自分の半生 ~高校編③

高校3年…あと卒業まで1年を切り人生の踏ん張りどころに立たされました。
まずは余談から…この頃には弟が高1になりスマホが買い与えられたことにより僕は弟のお古であるiPod touchを貰えることになりました。弟はすっかり僕より身長が伸び、服についても弟のお古をもらうことが多くお古自体にはそこまで抵抗はありませんでした。

なのでWi-Fi下限定ではありますがネットが使えるようになりSNSはLINEのみインストールしグループに入れてもらいました。すでに7割はメンバーに入っており今までも僕の知らないところで色々動いていたんだなと今知ったのです。しかし、受験期ということもありそこまで利用はしなかったと思います。

B'z熱はとどまることを知らずウォークマンで時間があればひたすらB'zばかり聴いていました。高2の3月には福井にライブを観に行きましたがその当時高熱を出しておりそれでも行きたかったので行きました。ライブ中はアドレナリンが出て絶好調だったのですが終わると反動がものすごくそこからの記憶がないくらいです。そしてもう次のB'zの情報を心待ちにしてまだB'zを見届けたいなということが気がかりでした。

9歳上の従姉妹が春先に結婚式を挙げ招待してくれました。結婚はしないと決めた反面、でも愛し愛される関係は作りたいよなーと羨ましく見ていてみんなに囲まれて祝われる式は良いものだなと実感しました。結婚したいとLINEの一言では書きました。愛されたいという意味で。そもそも彼女すらいませんでしたが。
…以上余談でした

第一章 免疫

高3のクラスはほとんど変わらずしかし、1組と2組の分け方が1組は東大京大コース、2組は医学部コースと変化したため、3組でも少し優秀だった医学部志望は2組に唯一3組で奮闘した男が1人1組へ行き、逆に1組2組から京大の一部と阪大志望が3組へ流れてゆき、また医学部志望は1クラスではとどまらなかったので3組にもちらほらいた、いわばサラダボウルみたいなクラスが3組でした。

女子はほぼ変わることなく告白した2人も同じクラスでした。そして高3になると柔道がなくなり課金し初段を手に入れることができました。実は黒帯なんですよ、僕、弱いですけど。
体育委員にふたたびなり(楽だったから)高3は自分でどの競技をやるのか決める自由な方式だったので女子としゃべる機会がほんの少し多くなりました。またLINEで決めることもありサッカーをやるならサッカーのチーム分けもLINEで決めることもありました。

するとあのロンドンの彼女からLINEが来てわたし、××と一緒のチームになりたくない!と来て××は高2から一緒の医学部志望のバスケ部でLINEで色々言い寄られて気持ち悪いと噂になっていた男でした。だがそいつのお陰で今話すことが出来たので僕はかえって感謝していました。あとでそいつとは喧嘩しますが…

僕は女子に触れることは禁忌だと思っていました。僕みたいな汚れた存在が美しき女性に触ること自体が罪だと思ったからです。
高2編でも言ったようにスカートが肩に触れただけであ、俺はこの人に触れられることを許されているんだと謎の安心感を覚えたくらいです。
ロンドンの彼女が移動授業で定規を落としたことに気づき拾って渡そうとしましたが女子グループで談話していてなかなか近づけずにいました。
そう、女子単体ならようやく近づけるレベルになったんですがグループとなるとまだ冷や汗がだらだら流れて勇気が出ずにいました。
なので僕はしばらくロンドンの子の定規を持ちながらただひたすら女子達を眺めてる端から見れば気持ち悪い光景になってました。そして後ろにいても気付かれなかったので肩をたたこうとしたのですが、触れることがやはり当時は出来なかったのでなんと僕は定規で彼女の肩を叩いてしまいました。
棒を肩に叩くなんて座禅以外にもあったんですね。

…というようにほんとに必要な状況ですら触れることが出来ませんでした。
しかし、デコの子が絵を教えて欲しいという機会があり、ここをこうして…こう…うーん…と口で教えても上手く直らずもどかしい時がありました。すると僕は咄嗟に彼女の手にシャーペンを持っていたのです。これには僕自身も驚きました。「指と指が触れ合うだけでビリビリ痺れてる(B'z だれにも言えねぇ)」あっ!てなりお互い顔を赤らめこれが5年前の小学校で初恋の人とハイタッチして以来の触れ合いでした。

その後は運動会と卒業式の2回、クラスの女の子と握手を交わしただけで特別恋愛の気分はなく、これ以降は少し触れ合うということに慣れてきました。

第二章 有終の美

陸上は高3から二個下である高1が増えました。高1の人達は黄金の世代と呼んでもいいくらい速い人が多く400mなら僕より3人速い人がいて全体で5番手でスピードだけならマイルメンバーからこぼれるくらいの粒物揃いでした。

4月から試合があり、姫路にて200と400を走り200は追い風5mと参考記録だが23秒1、400mは52秒でした。また400はあと1秒は速くなれると確信できるくらい余裕がありました。
しかし、それでも5番手ではありましたので来月にあるマイルメンバーの4人に選ばれるか不安でした。すると集合の時顧問が4人の男の名前を挙げ、これでマイルやっていく!そう言った名前の中にしっかり僕が入っていたのです。
しかし、僕はそれはベストメンバーじゃない…そう思ったので個別で顧問に聞きに行きました。
すると、まあ、高1の速いやつは今度の試合個人種目の100mに力入れて欲しいからお前を入れた、あと俺はお前の頑張ってる姿を見て、お前を決めた…期待してるぞっ!僕はもとより頼られるという経験がなく、その言葉がとても嬉しかったことを覚えています。
ゴールデンウィークを挟み、中間テストは控えていましたが個人での試合はラストなのでマイルとともに400もちろん出ることにしました。

もちろんゴールデンウィークも練習に励み0.01秒でも速く結果を出そうと人生で一番気合いが入っていました。
ゴールデンウィークが終わりあと試合まで1週間になりました。いつも通り練習しているとあまり顔を出さない一応顧問である女の先生と男の先生がいました。何かあったのか…?そう思ったら全員を招集させ、えーっとゴールデンウィーク中の練習の帰りに1人携帯を所持している人を見つけました。こうした不祥事は1人だけじゃなく、連帯責任になることを覚えといて下さい。今日から1週間部活は禁止で代わりに草抜きをやってもらいます。みんな休まないように毎日来てやってください

…一瞬え?ってなった後爆発するかのように怒りがこみ上げ思わず舌打ちが出ました。そしてえ、今週試合があるのですが僕たちは練習してもいいですか?と聞いたら、さっき連帯責任って言ったでしょ、とそれ一辺倒で何も聞き入れることがなかったのです。当然見張られているので逃げ出すこともできず、さすがに女子とか周りの部活野いる前でキレることをためらいましたが部室に戻った後溜まっていた怒りが爆発し、いつの間にかあった物を色々投げたり蹴ったりしていました。

僕はその持ってきた人にキレたというより、なぜか連帯責任であること、そしてよりによってこの試合のあるタイミング、そして僕の最後の、半年間色々反対があって、覚悟を決めて挑もうとしたこの試合が直前で草抜きになったことに今まで何のために頑張ってきたのだろうという悔しさや虚しさや怒りや悲しさがこみ上げてきました。

結局それからは本当に落ち葉、枝拾いと草抜きを数日やっていました。僕はそれもやりつつ草抜きが始まる前よりも早く部活に参加し少しだけ本気で走ったりして最高学年でもあるのでちゃんと参加して文句言わず枝など拾っていました。心の中ではひたすら無情感だけが埋め尽くされていました。

そんなこんなで本番になり、やはりアップをきていて走りこみが足りない、体力がないなとは思っていました。しかし、僕の400はこれがラストだったので最初から飛ばし思いっきり走りました。すると、51秒7、自己ベストを出せたのです。嬉しかった半面もう少し出せたなと思うくらい心はやるせない気持ちでした。予選はギリギリで落ち、代わりに後輩が出ていました。これに関しては2本走る体力は当時もなかったのでそこまで悔しくありませんでした。

そしてマイルでは予選、決勝でなんと地区で3位の大健闘を果たし、5年間で初めての表彰状を後日もらえたのです。これは白陵の当時の高校記録を樹立しそれの一員になれたことが何より嬉しかったです。高1の学年は親も熱心で見てくださり、おおーお前の走り良かったぞ~と褒めていただきすごい嬉しかったです。

5月中旬の中間テストが終わりマイルに関してはまだ5月末もあり、県大会なので次の近畿に進めなかったら実質これが引退試合となるものでした。メンツは前と同じで僕はエースをつなぐ3走でした。
場所はユニバー競技場といい、いつも4時30に起きないと間に合わない加古川競技場とは違い、自転車で上り下りは非常に激しいですが30分で行ける近い場所でした。

前日親に明日はユニバーで夕方から試合があるわと言った後、当日自転車で向かいました。競技場はとても広く、後輩はすでに緊張していました。

僕も昔は上がり症で陸上もそうだし人前で発表する時はものすごく緊張するタイプでした、しかし、400が快感に変わった高2からは緊張どころか走りたくてうずうずするようになり、今回も例外ではなく後輩2人を鼓舞させるくらいには余裕がありました。

3走は4人の中で一番距離が短く、いわゆる遅い人が走るのが相場でした。なので3走の周りを見て、俺はいける、ここまで頑張ってきたんだ、やれる、と気持ちを上げ本番に挑みました。後輩の2人が調子よく走りバトンを受け取りこれでもかと言うくらいいきなりギアを上げ、まずは1人抜かしました。本来ならバテるのですが、あれ?まだ俺は余裕がある、あれ?前のやつバテてるぞ…?いける!そう思った僕はもう一段階脚を強く蹴り込み最終的に2人抜いてアンカーに渡しました。結果は予選突破し翌日に控える準決勝に進出できました。この時は4人抱き合うように喜びました。

高揚感が走った後も戻らず、帰ろうかなと思った時に母親と弟がなんとそこにいたのです。試合見たわ、そう一言いって思ったより速いやん…じゃあもう夜やし早く帰っておいでやと優しさのある言葉をかけてくれました。初めて母親が観に来てくれ、そして僕の陸上を初めて受け入れてくれた、そんな瞬間でした。まだ試合があったのですがこの場面だけでもあー続けて最後までやって本当に良かった…と心から思えました。

翌日の準決勝はなんと先に辞めた陸上部同期を含めたほぼ全員の同期が応援にかけつけてくれました。さすがに準決勝のメンツは3走でも速く抜かすことは出来ませんでしたが食らいつくことはできました。タイムは予選より上がったものの惜しくも決勝には足りずここで5月末で引退となりました。
結局50秒を切るという目標には及びませんでしたが今自分のできることをやれたので草抜きのことを少し忘れられるくらいには満足しましたし後悔はありませんでした。

第三章 天の邪鬼

引退からは本格的に受験勉強に取りかかり9時あたりまで学校に残るか10時あたりまで塾に残るかそんな二択でどちらも帰る時間は遅かったものの、部活を辞めてからは肉体的にも精神的にもツラくなくなりました。だったら最初から部活病めとけよという話にはなるかもしれませんがこの時には既に大半の授業が終わり、勉強がセンターや二次対策へシフトしていました。新しいことを勉強する訳ではなかったので授業に余裕も生まれ、また出来ていくごとに少し満足を覚える自分もいました。それでも工繊は相変わらずDかE判定が続きました。

また、iPod touchでHなものを観ればかなり気持ちも楽になり親や弟が寝ている間物音は立てられませんが堂々と使うことができました。
満足度の高い自慰って大事ですね。電子辞書に載ってあった筋肉標本に水着着けた女性で快感を得ていた高2の時とは違います。裸体ってだけで、それだけでも全然違います。

そして部活を辞めた後快感を求める先が筋トレにシフトしてゆき、今までは毎日してしまうってレベルでしたが泳ぐのをやめたマグロは死んでしまうように数時間に一度筋トレをしないと頭の中が筋トレで埋め尽くされてしまい、授業中や休み時間にトイレに駆け込み大便器で腹筋、扉を用いて懸垂、そして洗面所で腕立てをし、しっかり手を洗うということを1日数回していました。そして暇があれば屋外や塾でも同じことをして塾の場合、4階にある自習室の奥にジャンカラ専用エレベーター(止まらない)の前で腕立てを行っていました。しかし、ごくまれに僕と同じような逃避をする陰キャに遭遇することがあり内心ものすごく焦りながらその時は何もなかったのように振る舞いました。

東進はパソコンを使う3階と自習室としての4階があり3階では自習が禁止でした。しかし、僕は3階で自習をするようにしました。何かを禁じられるとむしろやりたくなる僕のあまのじゃくな性格を用いて勉強をやってはいけない環境をあえて作り出しバレずにやっていくのが快感でした。また、ノートにエロい絵を描いてゆきそれを周りに見渡すスタッフにバレないようにしながら描く時の快感もたまったもんじゃありませんでした。

平日は制服の人が多いのですが土日は私服の人も多く「私服の女子高生」というタグだけでも立派に興奮しました。また、夏には汗をかきながら前の席で自習してる人がいてその汗粒だけで興奮が止まらなくなり耐えきれずトイレに逃げたこともあります。それくらい性欲も尋常じゃないほど膨れ上がり、その度に筋トレをしながらリセットしつつ勉強に取り組んでいました。
夏休みは塾まで6kmの道のりを毎日自転車でこぎ毎日ランニングをしていました。理由は9月に運動会がありまだ活躍をしたいとそう思ったからです。
なので9月になってからは部活にも参加し、後輩のデコにも参加し最終的には個人で200m3位、スウェーデンリレーも2位でしたがどちらも僕より速い陸上部だったのでやりきったという感情の方が大きく、また自分達の団がデコ優勝、総合優勝しかなり盛り上がった運動会になりました。

第四章 弊害

僕は相手にあたるくせに自分が弄られるとすぐにへこむ、そう言った人が嫌いでこういう人を「メンタルの攻撃力が高く、防御力が低い人」と呼んでいました。これは自分の防御力が低いがゆえに相手に威張るかのように攻撃することで自分を保っているのかと思うのですが、それの攻撃を受けている当事者は迷惑千万でありました。

僕みたいに受験へのストレスの影響かそういった人々が近づくにつれ増えたかのように思います。
東進にも1人そういう人がいて僕より全然成績が高い人なのですがそんな僕相手に全然物理取れんかった10点も落としてもうた…と「いや、全然わるくないやん」待ちを期待した言葉をかけられそのまま僕は彼の欲しがっていた返答をし、関係を悪化させないで進めました。
僕にはこのようにあまり弄らない人ではありましたが、もっと立場が弱い人にはよく悪いニュアンスを含んだいじりや他人の悪口を言ったりして、周りからの評判はそこまで良くありませんでした。
しかも、また1人そうやって彼に合わせないといけないのがめんどくさいと裏で言うやつもいたせいで塾の関係性も少しギクシャクし、極力自分は中立には立っていましたが自分もめんどくさいところに巻き込まれてしまいました。
僕は元々グループ自体あまり作らなかったので昔からどういう場所であれ中立あるいは孤立して余分な人間関係のもつれを無くしていました。

しかし、直接僕が嫌われた場合は話は別です。ロンドンの子が言い寄られていたというそのバスケ部の男です。そいつもまた攻撃力が強く防御が弱い人でその上ネチネチした性格でした。
野菜ジュースを飲みながらこれ無添加やねん、とニキビで荒れた顔でニタニタ笑いながら言い寄るような掴めないやつでもあり、あまり関わりたくなかったのでスルーしたりしていました。

事件は僕的には突然起こった…というべきだが、後々考えると心当たりはありました。
僕はにわかが嫌いでにわか自体は否定してませんでしたが知ったかぶりで語ったり最近好きになったくせに好きアピールされるのが嫌でした。僕は乃木坂が好きでまあ、僕はザ・にわかでしたが後輩からアルバムを借り、一部店でシングルを借りてたくらいは聞き込んでいましたし、別に好きをみんなに語るほどのオタクでもなかったのでその事は人には話していませんでした。

そんな中バスケ部の彼が色々好きなことをアピールしておりシングルの発売日が今週や!と盛り上がっていましたが、そいつはCDを1つも持っておらず僕がにわかは黙っとれ(笑)と一発言うと周りがウケたことがありました。それきっかけかは分かりません(他にいっぱいあるかも)が僕に対して何らかの恨みを持たれていたのかもしれません。

ある日の放課後、最後に告白したデコの彼女が突然僕のところに怒りながら近づいて、ほんまサイテー!!と言い放ちました。僕は何のことかすらも知らなかったので!え?なんのこと?って聞くとしらを切らないで!私の秘密をばらしたでしょ!!と言ってきたがその秘密も全く分からなかったので…うーん、その秘密俺も何のことかさっぱりだわ…と言うたらようやく相手も我に返り、え?それやったらいいわ。それ誰が俺が漏らしたって言うてたん?と聞くとその子はバスケ部の彼と一言いい、まんまとハメられたなと思ったのと同時に怒りが沸いてきました。
それは明らかに僕がやったことではなく濡れ衣を着せられてしまったのです。僕はすぐ彼を探し昇降口で彼を見かけ「おい!待て!なんで嘘を吹きこんだ!?」と少し声色強く問いてみたが彼はいや、何のこと?と笑いながら、おい、俺を疑ってんのかと聞いて来られたのでいや、もういいよ…と帰ろうとしたその時いきなり胸ぐらをつかまれ…俺たち仲ええやん、友達やろ?と言動と行動が全然合っていなかったのですが僕は全くそうは思っていなかったので、いや、友達じゃないし…と言うと突然しょんぼりし、え、今のこれがいけなかった?と聞いてきたので思っくそ睨みを効かせていや、今までで一度も友達やと思ったことない…というとまた急に胸ぐらをつかまれ一発殴られ、絶交だと吐き捨てられ、あーいいよ とお互いもやもやなのかスッキリなのか分からない感情のままそれっきり彼と会うことも彼の話をすることも無くなりました。

そんな感じで受験は人を狂わせるので怖いなーと思いながら冬が近づいてきました。
冬になる前に親戚一同が集まる機会があり、親戚は京都出身が多いため工繊を知っており、おー賢いとこ行くやん、頑張れよと応援されこれはもう二度と戻れないなと工繊で頑張る覚悟を決めました、またどういう風の吹き回しか受かったらおばあちゃんから許可もらったしおばあちゃんの家になら住んでいいよとついに僕の計画が思い通りになっていったのです。

第五章 ザ・マイスター

この頃はなぜか好きな人が高1に告った吹奏楽の人になっており、その人は5組でそれもあり5組へ覗くことも多かったです。しかし、付き合いたいとは思っておらずただただ目の保養として見ていました。女優やアイドルも同じような顔の系統の人を見ながら癒されていました。

僕は初めての精通を熟女でしたように熟女、とちうより色気のある女性がタイプで高1の時に麻生久美子さんを初めて見てそこから30代40代に魅力を感じ始めました。
高2からは古文の先生が熟女な上にそして高3から気付いたのですがB'zを好きだということも授業で知りました。そこからB'zの話などもするようになり同年代と話すよりも幸せを感じました。またそのおかげか古文の成績も良くなっていき、評論と古文だけならかなり強くなっていました。

受験直前ではその古文の先生が学年全員にこの曲を聴け!と歌詞カードをみんなに渡していてCDもかけていました。それは聞き覚えのあるB'zの「ザ・マイスター」でした。僕はまずB'zになるとテンションが意味分からないほど高くなります。学年集会だというのに僕は立ち上がり熱唱し始めたのです。これを覚えている高校同期はいるんだろうか、まあ覚えてないか。僕もテンション上がり過ぎてそれからはあまり覚えてないですね。

英語の先生もB'zが好きな人はいましたが男性だったためか(?)成績は全然上がりませんでした。

やはり最後まで足を引っ張っていたのは英語、化学、物理で特に物理は直前だというのにまだ4割しか取れていませんでした。

しかし、直前に関しては自分の特徴を生かしたイラストを描きながら、例えば地理では世界地図を描きながら、化学なら綺麗に化学式を書きながらひたすら「楽しみながら書く」を繰り返してゆき化学に関してはいきなり20点上がり英語も発音とアクセントの暗記をし、解く順番を変えただけで6割は平均で(1回1月に4割出したけど)取れるようになりました。しかし工繊は全体で75%は最低必要で僕の場合は自己ベストですら7割、直前でも平均は65%でD判定、良くてCで正直受けるかどうかもかなり両親的には悩んだらしいが僕は第2志望は形としてはあったが気持ちはなかったので受けるつもりでした。

また、僕はいけるやろと思ってました。理由は2つありまずは陸上で本番強さを身に付け、自分は出来るやつやという自己暗示を一時的にならかけられるようになりました。もう一つはセンター試験の受験番号の下3ケタがB'z稲葉さんの178だったからです。そしてアルファベットもB'zのBであり完全にB'zの加護がお守り以上にあったからです。

そしてなんとセンター試験あたりに稲葉さんのソロシングルでありコナンのオープニングでもあった羽をリリースし、なんと陸上部の友達が試験本番の日に曲を入れてくれてそこで初めて聴いてものすごい感動をした覚えがあります。そこで僕はすでに確信しました。いける、と

昼ごはんは食べると眠たくなるのでスルメと口直しのガムで満腹中枢だけ高め2日間を乗り切りました。
結果は得意だったはずのIAが8割を切ったもののIIBが9割を越える大幅自己ベスト、国語や英語は合格水準の75%まで上がっており、地理やリスニングは7割程度でした。なんと化学も今まで6割~7割だったのが80点になっており、5割くらいしか取れてなかった物理が66点とそこまで足を引っ張らないレベルにまで上がり、全体では何と50点以上の自己ベスト、そしてぴったり75%になったのです。

これには誰もが驚き、夢だった工繊もB~C判定となりやっと合格が見えてきたのです。

第七章 美術に終わりなんてない

僕は自己流で絵を勉強してきたもののさすがに不安になり、美術の先生に教えていただくことにしました。今まで受けなかった理由はセンター前から受けると美術の先生からの期待の圧が増えてしまいますし、センターがコケた時は工繊を受けても落ちる確率が高かったからです。

ようやくスタートラインに立てた私は美術室へ行き教えを乞うようにしましたが、いきなりお前美術舐めとるやろと怒られました。
それはそうで僕は元々美術の成績自体も良くなかったですし、高1の副教科選択では美術でなく音楽を取ったので美術は3年ぶりだったのです。

理由は2つあり、費用がかかるのとこの先生が曲者だったからです。美術を愛してるからゆえ美術へのこだわりが強くそれを興味ない生徒にまで押しつけていたり、強い価値観を持っていたので先生の間からもハブられかなり孤高な方でした。

なのでいきなり試験のためだけに美術を習おうとするやつなんて舐めてると言われても致し方なかったのです。

お前美術選択じゃなかったよな??取る人も少ない分覚えられていたのです。
付け焼き刃では美術は出来んぞ、考えが甘いねん、それやったらもっと早よ来い、たった1ヶ月では成長出来んぞ…と半ば圧迫面接のそれでしたが交渉に交渉を重ね、じゃー教えてやる、来週までにドイツのステッドラーって会社の鉛筆が文房具店には売ってあるはずだ。それを4Hから6Bまで買って来い、2B~4Bは二本買え、あと練り消しとカッターナイフも用意しろ、まずは削り方を教えてやる、話はそこからだ。と何とかこぎつけたのです。

工繊の図画の試験は主に鉛筆画でしたがそう言えばシャーペンでしか描いてなかったなと今更知りました。鉛筆は何と1本140円もしましたが15本ほどしっかり揃え美術室に行きました。

鉛筆は削り機で削るもんじゃない、最初の芯を出すために使うのはええが…削る機械では木の部分だけじゃなく芯も削れてしまう…これが折れる原因なんだだからカッターで木の部分だけ削る、そしたら力が木に余計な力が入らなくなり芯だけで頼りないかもしれんがこれでやってみろ…折れないはずだ。ほんとに芯だけ2cm露出した長乳首のような(例え悪すぎ)今にも折れそうな鉛筆はいくら力をかけても折れることはありませんでした。

そうだろう?まずはそのカッターの使い方から練習だ…15本あるな…まず時間になるまで全部削るんだぞ…僕は教えられたように削っていきましたが不器用だったので不格好な鉛筆がいくつも出来ました。
今日はこれで終わり、練り消しゴムは柔らかくしてこい、これから美術部の活動している週2でやる。と言われ、描くことなく終わりました。

2回目、ようやく描くことができよくある白い立方体を陰影を使い分け描くことでした。
鉛筆は普段の持ち方と違い親指以外の4本の指を手のひらを上にしてまっすぐ伸ばし水平にそこに鉛筆を置き親指で抑えて描くと手の腹に鉛筆跡が残らない、と言われまた、まずは4Bから縦横左斜め右斜めのまっすぐな線を立方体の中に描き、それを練り消しでぼやかしそしてまた濃さを変えながら重ねていく地道な作業でした。お前、見えてるとこだけ描けばいいんじゃないんやぞ…立方体のその奥行きまで目を凝らして…と色々アドバイスを貰いました。
周りは中学生の女の子が数人、おそらく美術部の子でしょう。真面目に取り組んでいるというよりも美術道具で遊んでそれを先生が見届けているという印象でした。先生も手を焼きながらも笑顔でこういうお父さん的な面を初めて見ました。

2時間かけようやくでき先生に出来ましたと報告した所、目がキッ…となり、いいか、美術に終わりなんてないんや、突き詰めようと思えばどこまでもいける…まだまだ足りてないな…次回は立方体の続きや…あと終わりなんて言葉二度と使うなよ、どこで自分が、俺が納得するかどうかなんや…分かったな… その先生の真剣な顔と言葉に頷くしかありませんでした。

それからあと2回は立方体を描き続け、のべ6時間ほど経ったところで先生が見回りにきて、よしっ…ようやくそれっぽくなったな、お前思ったより腕がいいな、と褒めてくれました。

そのあとはもう少し複雑な図形を写生したり、家にあるりんごや皿などを描いたり過去問に取りかかったり、B'zの稲葉さんや祖父母の顔を描いたりなどの自主練もしました。そうして重ねていくうちに絵も上達し、また先生との関係も少し深くなってゆきました。

元来僕はあまり関係が構築されていない人としゃべるのが苦手で目を合わせることが出来ませんでした。その上女性だと目を反らしたらおっぱいがあるのでそこをずっと見る訳にもいかず靴先まで目をやるか顔の左右どちらかの何か一点を見つめながら話していました。また、手や身体も緊張するとくねくね動いてしまうのでいつも手は何かを作業しながら(大学だとレシートを折ったり自転車だとサドルに手をこすりながらなど未だ治っていない)していて、今回もずっと練り消しを動かしながら話していました。そしてそれは先生も例外ではなく同じように2人練り消しを練り練りしており謎の親近感が湧いていました。

ここの学校のやつは勉強は努力すれば伸びるとかほざく奴多いけど勉強こそ才能だと思うんだけどな…美術も才能だけどね…先生らもそれを言っちゃうと鵜呑みにして勉強しないバカが出てくるからダメだと分かってるのやろけどな…そういう努力は伸びるという嘘は俺はつきたくないんだよ…
といった愚痴から
お前、彼女おるか?…そうか、理想の高いやつがいたりするじゃん?でもよくよく考えてお前はその女につりあう人間なのかって…付き合っていくうちに身の程ってやつが段々分かってくるんだよ…女房がいるが正直美人ではない…だが俺もそれを言えるような男じゃない、カッコ良くない…でも嫁は俺を選んでくれたんだ…だから今も一緒にいる。
その話をするまで指まで見ていなかったが結婚指輪を付けており、そうか結婚してたのかと思いました。
そして、ええか、可愛いってだけで選んだらあかん、可愛いやつは自分のことしか考えていない、それより自分を好きになってくれるやつを見つけろ、そうしたら上手くいくし好きだと思う人を可愛いと思い始める…男は選ぶ立場ではない、選ばれる立場だということを肝に銘じとけよ…!
とかなり当時にしてはディープな恋愛アドバイスをいただくこともありました。その言葉は大学になって真意を理解できました。

2月は私立の試験をいくつかしましたが行く予定はなくあくまで前期試験で試験の要領を知るための練習だったのでそこまで本気ではなく、練り消しでペニスを作りそれを見回りの女性スタッフに見せるセクハラまがいのことをしたり、やる気ない反面、うまいこと緊張というものはなくなったかのように思えます。結果は2つ中1つが受かりペニスを作った方は2点ほど足りず落ちました。縁起が悪いので本番では作らないでおこうと思いました(笑)

第八章 5%

工繊の過去問もいくらか解き、本番………の前に卒業式がありました。毎年建国記念日の祝日でやっており高3の卒業式ですが、中1~高2まで集まり、俺らのことをあまり知らない中学生はかわいそうだなと思ったし、中学生の頃なんで行かなあかんねんと思いました。

卒業式では高1で告った吹奏楽の子とは2ショットを撮りたいと思ってました。事前に塾の女の子と相談し、2ショット行けそう?って聞くとう~~ん半々じゃない??と言われ、あの子ガード固いからなーと言われました。でも僕は行くと決めたので僕がいつもその女の子より先に学校に着くので、女の子が着く→カメラを持ってる陸上部の友達に知らせる→コモンスペースで撮るというシナリオができていました。

しかし、思わぬ事態が沢山あり1つはこの朝の時間にアルバムの後ろにある寄せ書をみな書いており、特にその陸上部の彼は顔も良くものすごくモテており、そこを歩けば女の子にメッセージ書いてと言われて手が離せない状況にありました。なので彼はカメラだけ僕に渡し、これで誰かに頼んで撮ってくれと言われました。
僕も書いてって言われたいなーと思ったら1人女の子がやってきてえぇっ!?もしや…と思ったらあの…これ…陸上部の彼にアルバム渡すように言ってくれませんか…?と完全にパシられてしまい、うんもーーーうヤツめ!(うらやましい)と僕からのラブコールは0でした。

そんなこんなで彼女がやってきて今すぐ行くぞ!と心に決め、最後に2ショットだけお願いしてもいいですか?と聞くと、うん、いいよと小さい声で首を縦に振り承諾してくれました。そしてその隣の女の子にちょっとだけでいいからカメラで撮ってくれないかな…と聞くと、ちょっと今文章書いてるんで無理です…とものすごく素っ気なく断られ、ちょっと…ごめん、ちょーーっと待っててくれるかなと言ってそのモテモテの陸上部の彼を何とか引っ張り出しコモンスペースで撮ろうとしましたが同じ魂胆の人達で埋まっており仕方ないので階段の踊り場で撮ることにしました。

彼は表情が少なくカメラマン向きでは無かったのではいチーズと棒読みで撮っていました。なのでいやーもうちょっと、その盛り上がろうぜ、もう一回!と言いもう一度撮らせて、もうええか?と聞かれたがいや、まだいける!と言った時に彼女が初めてうふふと笑ってくれたのです。「笑ってくれれば僕の世界は救われる」この時にあー今まで頑張ってきて良かったなと思いながら最後のシャッターをきられました。
最後に僕のこと覚えてくれてた?と聞いたら、うん覚えてるよ、と言い、また写真あげるねと僕は言い去って行きました。今思えば後日写真はあげたのですが別に好きでもない人の写真っていらんよなーきっと捨てられてるよな…と思いながら今現在は何をしているのか東大という情報でストップしており何をしているのかも分からないくらい離れてゆきました。

B'zの女の子とデコの子、そして陸上部の女の子からはメッセージをもらいました。そしてデコの子には文でもう一度軽いラブアピールをしました。

最後、卒業式では発表の時間があり高2の闇期に書いていたオリジナルの名言集の存在を告白し、その中で自分の気にいってた学んだ知識が直接活かされることなんて覚えた知識量のほんの5%と言ったところだろう。と黒板に大きな円で全知識量その中に小さな円で人生で役に立つ知識を表現しました。
そして何で勉強するのか?それはと言い、ものすごい大きな二重丸を書き、この役に立つ5%の円を大きくするためです。だからこれから使わない知識もあるかもしれません。でもそれがいつ役に立つのかも分かりません。だからこれからも勉強に励み続けます!という真面目な締め方で終わらせました。
3組だからか、泣いている人はあまりおらず情に熱い唇の分厚い男が1人発表の時にボロボロ泣いていました。

また、全員の発表が終わり担任から1人一言ずつメッセージを言うてたのですが僕には、お前とは最初から最後まで価値観が合わなかったな、でも絵の才能はあるし、そのままのお前で大学に行っても活躍しろ!とやっぱ合わなかったのはお互いだったんだなーと思いました。合った部分と言えば先生も無類の筋トレ好きなので罰が大概筋トレだったので寝た振りや点数の悪いフリをしてスクワットや腕立てを授業中に罰ではなく褒美として時間を設けてくれたことくらいでしょうか(笑)

ロンドンの子は実は途中からハンガリーの大学に行くと宣言した後に1月の段階で既にフライングで卒業しいなくなっていました。悲しかったのと同時にこれからはもうあの告白した黒歴史ハンガリーに埋めてしまおう…相当恥ずかしかったしな…お互い忘れてハンガリーで頑張ってくれと彼女のハンガリーへの幸せを祈っていました。(しかし、2年後この伏線が回収されるなんて誰も知る由もありませんでした…)

第九章 檻の中の虎ジャングルを知らず、されど空の蒼さを知る

卒業の後もまだ試験はあるので私服での学校への登校となり、女子の私服を見て至福の悦びを味わっていました。
そんなこんなで二次試験が近づき僕は学校が近いということで祖母の家に連泊し、直前は漫画を読んだり自分で漫画を描いたりある程度リラックスできました。
初日、英語と数学で英語は過去問と同じくらいの何ともいえない出来で少し不安だったのでお昼休憩は工繊周り一周ジョグをし数学に関しては少し手応えがありました。帰りは道も分からないところを歩いて帰り、そこで初めて京都府立大学って大学があるんだと初めて認識しました。(これも後々かなりお世話になるわけですが)

2日目は図画で150分(もあるなのか、しかないなのかは自分次第)あるテストでめくったら「機械と草花を構築してください」のみで、えっ?となりましたが僕が思い付いたのは機械で草花を伐採し駆逐させることでした。おおよそが出来たなと実感しましたが、テスト終了後前の人の絵を観ると、写真!?みたいな絵でインテリアの中に洗濯機と観葉植物が置いてありました。

僕はそこでしまっっっった!!俺が受けてるのってデザイン建築やん…なんで建築の発想は無かったんだ…やらかした…落ちたわ…と帰りの電車でかなり落ち込んでいました。

美術の先生にも報告をしましたが、それは問いの真意を理解していないな、近年建築でもそうだが環境との共生が求められている、少なくとも機械と草花がお互い必要とされているようなことが分かるような絵を描かないといけないなーと言われ、さらに落ち込みました。理系の高校生や先生は同じ質問をすると案外同じ答えが返ってきて自然でできた草花と機械で模した草花2つを描くというものでそれの方が幾分か構築できてるよなーと思い、この時には親にはごめん、落ちたかもと完全に自信を無くしていました。

そう言うと父親が動き出し、工繊みたいなところが千葉大学にある、後期に検討してみないかと打診されました。しかし、後期ということもあり難しさは工繊より増して正直受かる気がしなかったですしやる気もありませんでした。受からなかったらもうやることやったし死ぬ計画を立てていこうかと思っていました。

というわけで全く勉強せずにとうとう合格発表の日がやってきました、受験番号を知ってた父親から電話があり、お前受かったぞ!と言われましたがにわかには信じられなかったので改めて自分で見るとちゃんと受かっていたのです。
5度見しても同じ結果だったのですぐさま塾や担任の先生などにも報告し、担任の先生はお前のレベルでも受かるってのが分かったし今後工繊を受ける奴がいたときの参考になると言われました。また美術の先生にももちろんお礼を言い、良いか、これからがスタートやぞ、俺が教えたことを忘れず頑張るんだぞと後押ししてくれました。

母親にもおめでとうと言われ嬉しかったですが、手のひらを返すように国公立に行かせた母親という称号を手に入れたからかバイト先や親戚などに自慢していました。ブランドをもって強くなった勘違いした人みたいに人って怖いなーと思ったし恥ずかしいなと思いましたがとりあえずすごい安心した顔をしていたので受かって良かったと思いました。
周りは当然のことながら受かったり落ちたりしどちらにせよ離れ離れになることは確実でした。

最後、春休みに陸上に行き顧問や生徒に会いに行きました。すると顧問からおめでとう、お前はできると思ってた…陸上も頑張ってたもんなーと言い一年前の先輩と同じことを仰っていました。

とうとう大学で希望を見させてくれる、僕はそう信じていました。そしてそこにもしかして生きるきっかけの何かを見つけられるかもしれないとも思いました。と同時に見つけられなかったらあと4年もないし、実質ラストチャンスだとも思いました。

6年間振り返ってみると小学校の時よりものすごく長く感じるほど苦痛の連続でしたがよく耐え抜いたなーと自分自身で誉めてやりたいです。また、良い友達に恵まれたなと思っています。これから番外編で少しだけ書きます。
今現在ではこの6年が無かったらもっと舐めてた人生を送っていただろうなと思うとこの闇は必要だったんだなと思えます。そしてこの闇があったからこそ見えた光もありました。そういった大学の話もこれから大学編でもしようかなと思います。