おはようございます。くみこです。
みなさんは相手を説得させて自分の言うことを聞いて欲しいなと思うことはありますか?
まあ、今から僕がお教えしましょう。
え?僕に説得力が無いですって?そんな身も蓋も無いこと言わないで下さい。そうなんですけども…
むしろその力が無いからこそ何が足りないのかということを学ぶきっかけになったのです。そしてとある本を読みきっかけを得て、そこから更にインスパイアさせて自論を展開していこうと思います。
今回は論理的に説明したい…と言ったところですが、後々になって分かりますが僕がこんな論理性ばかり追い求めているから説得力に欠けるのです。なぜ欠けるのかというのをこれからお伝えしていきます。
1.エトス パトス ロゴス
まあ、実はこのタイトルだけで半分くらい説明したも同然ということになります。
まずはそれぞれの意味を教えますがこれからはあまり使いません。なぜってややこしくなるでしょ?
どれだけ噛み砕いて説明出来るかに力量ってものが試されてると思います。
エトス…倫理(道徳)
パトス…情熱
ロゴス…論理
およそこういった意味合いです。間違ってたらごめんなさい。
起源はアリストテレスの『弁論術』で話せば話すほどボロが出てしまいそうなのでほどほどにしておきますが、説得においてこの3つが大事であると位置付けました。
アリストテレスは弁論とは論破ではなく説得であると語りました。
そこで僕は思ったのです。最近ではその「論破」に美徳が生まれ、肝心のコミュニケーションが疎かになっているのではないかと。
また僕の祖父からいただいた『7つの習慣』の著書にも「エトスは個人の信頼性を意味する。他者があなたという個人の誠実さと能力をどれだけ信頼しているか、つまりあなたが与える信頼であり、信頼残高である。パトスは感情、気持ちのことである。相手の身になってコミュニケーションをとることだ。ロゴスは論理を意味し、自分のことを筋道立てて表現し、相手にプレゼンテーションすることである。」と書いてある。
今の僕たちはいわばロゴス…論理ばかりに気を取られてエトスとパゴスの部分を考えていないようにも思えます。
著者もこの信頼と共感性が得られないとそもそも論理的な説明をしても聞いてもらえないよと言っているのです。
具体的に例えだと同じ事を言ったとしても「誰が」言ったのかで影響力は大きく変わります。胡散臭い人間と誠実な人間の「絶対やります」は意味合いが異なるように思えるでしょう。
ここまでだとただの請け売りの垂れ流しになってしまいますがここからは自分の経験を混じえながら説明していきます。
2.論理的説得の敗北
僕はこの人生においてあんまりグループで群れて生きてきませんでした。
どちらかというと中立(あるいは孤立)の立場で関係を保っていました。
双方の意見を客観的に捉えられそれぞれ論理立てて判断できる調整役に自分が向いているなと思ったのです。施工管理という仕事は自分にとって適している…と就活中には意気揚々と語っていたものです。
しかし、実際現場へ配属され同じ施工管理の先輩や職人さんと接する中で自分の長所だと思っていたものがほとんど機能していなかったのです。
理由はこの話を最初にしたからしっくりくると思いますが、僕は新入社員で何も分からない状態でたどたどしく言葉はもちろん、その存在自体にまだ信頼が置かれていない「エトス」が足りていない状態だったのです。
たとえ筋道が通っていてもその前提が無ければ「どうせ一年目の言ったことだろ…経験の長い俺らの方が正しいに決まっている」と聞き入れてくれないのです。
そして僕がうまくいかなかったもう一つの理由はロゴス…論理的な部分だけで注意や指示をしていたということです。
ゴミを勝手に捨てるな!!とただ乱暴に注意するのと、
ゴミが散乱するとつまづいて怪我をしますし飛散して敷地外へ飛ぶと近隣住民の迷惑になりますのでゴミはゴミ箱に捨てて下さい
というようにちゃんと理由を付けて分かりやすく説明するのではどっちの方が話を聞いてくれると思いますか?
そうですね、前者です。え?当然です。感情で訴える方が皆さん言う事を聞いてくれるのです。
当然とは言いましたがここが完全に僕の勘違いしていた部分でした。
僕は日頃から怒らない人間です。あんまり声色が荒ぶることもありません。
声の大きさというものは聴覚を刺激するので単純な話、声が大きければ大きいほど注意が回り、内容が一緒でもそれだけ伝わる内容も異なってくるのです。
つまりあんまり声色を変えずそこまで声の大きくない僕はその時点で損をしていたということになるのです。
それが通用していた高校や大学時代ではおそらく周りが僕と同じような論理的思考をしていた人が多くロゴスによる信頼を得られていたからだと思います。
しかし、社会人になってからはどちらかというと感情で物事を判断するタイプが大半なので論理的思考で説得しても効果など無いに等しいのです。
まあ、でも当然ながらゴミを捨てるな!!と乱暴に放つのは相手も気持ち良いものではありません。暴言や怒鳴って説得するのは三流のやる事です。
本当にやってはいけないことをやっている時などに限定して使うのはいいと思います。
ずっと怒鳴りつける人間はいわばエトス…信頼や人間性を犠牲にしてるので本当の意味で説得出来ている訳ではありません。
まあ、それを勘違いして多用している環境が今いる環境なんですけどね…。
ここで言いたかった結論としましては理論を組み立てて説明することは大事です。
しかし、それよりも大きな声を出すだとか感情を込めるだといったパトスの部分がもっと大事なのです。
3.見極めと使い分け
これからは完全に自説です。
話す時にあたって自分の得意、苦手な話し方というものがあると思います。
例えば僕だと論理的に考えて話したり、誠実に話すのは得意ですが、感情に訴えて話すのは苦手です。つまり話す側にもこのエトス、パトス、ロゴスの三要素があると思っており、それには人によって偏りがあると思います。
話は上手いけど胡散臭く聞こえる…だとかはエトスが欠けていたり熱意は伝わるけど話の筋が通っていない…だとかはロゴスが無かったり…それぞれ性質があって長所短所あるかと思います。
そしてこっから大事なんですけど聞き手側にも三要素というものがあると思います。
相手の中にある閉ざされた心のドアをどうやって開かせて心の距離を縮めさせるかに勝負があります。
カギを見つけ開示してくれたらもはや人を動かすという問題において「勝ち」に等しいのです。
そのカギの錠はといえば
この人は人間として信用できるというのに弱ければエトスに重きを置いていて、俗に言う「情に弱い」人はパトス型だし、筋道の通った事に重きを置いている人はロゴスを大事にしている訳です。これらもまた三要素が絡むのではないかと思っている訳です。
僕の場合、人間性というものをものすごく大事にしています。そこが欠けているとどんな発言に対しても薄っぺらく感じて猜疑心に駆られます。
つまり僕は話すタイプはロゴスで聞くタイプはエトスとなっています。このように自分の話し方と何に重きを置いて聞いているかは異なる場合もあります。
そして本題の「人を動かす方法」ですが、そこで必要となってくる力は
「自分がどうやって話すか」
と
「相手がどう感じながら聞いているか」
の二要素で構成されているのです。
そして、そのうちの「相手がどう感じながら聞いているか」の部分は相手に関しての事なので不変です。
自分の力ではどう足掻いても変えることはできない要素なのです。だからと言って諦めろと言ってるわけではありません。
ポケモンに喩えますが自分がみずタイプだからと言ってくさタイプのモンスターをタイプ相性の良いほのおタイプに無理やり変えることは出来ないわけです。
そもそもポケモンとは違い、相手は何タイプなのかも分からない状態で出現するわけです。
じゃあ、まず何をするか…。
それは相手が何タイプであるか見極めることです。
つまり、
相手がどの部分に重きを置いて話を聞くタイプなのかを暴くことです。
相手がくさタイプであると分かれば自分の得意なみずタイプでは相性が悪いと分かる訳です。ならば他の相性の良いひこうタイプなど覚え、変えながら話していくと効果的なのです。
つまり色んなタイプの人に合わせて手札を変えて話していくという事です。
長々と例を出しましたが要するに
「相手がどういう人間なのか見極めて話し方を使い分ける」なのです。
これに気付いたのは上司が人によって話し方の攻め方を変えている所からでした。
かしこまるべき人には冷静に論理立て交渉し、職人さんとのやり取りではおちゃらけてお願いです!お願いです!と情に訴えて説得し、絶対にしてはいけないことを相手がした時には大声を挙げ話を聞いてもらうようにする…など
見事に使い分け相手の懐に入っている姿を器用だなと思って見ていたのです。
これはまさしく相手がどういう人間かによって話し方を選んでいる典型ではないでしょうか。
それを八方美人で落ち着きがなく芯が無いと思われるかもしれませんが、相手にいかに動かすかというのを最優先に考えているという一貫性、人に合わせて引き出しを変えていく柔軟性は事を円満かつ円滑に進めるためには絶対に損はしない能力だとは思いませんか?
4.実際何をすればいいか
答えは見つかったが実際何を具体的にすればいいのかを今からお教えしましょう。
まずは「見極め」からです。これは実は難しくはありません。
と言うのも別に見極めを一度目に失敗しても次に同じやり方をしなければいいだけの話です。まずは自分の得意なやり方で攻めて無理だったら違う手に変えてみましょう。
あとは普段の会話の中で感情的な人間はやはり感情に重きを置きがちだし、賢い人間は論理的な事を重要にする傾向は大きくあります。普段の会話の話し方や内容でも色濃く出ますので分かりやすいのではないでしょうか。
問題はむしろ話し方の引き出しを増やす方法だと思います。
エトス…人間性を大事にしている人にはとにかく真面目さ誠実さをアピールすることです。そして自分の考えで正直に話すことです。相手は聞き手に回ることの方が多いので自分が積極的に話すのがいいかと思います。
パトス…感情型の人への普段の話し方とすればどちらかと言えば聞き手に回るということです。
感情というものは自分が何かを行なっている事に対して本気で向き合っているから発生するものです。つまり、感情が豊かな人はそれほど話したいことがたくさんあるということです。
そうすることで相手は発散の場を与えてくれたということで無意識のうちに相手に貸しを与えることになるのです。
すると返報性の原理(何か良い事をされると良い事を返さなければならないという気持ちに駆られる現象)が働いてたとえば、今困ってるんで助けて下さい!とお願い事をすればそこに理由とかは無くても助けてくれるでしょう。
話す時は言葉使いよりも会話しようとする意志をはっきり示し共感や相槌を織り交ぜて表情を使って話すと相手も心を開示してくれます。
ロゴス…論理的な人間には矛盾しないようを論理立てて要約して話しましょう。
そういう人にむしろ感情に訴えるのはマイナスに作用しがちなので控えましょう。字数の無駄なので…。
端的に一切無駄の省いた説明を心がけたら十分です。
しかし、この世にはそんな正攻法が通じない相手もいます。
それは、自分の都合しか考えていない人間です。
彼らは自分がメリットになることしかせず、いかに楽をしようとするかしか考えていません。
そんな人間をどう動かすかに関しては…まずは…「諦めましょう」
え?と思った方はまだ早いです。ただ諦める分けではないです。積極的諦めです。
まずは感情型戦法と同じく返報性の原理を利用すべく聞き手に回りましょう。
そしてそれが無理だなと分かった場合、もっと下手(したて)に回りましょう。
つまり先に具体的なお願いを叶えてあげるということです。
つまり見える形の貸しを与えて道徳的な観点で脅しとして先にへりくだる訳です。
そうしていざ動いてもらいたいという時にあの時のあれ、覚えているよね?と聞いてみます。
それで動いてくれるならまだ良心のカケラはあると思われます。そういった人は一度やってくれると心を開いてくれる率が高いです。
本当にクズで自己中心な人は自分のやってあげたことはいつでも棚に上げて忘れないくせにやってもらったことはすぐに忘れてることでしょう。
そんな人は動かす価値もないですし、これ以上接するのはストレスだけかかってマイナスなので関わるのはやめましょう。
逆に言えば1つ2つ下手に回っても効果があるか無いかで本当に諦めるかを判断するのがベターでしょう。
5.まとめ
人を動かすためには要するに
まずは
・相手がどのような人間であるかを見極めること。
そして
・会話などを通じ心を開示させるために話し方などを使い分けるということ。
大事なポイントとして
・見極めの段階で「人間性」を大事にするか「熱意」を大事にするか「理屈」を大事にする人なのかを判断する
・見極めた段階でそれぞれ誠実さ、共感、整合性など系統に特化した話し方や聞き方に変える
ということです。
思うに、そういった教育は少なくとも日本ではされていないと思うのでよくコミニュケーションの齟齬が生まれると思うのです。
自分を理解されたければまず相手の理解をする…といったようにまずは相手という人間を受け入れることが人に説得を仕掛けるためには前提として必要だと思います。
そして人によって使い分けると言ったこともあまりメジャーではなくて人それぞれ違うのに1つの武器だけで説得をしようとしても全員を説得するのは不可能なのです。
話し方の使い分けは性格などによっても得手不得手があると思いますが努力次第でどうとでも出来る部類だとは思います。
もし自分に説得力が無いと思っているなら、それは絶対に人のせいでも才能が無いというわけではなく自分の見極め不足と使い分ける武器の不足なだけです。だから僕と一緒に頑張りましょう!
…以上!!人を動かす方法でした!
他に何でもいいのでリクエストがあれば適当にブログ書いていこうかなと思いますのでよろしくお願いします!