自分の半生 ~大学編②-2

大学2回生前期まではかなり周りにかき乱され自分の価値観ですら正しいのかさえ分からなくなるようなことばかりが起こりました。かき乱されたまま自分にとっての壁が大きく立ちふさがりやがて大学生活で一番病んだ時期が訪れていくのでした。

第八章 差

秋の扉がまだ叩かれることもなくじわりとした夏の暑さがまだ残る9月、少しずつ、ほんの少しずつ不幸に蝕まれていきました。

彼女とはいくつかデートを重ねてゆきましたが未だ手探り状態だったと言えます。普段からあまり感情表現を出さず遠慮していました。それこそあのお母さん(前章)に言われたことそのままだったのですが自分を晒すと嫌われるのではないかという不安が払拭できず膠着状態が続いていました。

それと裏腹に恋愛同好会からLINEがあり合コンに行かないか?と誘われたので乗り気ではありませんでしたが時間は空いていたので行くことにしたのです…
人数は4対4、僕らのメンツはボス、ボスと同い年の男、京産大の先輩、そして最年少の僕でした。

そして相手はみな橘女子の看護をやっている全員僕より1つ年上の女性でした。

みな恋愛工学を頭に叩き込んだ人達なので盛り上がりつつ相手の心を開かせるような柔軟な動き、そしてそもそものトーク力のポテンシャルがあり良い雰囲気にありました。それと引き換えに僕がただ周りに合わせるだけで間接キスやボディタッチや当たり障りのない会話をするだけでどちらかと言うと相手の方が僕に気を遣って接しているような感覚が酔っていてもあり
満足させてあげられないことに対し自分の実力不足、男としての魅力不足をまざまざと見せ付けられてしまいました。

丁寧に彼女たちを送った後4人で反省会を開きました。するとボス達はいやーずっと僕たち気を遣っていたよね、なんとか無理やり盛り上げたけどさー…正直この後ワンナイトとか思ってたけどする気は無かったよね、あ、あの子から誘いのLINEが来たよ!僕たちはそれぞれ1人にターゲットを絞り話などをしていました。そしてターゲットとLINEを交換した直後、相手のスマホを奪い取りLINEで自分宛てに好きなどの文字やスタンプを押し相手にその気にさせた後、分かれてから直後に感想と次のデートを打診してみるといった戦法でした。

もちろん、僕もそれを実行し、僕に関してはその1人しかLINE交換やメッセージを送ることしかできなかったのですがボスに関しては全員と交換しておりそのうち2人からは直接お誘いをもらっていたのです。しかもそのうちの1人は僕のターゲットでありました。そしてもちろん、僕のLINEは未読スルーのままでした。

あまりにも分かりやすい弱肉強食、そしてモテる男がモテるというのが嫌と言うほど分かったのです。それは今から僕がどう足掻いても埋められない差があり、モテる人は更にまたモテていくのでもう20歳にもなるとほぼほぼ出来上がってしまうんだなーという無情感に苛まれました。
もし、環境が違ったら、白陵じゃなかったら、もっと女子と会話や上手い恋愛をして、今頃は色んな女性と普通に遊べていたのではないか?そんな考えても無駄なことばかり頭に浮かんでは筋トレをしパンプアップした肉体でかろうじて自分の自信につながる部分を見出そうとしていました。

また同好会でカラオケに誘われることになり、京産大の先輩、そしてボスの相棒でもある先輩、コピーバンドではボーカルを務めボスと同じ高校、予備校、大学の同期の先輩の3人で行く予定でしたが、そのボーカルの先輩がちょーっと俺のツレが来たいって言ってるからさ、呼んでもいい??同好会メンバーではないけどさ、おもしれーやつなんよ、絶対馴染めるからさ、そう彼は僕たちに笑顔で言いそのツレは後から入るということなので先にカラオケを楽しんでいました。

2人とも歌が上手く特にボーカルの先輩はB'zの曲を自分のものにしているくらい上手い人でした。また先輩はものすごく語彙力もあり、またトーク力も巧みに磨かれているため初対面の女子でも大抵は仲良くなっていて僕に無いものを持っていて羨ましく思っていました。

すると突然おいっ!と声が聞こえその瞬間ドアが開きました。するとボーカルの先輩がおいっ…遅いぞ…と言ったその瞬間に高身長で正装を羽織ったツレはおいっ!場所を伝えろや!場所!間違えたやないか、カラオケとか知らんかったぞ、俺歌いたくねぇんだよと冗談か本気か分からない感じでキレていて、あーまじでイライラする、おいっ…テキーラ頼め…ショットや…そう彼は言い、許可もなくふっとタバコをいきなり吸い始めては曲を入れはじめました。一気に室内はピリピリし、曲が流れているのに妙な静けさを覚えました。

おいっ…なんで入れてんだよ…!とボーカルの先輩がからかうも、来ちまったもんは仕方ねぇだろ…と嫌々な感じではありましたがしっかり選んでいました。

ちょうどその登場した時には僕が歌っていたのですが1オクターブ低くそして音痴で歌っているのが気に食わなかったのか更にイライラし始めていました。次は京産大の人の番でその人は全力で歌うタイプなので、そのツレがそんくらい思い切りのあるやつは好きだぞ、俺は…と初めて笑い、その京産大の先輩も社交的であったのでそれは光栄っす、ありがとうございます!といい気に入られていました。
そしてボーカルの先輩が歌ってるとお前は相変わらず高音がうるせーなーとからかい、そういう自分はどうなんだと僕は思ったら彼が歌い始めるとアレンジはものすごいですがかなり魅力的に歌い始め、いつの間にか数曲ほど入れており、熱唱していました。

そして自分が満足しきるともう歌う気分じゃねーわと突然切り出し、そうだ!俺の話でもしよう…!そう言えば何も彼のことを知らなかったのである…ボーカルの先輩とは高校(?)の同期で元々龍谷で今はお笑い芸人をやってると言い、それだったら今の状況を笑わせられるようにしろよとは思いました。そして僕を急に指名し、お前芸人の中で誰が好きや…!?と聞かれ、とっさに思い付いたロバートを口にしました。するとほうほう…でお前は?と1人ずつ聞いてゆき、最後にその芸人の彼は俺はダウンタウンがほんま好きで今のじゃない、もっと尖ってた頃のな、俺はそういうお笑いを目指してると語り、でも相方がまじでどーしよーもねぇやつでさーと(まあ、実際その話はどれも面白かった)半分以上は悪口を言いながら、お前タバコ分かるかこれ、と言われ、コンビニ店員でもありますからこれ、ケントでしょ?410円のやつ、と話のきっかけを作ろうと口を開きました。よーう、知っとるやん!コンビニ店員なんで。あーそうか。タバコって味違うんですか? そんなこと吸ってないやつに言うても意味ねぇだろ…。 そうですよね…。……お前、何やってた!?あ、陸上です。おー陸上か!○○って知っとるか?あの日本選手権にも出た、あれ俺の学校の出身なのよ、なぁ知っとるか!?
彼はテンションが上がっていましたが、僕は陸上の知識は一般人レベルなので当然知らず、いや知らないですねーと返したら、おいっ…何やねん、俺のテンションかえせよーー…お前知っとけよ、陸上やってる意味ねぇじゃん…

僕はすごいムカつきましたがグッとこらえました。
ただ本当にこれから例えば社会人になって陸上をやってるという話になれば上司とかに○○選手知ってるか!?と聞かれてもちゃんと知ってるような知識を入れておくべきなのかなーとも同時に思ってしまったのです。
そして、何でこのボーカルの先輩はよりによって僕が一番苦手なタイプの彼をつれてきたんだろう…確かに先輩にとっては人と言えば誰とでも仲良くなれる対象であるかもしれないが、僕は平穏な所に突然場を乱されるのは非常に嫌で特に自分のことしか考えていない人は特に嫌いでした。それはその芸人の彼はもちろん、ボーカルの先輩にも同じような気持ちを抱いていたのです。
すると、芸人の彼は観察眼が鋭いのか…おぉーお前、ボーカルの彼のことええように思っとるんか!?自分のことしか考えない気を使えねー奴だなって思ってるだろと図星のことを見抜かれました。
僕は正直思いました。と言ったと同時にお前が言うなよなとは少し思いました。

終始ピリついた雰囲気のままカラオケは終わり、そしてボーカルの先輩のことが一時的に嫌いになり、もうそのツレとも二度と会わないと決め、少し強気でいましたが帰ってからは自分の至らなさについて再び考え込むことが多くなってゆきました。

第九章 排他的

高2の時ストレスが多い時期がありましたがそれに近い時期もこの頃にもありました。死にたいという理由は当時漠然としていましたが、僕はおそらく「死にたい」に冒されているのではなく、自分の性格が「生きるのに向いてない」んだろうなと思いました。
その根っこはやはり高校にあり、否定される日常を生きてるうちに自分の感情をいつの日か押し殺すことになり、やりたいことよりもやらないといけないことを優先し、それを正当化させる反動で興味のあることや好奇心が完全に薄れ、趣味や娯楽などの知ろうとする意欲が減っていきました。

高校では特定の人との交わりしかなかったので気付かなかったのですが大学に入り、同じ大学だけでも色んな都道府県の色んな環境下で育ってきた人がいて、更にバイトや同好会では違う大学、更には大学にも行かない人達、話が通じない人間、高校ではいないような下劣で視野が狭いような人種も多く世界は広いなぁ…とは思いました。

こういう言い方はあまり良くないと思いますが、いわゆる自分より生きるの向いてない人、もっとストレートに言うとスペックが低い人ももちろん居たりしました。しかし、彼らはなぜ死にたいと思わずのうのうと生きていられるのか…これを考えていたわけです。

この時に見いだした答えは、目標みたいなのがあまりない、1日をただ消化しているということにあまり不満もなくそもそも考えるに至らないから死ぬという発想が無いのだと思いました。それに周りも同じような人達の集まりで自分が劣っているという意識もないのもあるのかもしれません。

僕は中途半端に意識の高い世界と交わり度々劣等感を感じくだらないことを熟考してしまう癖が付いてしまいました。それは一度癖が付くと二度と拭えることはなく、落ち込むたびに自分の及ばなさで頭がいっぱいになってしまうのです。

いわゆる「それ」は昔から気付いていた向いていない理由であり、今回は思ったより挫折もなく闇があまりない人種が思ったより多いということへの絶望でした。僕と仲良くなる人は少なくとも何かしらの挫折など経てお互いを分かり合える人が多かったです。

高校の時は人はみな闇を抱えているものだと思ってそれをいかに閉じ込めながら日常を生きているものだと思っていました。
しかし、色んな人と付き合っていくうちに悩みなどは大なり小なりあれど闇のような挫折を味わわないまま成長している人も多いことに気付いたのです。

もし僕が要領もそこそこ良く、アレルギーとかもなく、家庭環境が誉めてもらえるような良いものであったり、周りの環境が自分のレベルに合っていたものなら僕もおそらく少しは挫折が減っていたでしょう。

でもよくよく考えればこの4つを満たしている人って珍しい(もちろんそれ以上の人も当然いる)し、何かしら自分を変えるような経験が無い限り絶望的な挫折なんてすることないよなーって思い、特に同年代の若い人達や街ゆくなあなあと生きている人達を見ているとそういう感情が芽生えてゆきました。

生きてるのが最大に向いてないと言う理由が周りに合わせようという意識と相手を知りたいという気持ちが絶望的にないことでした。
自分のことが嫌いではありますが、裏を返せば自分のことを嫌っている自分をそこまで嫌いじゃない自分もいて、結局自分に興味があるからこそ嫌いという感情が生まれるわけです。

好きの反対は嫌いでなく関心がないとはよく言いますが、僕もよくよく考えてみれば他人に興味がないことに気付きました。その理由が先ほどの挫折もない薄っぺらい人間には接点をもつだけ無駄といった排他的な考え方と共に相手の趣味が合わなければトークの接点もないからでした。

僕の興味ないものをここであげていきましょうか、これを知られると友達減りそうですが…

一番興味ないものはスポーツ、特に観ることになんの興奮も沸きませんでした。祖父母、父親、弟は特に好きで父親と弟はサッカーが大好きなのでテレビでいつもサッカーを録画し見ていました。母親は全く興味なさそうで選手がイケメンかどうかだけを見ていました。
サッカーはもちろん、テニスやそれこそ陸上は走ってその嫌な考え方から逃避できる手段として用いているだけでやること自体は割と好きです。ただ観ること自体は全く興味なかったです。
誤解はしてほしくないので説明しますが、知り合いがプレイしている時は見ていて興奮はもちろんします。それは知っている人が一生懸命になっているからでそのスポーツそれ自体に興味がないと言う話です。
特に野球はキツく、まずファン人口がものすごく多いということでファンは周りが見んな野球好きな前提でものすごく語ってきます。マジョリティーの悪しき発想ですね。
さらに、1つのグループを応援し、それらの勝敗や相手チームの勝敗で一喜一憂するナショナリズムな発想もあまり好きではありません。特にその機嫌をこちらにぶつけてこられたら最悪です。
そして一番スポーツに愛着を持てない原因は1つミスをするとあの監督あの選手は使えねーなどすぐに批判的な考えに硬直している人が多すぎます。
そんな人に限って自分は何も行動をせずただただ文句をまき散らすだけの人が多く、そういった非生産的な人間とは仲良くなりたいとも微塵も思わず、そういった人種が多いスポーツ好きとは1つ距離を置いていました。

あと一番致命的なものは「食事」に興味ないということです。僕にとっての食事は生きるために摂らないといけないものという認識で最悪、食べなくても生きていける身体だったら食べることはないでしょう。
もちろん、好き嫌いはありますが、いわゆる大好きにあたる食べ物でもそれらを取ることで快感になったりこの後食事だから頑張れるといったモチベにはならず、むしろ食事自体に関しては時間よ取られるめんどくさい作業としか思っていませんでした。
ただ、1人だとそう思いますが2人以上といると食事を会話するきっかけの場所として置き換えることでそういう面を切り取り楽しいものだとすり替えていました。

食事自体は昔から好きではなく、そもそもアレルギーで食べられる範囲が狭いということもあったり、母親と食感の好き嫌いが違っており、母親はごはんでも何でもベタベタにするのが好きなのに対し僕はむしろ食感が残りさっぱりしている方が好きでした。当然母親が料理を作って下さるのでベタベタなものになるので、ほぼ毎日出される白飯は好きだからこそこだわりがあったのに僕はおかゆみたいな米を食べるを毎日食べるのはかなりの苦行でした。(おばあちゃんもベタベタ)
さらに、夜の時点でベタベタなのを昼、保温弁当、あるいはラップで包んだおにぎりにして渡してくれるのですが冷めることによる結露でさらに水分量が増し粘り気のない餅みたいになり、味わうのを放棄しながら噛んで喉に流し込んでいました。作ってくださっているので文句も言える立場ではないので、ずっと我慢していました。

彼女は食事がとても好きな人でお腹減ったが口癖な人でした。またごはんもどちらかと言えば僕が食べられないようなものを好きでいてデートでなになにが新しく出たんだよとかここの店が美味しいんだよと勧められても結局ごはんを一緒に食べる時は僕に合わせないといけないのでものすごい申し訳ない気持ちでいっぱいになり、僕じゃなかったら満足させられてたんだろうなと思うとせっかくのデートなのに理性が大きく勝ってしまい、ごはん時は素直に楽しめませんでした。相手もいいよいいよと言ってくれるのが余計につらく、お互い言い合えるような関係になるのを妨げた原因でもあったのかなと思います。 

あとは服やカバンなどの小物、車などの乗り物やインテリアや建築は全く興味がなく、歌手やテレビやアニメや漫画は熱狂的に好きなものが1つあるくらいで逆にそれ以外は興味はありませんでした。 
特にブランドを纏って自分のステータスが上がった気になっている人達の心の下賤さには虫酸が走るほど嫌いでした。また着飾ること自体が言わば生きることへの執着を表している(個人調べ)ので何か+αしようという気持ちには一切なりませんでした。
また、旅行や観光などのアウトドアという気分もなく、それもアレルギーがまとわりつきますしそれ以上に駆り立てるものもありませんでした。

逆に僕が興味あるものと言えば、B'z、自分を忘れさせてくれるような陸上、筋トレ、あとは性欲を満たせるようなものくらいだったでしょうか。逆にそれだけで十分満足できたのです。

このように高2の時、自分のことで精一杯で「吾は唯、足るを知る…」といった最低限のことが出来ればそれで満足と思えるような精神状態にプログラムした結果、他者や外部への憧れを含む興味のスイッチを切り生きることに食らいつきその場しのぎの延命措置とはなりましたが、かえって今はそのプログラムのせいで、意欲や好奇心が完全にすり減り他人のために何かしてあげる献身的なことをするためのエネルギーが尽きていました。

自分の興味のないことを興味のない人のために頑張ること自体ものすごいエネルギーがかかるのに達成感もまるでない無意味なもので、本当の僕とは違う演じたままの自分で生きることは自分を殺しているのと同義でそれはある意味死ぬことよりもずっとつらいことだと思ったのです。

でも社会人になったらこれは必要なスキルなのか?他の人にとってのそれはさして負担のかかるものではないだろう、しかし僕にとってはこれから生きることを躊躇ってしまうほど嫌悪感がべったり貼りつくものでした。

第十章 不幸の連鎖

何だかんだ夏休みが終わり次の保育園課題が出ていました。集合住宅もそうですが、そもそも決められた土地自体に違和感を持ち、俺ならこの土地は買わないだろうな、いや、買ったとしても別の使い道があるだろうとか、課題と違う余計なことばかり考えてしまい、なかなか手にかかれませんでした。

陸上では脚の違和感が出始めそのせいかタイムもあまり伸びませんでした。睡眠時間も少なかったのでその年最後の試合はワーストの52秒後半を出してしまい、同時にしばらく違和感を治すまでは陸上をやめておこうと思いました。建築には中間進捗を発表する場(エスキス)があるのですがその前日、僕は何も出来ていませんでした。彼女にLINEで相談すると彼女もやれていなかったらしく、まだこれから~一緒に頑張ろうねとエールをもらい頑張りました。

この頃も席は隣で、もう付き合って半年にはなりますが周りからそういう風に見えないようにするためあえてお互い学科の人がいる時にはそっけない態度を取っていました。たまに食堂に一緒に行くときも別々で席を立ったり違う場所で集合したりしていました。

彼女は要領が良く真面目で勉強もそれなりにでき、分からないところは賢い男の人に聞いていました。そうしてくうちに僕の存在っているのかなーと思い始めてきました。彼女が何で僕のことに興味を持ち始めたの?と聞くと、匂いが好きだったから…実はいない時に匂いを嗅いでたりしてた…と割と想定外の答えが返ってきました。

おばあちゃんの洗剤のおかげなのか、大学からはやたらいい匂いがすると言われるようになり、彼女もその虜になった1人であったのです。でもこれが、あ、これは僕の魅力ではなくおばあちゃんの洗剤の魅力で、実質僕自身には本当に魅力が無いことを裏付けることになりかなりショックでした。努力しようがないからです。

一日が経ちエスキスが始まると僕は考えを練ってきたものの、色々とダメ出しをくらい、結局ほぼ白紙の状態になりました。ショックな中、昨日から作るわと言った彼女はものすごい綿密に計画しておりまたしても「差」を見せつけられてしまったのです。僕はひどく自分の才能の無さに落ち込みました。そしてその相談相手だった彼女にむしろその劣等感を味わうきっかけをもらってしまったのです。
僕はここからでしょうか…もう僕では君に釣り合うことはない…と、要領も悪く心も汚れているそんな僕と一緒にいても幸せなことなんてない…でもその一言すら仕掛けることが出来ず、まだ僕的には彼女が居ないよりもいる方が心の安寧は保てたのでこのままの関係を相手が求める限りは続けようと思いました。

10月某日、京都に台風が襲い、あたりの木々の枝が折れるほどの強い雨風でした。それは練習場所も同じで走路に枝やドングリが散乱しており、さらに夜中の練習で足場が見えないですから非常に危険だなと思いました。僕は休むことにしたのでマネージャーをやりながら枝を端に除けていってました。しかし、思ったよりも多く全てを取り除くことは出来ず、そうだ翌日の6限までは時間あるし5限あたりの時間にでも練習場所に行き枝を取ってやろう!普段ボランティア精神のない人間がこうして人のために何かしようとした…これが「これからの事故」の引き金となったのです。

何も変わらない1日、僕は学校から練習場所まで自転車を漕いで行きました。その道中、車一台がやっと通れるような狭い道を通る際、前に少し遅いスピードでママチャリを漕ぐ女性がいてやや左に寄っていたので少しスピードを速めて右から抜かそうと考えました。
右から抜かしきろうとしたその時!ママチャリは右折し始め自転車同士の衝突が起こったのです。

僕は自転車が一切ぐらつくことなく打ち身もなく無傷でした。しかし、そのママチャリを漕いでた60代くらいのおばちゃんは自転車ごと倒れ込み膝を抱え込み、「あーーーー痛ーーーいーー、もうせっかく退院したばかりだったのにーー、あーーー」と少しパニクっており僕は大丈夫ですかと声をかけました…どうやらその声で近隣住民が気付き駆けつけて、救急車を呼ぶように指示し、そのおばちゃんをしばらく見てました、その時に限って黒いスキニーなズボンをおばちゃんは履いており、足から捲り上げることは出来なかったのでズボンを脱ぎ膝を見るとパックリと5cmほど膝下部分が裂けており血がダラダラと出ていました。

僕はそこで初めて事の重大さに気付き血の気が引きました。救急車がやってきておばちゃんは運ばれ、それと同時に警察もやってきて、僕への事情聴取を始めました。お金に関しては保険に入っているのであれでしたが、万が一頭を実は打ってしまってて後遺症が残るとかであったら僕はたまったもんじゃありません、聴取の途中でドラマみたいに大雨が降りいつの間にか授業の6限の時間も大幅に越えていました。

帰ってから医者からの電話で手術が朝までかかると言われ、もし後遺症とか残ったら訴えられるのかな、陸上そもそも出来るのかな…そして、ケガした時に言うてた「退院したばかり」がもしかして持病を抱えているということは身体が弱いのかもしれない、何か容態が悪化する可能性も十分あるよな…ヤバいよなと内心ビクビクしっぱなしで眠れませんでした。さすがに両親にも相談し、でもお金は大丈夫やから安心して、多分保険会社の人から電話くるやろうから安心して…あと自分に都合の良いように喋りや、正直に言わんでええと言われました。
事実翌日の僕の好きな授業である都市史の時間に電話がずっと掛かってきて仕方なく抜けて、まずは事故が起きるまでの流れを客観的に説明し、親に言われたのとは違い自分にも抜かそうとした時に少しスピードが速かったということなど正直に話しました。すると、それは10対0で相手方が悪いですね~と言うのでいや、それは…と言おうとしたところで、相手は後方不注意をしている上に一旦止まることもなくいきなり右折をしようとした。さらに衝突した部分はあなたの「後輪」と相手方の「前輪」(警察の事情聴取中の情報)、つまりあなたがもう前に走って抜かしきろうとした瞬間に事故は起きているのであなたに防ぎようが無いのです。これはつまり10-0でしょう、とやたら「10-0」を押してきました。
それもそのはず、その過失の割合で保険会社が払う金額も変わってきて、今回の10-0なら保険会社が払う費用は0円になるということなのです。そういう本質よりも自分達の利益を優先する闇の部分を見てしまったことにも僕は失望してしまいました。

運が悪く僕はそれ以外にも部活のポロシャツやTシャツを作って下さる会社への電話もその日だったり、一週間前にシューズのソールをオーダーで発注したものが出来上がったのもその日で、親からの電話もあり電話恐怖症の僕にとっては地獄みたいな1日でした。

電話恐怖症…面と向かった対人だと話ができるのですが相手が見えない状態でかしこまって話すのがものすごいストレスで、まず深呼吸を数回し、覚悟を決め、何を言うかを整理して、1分待ちボタンを押すといったようなのが幼少期からあり、あんまり電話する機会も機械もなかったものですから現在に至るまで治らずにいました。(英語の「スピーキングテスト」でパソコンにただ独り言をしゃべるテストがあり、その電話恐怖症と重なりカタコトで口が硬直しほとんど話せず下位0.5%の中に入ってしまった過去もある)

そういったストレスが重なり翌日のバイトができる精神状態じゃなくなり、仮病を使い休みました。
ただし不幸は連鎖する…一度不幸を見るとネガティブになり、幸せが見えづらくなり逆に小さな不幸でもつまづくようになる。結果、どん底に気持ちが沈んでいってしまう。まさしくこれからそれが起こっていくのでした…。

おばちゃんはどうやら膝部分以外には特に異常が見られず、20針縫うなかなかのケガだったのですがなんとか通院という形になったらしいです。現場解析ということで僕は事故現場へ赴きもう一度具体的なことまで説明しました。その日におばちゃんの電話し家へ伺い、俗に言うつまらない物を渡そうとしました。

家の前へ出向くとちょっと玄関で待ってと案内され、おばちゃんは電話の子機を持ち少し声を荒げて話していました。少し話を聞いてるとその相手が僕に電話をかけた保険会社の人だと分かりました。
「あんた10-0ってどういうことなのよ!?私被害者よ!?どう考えてもわたしが0で相手が10でしょ!?あなた相手の人に上手いことそそのかれたでしょ?現場にも行ってないあなたに何が分かるのよ、それを加害者の意見だけ鵜呑みにして…えっ?お金はあなたには負担がかからない?…そんなことじゃないのよ、10-0なら負担するのは京都市でしょ、それは京都市の問題じゃなくてあなた方が負担するものでしょ、訴えるわよ!……ガミガミ」と5分ほど怒りを顕わにし、よりによって僕がいるとこで…当てつけか??そう思いながらあたりを見渡すと玄関にはまんまるとした猫が一匹いました。おばちゃんはごめんねーと話し(いや、ようその態度とれるな)リビングへ案内しました。すると、驚くことに猫がもう3匹いたのです。

僕は猫アレルギーでしたが、発言を理解できそうにないおばちゃんだったのでまずはそちらの出方を伺おうとしました。
ほんと、保険会社の人腹が立つわね、わたしが自転車保険入ってないからって強気に出て…
おばちゃんは保険に入っていないので本来なら自己負担なのでした。しかし、思わぬ事実を口にします。わたしは生活保護を受けてるのね、まあ長いこと立ってられない弱い身体だし、パニック障害も持ってるからね…そう、生活保護を貰っているので自己負担とはならず京都市が負担(おばちゃん曰わく)となるのです。
僕は保険会社の人が言うように京都市が負担してくれるならそれでいいとは思ったが確かに彼らには誠意というものが欠けていたかのように思えます。そう、冷静に考えていたのですが、あれ?と辺りを見渡すとぶくぶく太った猫が4匹います。もしかして…そのお金……!?!?まさか…
5匹飼ってるの(ええええ、)二週間前に突然一匹失踪してね、そこらじゅう探したけどいなくて、そしたら一週間後くらいかな?近くのホテルの人が引き取ってくれててね、ものすごい痩せててね、入院させてあげることにしたの、でやっと退院したというとこであなたがきて今度はわたしが病院よ💢💢
なるほど…だから事故った時に退院したばかりなのに…と言っていたのか、あなたじゃなく猫のことやったんやね、紛らわしいわ…まだここまで僕は冷静でした。
今度はわたしが入院、ほんとついてないわよね…あなたはのうのうと生きていると思うけど…かわいそうとは思わない?わたしが今飼ってる猫はみんなもともと捨て猫なの、わたしは1人娘がいてね、もう海外の方に活動してるから寂しくてね…そんな娘も今週帰ってくるはずなのに、こんなケガしちゃってなんでこんな運が悪いんだろ…

ついに抑えてた感情が今にも噴き出しそうになりましたがじっっとこらえてました。が、頭では考えと血液がのぼってゆきます。

ひとつは娘がいることに驚きました。名前は忘れましたが名前をググるとヒットするくらいには何かの分野で活躍(忘れた)されている人でした。ま、海外にいるから母親を疎かにするのは仕方あないかもしれませんが「生活保護」と言うワードにどうしても引っかかりました。娘よ、仕送ったれよ…。
言えばそのお金で捨て猫を引き取りぶくぶくと太らせているわけです。僕はそれを間違っている考えだと思いました。ペットとは責任を持って育てないといけない、それは覚悟はもちろん、お金に関しても一緒です。
確かに1人で寂しい…と言う気持ちに口を挟むつもりはないので一匹なら僕がここまで怒ることはなかったでしょう。
しかし、5匹もいるとどうしても人のお金で猫飼ってるという違和感が先行し、それがぶくぶく太っているという事実が無性に僕を苛立たせました。

捨て猫は拾って育てることを正義として致し方ない、まるで自分は良いことをしたかのように言ってくること自体も無性にイラつきそれは余裕のある人が言うセリフであり、自分自身すら養いきれてない人が言うセリフではないと思いました。

まだパチンコとかに行ってお金を消化している人の方がその人をすぐクズと言えるのでモヤモヤしなかったですが、都合の良い正義感がまさしくこの人全てを物語っていました。
それにアイツ…俺をのうのうと生きてるといってたな…それに運が悪いとかどうちゃらこうちゃら…勝手に決めつけるな、俺も建築ではうまいこと行かず陸上はケガをするし、そんな中のこの事故は俺にとっても大変運が悪い状況なんだよ…俺のセリフだわ、それに人の金で買ってる捨て猫がどっか行った??お前といるのが嫌やったんじゃないのか!?それを何か俺のせいにもしやがって…

おばちゃんの自分しか見えてないその視野の狭さに厄介さがにじみ出ました。パニック障害持ち+生活保護+短気な性格…よりによってこんな人を僕は当ててしまったのか…
家を出る最後にあんたが10-0を3-7(僕が7)あたりにするように保険会社に電話しといて、まああんた、抜かす時はなんか言いなさいよ、静かに抜かすから分からなかったじゃないの…自転車運転する時は気をつけるんよ💢
そう言われ、もう既に脳は考えるのを止めてたのでこれ以上苛立つことはありませんでした。

鳴り止まない電話、でもバイトや課題はしないといけない…情報処理が間に合わなくなり、余裕を持つことが出来ず、目に見えるくらいイライラが止まらなかったのです。
あれから猫を見るたび思い出すたびにおばちゃんを思い出し不意に猫を殺したくなる気持ちが浮かび上がってくるのですが、それを無理やり抑えようとするとまたものすごいストレスとなり、がんじがらめでした。
僕は彼女に全てを打ち明け相談することにしました。すると、それはあなたが悪いんじゃない、それに授業中に電話を鳴らしちゃダメじゃない…と求めていたものと違い、完全に突き放された答えに唖然としていました。

何てこの人は冷たいんだと思いました。しかし、冷たかったのは僕の方じゃなかったのか…今裏切られたと思っているけど、先に僕がナンパや合コンに行って裏切ってしまっている訳だし、何なら彼女も何か抱え込んでいたかもしれないけどそう言ったサインを全て見逃してるかもしれないと思ったのです。僕の方こそ彼女を都合の良いようにしか見ていなかった。そりゃ見離されても仕方ない、そう僕が悪い…僕が全て悪い…要領が悪い僕が悪い…事故ったのはあなたには全く関係ないことだもんね、僕が悪い…あなたと向き合えなかった僕が悪い…そう言えば連絡も一週間とってなかったよな…ああ、もうダメだな…僕なんかが生きてていいのかな…。
その不安は的中し、課題提出が終わった夜に明日待ち合わせしない?と聞かれました。95%別れのあれだなと思い、またひたすら考えこんでしまいました。
寝れなかった翌日、僕はあろうことかかなりの遅刻してしまいました…もう、何分待たせるのよ…そう言った彼女の目は怒っていましたが涙で潤っていました。ベンチに座り、ごめん…もう別れよう…わたしはもっと「恋愛」をしたかった、付き合って何か特別なことをもっとしたかったの…ごめんね、泣くつもりなんてなかったのにと号泣し、わたしがいたらないばかりに…そう言いかけたので僕は、いや、俺こそ…申し訳ない…俺なんかより良い人いくらでもいると思うから…今度は合った人を探してね…あと遅刻ごめん…そう言ったあと彼女はあなたらしいわね…と泣きながら去っていきました。

この後ウエイトルームに行きながら、あーほんまに俺は冷たかったよな…多分周りに合わせるのが無理だし恋愛向いてないんだろうな…あと俺のセリフこれで良かったんかな…そんな一言を求めていたのだろうかと考えていました。
そうか、「恋愛」をしたかったのか、俺は彼女を見誤っていたな、てっきりつかず離れずくらいの関係を求めていると勘違いしてた。そりゃすれ違う訳だよな…でもそれを話し合えるまでの関係にすら無かった。その結果が今だ。
しかし、別れを相手に仕切らせることが彼女にとって一番酷であることを僕はまだ分かっていませんでした。その点僕は本当にズルい男でありました。

別れた後でも少人数で一緒に受ける中国語の授業がありますので会わないといけません。僕は対応をどうするか迷いました。
結果、前と同じように接するということに決めたのです。別れたことを引きずっていると思われたくなかったからです。
それから僕は別れたことを無かったかのように振る舞いました。しかし、彼女は会話をせず、うん…か無視かの繰り返しでした。ちょっと…何で黙ってるの…はは…でも彼女の目はもう来ないでと言わんばかりに睨んでいて、あ、選択をミスってしまったなと思いました。むしろ未練がましさゆえの対応だと思われたのか、はたまた付き合っている時から話すこと自体が限界だったのか…それとも僕と別れるために振り切ったのにちょこちょこ現れると気持ちがブレるから…?答えは知りませんが僕はそれを3度繰り返し、途中からは逆にナンパのそれでした。全て失敗し、心が折れて話すことをやめました。それからと言うものの今の今まで会話1つ交わすことなく卒業しました。ただ僕は彼女の幸せが続くようにと願うばかりです。

彼女と別れる前も後も事故の件は当然続いており、工繊でよく見る「『私に限って自転車事故とかありえへん』その考えが、ありえへん。」というポスターが皮肉に僕に突き刺さりました。
2つ上のお互い闇があることがきっかけでそういうことを話し合える幅三段の先輩に相談し、相手ヤバいやつやんと客観的にもそう思ってくれたので救われました。また、加古川東の彼にも事情を言い、そんなヤバいことあってんやなと同情してくれ、ただそれだけでも気持ちが軽くなりました。
結局10-0は7-3(僕が3)にまでなりましたが、やはりおばちゃんは京都市が7払うことに不服である裁判で訴えてやると言われました。しかし、保険会社も曲げずに7-3を主張しているのでなかなかその戦いは終わらず、とばっちりが完全に僕の方にいきました。しかし、訴えるためにも弁護士を雇わないといけないし、言えばそのお金もいわば公共から払ってくれる金であるわけだし、色々と矛盾してるなこの人と思いながらまだ電話と書類は絶えずやってきていました。そんな中完成した課題の作品もまた中途半端な出来でとうとう感想すらもらえなくなりました。僕は設計無理だな、達成感よりもしんどかったことばかりが覚えてる…この先建築で生きていく未来が見えないなと完全に挫折しました。

自分は賢くもなれずかといってバカにもなれずただ悩み悶えていた時期に建築での完全なる挫折、陸上でケガをしストレスを減らす手段を失った中起こった交通事故、そして彼女との別れ…弱った心にはあまりにも大き過ぎました。授業をサボる日が増え、いつの間にか一週間まるまる行ってない日もありました。もう木枯らしが過ぎようとしていました。

第十一章 責任と責務

心がボロボロながらも部活だけはちゃんと行っていました。というより、行かないと完全に心が折れそうでした。
また、駅伝は残っていたため長距離は一部の人は頑張っていました。短距離はシーズンオフということもあり、僕はケガもありマネージャーをしていました。一応副将ということもあり、朝寝坊で主将がいない時は僕が主将の役目を果たしていました。2回生になってからこの状況を打破したいと思い、これまで思っていませんでしたが主将になりたいという願望が強くなりました。

幹部交代は12月、当事の幹部が次の役職を決める方式でしたので、立候補ではない点自分が主将にならない可能性も十分にありました。
主将の候補としては個人的にですが、3つ年上の生物専攻の彼と兵庫出身の彼と僕かなと思ってました。正直それぞれ一長一短があり、最有力候補は3つ年上の人でした。まず一番しっかりしていて一番陸上に真剣であり女子からの人気も高くタイムも一番速いエースという申し分ないスペックでありましたが、個人的には不安要素もいくつかあり、1つは真剣が故に真剣じゃない人とはあまり上手くいっておらず、特にモチベにムラのある人をひどく嫌っていました。
そして彼は陸上には熱心でしたが部活以外の学祭や新歓などのイベント事には逆に熱心ではなく、イベントに熱心で陸上にムラがある声の渋い宴会担当の同期(詳しくは大学編①)とはそりが合わずお互い嫌っていました。
あと、彼は前に立つタイプというより、裏で操作するようなタイプではあったので彼を主将にするのは逆にもったいないと思っていました。

また兵庫出身の彼は何でも器用にこなし、真面目でまた献身的なタイプでイベント事にも進んで頑張っていた人ではあったのですが、あまり発言せずもくもくとやるタイプで人付き合いはお世辞にも上手いとは言えない人であったので主将とはまた違うのかなと思いました。

では僕が…ということですが良い点としては一番僕が中立であること故に視野が広いということ、そして僕が一番この部活を変えたいと思っていましたと自負できるくらいには持っており、それを行うためにはどうしても主将にならないと説得力に欠けると判断しました。
ただ要領は良くないし、話すこともそれほど得意ではない…器と期待値としてはこの3人の中で一番低かったと言えるでしょう。

幹部交代発表前に僕は既に主将になるというプランのもと生きており、僕が主将になることをどう思っているのか一度、3つ年上の彼に俺は主将になりたい、お前は主将になりたいとか思ってる?と尋ねてみました。
すると…そうか、いや、誰も主将を立候補せんのなら俺がやろうと思ったけどなりたいんやったらもちろん譲る。でもやるからにはちゃんとやれよ、お前じゃダメやと思ったらいつでも変わるからな…と少し釘を刺されたもののありがたい救われる言葉を頂き、そうかこれが責任というやつだなと思いました。
今までデコ委員長や体育委員などはやったことあるものの、あくまで短期間のしかも軽い仕事だったので実質これが初めての「リーダー」でした。

僕は主将になったら3つのことを少なくともやりたいと思っていました。

1つは規律をしっかりする。弛みに弛んでいた当時の部活をせめてマイナスから0に持っていくために、遅刻、欠席にしっかり注意できる環境を作ろうと思いました。僕はこれは本当に最低限だと思ったので注意しても治らない人は容赦なく辞めさせるということも決めました。

そして、グラウンドを整備する…表の目的は次の新入生でフィールド選手も呼べるようにするためでした。グラウンドにはえている鬱蒼とした雑草を抜きまだ山が邪魔で使えない幅三段ピットを作るため山を切り崩しつつ50m分の助走を作り除草することでした。
これを春休み期間の練習後長距離も合同で行い、1人1人の部員としての意識と絆を高めることを裏の目的とし、新歓に臨める体勢を予め作ろうと画策しました。

最後に、これこそが一番しないといけなかったことで「合同合宿」をやることでした。
遡ること2回生の夏休み、高校の同期の一緒に400やってたエースの彼の大阪府立大学(以降大阪府大)に幅三段の先輩などと一緒に潜り込み練習をしたことがありました。大阪府大は人数が多いものの和気あいあいと練習しており僕の目指している部活環境に近く良い刺激をもらいました。
昔から彼に一緒に合宿やろうぜ~とは誘われていました、事実、彼らの合同合宿は大阪市大なども参加しており、3つ年上の彼は昔その大阪市大であったため工繊になってからも参加していました。また幅三段の先輩も友達が大阪に多いことから工繊に行きながら合宿はしていたのです。

僕はと言いますとやはりアレルギーということと、合宿中は今までケガしかしていないのでパフォーマンス的にも行くことは出来ませんでした。ですが一緒にやりたい気持ちはあり、いつかやろうとは約束していました。

2回生の合宿ではメンバーは割と充実していたものの、マネージャーさんが府大同期の1人、そして府大で選手だったOBの人の2人体制でやってくれていたのですが正直ギリギリの状態でした。
それが来年の夏、府大同期のマネージャーが実習で行けないということが分かり、実質マネージャーが入らなければ0人ということになることに気付きました。更に単独合宿では例えば砲丸が1人しかいなかったり、来年から長距離の人数がガクっと減ったり選手自体競う相手がいなくなり、合宿自体のモチベが下がると判断し、少なくとも来年は合同合宿にしないと成立しないと考えました。

高校同期の彼に、もし俺が主将になったら俺はお前んとこの大学と一緒に合宿やるように言うから、そん時はよろしく頼むわと言うと、まあー俺も多分主将になるから…考えとくわ、できたら面白そうだな(笑)と受け入れてくれました。

つまり、部員の満足度を高めるため、そして己の願望のためには合同合宿はどうしても成功させなければならないプロジェクトでした。

これらはやはり、発言権が増す主将だからこそ意見をガッチリ言えることであり、そういう意味でも主将になることは僕にとってはマストであり、やるからにはその責務は果たそうという覚悟は出来ていました。

そんな中、僕は駅伝の応援に寝坊してしまいます。前日三条のバイトで酔っ払いが柱に頭をぶつけ血がダラダラになりながら店の中に入る事件が起こりました。床もそうですが商品も血液が混じりそういった掃除、返品作業を閉店の23時以降にやっていたため、結局帰ったのが1時、ご飯と風呂に入って落ち着いた時には2時30分でした。駅伝は7時集合ですが場所が自転車で3分でいける場所なので6時40分に起きれば間に合いました。しかし疲れていたからか起きた時間は7時ちょうど、集合時間でした。しかし、言い訳をしたところで遅刻は遅刻。今はまだ主将ではないとはいえ、もう責任を持って動かないといけないなと考えさせられた瞬間でした。
また駅伝の選手も遅刻していたり、結果も散々でした。院生の2回の人も参加しており、その人がこんな駅伝ならやらない方がましだと喝を入れておりピリッとした空気になり、僕も選手ではないものの自分のことのように反省しました。このタイミングで中距離をやってた同期が抜け、同期は8人となりました。

責任の重さからか幹部交代の飲みではベロベロに酔いトイレで吐いては先輩2人に抱えられながら帰るという情けない始末でした。そんな幸先悪いスタートでしたが逆に今後は一切遅刻欠席をせず、お酒も悪酔いしないということを決めました。そして練習が終わる度に日誌を書くことにしました。それをすることで何が必要か、何を伝えるべきか明確になるからです。むしろ今までそういうことをノートにとるということをしたことがなく、何でしなかったんだろうと書き始めてから少し後悔しました。
こうして陸上部の主将としての一年に幕を開けていくのです。

第十二章 8-2の法則

年末B'zのライブに参加しました。その数日前、B'zは野外ライブに参加したものの、稲葉さんの声が出ないという緊急事態がありました。おそらく今まで30年弱やってきてなかったことで結局最後のアンコールでやるつもりやった2曲を歌い切り、その次は果たしてやるのか…!?といった不安もありながらのライブでした。
僕はもちろん聴きたかったですが今後無茶をして悪化してしまう方が嫌だったので10000円なんてどうでもいいからキャンセルとか縮小でもいいからしてくれと思いましたが、稲葉さんはライブにはものすごい誇りのある人でいつも通り開催しましたが明らかに最初の2曲は声がガラガラですでに限界でした。もうやめてくれ…そう思ったところでMCが入ります。まあ先日喉の調子が悪くなってですね、途中で終わることとなりプロとしてやっめはいけないことをしたと思っています。今回は全曲やるつもりです…みなさんがこの日のために時間をとって下さったのですから、声出ないと思ってるでしょ?出すから…!!そう言った瞬間ジャージャン!!ギターが鳴り、Just a Runaway! 止めないでよ 後悔は少なめのマイライフ!するともう歌い始めていてその曲は僕が好きな25年以上前のコアな曲でしかもこのタイミングで仕掛けられ全身が痺れました…しかも稲葉さんはやはりバケモノで歌えば歌うほど回復しており最終的には普通のレベルまでに戻っていました。
今までのライブの中で色んなことがあった補正もありますが一番心が震えたライブになりました。その翌日もB'zはライブをやっていたそうですが、その後は完全に治っていたそうです。やはり恐るべし稲葉さん…

年が明け、初詣にみんなで僕の推しの神社である護王神社という足腰の神社にジョグで行きました。これが最初の主将の仕事でそれからもきちんと気を引き締め隙のないように頑張ってきました。
部活全体の意識が今どのくらいなのかを推し量り平均値はどこなのか、平均ごと上げるのかそれとも意識が低い人を拾い上げるべきかを考えていたりした時に働きアリの法則を思い出していました。
簡潔に言うと働きアリのグループとして2割真面目で6割は普通、あとの2割はさぼりがちという法則があり、さぼりがちの2割を追い出したとしてもまた普通の中から落ちこぼれてゆきまた2割6割2割の割合は変わらないといったもので、中高から度々そのような話は出てきました。

今の部活もまさしく働きアリのような感じであり、2割は毎日ちゃんと行く、6割は遅刻欠席が当たり前、そして2割はほとんど来ないといったものでした。今は実質その6割が普通の扱いですがそれも低水準であるので言わば今の真面目な2割を6割に入れたいなと言うのが僕の願望でした。
しかし、今の真面目な2割がいくら頑張ったところで何の意味もなく方法としてはさぼりがちの2割を何とかその6割くらいのところに上げるか6割の人達のレベルを上げるか、さぼりがちの2割を切って平均を上げていくかの3択でした。
しかし、最後は分かるようにさぼりを消したところで法則通りだと次はその6割の中から数人さぼりが増えていくのであまり得策でも無いなと思ってました。しかし、さぼりの2割をこのままの状態でいさせるのも僕の目的である規律をしっかりする。を達成するのに難しい部分でした。

もっと僕にカリスマ性などあれば苦しい選択をせず、みんなをもっと良い方向に持っていけると思ったが自分には人のモチベを上げる力はありませんでした。もとより自分さえ満足すればそれでいい陸上観であり人生観だったので余計にモチベを上げさせる術が身に付いてなかったのだと思います。そのせいもあり後輩は結局ついてこれず早々に2人辞めることになりました。自分の代に辞めていくのは自分の力量の無さが直接的な原因なので心にくるものはありました。

グラウンドの整備は春休みにしっかり行い、山はでかいわ、雑草は草抜きではなく、根っこがゴボウみたいに太いのが多くほぼ土地を耕している人でした。なので負担もかなりあり、思ったよりしんどかったですがそれゆえの達成感も大きく、裏の目的である絆を深めるにはかなり直結できたかなと思っています。
そして一番心強かったのは何より同期で僕の行動におおよそ賛成してくれて、それに合わせて動いてくれたりしました。特に手伝ってくれた人は同期の女の子で彼女は大学から陸上を始めた人で、普段からおとなしく同期や後輩にも敬語を使うくらい距離感はありました。一浪してることもあってか、心の抱える闇が深く、その深さは僕と同等、あるいはそれ以上かと会話していくうちに察することはできました。

そんな今まで距離を置いていた彼女でしたが、そう言えば去年のバレンタイン芋けんぴを作ってくれたよな…俺は確かに芋けんぴ好きやけどそんな会話した覚えないぞ…と彼女は気を遣える人であり、その年のバレンタインも作ってくれました。あとグラウンドについても、雑草抜くのにはにがりを撒いたら効果的やで、サービス課に頼もうか?春休み終わって授業始まったら農薬に詳しい先生にあたってみて農薬の散布とか色々聞いてみるわとかものすごい親身になってくれてそのギャップに徐々に惹かれてゆく自分もいました。
彼女にも合宿のことを相談し、まあ私も実は合同合宿したかった、女子長距離1人しかおらんしとかなり肯定的に受け止めてくれました。しかし、合同合宿企画がかなり苦労することになるとはまだ思っていませんでした。

夏の合同合宿の前に仲良くなるという意味でも大阪府大とは合同練習もし、もちろん再び大阪府大に数人が乗り込み練習もしましたが初めて僕らがホストになって大阪府大を招き入れて練習もすることが出来ました。これは僕らの陸上部としてかなり大きなことで工繊は基本的にお邪魔させてもらってるばかりだった弱小意識からの脱却に少しは貢献できたかなと思います。
それはやはり僕と高校同期が主将になったからこそ叶えられたものだと思います。
そう言った自信が徐々につき始めていきました。

タイトルの8-2の法則ってなんやねん?って質問には今から答えていきましょう。ちなみに自転車事故の過失の割合ではありません。あの事故がほんとの意味で解決するのは3回生ですし、話する価値もないしこれからする気はありません。そもそも7-3ですしね。(3が僕)
まあ、察する人は察したと思いますが、働きアリの法則の応用と言いますか、むしろこの8-2の法則の応用に働きアリの法則が付随しているような感じです。
8-2の法則は自分が勝手に名付けた法則(まあ、絶対同じような法則はあると思いますが)ですが、つまり8割と2割があったとして、実際には8割がもちろん多くを占めているのですが目立つ方はその2割の方といったものです。

例えば普段真面目にしてる人が休むのと普段休んでる人が休むのだとどちらが印象に残るだろうか、それは前者だと思う人は8-2の法則がしっかり適用されているのです。普段真面目な人はちゃんと来ることがベースとしてあるのでそれとは違うことがあった時に大きな違和感があるわけです。それとは逆に普段サボっている人はいないことが前提になっているので別に休んでも違和感はなく、むしろ来た時に褒められているという経験はないだろうか。実際はちゃんと真面目に行ってる人の方が褒められても良いはずなのに、結果行かなかった時に叱られるだけで真面目な人の方が損をするという訳です。

これが僕が主将になる前にあり、朝練習僕はたまたま2分遅れてしまった時に僕の1つ年上の先輩が、おい、これから幹部になるんやから朝はちゃんと行かないと…と注意され、その数分後元主将である朝に来ない彼が珍しく部活に来た時は、お前来たんや、なんややれるやんと僕より遅く来たことを咎めずむしろ来たことそれ自体に誉めていたのです。また注意した先輩も5回に1回しか行かない人だったので自分自身は4回来ない間にしっかりやっているのに…とそのへんの理不尽さには疑問を持っていました。

なので少なくとも裏でそう思われない人であろうと言うことと、説得力を増やすためには普段から厳しいことを言うのではなく、それこそ8-2の法則で普段は緩いベースの性格にすることでそういった人間が注意するという非日常性を与えること…更にその2の中でさらに8-2に細分化し、8を注意し2を褒めることにより2の印象を強めつつ8を全体的に伝えていく方法を取りました。

8-2は依存についても当てはまりマウスの実験でボタンを押すとチーズが出てくる仕掛けがあり1匹のマウスには1回押すとちゃんとチーズが出てくるもの、もう1匹のマウスには5回押さないとチーズが出てこない仕掛けのものと2つに分け実験しました。すると驚くことに5回に1回の仕掛けの方が明らかに体重が重くなっているという結果が出たのです。これこそが依存で人は100パーセント当たるものより20パーセント当たるもの方が快楽の中枢が刺激され、マウスならよりそのボタンを押したくなってゆくのです。

まさしくギャンブルこそがそれの典型例で8-2の2の快感を忘れられず8を失ってしまうわけです。
依存というものは本来はやってはいけないと認識してるからこそやってしまいたくなるものなのです。その根本には出ないことが当たり前だと思ってるからこそ当たった時の非日常感から得られる達成感のような快楽を生み出してしまうトリックがあるということです。

僕は8-2の法則を利用し、バイトでは普段テキトーにしてちゃんとした時に頑張って誉めてもらう形式を上手いこと編み出し部活との両立に成功させました。
また普段エロいことやくだらないことばっか呟いて2割真面目なことを呟いたら、こいつ思ったより真面目な部分もあるんやとその2割を本質的な部分であると錯覚させるのがTwitterでした。

第十三章 決別

主将になる少し前の話……元彼女との別れからはまた京大B'z同好会メンツの界隈にお邪魔し、NF(京大の文化祭)でナンパをやれ…文化祭で普段よりたがが緩んだ女性が多く集まり、そこ目当てでナンパをする輩も多い。確率も高いし、何より圧倒的に女子大生が多いという絶好のチャンスだ!まあそれまでに自主的に違う場所でナンパをするのもありかもな…という通達が来ました。
師匠いわく文化祭で来るナンパ師は三流、二流は街中でのナンパ、いつでもどこでも出来るのが一流のナンパ師だとおっしゃていてこの間はナンパするためだけに鳥取まで出向いたそうだ。いつの間にかキャビンアテンダントの彼女とはこういったナンパしていることがバレて別れたらしく、ボスもバレちゃ仕方がない。逆に言えば『相手にバレなければやっていないのと同じ』、少なくとも相手にはそう捉えられるからな…バレた時は僕たちが悪いから言い訳はダメだ、それならバレずにやるんだなとこれもなかなか価値観が狂うような発言をし、まぁー同好会がイベントやる日はあんま粗相起こしちゃダメだから別日にナンパやってね。
そう言うとお金を全員に徴収し、ポイント制で声かけ、LINEゲット、誘い出し成功、ゴール(セックス)成功でそれぞれポイントを設け一位にはその徴収したお金から賞金をゲットできる仕組みでした。
まあ、君は多分勝てないやろうから今回はお金はいらないよ、でもゲームには参加してね。正直ナンパどころでは無かった精神状態だったので、軽く空返事だけしました。
まずは小手試しに府大の学祭でやろうかなと思っていたのですが、やはり芋ってしまい、ただ少し積極的に祭りを楽しんだだけでした。

NFは陸上部の後輩や先輩と行きました。当時のNFはお酒の無法地帯だったので色んなお酒を呑むうちに色んな女性と会話したり手相占いの受け付けしてた女の子とははいっ!俺の手相!とただハイタッチしたりナンパというよりただテンション高い人になってしました。たまに酔っ払った女子にLINE交換しようよ~と絡まれ、点数になるけどこんな女子とやってもな~とか思っていると同好会メンツがたまたまいました。

いやーでも女子大生はあんまり上玉がいないな…羽目を外した女子なんてこっちからお断りだよ…何でもかんでも遊ぶのは最初だけ、女性との試行回数が多くなるうちにどのような女性と関係を持っていった方がいいのか分かってくる…それが分かってきたということは男としての価値も上がってきているわけだ…無理やり下に合わせる必要はない…初めて会ったメンバーは僕よりも少なくとも一回り上の人で彼らもまた大人の魅力が舞っていました。そりゃナンパに勝てる訳がない…それと同時にこの界隈から足を洗おうと考え初めてもいましたが、この恋愛工学に少し傾いている自分もいました。
理論を実践するということが恋愛テクニックだけという訳でもなくやましい使い方をせずコミュニケーションとして用いることは全然可能な物もあったからです。

たとえば相手にイェスを言わせるような質問をいっぱいしていく、すると肯定的な答えをしていくうちに潜在意識的に心を開かせ信頼関係を構築する「イェスセット」、イェスでもノーでも自分の思い通りの答えに持っていく「ダブルバインド」(例:飲もうかなと思ってるけど5日にする?7日にする?←飲む前提で話すことで飲まない選択権を用意させない)相手の話すスピードや会話の内容などを合わせる「ペーシング」、スピードだけでなく声の調子や仕草も真似る「ミラーリング」、相手の言葉をそのまま返す「バックトラック」
「返報性の原理」相手に何かやってもらうと返さないといけないと思わせる心理、こちらから時間を制限し自分は忙しい男であり、相手への優先順位を下げることで人気者だと錯覚させる「タイムコンストレイントメソッド」(例:あと10分までしかないけどその間だけ店で呑む?←時間を提示することは特に初対面相手への信頼(その後がないことも分かるので)を得るにも効果的)
その他にも教えとして、相手につまらない質問するな、共通の体験で相手に安心感をもたせる、そして逆に相手がつまらない話を始めたら信頼が出来上がった証拠でもある
連絡先交換した後は相手にLINEをあえて待たせて焦らせる。自分を優位に見せることこそが大事で男は商品。自分を売り込むには絶対安売りはしていけない…etc

これらを全てやった訳ではないですが上手く利用すると驚くほどに女性と上手く会話できるようになったのです。(魅力的かは別の話)それと同時に女性と男性ってさほど差ってないんだな、僕がただ壁を作ってただけだったんだなということを話すことができてようやく知ることができました。女子への耐性が今まで-15000だったとしたらようやく-500までにはつくようになり、そんな小手先のテクニックを使わなくてもいつしか話すことが出来るようにはなっていました。

冬のある日、淡路島出身の先輩と会い「おい、街コンやってみるか?」先輩に誘われ、僕もその小手先テクニックを交え実践することにしました。
街コンは女性は2000円、男性は6000円と高くすることで丁度1:1の割合にし、男2:女2で15分ルーティーンを6回繰り返し、15分終わった最後にはLINEを交換するといったものでした。
街コンの中でも学生コンだったので男性は高学歴の院生が多いのに対し、女性もレベルが低いって訳ではないですが、2~3回生が多い印象でした。

しかし先輩は辺りを見渡し、いや…今回はハズレだなと言った後それでも女性と会話していました。先輩も昔こそ少し女性への抵抗がある人でしたが、今では普通に話せる上知識もあり面白い人でもありモテた人でした。今の僕はその先輩の下位互換に過ぎず、先輩のトークのペースにただついていくことしか出来ませんでした。
2組目を見たらなんと先輩の同い年で医学部の人でなんと知り合いの知り合いでひたすらその友達の話で15分が終わりました。可愛さも性格もその人達がピークで、正直誰もピンとくる人はいませんでした。
しかし、僕はあまりにも飢えてて試行回数がほしかったので幾人かには連絡をしました。それを見た先輩はやめとけやめとけ、ろくなやつはおらんかっただろ…と言われましたが、確かにそうでした。

すると先輩は俺は昔一度告白されたがその子は俺が当時塾でバイトしてたときの女子高生だったから断り、それ以降、一度ここと同じ街コンに参加し、陸上部でいい子を見つけたそうだが一度デートしたがそれ以降の連絡が途絶えその傷心を癒やすための今回の街コンだったらしいがその人を越えるような人がいなかったため意気消沈していたらしいです。

僕がここ1年の間色々迷走していることを先輩は知っていました。そして先輩は話し出しました。
俺は思うんだ、生きづらいなって…周りに合わせてまで生きる必要性ってあるんかな…先輩は僕と同じ悩みを抱えていました。まあ、俺は答えを見つけたんだけどな、生きる「意味」なんて必要ないと思うんよ、何で生きてるのか…そこに答えはない。強いて言うならば人と出会うために生きている。思うんだ、なぜそのタイミングでその人に会ったのか…これは全て然るべきタイミングで出会ってると思えてきたんだ。
俺は生きづらいなと感じているときにある有名YouTuberと知り合って、そう言った人とかあーこいつはすげーなと思う人とは素の自分でもちゃんと仲良くできたんだ…これが何を意味するかというと、自分と同じ感性の人は絶対いるし、わざわざ合わせる必要はないってことだ…それに自分で言うのもあれやけど俺はできた男だと思ってる。そして、今俺といるお前も数少ない分かり合える人だ。だからお前ももっと自信を持てよ…もし、お前も同じ悩みをしてるなら今言ったことが結論だし、違う悩みがあるなら、然るべきタイミングで何らかの答えが見つかるだろう。そのためには生きないといけない。全てが伏線のように回収される日がやってくるかもしれない。俺は1つここで踏ん切りがついた、前の女は諦める。また、出会うタイミングがあれば良い人に巡り合えるだろう。今日はありがとな

いつもその先輩は然るべきタイミングに然るべき言葉をくれる。僕は僕のままでいい、そしていつか僕を肯定してくれる人がいることを信じて…生きていこう…少しずつ未来が開けるきっかけができた気がしてきました。

第十四章 紡がれし運命

これが運命論の全てのきっかけでした。自分はそういえば運命に従っているなとそう思えてきた時は何度かありました。たとえばこの白陵に入ったこと、そしてアレルギーだったことは自分の運命だったのではないかと考えることがあり、いつももし普通の中高だったら、アレルギーじゃなかったらと考えることが多かったですが、それ以外の人生だったら自分が自分じゃなくなるのではと思いました。
また、陸上部の出会い、B'zとの出会いもまた特別なものでそこに所属していなかったらその人達に会えてないわけでした。陸上部に入るきっかけも些細なものでもしそれが違う部活ならB'zとは出会えてなかったですし、大学も陸上部に入ってなかったでしょうし、B'z同好会にも入ってなかったですし、この運命論とも出会えていなかったでしょう。この話はまたすると思います。なぜなら運命は単体ではなく紡がれていくものだからです。

今はここに書いていないそれほど大事じゃないことが後々に大事なきっかけになることがあるからです。実際2回生の終わりにも2つ伏線が回収されたことがありました。

1つは高2、ロンドンの修学旅行での恋愛奇行を覚えているだろうか(詳しくは高校編②)。その時の彼女には大変迷惑をおかけしその子は高3からハンガリーの大学に受験するため途中から会わなくなり彼女とはそれ以来どこで何をしているのかも知らなかったです。それはそれで僕のこの黒歴史は黒いまま葬り去られたと…そう思ったのです。

僕は3月の陸上の試合、ここもまたケガ明けだったのであまり良いタイムが出ませんでした。その帰り際ずっと一緒に練習していた府大の後輩の女子にすいません、○○って知っていますか?と聞かれました。○○は何か聞いたことある名前でした。それとロンドンの記憶が蘇り同時に身の毛がよだつほど恥ずかしさがこみあがってきました。まさか……!?あ、言うの忘れてました私の友達なんです。

うおおおおおおおおおおおおお!??!??!?

えっ。しばらく脳が混乱していました。
彼女とは塾の時に会った友達でたしか、宮崎の医学部に受かったらしいです。
えっ?えっ?ハンガリーは?あれ?塾?えっ?
その後輩もそういえば浪人して僕と同い年でした。そしてその塾に彼女が居たってことは…?ハンガリーって何なんだ!?
あ、ハンガリーにいたのは1年半前の話で私が浪人してる秋頃に入ったんです、で多分それから1年半浪人して宮崎に受かったんだって!それでこれから合格祝いってことで遊びに行くんです。

まさかロンドンの彼女がまさか日本に1年半前からいたのには驚きですがまさか後輩とつながっていたのはとんだ想定外でした。僕は後輩には良いカッコしかしていないのでそんな黒歴史を知ってる人と繋がりがあるなんて…やべぇ…やべぇぞ…弱めを握られる~こんな偶然ってあるんだな…って高校編を読んだ人には分かるかと思います。
ロンドンの彼女は宮崎医学部に受かり新しくTwitterを開設しており当時は20フォローほどでしたがメンバーが白陵の女子とおそらくその塾のメンバーだけでその中にやはりその後輩もいました。やはりにわかには信じられませんでした。

この3月は面白いことにもう1つ偶然がありました。
B'z同好会はNFともう一つイベントがあり春休みに津山へ旅行するといったものでした。
津山とは岡山県にあり、稲葉さんが生まれてから高校生までいた故郷でもあります。そこで稲葉さんのお母さんが自宅で資生堂を経営してるのでそこに行くというのがファン恒例でした。それもB'z同好会として日帰り旅行で行くというものでした。10人ほど参加し、もちろんボスも師匠もいました。
師匠とはこの中で唯一同回ということもあり仲良く動いていました。
この頃には僕は大学陸上部の同回の女の子と事務的連絡から徐々に仲良くなっていき、明日津山行くんよと言ったら、えっ?岡山?私の地元じゃけ、そう、彼女の地元でかつお父さんとお兄さんのお勤め先ということもあり、地元の話やB'zの話で盛り上がっていました。
そして津山城で集合写真を撮りそれを彼女に送りつけました。すると、いや、人違いかもしれんけど知り合いおるかも…とLINEが来ました。いや、もしかしたら合ってるかもよ…名字だけでも言うてみて、本人に聞いたらわかるし、と言うと師匠に丸を付け、もしかして彼、××くん?

うん、合ってる…そして丁度その師匠が隣に居たのであの○○さんって知ってます?

そう言うと師匠がえっっ??なんで知っとるんよ!?と聞いてきたのであ、同じ陸上部なんすよ~今LINE取り合ってたんですよ…と言うと彼が目が点になり、あ、あいつ工繊に行ってたのか…しかもあいつが陸上部!?!?あいつ茶道部やったよな??そういや走れる茶道部だったなー(笑)

え?高校が一緒?

彼女側もあいつ、塾ん時一緒のクラスやったけどそういえば京大受かってたんやなって見てたわ、あんなやつが受かったのに私はなんで受からんかったんやろって…

え?浪人時代も一緒?

そういえば彼とは高校ん時3年間一緒だったわ、浪人時代も一緒だったから4年一緒だったのは彼しかいないわ、変な人やからよく覚えとる

いやー彼女とは4年一緒やったけど何考えとるか分からんやつやったな…

帰りはひたすら師匠の直接聞いた話と彼女からのLINE話でずっっと盛り上がってました。

まさか、僕の師匠と陸上部同期が知り合い同士だとは想像だにしてませんでした。
まさしく陸上とB'zを知っていたからこその「運命」でした。これを機に彼女とは一気に仲を深めることになりました。当時は付き合うとは思っていませんでしたが、今思えばこの偶然が完全にきっかけだったと言えるでしょう。

この2つの運命は偶然なのでしょうか、否、もう必然なのでしょう。
然るべきタイミングに然るべき人と出会う…この出会いは僕にとって間違いなく大切なものになる。そう確信しました。

そう振り返るととても濃い一年でした。B'z同好会の出会い、400m50秒切り、自転車事故、彼女との別れ、そして運命の出会い…この出会いがまた新たな糸と糸が複雑に3回生で絡み合うことになるのです。
一年間長いこと語り過ぎてすいません、これより長くなることは無いと思うので安心してください。大学編③へ続く…