迷惑をかける。もうちょい楽に生きようと思った。急いで大人になる必要はない。
背伸びこそ最大の危険だ。今の段階で心が壊れてくれて、そして救われて良かった。ほんとは遺書にするつもりだったけどわずかな望みが湧いて良かった。

次そうなったとき、あるいはそうなる前に誰かに相談しようと思う。