自分の半生 ~大学編③-1

大学3回は基本的に一番陸上に力を注いでいたのもあり陸上関係を語ることが多いです。また前編と後編に分けて前編は合同合宿を中心とした紆余曲折した陸上の話がメインですね、陸上についてあまり知らない人でもちゃんと読める構成にはなってるかと思います。後編はどちらかというと恋愛や就活、そして人生の話とかも入ってきますかね。

第一章 裏事情

陸上部の主将になってから夏の合同合宿をしたいという目標を掲げていましたが、この頃になると本当に合同でしてもいいのかという不安もありました。
2回生の時にも述べましたが全体の意識がまだ途上状態であり合宿となると他の大学と雰囲気をある程度は合わせないといけないのでこのまま意識の低い部活がお世話になるのは迷惑をかけることにつながるのでいけないなというのはありました。

また少なからず前と同じ長野でやってもいいのではという意見もありました。確かにメリットもいくつかあり、やはりずっとお世話になってきているところなので要領を掴んでいる点は大きいです。
その分合同合宿はバス、他大学との交渉、宿泊先等1から始めないといけません。また、マネージャーがいないという点も負担は大きいですが選手達が助け合いながら頑張れば何とかやっていける人数でもありました。

そして、やはり合宿は内輪でやるものでは?という意見もありました。夏の合同合宿は和歌山でやるのですがその競技場は宿泊部分もセットとしてあるので練習終わったゆったりする所でも他大学が一緒なわけです。外部と一緒にやると外部と仲良くなることが中心になるので元々合宿で部内の絆を深める目的もあったのでその部分が失われるのではという不安でした。

そして場所が今まで長野という避暑地であったが合同合宿は和歌山とかなり暑い場所で環境面でも長野の方が快適ということもありました。

まあ、色々メリットデメリットはあるわけですが何かを変えるということはそういった部分を切り捨てていかないといけないわけです。
僕はやはり合宿といえばハードなメニューをこなすために来ている訳です。僕の400パートは元々多くいたので問題ないですが女子、砲丸、長距離は少なく競う者がいないという点が一番の心残りだったわけです。それを合同合宿をすることで解決するということで僕は画策していたのです。

そもそも僕は折れるつもりもなかったので大阪府大にはやる方向で連絡し渉外担当として段取りを進めていました。そして宴会担当の同期を合宿担当にし、バスなどの手配などをお願いしました。


僕にとって夏合宿の次に大事なものがありました。新歓で新入生をたくさん集めることです。この時は部活に来る人と言えばM1が1~2人、ごくまれに4回が1人、僕らの3回は6~8人、2回は3~5人でした。
そこまで少なくないとはいえ、やはりパートごとで分けると物足りない人数ではありました。
そして1つ下の長距離の後輩は駅伝することを夢見、渇望していました。6人必要なのに対し、2人しかいなかったのでどうしても新入生を集める必要がありました。

新入生を集めるためにはまず部活全体の意志統一が大事でみんなが本気で勧誘する意識を植え付けさせ楽しい雰囲気を演出できればなと思いました。
そして、内輪のノリや自虐を極力減らし新入生ファースト(聞き手に回る、彼らが一番に楽しめるようにする)にし、またそれぞれ自分の役回りが存在すると思うのでそれに徹するということを自分は心がけるようにしましたが、みんなにはそこまで徹底しておらず、ボロが出ている時もありそれが少し反省点でもありました。
また、せっかくのナンパ術を新歓で活かそうと思ってもいました。

ナンパでまずいきなりセックスさせて下さいなどと言う人はいないのと同じで、いきなり陸上部どうですかというのはまだ信頼関係も構築されておらずよほど相手が陸上したいという場合のみにしか引っかかりません。
なのでまずは大学どう?慣れないでしょ?など相手の気持ちに回って会話させ、ついでに「イェス」を言わせる質問も行うことで徐々に心を開かせ、あったまった所でどういう部活などをしたいか聞いてみる、一通り宣伝してみた後にでも違う部活がやりたいようだったらその部活を少し誉めてリリースする。
これが一番大事で、しつこい男やねちっこい男は嫌われるようになるべく好印象を持たせながら終わらせることで陸上部良い部活だったよという噂を新入生間で広めさせ、僕たちで行き届かなかった新入生にまで陸上を知らせてゆき新入生を増やす作戦でした。

もう一つ大きな作戦があり、ヘアスタイルをモヒカンにしワックスで大きく固めた奇抜なものにしました。これは単純に覚えてもらうためでもあり、チャラい外見を少し演出するためでもありました。そしてワックスをつければ気持ちもピシッとなるので気が引き締まり、作戦とワックスで脳内ギチギチに固めていざ勧誘に挑みました。

…でしたが、結局僕は芋りちらした性格でありますので声かけ数がそもそも少なく情けなくも終わってしまいました。しかし、来てくれた人にはこのような意識を持ちながら会話できたと思います。

新歓について考えるようになったのは府大の新歓に一度お邪魔させてもらったのがきっかけでした。当時は別々でイベントを行っており、府大も新入生として入れるのが大事なので僕も途中参加をさせていただいたのです。
すると割と人数がいて、全体的にガチ勢というよりライト勢が多めでした。
なのに対し陸上のガチ話ばかり身内で盛り上がり新入生を置き去りにしていたのです。これでは良くないと思い、僕は1人だけにターゲットを絞り話を続けました。
なぜ彼だったかというと、府大の陸上部メンツにあーお前来てくれたんや、助かった…1人お前と一緒でアレルギーのやつがおんねん…!といい、僕と似たようなものを感じたからです。

最初はひたすら何がアレルギーなのかの話をしていて、僕は牛乳、卵、そば、落花生、一部の果物と普通に多い部類でした。しかし彼は卵、海鮮類、そば、落花生、そして小麦、さらには大豆も食べられないそうで今まで接してきた中で一番キツいなと思える人でした。
また彼も周りにアレルギーがいた経験がなく、ようやくアレルギーについて話せる人がいて少し安心したような表情を見せていました。それから陸上したいのかを聞き、中学は陸上やってましたが高校は学業優先していたので無所属です。野球も好きなのでやってみたいんですけどケガが嫌で…まあその2つで迷っています。
と言っていたので、陸上なら俺がいるよということだけ伝え、みんなでごはんを食べにいき来ることを祈りつつお別れしました。

僕は想定外が起こった時にちゃんと対処したい人間だったのである程度どういう人間が来るかシミュレーションしながら新歓の流れなど組み立てていました。しかしシミュレーション通りにはいかせてもらえないのが現実でした。

良い意味での想定外もあり、春休みからバイト先に工繊の1つ学年下の同い年である中国人留学生(女性)がやってきました。初めての直属の後輩だったので少し嬉しかったですが、なかなかのわがままなお嬢さんでまた店長にもタメ口だったりレジの間も自由奔放だったり俗に言う問題児でした。ただそれゆえの面白さもあったり、日本語はものすごくペラペラでもちろん僕にも同い年やん?と学年は1つ下でしたがタメ口でキャラも濃かったでいいなと思いました。
活動やサークルはやっておらず少し何か見てみたいというので僕は陸上やってるんやけど新歓だけでも見に行かへん?まずは食事だけやし、そこで入るの確定って訳じゃないから。
そういうと思ったよりも食いつきが良く行かせてと頼まれたので誘うことに決めました。

悪い方…というか、少し精神に負荷がかかった想定外は1つは…こういう言い方でくくるのはあれですが少し厄介な人が入部したいということでした。

きっかけはウェルカムパーティーで当日ウエイトルームにいた投擲の人に電話がきて何か新入生が陸上したいって言うから来てくれ…とのことで会ったのが最初でした。長距離をしたいですという彼に初めはまともな人なのかなと思っていました。行きたいなら○曜日とかは空いてるしまたおいでと言い、行きますと言っていたのでLINEも交換し、その場はお別れしました。しかし、一週間経っても来ておらず…毎回グループLINEや本人にも宣伝しとるんやけどなーと違和感を徐々に感じ始めました。

当時、副将に兵庫出身の彼がなり、新歓のLINEを回したことがきっかけでしょうか、彼のもとにその新入生がLINEをし始めたそうですが、内容がおかしいと僕に連絡をくれました。新入生本人がしばらくLINEを続けていたのですが途中で急にそのお母さんが乱入し、息子がご迷惑をかけていませんか?実は精神的な方に障害がありまして…(略)私もこれからこの子がやっていけるのか心配なのです。と僕が少し持っていた違和感に少し納得がいきました。
しかし、本当にヤバかったのは母親の方でその兵庫出身の彼を無理やりあだ名で呼ぼうとしたり、彼のプライベート情報を色々聞き出そうとしていたのです。さすがに彼もこれはおかしいんじゃないかと気付き僕に連絡をしてきました。

なるほど…これは厄介だな…最悪その子を入れたとして何かあった時は家族に伝えるというのが主な解決方法だろう…しかし、むしろその家族の方が信頼に足らないとなるとむしろ話をややこしくさせる。俺の責任として受け入れることは難しいな…
僕は彼をどのような待遇で接していくか非常に悩んでいました。

そしてもう一つの想定外は女子ラクロス部員の1人に声をかけられ、陸上やりたい人がいるんだって!と言われ嬉しがろうとした気持ちを遮るように、でも相手はフランスの留学生なの、日本語は喋れないらしい、でトレイルランを主にやりたいって言うててこの陸上部ならできるのかなーって。
これには答えかねるものがありました。トレイルランは(…山道などを走って駆け抜ける競技、あまり知られていないが海外では人気で日本にも試合はあるらしい…)その当時は何のことかも分からず、もちろんトレイルランをやっている陸上部は誰もいないし、しかも日本語が通じないやって!?僕は昔から英語が得意ではないので正直誘うかどうかは僕1人では決められませんでした。

幹部に相談すると、一度新歓は来てもらってそっから考えればいいんじゃない?ととりあえず僕が教えて貰ったLINEでフランスの彼女に英文で少し自己紹介した後、英語がそこそこ得意である兵庫出身の彼や、TOEICの点数がめちゃくちゃ高い同期の彼女に新歓などの勧誘を英語でやってくれました。
しかし今後入るとなると…俺は英語でも挨拶せなあかんのか…!?日本語ですらたどたどしいのに??正直やっていけるのか…??中国人にフランス人、いつの間にインターナショナルなカオスな部活になったんだ!?!?新歓に不安しかありませんでした。

とうとう新歓の日、大阪府大がやっていたリレー大会をパクり、工繊と府大が合同になって行いました。合同でやるというのは最初から府大は仲良くしているといったことを利用した(人数のかさましとなって見栄えがいい)僕の企画でもありました。

工繊にはTwitterで陸上やりたいと言っていた女子2人、兵庫県出身であった明るい男子、今日初めてきたおとなしい男子、ちょっといかつめ短距離の男子、そして陸上界隈ではちょっとした有名人であった400専門である男子、そしてバイト先の中国人女子が集まりました。例の少し厄介な人はこの時も来ていませんでした。

あれ、フランスの彼女来てないやん、LINEで確認しても行くという連絡はありましたがいませんでした。LINEのアイコンでしか彼女を見ていないのでこれほんまに本人?美し過ぎんか何かモデルとかの写真を使ってるんちゃう?実はもうその辺にいたりして?
じゃー行きますか~、と部室に行こうとしたその時、自転車ですらっとした外国人が集合場所遠くからやってきました。
声の大きい宴会担当の彼がその彼女の名前を大きく叫ぶと手をふりながらこちらにやってきたのでどうやらLINEのアイコンは本人だったようです。金に近い茶色い髪を後ろで束ね、ブラウンの瞳をした彼女はLINEの画像よりも美しく兵庫出身の同期は明らかに惚れていました。
そして新入生同士、僕はバイト先の中国人女子と、兵庫出身の彼と同期の女の子でフランスの彼女を相手にしていました。集合した時はやはり英語でも挨拶することになり、これが毎回ならしんどいなと正直思いました。

僕はここで今日初めて来ていた男子が少し新入生と話せずにいたので彼と話すことにしました。そういえば2回生の勧誘の時もあんまり話さない人と話した気がします。おそらく僕自身が輪に入れないタイプなのもあるでしょう。
リレー大会は意外にも良い感じになりその後の花見も比較的は上手くいったものの、Twitterから来た女子には正直、バイト先の中国人女子とフランス人女子でいっぱいいっぱいだったのであまり話すことができず惜しいことをしたと思いました。
案の定、2人のうち1人は別のクラブへ行くことになりました。

なので結局女子1人、いかつめ短距離は大学生らしいことをしたいということで抜け、また中国人女子は不定期のマネージャーとして、フランス女子も不定期の参加ということで部費を払わない仮入部という形となりその他はやめることなく入ってくれました。そしてあろうことか府大に関しては僕が誘ったアレルギーの子1人だけだったのです…まあ、ここで言うのはあれですがあの感じだと誰も入ってくれないだろうなとは思っていました。

そして、新歓が終わった後の次の練習でもう一人新入生がやってきました。陸上未経験の女子でふわふわした感じの子でなんでこの子が陸上部!?と思いました。その子は私服しか持っていなかったため夜の部活動をただただ見るだけというものすごく申し訳ない内容だったので終始気遣いながら練習をし、それでも見学をした後入りたいですと言ってくれたので優しい子だなと思いました。

僕は陸上ガチの人も陸上を軽くやりたい勢や初心者の人にも全員が楽しくなるような部活をしたいとずっと思っていたのでまずは今年度唯一の初心者であるその子をいかに満足させられるかが自分にとっての最大の課題としました。
最初はただの後輩の1人だと思って接していました。その女の子が現在の彼女となることも知らずに………

第二章 動機

やはり400mものすごい速い人が入ってきたというのは僕らにとって渡りに船でした。
大学1回からマイルを始め、最初は2つ上の二代前の主将、3つ上の同期、B'z好きの同期、僕でした。
3つ上の同期が群を抜いたエースであと3人は同じレベルといったものでしたが、次第に僕が成長し2番手の地位を獲得しました。その頃から3分21秒と工繊記録をいきなり樹立していました。
2回ではその2つ上の先輩が引退し、1つ下の中距離の男子が代わりに入り、なかなか実力もあり3分20秒まで行きました。20秒切る目標を立てた最中、その中距離の子は途中で挫折し、年度が変わる時に引退したのです。
400走れる人は何人かはいましたがタイム的にはその中距離の人より速い人はおらず走ったとしてもその3分20秒は切ることがかなり難しい状況に立たされていました。

また、3人は全員同期でこの年がラストチャンスで新入生がたとえ入ったとしてもどうしても最初はスピードが出なかったりして育てる期間がどうしても必要なので果たしてそれに間に合うのかどうか迷っていました。同時にもう専門の人がいなかったらマイルの結果も出ないので辞めようということになりました。
もしやるなら目標タイムは白陵(高校時代)では僕がいる代では3分22秒でした。しかし、僕らの2個下の世代が3分17秒と大幅に塗り替え新たな学校記録を樹立していました。それを越えたいなとは個人的に思っていました。

そんな中入ってきたのが400m48.4秒がベストの彼でした。それは当時僕は49.94秒、3つ上の一番のエースである同期の49.03秒(だった気がする)を上回るスピードでした。
確かに最初こそ体力不足だったものの初速度は既に僕より上でした。これはもしかしたら3分17秒どころか15秒もいけるかもしれない…!!そんな希望すら湧いてきました。

希望はさらに恋愛面でも湧いていて、同期の女の子とはあのB'z同好会の師匠とのつながり(大学編②-2)を知ったあの時をきっかけに夜中にずっとたわいもないLINEを送り合ったりするくらいの仲になっていました。
ある春の日、彼女は焼き鳥を食べに行くんよと嬉しそうに話していたので咄嗟に俺も行っていいかな??と口に出していたのです。僕はもっと彼女のことを知りたいという興味がこの発言を誘発させたのでした。
すると、もう一人友達がおるんやけどいい?と聞かれ、いや全然行こ行こということで彼女の友達と3人で焼き鳥屋に行きました。その友達は浪人時代の同寮で一見すると同期の人とホントに友達なのか??というくらいまともで美人な方でした。それとは裏腹に彼女は3人で会話していくうちにぶっ飛んだ部分が少し垣間見えてきました。

元々猫をかぶっていましたが幹部の学年となっていき年下がいない状況下にあるうちに敬語から徐々に岡山弁が漏れ出していき、それと同時におとなしくて真面目なイメージから実はものすごく個性的でぶっ飛んだやつだということが分かってきて、その頸椎と3人で行った焼き鳥屋がその仮面が完全に剥がれた瞬間でありました。

完全に友達を突拍子もないボケでいじりたおし、わたし漱石夏目漱石)が好きなんじゃ~あとフレディー(フレディー・マーキュリー)も好きじゃ~何で好きな人はみんな死んどるんじゃろ~あとじゃがいもとおこじょも好き…この人ヤバいなと思ったと同時にものすごい楽しそうにしていてそれは初めて僕に見せてくれた表情でした。そしてそんな上がったテンションに対し適切につっこんだり見放したり終始温かい目で見つめていた頸椎もすごい人だなと思いました。
僕は彼女のギャップに驚きはしましたがもっと彼女のことを知りたい!って感情が脳内を占めてゆきこれがもしかして好きというやつなのかと思い始めるようになりました。

第三章 動悸

一方建築では大きく製図室が移動し、一番端っこの壁と柱と向かい合うような位置になりちょうど目に届く位置に元彼女の席があるという大変気まずい場所になりました。
そして何より一番嫌だったのが給気ダクトが真上に通っていて外では指定区域外であるにも関わらずタバコ吸ってる人達がいてそのタバコの空気が絶えず入ってくることが更にストレスを溜める結果となりました。その2つの要因もあり、今まで製図室をよく使用していましたが避けるようになり、それと同時に勉強への熱意も減り、学科の人達とも全体的に距離を置くようになりました。しかし、設計する時にはどうしても製図室を用いないといけないのでその時だけ仕方なく行くことになりました。

何より今僕が一番力を入れていたのは5月にある関西の大会でした。長居第一というドーム状の競技場で周りの競技場と比べ厳かで一度でいいからここで走りたいなと思っていました。去年標準記録を突破していたもののエントリー漏れをし出場することが出来ませんでした。
そしてようやく3回生、エントリーの漏れもなく出場が決まりましたがなんと他の大きな大会に競技場が取られ、いつも試合をやっている長居第二というサブ競技場になってしまったのです…いや、それでは意味がないじゃないか…!!あの競技場で走るということ自体にモチベーションを上げていたので去年のエントリー漏れを激しく後悔していました。

とはいいつつ、新しいメンツでのマイル出場も決定し、団体競技なのでしっかりそれに向けて練習しようと奮起させました。

フランスの彼女は長距離のジョグ練の時だけ参加したのでそれからしばらくは集合の時だけたまに会うといったものでした。彼女にとっては平地でつまらないものだと言っていましたが、誰かと一緒に走るのは楽しいとも言っていました。

解決すべきなのは少し厄介な人の方で、「行きます」というLINEを毎回しつつも参加したことは一度もなく、練習は大学にある部室で着替え→練習場所までジョグといったように一度持ち場を離れるのでその間に遅れて彼が来られても対応ができないためきちんとした連絡は必須でした。
精神に障害がある…そういった人を迎え入れるには自分が彼をちゃんと見守ってあげられるようにしないといけないが、そもそも彼は来ないのでもし部活内外で問題が起きても責任が取れないのでどうしようか迷っていました。するとある練習終わりに突然彼がやって来たのです。

来てくれたことに感謝すると共に大学での話やなぜ来ないのかという話をした後に、入部を予定してるのかという質問にははいという返事が、そして次の練習は来てくれるかと聞くと行きますという返事が来て、時間と場所を口で、またLINEでも教えて練習に来てもらわないと分からないこともあるので次回にまた色々入部については話をしようと考えました。

しかしまた次の練習では彼を待っても来ることはありませんでした。
部活が終わった後何で来なかったのかを聞くと5限に授業があったからと説明したが部活自体は5限後にあるので理由にはなっていませんでした。

無理だったらちゃんと無理と言ってほしい。一番困るのは行きますと言って来なくて連絡がつかない時だよ、心配になるし、部員にこれからなる以上はそれが出来ないと君をカバーする事もできないんだ。次もしそれが守られないのなら、僕は君の入部を申し訳ないけど拒否させていただきます…そう言った旨のLINEを送ると気をつけます、ありがとうございます。という連絡ではなくよろしくお願いしますと返事が来ました。
すると、すいません、母が代わりたいというのでLINEしてもいいですか?と来ました。どうやらこないだ兵庫出身の同期の流れと同じものがこちらにもやってきたのです。
しっかり話し合って判断しようという考えが勝ち、母親と代わることにしました。
息子がお世話になってます。彼は昔から精神障害があって……それも兵庫出身の彼に見せてもらったそのまんまの流れでした。
そして、これからこーちゃんって呼んでいい?と聞かれあだ名の流れまで一緒でした。そして、好きな食べものは何?兄弟とかいるの?と個人の質問にガツガツ入ってきましたがそれとなく受け流し、自分の一番聞きたいことを打つことにしました。
彼を正直今のままだと迎え入れることは難しいです。精神に障害があるということでしたが具体的に何が出来て何が出来ないのでしょうか、出来ないことがあれば僕たちがなるべくサポート致します。その出来ない範囲が多く僕たちのサポートでは追いつかないとなれば申し訳ありませんが彼の気持ちに応えることはできないです。

といった質問に対し母親は、こーちゃん気に入ったわと一言だけ返し具体的な答えは一切返ってくることはありませんでした。そうするといつの間にかLINEが本人に戻っており、ありがとうございます。母が気に入っておられましたよと返ってきました。

いや、親子どっちも話が通じない人じゃないか…

その瞬間にこれは責任を負えないなと判断しましたが本当にもう一度だけ最後のチャンスを与え、次もし行かなかったら君の入部は諦めてもらうよ、いいね。と釘を差しました。そしてとうとう彼はやって来なかったので入部を諦めてもらいました。
正直このまま入部していたらと思うと僕の負担も相当なものだったのでこれが正解だったと思います。

そう言った慣れないことが多い新入生に対する溜めた負荷や建築やバイトの睡眠不足、そしてその中でも最大のパフォーマンスで陸上の練習をしていく三刀流、いや四刀流はかなり限界まできていました。
5月の関西の試合の前日に課題の提出があったため5月初頭の試合は欠場し応援のみの形を取りました。徹夜→応援→バイト→徹夜のスケジュールを組み立てていましたが照りつけられた日射しに思ったよりも体力を奪われていました。

8kmほど自転車で帰った後応援という形でいつもの場所とは違う忙しい三条でのバイトとなり、フラフラしながらレジをしていました。
21時頃、レジの真っ最中に突然ギュッッ!!!と胸が圧迫された後ドン!!!と心臓が比喩ではなく本当に飛び出たんじゃないかというほど前に押し出されるような鼓動が鳴りめまいが起こりました。
しばらくすると治ってはいましたがその代わり絶えず心臓がピクピクピクと痙攣していました。
僕はその時は動悸という言葉とこの症状が結びつかなかったので名探偵コナンのコナン君が工藤新一になる時に起こる鼓動の乱れのまさしくそれだなと思っていて少なくとも正常なものではないなと思いました。

バイトが終わってからすぐさまネットで調べそれが動悸だと分かりました。祖母にはそのような類の心配はさせたくないので黙っていましたが、休んだら治るものと思っていましたが夜中も5分に1回くらい定期的にピクピクピク…!やピキッ…と胸が締め付けられ息がしづらくなったりし眠ることもできないまま作業もできないまま徹夜してしまいました。しかし、あまりにも疲れていたからか朝7時くらいから爆睡をしていつの間にか夜中になっていました。

起きた時にピーク時よりましにはなっていましたがまだピクっとなる時があり不整脈は治っていませんでした。また階段の上り下りだけで息切れし、この一週間後400を数本走るのに階段だけで体力の限界にくるのはさすがにまずいなと精神的な焦りも増していきました。
そして徹夜しないと終わらない課題がこの動悸で1日作業が出来なかったツケがあるため病院に行く時間すら無かったので再び徹夜しながら作業をしていました。
動悸と言えば……「そんなときにははい、救心、きゅ~しんきゅーしん♪」そのCMを思い出し、まさか20歳でお世話になるとは思ってなかったなと救心を飲みました。プラシーボ効果かもしれませんが救心はちゃんと効き目があり飲んだ後半日ほどはピクつくことはありませんでしたし、陸上の練習も普通にできました。心を救ってくれると書いて救心、まさにそうだなと救われました。

もう一つ救われたのがそれこそ同期の彼女でした。その彼女も若い時動悸経験があったらしく、不安だらけの僕に色々とアドバイスをくれました。それは精神的な意味ではどんな薬よりも効き目がありました。
普段はツンツンしている彼女ですがこういういざという時はものすごい優しくて人柄が良い人なんだなと感じ弱った自分は落ちてゆくように恋していきました。

そして課題は何とかギリギリ終わらせることができ、動線や配置など色々考えてそこそこ自信のあるものが出来ましたが形がつまんないんだよなーと一言だけで終わりました。もう、設計は仕事にしないと決めていたのでただただ才能が無いんだなとそこまで負の感情を生むこともありませんでした。
関西の試合までになんとか調整し、50.12秒とセカンドベストを出すことが出来ました。
僕は予選に落ちましたが3つ年上の同期は800mを準決勝に進みマイルとかぶる自体となりました。
マイルよりもまだ800の方が決勝への希望が持てたので彼を抜き代わりに5月初頭で400を走り5番手であった短距離の後輩をマイルメンバーとしてマイルに臨みました。
その短距離の後輩の頑張りもあり3分20秒9と大学ベストにほぼ差し迫るタイムを出しました。その5番手の後輩と3つ上の同期では3秒以上の差があったのでもしかしたらベストメンバーだと3分17秒切りは出来るな~と確かな実感が湧きました。

第四章 試練

試合も終わりようやくタスクが落ち着き心は落ち着きましたがまだ心臓の方は荒ぶっていました。何か精神的なストレスがあると毎度心臓がドクッとなり、特にその動悸のきっかけの場所である三条のバイトでは行くだけで止まらなくなったので一時期は応援を拒否していました。
ただ物理的な練習などでの負荷では全く影響は無く陸上さえ良ければ良かったのであまり気にとめませんでした。

ゴールデンウイーク時期に後輩の陸上を観に行ったら部活をしたくなったという新入生が新たに入り、新入生は6人+2(中国、フランス)になりました。

そしてその関西の試合時に大谷大の400専門の1つ上の先輩に声をかけられました。
その人とは2つ上の元元主将と同じ400専門だということと、試合で一緒になることで仲良くなった人で、僕もその試合に出ていた時はその大谷大の人と話す機会がちょくちょくありました。

そして1つ上ということもあり、俺さー就職できたんよー地元でさー一発合格!と就活話をいきなり自慢してきました。
だから、俺今からまた部活始めようと思ってるんだよ、で、そのことで話があるんだけど、俺同じ大学の人に嫌われて実質追い出されて練習が一緒に出来なくなったんだよ、だから工繊の人達と混ざって練習できないかなーと眉の濃いくりくりと輝いた目をこちらに覗かせ僕に訊ねてきました。

彼は見た目通りの熱い人で大谷大学の部員はどちらかというと人間的にも部活としても冷めてる部分があったらしくこのままではいけないとアドバイスをしたら仲が悪くなりこのような結果になったということでした。
この人は決して悪い人ではないですが先輩ということもあり気を遣わないといけないということと、大学編②-2でも述べましたがスポーツが興味ないのですが、彼は大の野球ファン陸上ファンであり自分の話をやたらしたがるのに聞き下手であり僕にとっては興味の無い話を永遠に聞かされているのに僕の話はあまり聞いてくれずまた矢継ぎ早に自分の話ばかりする…というわけで少し面倒事になったなと言うのが本音でした。

しかも、僕はてっきり週に一度程度だと思っていたのですが毎回の練習にきっちり参加し、肝心の2つ上の先輩は研究で忙しいから来ないし、みんな(あまり巻き込まれたくないからか)距離を置くのもあってかそこからはほとんど僕が永遠と彼の話を聞く立場になっていました。そのせいもあってか陸上をしている時にも不整脈になる時もありました。
別に悪い人じゃないし、無意識的なものであるということがたちが悪く注意することもできずじまいで時が流れていきました。

また6月には三繊が東京で行われることになりました。
試合に関しては工繊は毎年最下位でした。そもそも規模が全然違うので信州に至ってはほとんど1回生で構成されていたのですがそれでも負けていました。
しかし、今年は本気で勝ちにいこうと計画を立て、そこにモチベを持っていかせました。目標はフィールドこそ専門が少ないので勝てはしないですがトラック部門で2位になることを目標にし、それに際し得点をそれぞれ計算し、みんなの目標を明確化させました。

同期に1人投擲の人がいたのですが、まあ練習が別々にならざるを得ないということもあり昔から練習にはあまり来ませんでした。また、それは良いとして試合にも行かないので彼をどうするか迷っていました。

放っておいてしまった理由は彼は塾のバイトが忙しく(遠い+人が少ないので多く出ないといけない)という事情を彼に聞かされていたからです。
辞めたら?と言いましたがお前、人じゃないんかよ、辞めたら一緒に仕事やってる人に迷惑かけるし生徒も悲しむやろがと言われたが正直君の部活を曖昧に考えている態度も迷惑かけているんだよと思いながら、あまり意見を言い合えるような仲良い関係でもなかったため放っておいたのでした。
今までの試合ももちろん全員参加が当たり前でしたが三繊は一番重要な試合なので強制参加なのですが、彼は出場しないので行かないと言ってきたのです。

さすがに今までは見逃していましたがこればかりは見逃せず口出しすることになりました。何とか説得し出場させ行かせることにしましたがエントリーした後に何と彼はそれだったら部活を抜けますということで辞めていったのです。
せっかく1つになって頑張ろうとした矢先だったのでせめて三繊までは頑張ってくれと思いましたがその三繊が嫌だったのでしょう。

東京では高校同期の友達の家に前泊しました。恋愛や陸上の話をし早く起きて競技場へ向かいました。個人としての結果は散々でしたが大型ルーキーの彼がすでに僕より良いタイムを出すまで戻っていき、一番最後に走るマイルは1回生の時は信州も農工も想定外の工繊の優勝で2回生の時は信州が本気メンバーを出しボコボコにされました。
3回生では農工も強くなっていきどこが優勝するか分からない緊張感がありました。
僕はアンカーで3走は大型ルーキーの彼、一番で渡されました。僕は一番を走っていましたが4走は農工のエースで僕より1秒ほど速い人で後からの追い上げがすごくかなり危ない場面ではありましたが何とか優勝に返り咲くことができました。

全てが終わった後、1つ下のデザ建の後輩が辞めますとみんなに話していました。この大学に不満があり新しく美術系の大学にまた1から受け直そうと思い、このタイミングで辞めさせていただきます。
同じ学科ということもあり僕が気に入ってた後輩でもありましたが、最近モチベが下がっていました。ケガのせいかなと最初は思っていたのですが、まさか大学を辞めるとは思っていませんでした。しかし、きちんとした理由ではあったしそれを止めるのはさすがに野暮なので頑張れよということでまた1人辞めていきました。

そして最大の試練が合同合宿でした。3月から綿密に進めてきたものの、最初の壁が工繊府大20名分の競技場と隣接された宿泊施設が取れなかったということです。
これはいきなりの想定外でそれ込みのメリットデメリットで考えていたからです。
まず隣接した宿泊先はかなり安価で泊まれる、バイキングなどの食事面での充実、練習後すぐに部屋に着くことができる、バスなどの手配が少なく済み競技場側が手配してくれるので楽といったメリットが一切消えてしまったのでした。

なので1からバス手配や宿泊先を探すことから宴会担当の彼はしなければなりませんでした。
またその頼んだ会社も大ざっぱな連絡をする人で最初は3泊4日で50000円かかると言われさすがにえっ…さすがに高すぎる…と思いました。
本来は宿泊先が取れた場合は30000円弱で済んだ計算で長野の4泊5日でも大体35000円ほどでした。

さすがに合同合宿派の人でもそれは辞めた方がいいかもと元の長野合宿に流れ始める人も出てきました。せっかくうまくいってたのに…

そしてトドメの一撃は近畿国立の大会がよりによってその合宿の前日に入り込んだことです。
合同合宿の参加大学は大阪府大、そして和歌山大学がメインでした。
そして近畿国立には大阪府大と京都府大は「公立」なので出場せず、また今年のその大会は同じく国立である和歌山大学が主幹であるため工繊と同じく試合が前日にあるものの移動時間はほとんどないため忙しさこそ十二分にありますが経費や計画などにはそこまでの影響は出ませんでした。

ただ工繊は違いました。国立の大会なので出場はもちろんしなければなりません。そして和歌山まで京都からだと片道で3時間以上かかります。
試合の負荷も大きいのに間髪入れずハードな合宿を果たしてやれるのか、というよりやってもいいのだろうかという大きな不安がありました。

さすがの僕もこのまま突っ切るのが果たして正しいのか考えるようになりました。最悪他の選択肢も想定しながら最善の策を考えました。

1つは前日、つまり近畿国立の大会からバスを手配し1泊増やすといったものでした。
しかし、これは更に費用がかかる上に一緒にバスで行く府大のこともあるので良案ではありませんでした。
ではそれなら行きは府大と工繊は別々に行く、工繊は前日に行きどこか安いホテルで泊まり、その後府大は人数が少ないので電車などで直接競技場へ向かう案でした。これだと練習する時にいる荷物を運ぶことが出来ないという点と競技場まで交通の便が悪く電車などで行くのは非現実的でした。

よって考えられた案は結局、当日に京都からバスを出す。つまり、前日に和歌山で試合をやり一旦家に戻りもう一度バスで和歌山に行くという方法が一番平和でした。前日往復で6時間以上かかるものの裏を返せば帰れるという訳なのです。疲労は確実に取れないとは思いますが多少の犠牲は仕方がありませんでした。
それよりもやはり合同合宿をどうしてもやりたいという人はこの状況下でも何人かはいてその人達と考えに考えた結果でした。

もう、これで次の章に行きたい…といったところですが試練はまだあと一つありました。
最初主将になる上でグラウンド整備をすることも目的としていたものの結局フィールド競技は入ることなくせっかく作ったピットも水の泡になりました。そしてそれをあざ笑うかのようににがりを撒いて根っこまで抜いたはずの草も梅雨などの雨が降ればたちまち復活してしまいました。

同期の彼女は前に言ったとおり農薬に詳しい先生と話をして除草剤について色々教えてくれました。その先生曰わく、除草剤は専門家がやらないといけないから素人がやったらだめ、なぜなら薬の強弱をちゃんと知っていないと他の生態系を破壊しかねない。だから私が折り入ってサービス課に相談してみようという思ってもいなかった進展が水面下で行われていたのです。

しかし、サービス課はそういった仕事に関しては遅く予算に組み込むにはお金がないから厳しいと言ったことをおっしゃられましたが偉い人が工繊を視察するという機会があったらしくその時に彼らも慌てたのかいつの間にか草が業者によって伐採されていました。(お金あるじゃん)

しかし、この草はさっき言ったとおり根っこを抜いても生えてくるような意味分からない生命力を持った雑草だらけでそんな見えてるとこを刈っただけでは元の木阿弥でした。
そのことをサービス課に言っても伝わらずまあ、彼らにとっては至極どうでもいいことだったのでしょう。
それでも僕は曲げずに定期的に刈るよりは一度農薬を用いた方が長期的に見れば費用は安く済むのではと訴えてみたり実際に視察に行き、グラウンドのどの辺が除草を撒く必要があるのか図で示したりうるさく言うてきたのもあり、ちょっと陸上部(…というか僕個人)が嫌われる羽目になりました。

でも僕は正しいことを言っているし発言する権利はあると思ったので分かってくれるまで続けることにしました。
僕はこのように試練がいくつも与えられましたが一つ一つめげずに真摯に向き合っていきました。その甲斐もあってか今後良い方向に動いてゆくのでした。

第五章 夢見が丘

この話をしていくうちに色々はしょってたので軽くダイジェスト方式に振り返りたいなと思います。
B'z同好会は主将になってからも予定さえ空いてればイベントに参加しました。強烈な有望なキャラも数人入り彼らが今後のB'z同好会を担うんだなと直感で思いました。
会長は新しくボーカルを務めている先輩がなり、その会長と同期であるボスはサポート役、師匠は再び会計を務めていました。
この年は本家のB'zが結成30周年というアニバーサリーな年であり本家も同好会も一層気合いが入っていました。
僕はB'z同好会の自主的活動として歌詞解釈という歌詞の真意を読み解き人生の教訓とするといったことをやっていき、歌詞といえば僕というレベルまで上り詰め、幹部に近いレベルまで地位が上がっていました。
同時にこれを趣味にしてから色々なことに感化されものすごい寛容になったなと自分でも思います。そして何か悩んだことがあれば歌詞を解釈し、答えを自分の中で見つけてはそれらを情報共有したりしていました。

後輩も入ったことで健全なサークルになりつつあり、恋愛も落ち着いてきてナンパや合コンの話をすることがかなり減りました。

7月の初頭には夢見が丘という京都と滋賀の現境にある比叡山近くにある丘にバーベキューパーティーをしました。
なぜ夢見が丘なのかというとB'zには夢見が丘という曲があるからという同好会らしい理由です。(この丘が由来なのかは不明)
既に後輩にはかなりディープにハマった女子や近大積分同好会会長でめちゃくちゃベースが上手い人がいたり充実していましたが、今回でも新しく淡路島のしかもその近くにある沼島というとても小さい島出身のいかにも海人といった年下だけど10年上に見えるような男が入ってきました。ギターが上手く彼も有望過ぎるキャラでした。

当時の副会長は相当ぶっ飛んだキャラでした。僕と同じ時に入った僕より3つ年上の京大院生でスケルトンルーム外から見えるカラオケで女性達が歌ってるとこに乱入し自分の曲を入れ破壊的ヴォーカリストと呼ばれる彼の力強い声で中にいる女性だけでなく外の人達まで圧倒させるような…勢いがとりあえずものすごく、僕とは本当に真逆で考えるより行動する人でした。
もちろん恋愛工学にも誘われていましたがしばらくは独学でナンパや合コンをしまくっていました。
しかし、行き詰まりしっかり工学を学んでからはメキメキと成長し美人な彼女を手にしていました。そんな破壊的な先輩も夢見が丘に来ていました。
丘から見える琵琶湖を眺めながら夢って何だろね、といつもの雰囲気と全然違うシリアスな感じで僕にしゃべりかけました。
俺は今年就活して、夢はなんですか?志望動機は何ですか?ってよく聞かれたけど適当にしゃべったけど実際そんな偉いような夢はねーんだよな。

俺は結婚して子供育てて普通の幸せを手に入れるのが俺にとっての夢だ。そのための稼ぐ手段としてしか仕事は見てねー…

僕はそれに対しちゃんと夢、あるじゃないですか。良い家庭を築きたいってのも立派な夢だと思いますよ。僕はそれすらありませんから…

また、その先輩から歌詞解釈的にはどうなの?と聞かれました。
稲葉さんや松本さんも夢についてはよく歌詞やメッセージとしてこう言っています。
夢を持て。世間一般ではそうあるべきだと教えられますが実際若い人で夢を持っていない人は少なくないと思います。
当然、夢を持つことは意欲にも繋がりますしあるに越したことはありません。ただ夢が無いからといって自分を卑下する必要はないのです。

それよりも大事なことは行動するということ、そして小さなことでいいから何かに打ち込むこと。そうしていくうちに自分に向いてることやりたいことが分かってくる、そうすると自ずと夢はついてくる…と。先輩もそれに大きく頷き、B'zはさすがだなー悩んだ時はいつでも答えをもらえる…そう、それがB'zのすごさたる所以でした。
「夢など見つからないそれもありっちゃあり 出来ること出来ないことがそんなあっさり分かるの B'z『DIVE』より抜粋」
まずはやることの大切さを説い、夢を持て!努力は必ず報われる!といった臭い無責任な言葉を使わない彼らの姿勢が僕は好きでこの時の僕もそれに倣い、まずは自分に与えられた役割を果たすこと。
それが自分にとって大事なことで、マイルでベストを尽くす。そして、合同合宿を開催し無事に終わらせることが僕の小さな夢として達成できるように頑張っていこう。

夢見が丘でそんな儚い夢を見下ろしながら確認していました。

話を陸上に戻し、バイト先のマネージャーをやってた中国の彼女は何回かは手伝ってくれましたが結局夏手前から日焼けするからという彼女らしい理由で来ることはなくなりました。試合には一度来てくれて思ったより速くて興奮したと言ってくれて誘って良かったなと思いました。

大谷大の彼とは変わらず基本僕と話していました。僕が元気な時はいいのですがしんどい時も同じテンションで話しかけてくるのでそこはしんどいところでした。
大型ルーキーの後輩は段々とスピード至上主義のところの本性が顔を覗いてきていて半ば工繊全体をすでに舐めはじめていました。またその大谷大の彼はスピードに関してはそこまで速くなく僕より1つ年上ですが僕以上に舐めていました。
大谷大の先輩は常に練習は本気で来るのでそれに対し全部負けないように頑張るといった切磋琢磨に高め合っていくことが出来たので練習面では非常に助かっていました。
この時には400mは常に6人はいるような(この大学では)かなり充実しており、質もまた黄金期でありました。それは100.200も同様で短距離に関しては人数も豊かで全盛期のスピードを誇っておりかなり恵まれた環境で練習出来ていたんだなと今ならそう思えます。

フランスの彼女とは同期の彼女と基本仲良く連絡を取っており6月の始め一緒にトレイルランをするという約束を交わしていたので僕も行くことになりました。そしてついでにフランスの彼女に惚れていた兵庫出身の彼も短距離でしたがもちろん行くとのことでその4人で比叡山を走って登ることになりました。

思ったよりそのルートは山で一歩間違えれば死…というところを走って駆け上りフランスの彼女の一歩一歩の大胆さには度肝を抜きました。そして何となくその山道を走るという楽しさの意味が分かった気がしました。合ってるのか間違ってるのか分からない道をフランスの彼女が使っていたよくできた腕時計に記されていたルートを信じつつ何やかんやで20kmを6時間ほどかけて上り下りをしました。
彼が見たことないくらい異性に積極的でこの時からインスタが外国人美女だらけだったりしてたのでかなり感化されてるなーと思いました。やはり恋心は自分を大きく変えていくんだなーと端から見ていました。英会話をする良い機会にもなりそういった面でも、また同期の女の子と一緒に行けたということも僕にとっては楽しい一時ではありました。
フランスの彼女は一応前期までの交換留学生だったのでこれ以降は一度だけ飲みに行っただけでしたが、何飲みたいと聞いた時、日本語で生!と頼み生ビールをガブガブ飲んでいたのはギャップで良かったなと思いながら身内話や日本とフランスの話などで盛り上がっていました。
ちょっとだけの付き合いでしたがなかなか充実した半年間でした。

第六章 紆余曲折の果てに

よくよく考えれば僕は夏に弱い人間でした。冬でも窓を開けっ放しにしてストーブも使わず寝たりするくらいで寒かったら筋トレすれば全てが解決しました。しかし、夏の暑さは筋トレでは解決するばかりか、暑くなるだけなのですぐに身体がダルくなっていました。
練習を頑張ったおかげで6月についに一年ぶりに0.05秒ではありますが49.89秒と自己ベストを出しました。しかしこの0.05秒は大きくかつての自己ベスト出した時に一緒に走った先輩が49.91秒だったのでそれを抜かすことができたのです。
しかし、ここからは夏バテの影響からか思ったより身体が動かず体力の限界を感じました。

そういえば自己ベストが出るタイミングは大体シーズン始めの春かシーズン終わりの秋のどちらかでした。
7月には京都選手権という高校から一般までの京都の大きな大会がありました。もちろん400とマイルに出場することにしました。しかし、試合当日の400は14時過ぎと暑さのピークで更によりによって今年の観測史上一番暑い40℃をここ京都で観測し、暑い中アップしていたので練習時点で既に頭がクラクラし50.58秒と満足しない結果になってしまいました。一方大型ルーキーの彼は僕を大きく上回る49.29秒、そして何と3つ上の同期は49秒を切り48.56秒と大幅ベストを叩き出しました。本番で力を出せなかった自分を責めましたがそれ以上にずっと頭が痛く何も考えられませんでした、急いで帰って体温計で計ると38度になっていました。まじでヤバい…
この翌日にはマイルを走るので自分が戦犯になるのだけはごめんだったので早めに寝て翌日は塩飴を買い、あらかじめタオルを濡らし首に当て熱中症対策を心がけました。その日も快晴で午前だというのに既に35℃を超えていました。

マイルは大型ルーキーが僕より速くなったので高校時代と同じ3走となりました。正直アンカーよりも3走の方が周りも遅いのでかなり気持ちも楽で昨日の38度の体温が嘘のように身体も軽く思えました。
予選ではなんと2人を抜かし大型ルーキーへとバトンを渡し何とタイムは3分16秒32…4秒以上の大ベストでした。

しかも決勝でもしかしたら表彰台を狙えるのではという水準でした。これはいける…!!そう思いました。しかし、もっと想定外のことが起こります。この暑さのせいで決勝を棄権する学校がいくつかあったのです。すると同じタイムで走れたなら優勝してもおかしくないというとこまで来ました。1つだけ京産の2軍チームが同レベルであり、そこと高校の速いところの三つ巴だなということが分かりました。しっかり休み、バテる危険があったのでアップもほとんどせずに決勝に進みました。

僕は予選同様3走で最初は2番で渡りいつもは猪突猛進に走るのですがこの暑さでバテることを恐れ、1番の京産大を250mまで風除けにし、相手がバテたのを頃合いに一気にスピードアップし1位に躍り出ました。大型ルーキーの彼は一時抜かされますがそれすらも作戦であり冷静に相手をいなし、300m付近で再び抜かして何と一位でゴール…!!優勝することが出来たのです!!

よくよく考えれば試合で1位になることは個人でも団体でも小規模な大会でもそういえばなく、本当に初めての優勝を飾ることができました。
1と書かれた真ん中の表彰台にも立つことはもちろん初めての経験でした。この想定外の事態は運営している人も同じで、今まで京都工芸繊維大学が優勝したなんてことは聞いたことがない…!!歴史的快挙です!というアナウンスも入ったくらいでした。そして名前を1人ずつ呼ばれるのですが名前を間違われてしまい、周りに笑われて優勝したのに締まりのない感じになりました。

とはいえ、この優勝経験はこれまで自分がやってきたことを正しかったんだなと裏付けるような自信にも繋がり果てしない喜びを4人で分かち合いました。
そしてこれから3分15秒も夢じゃないな…そう語っていましたがこれが今年度このメンバーでは最初で最後のマイルになるとは誰も想定などしていなかったでしょう。

そして4×100リレー(4継)でも大学記録を樹立し、かなり意味の大きい試合になりました。その当時は未来のことを明るく話していましたが、4継もこれが今年度このベストメンバーでは二度と走ることはないということもまた、知る由もない話であります。

その明るい話題(当時はね)に引っ張られてか、合同合宿などにも兆しが見えてきました。
まずは50000円かかるといわれた費用が35000円になったこと(何でこんなミスしたの??)が大変大きかったです。また、荷物に関しては大阪府大、和歌山が主に持って行き工繊と府大は最低限の荷物になったことも準備が楽になるので大きかったです。
幹部はグループLINEを作り、メニューの話し合いなどを行って着々と前に進んでいきました。

また、除草剤の件も夏休みに撒くことが決定され、一回では効かないことも分かっているので数回に分け、数年単位で草を無くして行くことを約束してくれました。

しかしまだ問題もあり、まず兵庫出身の同期が1人留学で行けないということでした。それは仕方なかったですがもう1人マイルメンバーでもある同期が就活のインターン面接があるから行かないと言ってきたのです。それに関しては優先順位がめちゃくちゃじゃないかと叱咤しましたが、決定事項なんでというスタンスを崩さず結局合宿をキャンセルしていました。痛い目に遭えばいいのにと思いました。ほんとに痛い目に遭うことも知らずに…

またメニュー決めも膠着状態であり僕は幹部LINEで提案しつつも反対だけされ自分の意見は言わない和歌山のスタンスに少し苛立ち大阪府大のキャプテンの高校同期に相談してたりしていました。

しかし、こんな問題もかわいいレベルであったと合同合宿に行ってから本当の問題に気づくことになるのでした。

…とその前に合宿の前日には近畿の国立大会がありました。なんと僕は部旗を忘れるという大失態を犯し、これには責任能力の無さを反省しました。
和歌山大学の人とも会いましたがみんな感じの良さそうな人だったので安心しました。

やはり暑かったこともあり個人の記録は全く出ずに、この大会にはマイル、4継の代わりにスウェーデンリレー(100+200+300+400)が毎年行われていました。4継とマイルのそれぞれベストメンバーで構成し、僕は300を走りました。しかし、やはりバテていたからか個人では足を引っ張ってしまいました。結果的にはみんなのおかげで3秒ほどのベスト更新でまたも学校記録を樹立しました。

帰りはなんと電車が遅れていたこともあり4時間かけて帰ることになりましたがそのおかげで同期の女の子や後輩の女の子とも話すことが出来たので悪くありませんでした。
後輩の女の子はとても人を信用する性格で僕とその同期の彼女で留学した兵庫出身の彼が実は月に行ったんだよ~とからかっていたら、その後輩の女の子はとても驚き、えええ~~!?本当ですか!?とすっかり信じていました。これは極端な例でしたが毎回リアクションしてくれるのでからかい甲斐がありました。実際信じてたかどうかは知らないですが…

色々話せたもののすでに帰ったときは21時をすぎておりマッハでユニフォームを洗濯し翌日の合宿に備え、マッハで寝ました。

ついに当日、工繊の人達はすでにクタクタになりながら僕はマッハで寝たので元気な状態でバスに乗りました。

合同合宿は100人弱いてかなり大規模なものでした。ついにここまでこぎつけたとワクワクしていました。
1日目は和歌山大学も試合後なので体幹中心となりました。
練習が終わった後大阪府大と和大は隣接した宿泊先へ、僕たちはバスで20分ほど走らせた海の見える宿へ泊まることになりました。まあこれが全ての始まりですね。

僕らは当然クタクタだったので早くごはんが食べたいと思っていました。最初は30分遅れますといわれ、それに対してはゆったり休む時間に費やしました。そして30分後、食事処につきましたが何も用意されていませんでした。結局ごはんが食べられたのはそのまた1時間後の21時でした。
しかもメニューは野菜が一切なく、焼けているかも分からないピンクの豚肉、鶏肉、豆腐、後から出てきたコロッケ(僕は食べていない)のみで、おかずの量も少なく合宿後にしては物足りなさを感じました。何より一つ一つの対応も悪く、僕とそれに後輩も重篤なアレルギーを抱えていることからもちろん再三再四事前にその旨の電話はしたはずなのにアレルギー対応はずさんで出されたメニューに対しアレルギーが入ってるかを判断できない、そして女将さんがあ、大丈夫です!って言ってあるそのメニューは僕は食べられるが彼が食べられない海鮮が入っており替えて下さいとこれなら大丈夫です!と替えられたそのメニューにはびっしりマヨネーズが付いており、え?マヨネーズって卵入ってましたっけ?信用とは程遠い発言に結局食べられそうなものですら何もかも注意深く食べていました。

さすがにこのままでは死ぬ危険すらあると思ったので責任者を呼ぼうとしたものの現在不在らしくさっき運んでいた年のいった女将さんに感情を押し殺しながら数人でアレルギーの話、朝遅れたら迷惑をかけるので早く出して欲しい、そして肉しかなかったので野菜もしっかり出して欲しいと説明しに行きました。一応女将さんもメモしていたので何とかなるだろう。次ヤバかったら責任者に本格的に話を進めようと決めました。

部屋は何と20人弱男全員が同じ大部屋で共にしました。最初は嫌だなと思ったものの、これに関しては色んな人と喋る機会が与えられて案外悪くないなと思いました。

もっとやばいのはこの宿泊先は洗濯機が壊れているということで1kmほど離れたコインランドリーまで行く必要がありました。そして朝ごはんに悪い予感がしたので昼ごはんを兼ねて朝ごはんもそのコインランドリーまで行く道中のコンビニで購入しました。このコンビニは僕の食べられるサラダチキンがなく、肉が無かったのはかなり絶望的でした。

お風呂は共用風呂で一般の旅行客もいたのでそこまで長居することは出来ませんでした。景色こそ良かったもののお湯がぬめぬめしており入った後の方が気持ち悪くなっていました。

全てが終わろうとした時には0時近くになっていました。みなが就寝する中慌ただしい音が絶えず聞こえてきたので僕はそれが気になってしまい眠れませんでした。一体何してるんだろ…時間は1時頃でしょうか。一度部屋を出て同階にある食事処を見てみるとなんとすでに一部の料理がラップもかけられず出てるじゃありませんか……確かに今日は1時間半もかかって遅すぎだとは言いましたが食べる6時間前に出されるのは早すぎだろ…と内心思いながら1階ロビー奥にあるトイレへ行きました。するとさっき不在だと女将さんが言っていた責任者らしき人と一人のお客さんがずっと口論しているのが見えました。ものすごい気になったのでさすがに見えないとこで言い合いを聴いてみることにしてました。するともう1人幅三段の先輩もいて、これは面白そうだなと2人で見ることにしました。

「あのさ…今日ものすごく料理出るの遅かったよね…」「すいません…でも」「でも…なんだよ…料理が出て次の料理が出るまで40分かかってるじゃないか…まぁ、それはいいんだよ、でもそれであと何分かかりますとか言ってくれれば気持ちもここまで爆発しなかったよ…そこへの誠意が足りないってこと言ってんの」
どうやら僕らと同じことで怒っていたようだ。しかし、段々問題の真意が見えてきました。
「僕はね、ここの常連で毎年このお盆の時期に来てるんだよ…確かにこの時期は人手不足かもしれないけど、それを責めてるんじゃないんだよ。ちゃんと説明さえあれば納得するから、だからしてほしい…あと温泉?あれ学生がずっと貸し切りしてて使えないじゃないか」
あれれ~僕たちのとばっちりが…と思いましたがこのお客さんこそとばっちりで客観的に見たら僕らが悪いことに気付いたのです。

まずこの宿泊先の規模として明らかに団体の学生を迎え入れる器(施設)では無くそもそも料亭なのである。僕らが泊まっている場所も本来は団体の食事処であることがここに来て分かったのです。

つまり人員もそこまで雇っておらず20人分の食事、そして他のお客さんの食事を作ることが出来なかったというわけでどこにも中途半端な対応したため僕らにもお客さんにも対応が悪いと思われたのです。

これは僕らがこの料亭を一方的に責めることはできないなと思えてきたのです。一番悪いと言えばキャパなどを知らずとりあえず宿泊先として決めた旅行会社ということになるでしょうか。
先輩となるほどな…とつぶやきながら、明日早いしさすがに寝るかということでようやく音も落ち着いてきたので寝ることができました。

翌日、新聞を見てみると一面に和歌山南部人手不足との記事があり、事実この店も人手不足で明らかに派遣と思われる若いスーツの人が料理を運搬していたりしました。これは僕達が能動的に動かないといけないなとそう思いました。
野菜が足りない!!っていうことを言ってしまったせいか、メニューに一切肉がなく、ごはんと漬け物と生野菜、他の人は味噌汁や卵があったものの、僕とそのアレルギーの人は卵の代わりに味付けのり、味噌汁(彼が大豆アレルギー)の代わりに澄まし汁が出ました。

いや、この旅館極端が過ぎないか…ってか、あれ…大豆のたんぱく質すら俺ねーじゃん…量も少ないし、練習ヤバいぞ…

結局もう一度女将さんと話をして昼ごはんは弁当を支給してくれるらしい。が、アレルギーの僕らはおにぎりでした。(あれ、昼までたんぱく質…)

不安要素を腰にぶら下げながら2日目の練習ハードな上に容赦なく照りつける太陽、僕はなんと気持ち悪くなり吐いてしまい、完全に熱中症になってしまいました。まあ、このごはん量を考えれば想像しうる出来事でした。何とかおにぎりを食べるも寝て起きたら午後のメニューがすでに始まっていました。
1本だけ150を走るもベストタイムがでたので収穫はありました。

その日の夜ごはんは鶏鍋、豚焼き、いかの刺身、パプリカ、茶碗蒸しとちゃんと野菜(パプリカ)が追加されていました。そしてアレルギー対応としてスイカを戴きました。相変わらず少なかったですが「言えばやってくれる」(言わないとできない)ので対応も良くなってきました。温泉も一般のお客さんもいるのでぱぱっと入るようにしました。

しかし、ここから天気が荒れ大雨が降り練習をするかどうか悩ましいものとなりました。元々休む時間も設けており本来は3日目の午後でしたがそれを天気が不安定だった午前に短距離は宿舎待機となり体幹レーニングを代わりにしました。

ようやく本格的な練習に参加できるようになり他の大学にもしっかりアピールできました。
僕は人見知りではあるので仲良くなるにはまだまだ距離感はあったものの、楽しく練習が出来ました。

4日目、最終日…マイルリレーを4チームでしかも1チーム11人(ってことは距離的には3.75マイル)でやりました。実質僕がエースであり正直周りを見ても勝てるのか…とは思っていました。そして僕はアンカーになりました。どうやらそこまで速くない僕がエースということは裏を返すとそこまで遅い人はおらずなかなか良い試合展開となり1位と3秒ほどの差で2番手で渡ってきました。後ろからは僕より速い和大のエースが来てたので油断せずトップスピードで走り150mで抜かしそのまま1位でゴールし、チームみんなで喜びました。
そして、写真撮影会を行いあっという間に合同合宿は終わりました。なんやかんや色々あって最初こそ巻き込んでしまって申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、最終日にはみんな満足げな表情をしていたので心からやって良かったなと思いました。
特に幅三段の先輩は合同合宿は俺の代で本当はやりたくて出来なかったことだった。それを実現させてくれてありがとうと言って下さり、やった甲斐があったなとしみじみ感じました。
また合宿担当だった宴会担当の同期、府大のキャプテン、加古川東の同期を始め、工繊府大の部員のみなさん、そしてこの合宿を賛同し支えてくれた人全てに感謝の気持ちでいっぱいでした。

そして、合宿をやるきっかけでもあり、陸上をやるきっかけにもなった高校同期の彼にもそのようなことを話し、奇跡の連続でこうして今があることに心が熱くなっていました。
陸上をもしやってなかったら、そして僕が大学陸上を続けていなければ、高校同期と離れた場所でやっていたなら、お互いが主将じゃなければ、これらは全く結ばれるものではなかったのですから。

僕はこの楽しさと達成感を味わうために陸上を選んだ、いや選ばれたんじゃないかと思えるほどでした。そんな余韻を抱えながら帰りのバスの中眠りについていました。

こうしていつかの夢見が丘で想像した小さな夢、マイルで結果を出す、合同合宿をやるという小さな夢を叶えることができたのです。今後待ってくれているであろう大きな夢のための第一歩を踏み出した気がしました。

しかし、こんな幸せも束の間で再び僕に残酷な試練を突きつけるのでした。それは今後待ち受ける崩壊の始まりだったのです。大学編③-2へ続く。