自分の半生 ~大学編③-3

主将を交代してからの3回生、特に大した理由は無いけど既に死のうとしていました。強いて理由を挙げるとすれば生きる理由が無くなったからです。
陸上が生きることの全てだった僕がどうして今生きているのか、それがここで明らかになります。

第十一章 5つの人格

バタフライエフェクトというものを知っていますでしょうか、蝶の羽ばたきが嵐に起因するのかを説いたのが言葉の由来とされ、非常に小さな事象が大きな結果となっていくことを意味しています。

まさしく陸上を始めたという小さなキッカケが自分の人生を変化させるようなさまざまな事象を生み出したのです。

でも僕はその逆もあるかなと思いまして、僕は本を読まないものですから知識はないですがまあ、「風化」あるいは「収束」と言うべきなのでしょうか。人は感動したり悲しんだり喜んだりしますがこの気持ちは永遠には残りません。そして記憶というものもそうで徐々に薄れてゆくものです。

僕はかなりその風化に怯えている人間であり忘れ去られることが一番怖いことでした。それは自分が忘れやすい生き物であるからです。
いつか悲しんだとしても数年後には忘れていくような、反省したこともすぐ忘れるようなダメな人間です。
いつか死ぬと人が悲しむから死んではいけないと誰かが言っていましたが、そりゃ死んだ時は悲しい気持ちになるかもしれませんが、数年後したら悲しみどころか皆忘れてくれるはずです。それは生きる上で必要で毎日憐れんでちゃ心が壊れてゆくからです。

まあ、つまり僕は死ぬということに関しては確かに悲しんでくれる人はいるかもしれないし、悲しんだフリをしてるだけの人も当然いるかもしれないし、せいせいする人、興味ない人も大勢いるでしょう。
でもそれら全ては数年もしたらみんな風化して忘れてくれるだろう。そう思ったのです。

また、死んだら迷惑かかるだろう…と言う人もいましたが、そもそもその考えを出来る人は死にません。それは完全に生きる側の発想なのですから。当然迷惑でしょう。手続き、しきたりなどで時間とられる訳だしお金とられる訳だし、荷物とかも残していたらもっとその処理もめんどくさいでしょう。

しかし、生が責任ならば、死は無責任。死んだら迷惑になるだろなということすら考える必要がないのです。死んでるから。

僕は未熟でした。出来た人間でもなければ、何かしたいというワケでもありませんでした。いつか受け身的な人間を蔑んでいましたが、3回生でイライラしてた理由のほとんどは主将であったことによる責任でした。
別に相手のことがどうでもいい立場なら多分辞めることになんて全く気にも留めなかったでしょう。そしてそっちが本当の私であり、全ての責任から解放されたがっていた私でありました。

僕は人格が複数あると言っていましたが、事の発端はキャラが定まっておらず環境が変わるごとに、あるいは人が変わるごとに人格を八方美人の如く相手に合わせていったことから始まりました。
高2では逆にそれを1つに合わせたことで一時期の苦しみを乗り越えましたが、大学ではよそ用の自分を用いることが増えるうちに社会に徐々に慣れ親しめるような優しく緩い人格が形成されてきてる一方で本当の短気で破壊衝動的な自分が肩身狭くこちらに顔を覗かせてはストレスなどかかってしんどい時には本当の自分が襲いかかってきて善意で満ちた優しい方の自分を蝕ませていました。

こうしたストレスを抱えていくうちに更に人格の乖離が始まりおおよそ5つに分かれました。と言ってもはっきりとではなく1つの大きな部屋に5つに分かつ膜のような壁が敷かれているだけで普段からその5つの人格は目覚めていてその大小が気分により変わるといった次第です。分かりにくいですね。
メリットはより客観的な視野が得られること、一度に5人分の考えができるわけですから。デメリットは気分が良い時でも劣悪な自分がそこにいることです。いわゆる「これ」のせいで幸せを享受できない自分がいたりします。じゃーどんな5つなのか説明したいなと思います。

まずは「優しく緩い」人格です。これは大学生になってから大きくなっていきました。おおよそ陸上部に見せてた人格はこれでしょうか。まあ、気の置けない仲になればこうなりますが、無理やりこの人格を出すと相当なエネルギー消費になります。柔軟な対応や運命論など流れのままに生きる発想はここでします。

そして「冷たい」人格は生まれてからずっとあった本来の自分です。愛想が無いと言われ、かといって話すのが苦手、というより一人になりたいので極力会話は避ける。基本ネガティブです。そして哲学はここで生まれたりしていますし、Twitterではここの部分は結構出してるんじゃないでしょうか。
学科の時や家族と居るときの自分はまさにこれでした。一番省エネで動けるので楽なのです。まあ、多分これはみんなあると思いますが。

高校から爆発したのが「テンション高い」人格で一気に思考が停止し鬱陶しい存在と化します。陸上で走る時にはこの人格にスイッチが切り替わります。本能的なのでまあ、エロいこと考える時もこれに属すると言ってもいいでしょうか。

まあ、これが基本的な「表」の人格で裏は闇と病みがあります。
「闇」は昔から存在していた人格で「優しく緩い」人格の裏部分と言っていいでしょう。
要領の悪さなど自分や他人への鬱憤を怒りとして他へ発散していくもので、小学校編でもあった破壊衝動などはこれの典型例であり家庭環境のせい、学習環境のせいと周りのせいにするのがこの闇でした。
今はそもそも緩い性格が大部分を占め、期待するという行為が無くなってしまったため、怒りはあまり生まれることがなくどちらかというと呆れるだとか蔑みのような感情で処理されているため、相手に見せることは少なく今は一番小さな領域になったと言えるでしょう。

もう1つの「病み」、これこそが高2からのストレスで増えた「テンション高い」人格の裏部分でもあります。つまりテンション高い時は病みを覆い隠そうとしている時が多いです。

ストレスが溜まっていったときに闇は相手にぶつけていましたがこれを全て自分に向けることで相手への迷惑を最小限(まあ、病んだ自分もはたから見たら迷惑ですが)にしようとする人格です。
全ては自分のせいだと帰結することで問題は解決される訳です。自分の発言、自分の能力不足、自分の行い、自分の及ばなさ……自分のこの性格。

これもまた大学生になってから闇の縮小と共に大きくなっていき常に僕の心に棲み着くようになりました。

つまり、何が言いたいかと言うと死にたい、どうせ自分は価値の無い人間だと考えているのはこの「病み」の人格であり、それをまだ全力を尽くしてから考えればいいと訴えるのは「優しく緩い」人格であります。
「冷たい」人格がこの悲しみの風化を唱え、闇がこれ以上この世界に生きていても満足感は得られることはない、無駄だと助長させています。その嫌ったらしい考えを打ち消すために「テンション高い」人格を利用し、400mなどで心を無にしたり快楽として昇華して気分を紛らわしますが、やはり「病み」が大きすぎるので抱えきれなくなっている…といったものでしょうか。

人格を説明したのは上の構図を分かりやすく説明するためです。

主将になるということはこの優しく緩い人格とテンション高い自分のフルスロットル状態が続いたのでちょっとしたことでストレスが溜まっていました。
幹部は交代し400mは大型ルーキーの後輩に任せることになりました。生意気レベルはどんどん上昇していき、平気で部活をサボることもあればケロッとしていて自分より遅い人の意見は聞かないようになっていました。そんな彼はおそらく僕の練習のやり方に気に食わないところがあり、自分流のやり方で押しつけるようになりました。
これに関してはタメになることも多くいわば技術の応用でこれを使えばもっと速くなれるといったものでした。
しかし、それはあくまで基礎がしっかり出来ていることが条件であり、それも要領が悪い僕だったりするとなかなか身に付かず、彼はそういう要領悪い人達を真面目にやっていないと捉えていました。
また、僕は走りたいのに技術の応用ばかりなので走ることも出来ずくすぶっていました。しかし、それは自分が別日で走ればいいわけだし、そもそも今彼が「主」なのだから引退した身分が口出しするのは間違っていることだと思っていたので黙って従っていました。

そういったOBは黙って現幹部に従うのが筋道であるといった考えが今後この部活を崩壊させるのでした。
そして何より僕は主将を辞め、責任から放たれた瞬間からそういった彼らには怒りという感情がさっぱり消えてどちらかというと諦念に近い感情へと置き換わっていました。

第十二章 同期

11月1日、1人のスーツを着た男性が大学の製図室に来て、設計興味ある?と聞かれました。僕は無いです、あ、これから授業なのでと立ち上がるとまあ、資料だけ渡しとくよ…あと何かあったら連絡してなと名刺を渡されました。これは僕が現在入社した会社との出会いのきっかけです。

そして建築のグループLINEでたまに流れてくる会社の紹介、どうやら先輩とのつながりのある同期がOB訪問などの招待をしているようでした。
僕はたまに目を通しては大体部活かバイトでその元々入ってた予定を消すまでして行きたいという意欲も特別ありませんでした。
しかし、その名刺のもらった会社…のOBの説明会があると聞き、部活と少し被ってはいましたが少し気になったので行くことにしてみました。

するとそこに10人ほど学生が座っており誰も知らない人だったのであ、2つ上の人達か!やべ、行くとこ間違えた…。そう思っていました。事実OB達もここの卒業生ですがみんなこの会社を「設計」で院に入っている人でした。しかし、2人中1人は都市研で、そこからも設計行けるんだと思いました。
志望には設計と施工の2つがありました。施工?大工さんよな…確か。じゃーさすがに俺のやりたいことと違うか…でも設計はやりたいわけじゃ無いんだよなーと悩んでるうちに
で、設計行きたい人?って質問には何と全員手が上がっていて僕も思わず上げてしまいまして、志望が設計になっていました。僕はその説明会を聞き、興味が湧いてきたというより、チャンスを逃す訳にはいかない!と思い、選考を受けてみることにしたのです。設計ですが。

12月になると大阪の本社での面談があり、その人は最初に製図室で会った人でした。え、会ったことあるやんな?と最初に聞かれたので覚えて下さっているんだと少し嬉しくなっていました。どうやらその人も陸上部らしく、しかも今いる現役生より誰よりも速い長距離選手でした。彼は若かったので工繊でかつてめちゃくちゃ速かったOBの人を知っていたことから陸上トークでしばらく盛り上がっていました。

設計志望なん?あ、はい…と言うしかなく、まーでも院生じゃないと正直難しいかな、学部生だとそれなりに設計の意欲や実力がなけりゃ厳しいね、それはそうと来月設計は最終を取ろうとしてるんよ。その試験に参加してみる?と聞かれました。
答えははい!でした。別に自分の実力だと落ちるだろうと思っていたし受かったらラッキーぐらいの気持ちで、それよりもどういうことをしているのかを知りたい気持ちが増しました。

しかし、それが落ちるということは次のチャンスをまた見つけなければなりませんでした。しかしどうも意欲が湧かない時に加古川東の同期が就活をやっており、この説明会行こうぜと誘われました。
しかし、彼は前日あたりにキャンセルし、道も分からないまま僕は説明会会場に行き、迷い過ぎたために8社ほどあったのにもう2社しか説明を受けれない状況でありました。まだ例の天井裏の耐火性能問題が露呈する前の壁が薄いことで有名な某会社を見て、おっ!この会社をまず第一志望にしてみようと思いました。しかし、ネットで調べると良い評判は無く、給料もかなり少なめで一瞬にしてやめようと判断し、また説明会の旅へと出かけるのでした。

幹部交代を機に何人かの同期は引退することになりました。そもそも3回の時点で8人、投擲が6月で抜け7人、そしてマイルの腕骨折した彼は途中からラブライブ!の演者へと生まれ変わり幹部交代よりも前に実質引退していました。彼は個人的には好きでB'zも好きという共通点があったのでライブに2回一緒に参加したりしました。ただマウント取りたがるところや飲み会だとかのイベント事は来ない所があるのでそういった部分が合わない人がいてたりしました。

そして宴会担当の声大きい彼は2回生まではモチベにムラがあったものの最後の方はものすごく真面目で後輩を引っ張って行き駅伝では一番の貢献をしました。僕は短距離だったこともあり長距離選手の面倒を見てくれていたことはものすごくありがたく、僕を支えてくれていた存在でもありました。

400専門一緒だった彼は宴会担当の彼と同じ学科ということもありそのへんでつるむことは多かったですが、雨の日は部活に行かないというのだけは苦労しました(まあ、気持ちは分かる)が、後半からはちゃんと来てくれたし、よほど走るという行為が好きだったんだなというのが印象的でエクスタシーの良き理解者でありました。

兵庫出身の彼はケガに悩まされる時期が多かったものの折れることなく時にマネージャーとして時にただひたすら筋トレしたりかなり熱心でストイックなとこがありました。学祭では進んで担当を受け入れてくれたり近畿国立は主将の仕事ですが、僕の苦手なExcelを用いたものだったので彼がやってくれたり、本当に主将を副将として仕事を自ら進んで行動しそして支えてくれたのは助かりました。

3つ上の彼は最初は僕との陸上への熱意の差で怒られたりしていましたが、主将になってから徐々に僕のことを認めてくれるようになってきて、まあスピード面では彼に及ばず僕では不満なところはあったと思いますが、それでも一緒に切磋琢磨し合え、お互い速くなって結果マイル優勝した時は彼がいて本当に良かったと思えました。

兵庫出身の彼と3つ上の彼は僕と同じく幹部交代してからも部活をしばらく続けることを選択し、それからより絆も深くなっていきました。

府大の同期ともお世話になっており、途中1人学業で抜け3人にはなってしまいましたがマネージャー、そしてキャプテンにもまあ、会う頻度は少なかったですが仲良くやっていたかなと思います。特にお世話になったのは加古川東の彼です。

まあ、元々同じ地区であることと、大学の通学路にあったことから工繊の同期よりも仲良くしていました。俗に言う親友ってやつでしょうか。まあ、相手はどう思ってるかは知りませんが。
性格は真反対でした。ものすごく情熱的で大きな夢に向かって一直線に進める人でした。そして実直で言葉に良くも悪くも本音というものを感じさせる人でした。僕は彼みたいになりたいと思いつつ、要領が悪いところは僕と少し似ているところがあり、彼は僕とは違う壁に苛まれていました。ただお互い間違っているなと思うことは真面目なことでも本当にくだらないことでも正直に言い合える、そうやって激しくぶつかれる存在が大学ではいなかったので心が救われました。

一番はやはり同期の女の子、つまり当時の彼女でしょうか。この時はその加古川東の彼以外の誰も知りませんでしたので部活内では同期の1人として仲良くしていました。裏では主将としても、また1人の男としても支えられていました。

実は付き合っていましたが、その一週間後にやっぱ好きじゃないわと言われます。僕にとって特別な人でも彼女にとっての僕はただの1人に過ぎなかったのでしょう。
それと同時にバイト先の人にデートを誘われ僕は迷います。自分が好きな人より好きでいてくれる人の方がストレスを溜めずに済むのではないかと…しかし、その女の子とはスケジュールが幾度も合わず、これは結ばれるべき運命ではないと思ったので軽く諦めました。

加古川東の彼と後輩の女の子と焼き肉食べに行く時に彼女を何度か誘いましたが、何度か目にしばらく誘わないで欲しい、LINEもしばらくやめたいと言われました。恐らく彼女も相当ストレスが溜まっていたのだろう。
それから連絡をするのをやめていました。しかし、1週間後くらいにはケロッと治ってたので安心しました。そういったことは何度かあり、その度に心がグチャっとなりましたが次第に慣れていきました。

そして、忘年会…なんと同期7人全員が集まりました。これは何やかんや初めてだったと思います。
そして二次会では同期全員でダーツしました。1人吐いている人もいましたが…。そして1人は抜けましたが6人でカラオケして犬猿の仲であった3つ上の彼と宴会担当の彼がデュエットで初代プリキュアを歌ってたのは個人的胸熱でした。終わり良ければ全てよしと言うがそういった達成感みたいなものが夜明けまで歌と共に響き続けました。

第十三章 就活と終活

1月になって断捨離をし、準備を着々と進めていきました。
生きるも死ぬも結局は自分が決めること、それに気付いた人は使命を自分に背負って死なないようにしてるんだろう、なんてすごいのだろうか。僕はそこまで立派じゃない…もうしんどくなっていき、せめて夏休みとは思っていましたが春休みでも悪くないかなと思っていました。おみくじは末大吉でした。最初はしんどいがうまくいく。それを信じたい自分もいました。

一方彼女は相変わらず忙しかったもののクリスマス時期には彼女の家でピザを作ってくれました。僕は初めてピザを食べたのでものすごく感動しました。部活を引退してからも一緒に走ったりしていました。しかし、無理をし過ぎる性格があり普段から必要以上に自分を追い込んでしまっている姿は僕も痛ましいと思っていました。
なぜ彼女はここまで追い込むのか、そしてたまたま話が自殺になっていたので聞いてみたのです。

もし自殺されたら困る?そう聞くと人によっては困る。でもあなたは死なないね。大抵死ぬ人は溜め込む人だもの。吐き出せる人は死なないよ。LINEではあったものの、彼女が何かを隠してるなと思いましたが、教えない。と言われました。ただかつて優しかった教師が突然自殺した話を聞き、人はいつ死なないか分からないよと釘を刺されました。
そうか、僕は死ねない…か。面白いじゃないか、でも今も生きているわけです。結局先延ばし先延ばしにしてるだけの死ぬことすら出来ない意志の弱い人間なんだろうね。と1人頷きました。

僕は何やかんやで勉強はしっかりしていました。ただ、一級建築士の資格など取るような職種はやめようと思っていたので程々に単位を獲得しました。
また、就活も説明会を中心にあ、なんて不動産の会社はイケイケなんだ…すぐに病みそう、やめとこ、…アットホームが売りなのは絶対地雷よな…大手は何かものすごい学生や他の会社を上から目線で話すな、気付いてないんだろうか、愚かさを…と入りたくない企業はポンポンと出てくるのにしっくりした会社はありませんでした。

やはり一番最初に会った会社が何となくピンときていました。そこに設計試験を受けにいきまして、試験時間は4時間ありましたが全然足りませんでした。手応えは全くなく、改めて自分は設計に向いていないことが分かったのが収穫とも言えるでしょう。
電話がかかってきたら合格だと思って下さい。不合格の人はかけないので…

でもこれで終わるのは嫌でした。今のところここを越える場所が無かったからです。学校の就活の資料にその会社のインターンがあったので設計ではなく「施工管理」の方に行きました。

施工管理の存在はそれこそこの会社の説明会の資料を見て初めて知りました。
建物を建てていく職人さんの管理など様々な管理をする仕事です。かつて心理テストで僕は管理する人が向いているという結果が出たので非常に根拠は薄いですがいけるのでは…少なくとも設計よりは可能性があると思い、他の会社でも施工管理を中心に回っていきました。

部活も同時にやっていましたが彼の技術練の多さに身体が悲鳴を上げ膝裏を痛めました。それからは就活一本に絞りました。って言いながら1月に説明会1つと設計試験、2月にインターン2つと工繊で開かれた建築だけの説明会に行っただけでした。建築の説明会で大学院に行く同期の男がいて誰が就活しているかを聞きました。
僕は学科との連絡をほとんどしていなかったので思ったより多く、そして思ったより前に決まっていることも知りました。建築業界は決まるのが早いのです。
ほとんど人がいなかったのでその日にいた一通りほとんどの会社を回りました。大手から中堅まであり、やはり大手は無いなと思っていました。

僕にはいくつかこだわりがありました。1つは海外転勤など転勤が無いところです。これは完全に大手はその連続なので真っ先に消えました。
あとは関西中心であることや、福利厚生や休みなどがある程度はっきり宣言出来る会社(ここを濁す会社が建築業界は多い)それがしっかりしているなという会社帰りが6社中、2社ありそのうちの1つの会社は第一志望と遜色ないくらい良いと感じたもので、その会社はこの場で一次面談が決まりました。

教授もいて、良いとこ見つかったか?と聞かれたので一番良かった会社を挙げると、そこはおすすめだぞ、本社が十三で会社帰りは飲み放題だ!ははは(笑)まあ、それは置いといて良い人材もいっぱいいる。工繊の先輩もいっぱいいるしな、頑張れよと少し励まされました。

結局最初の会社を第一志望、工繊で見つけた2社をそれぞれ第二第三とし、もう一つインターンに言った戸建ての会社を第四としました。

第一志望と第二志望の差は個人的にはそこまでありませんでした。第二志望のメリットは休みが多いとこ、実力出世であること。しかし、これは裏を返せば実力が無ければ落ちこぼれます。

そして最大の原因は母親でした。正直今まで語っていませんでしたが色々とありました。まあ、ここに書くとただの愚痴になるのでやめました。でもここだけは書かせて下さい。先に言うときますが困った時には優しい母親ですので、良い親ですよ。

そもそも大学で陸上を続けていることも否定されていましたが、そこはもう自分のバイトのお金で払っていましたし、距離も離れていたので無視しながら生きてました。あなたは良い会社に入るためにここに来たんでしょ!あながち間違いではないがあなたのいう「良い」会社とは何なのか…お金のことなのかな。
親は典型的な売上高いとこ=偉い、有名なとこ=自慢できるという短絡的な発想だったので大手の設計に行ってねと口酸っぱく言われていました。そういう部分もストレスでありこの人生から逃避したくなる理由でもありました。僕は面接よりもまずこの母親の不条理の塊をねじ伏せる必要があったからです。
やはり設計=花形というイメージが強く、俺は設計向いていないんだ。というと向いてる向いてないじゃないでしょ、やるんよ。そんな気概ない奴は将来苦労するよ…(今も絶賛苦労中ですが…)
あと私の知ってる会社じゃないとダメだからね、4社志望がありましたが、母親が知ってるのはその第一志望だけでした。だから第一志望を第一志望にしたのです。

また、何で大手を受けないの?と聞かれました。大手はもう決まってるんよと言うと、何で早く行かなかったの!?あんたがうつつ抜かしてる間にやられたってこと?何のために学校行ったの?他の会社は馬鹿でも行けるんだから…
やたらどの会社にはどの大学層が行ってるのかを気にしていました。黙っていましたが本当は知ってました。大手で話を聞くと関西では京都~産近甲龍と言っていたのでその後ろは言わずにいました。それは明らかな地雷だからです。

なので施工管理でも給料高いことやこの会社の売上や利益も高くほぼ大手だよと言いたくもないプレゼンをまず1時間以上かけ母親を説得しようとしましたが、で?なんで大手には行かんのん?無駄でした。
母親相手に精神的な理由で行かないというのは逃避と同義らしいです。確かに大手に説明会までは行きました。
しかし50代くらいの人事のおっさんが他のブースのいわゆる中小企業を馬鹿にしこんなヘコヘコしなくてもうちは勝手に集まるんだよ、君?来るの遅いよ、本気で行きたいって言うならちょっとは考えてあげるけど…この日に行けなかったら無理だから…と提示された日は他の面接と被っていました。そうするとあーあなたは運命に見離されたって訳だ(笑)まあ、どこか分からん会社を蹴ってうちに行きたいって言うならメールで返信してな。
と終始上から目線なのがものすごく腹が立ち他のもう一つの大手はもう少しましでしたが、やはりプライドを履き違えた態度だったのが一番気に食わなかったのでした。

それは確かに会社に行けば全然違うかもしれませんが少なくともその彼らに付いていく気持ちには一切なりませんでした。そんな会社に入って母親に褒められたとしても絶対後悔すると思っていました。なので精一杯の反論をしました。結局それが覆ることはありませんでした。

そしてエントリーが始まる3月…僕は久しぶりに部活で走ったことで脚がもつれ右肘を中心に半日ドバドバ血が止まらなくなるくらいのケガをしてしまいます。そんなシャツを赤く滲ませながら説明会や面接に挑む幸先悪いスタートを切りました。

しかし、2月の後半には就活関係のツイートが多いことで同学科でまだ就職活動中の人達とつながり情報共有などをしていました。そして3月序盤の説明会で偶然もう1人と会い4人になりました。その偶然会ったのは女性でしたが同じ施工管理志望でやはり女性に手厚い所がいいかなと言っていました。そうか、男性だからそういう心配してなかったな、そういう面では恵まれているのかと振り返っていました。

説明会には色々行きましたが結局その4社と比較する材料に消化されただけで行きたいとなったところはありませんでした。一社だけ本社が家の近くでそこでインターンすると聞いたので興味本位で行くことを決めました。

大学編②-2で街コンに一緒に行った先輩の一言、自分と合っている人は絶対にどこかいるしその人達と仲良くすればいい…それはもちろん大事にしようと思っていました。
そしてまだ中学や高校の時に見た就職活動のスーツを着た若者、彼らは10も変わらないのにものすごく大人に見えました。僕もこうなるのかなと思っていました。そして説明会に行くと少し愕然としました。顔や態度などを見ると学生…いや猿がスーツを着てるようにしか見えなかったのです。まあ、僕もその1人だと思いますが全然大したことねーなと思いました。

僕はそんな中に埋もれるのか…社会人になって果たしてその先輩が言ってた自分と同じ価値観の人なんているのか…と思っていました。そしてこの僕の価値観では社会に不適合で苦労すると思っていました。

しかし、説明会で人事や社員の人達と色々話していくうちに小規模な会社でしたがその社長直々に数人が話を聞いてた中で最後に呼び出され、君を採用したい!と握手を求められたり、第二志望の人事には君のその考えはきっと上手くいく。そしてこの会社にも入れるでしょう。視野がしっかりしている。思ったより周り大したことないよ、そんなの当たり前やと思ってることに気付けてない人なんていっぱいいるからね。
と、誉めてくれる人はいるが貶す人はいませんでした。もちろんおだてられているかもしれませんが、少なくとも第二志望の人事の方は話していて信用できるなという人でした。

僕は元来の上がり症なのでもちろん色々面接で聞かれることを準備していました。準備したとてそれをちゃんと言える保証なんてないのに想定外の質問がきたら黙ってしまうのが目に見えたからです。

僕が一番心がけたのは矛盾を絶対に作らないことでした。絶対にそれがあれば突かれると思ったからです。
それと正直に話すということでした。僕は嘘をつくのは得意ですが、ひねくれていたのでわざわざ受かるために媚びへつらって受かりたくはありませんでした。それくらいなら死んだ方がマシだからです。
まあ、一度だけ嘘をつきました。マンション会社で将来暮らすなら家族と暮らすなら一戸建て?マンション?と聞かれました。

これは僕にとって悪問で結婚は端からする気がなかったのでそもそも一戸建てとかマンションにこだわりどころか想定すらしていませんでした。でも僕はこの会社がマンション会社だったので景色が綺麗だからとか変な理由付けてマンションって言ってしまいました。
正直に考えたことありませんでした。と言うのが正解だったのか…まあ、逆にそれくらい素直な気持ちで話せるような面接だったので心が苦しむことはさほどありませんでした。

そしてあの人事の方が言うてたように僕は緊張でたどたどしかったもののどの会社にも落ちることなく(おそらく建築業界だからね)家に近い会社のインターンに行っているちょうどその間に電話が届いており、内定の通知が来ていました。それは3月になってからまだ3週間も経ってないタイミングでした。

ここまで上手くいくのは自分でも想定外でした。僕は社会に認められたんだ。それがはっきり内定という形で証明された訳です。
君はいけるよ!なんて誰でも言えますし、形になって初めてそれが信用できるものになったのです。

僕は生きてていいんだ…。

やっとその切符を手に入れることが出来ました。それを親へ報告したら何て言ってくれるのだろう…
内定報告をすると?大手?設計??と聞かれたのです。

えっ?まだ言ってたの?いやいや言うたやん、第一志望のとこの施工管理よ!と言うと
設計はダメやったん?と聞かれたので、いや、だから設計は向いてないし、そもそも院生にならないと厳しいから…そう言うと驚く一言を放つのでした。え?なんで大学院に行かんかったん?

さすがにドン引きしました。まずはおめでとうとかやろ…
あと、高3の時院なんか無駄やし早よ4年で出て稼いでよと言ったのはどこのどいつやねん…
別にその時は夢とかも研究意欲もなかったし反対する理由が無かったから良かったけど…
それはさすがにズル過ぎるやろ、と思っていたら
さすがにいつもは母親の味方する親父がそれは一番いっちゃあいけんぞ、大学院行かせないって言うたんやから責任は持たなあかん。

そう言えば僕の親父は言葉の使い方をすごく気にする人でした。今回はその一言で母親にも悟らせることができ、じゃーあん時大学院に行けって言えば良かったな!と半ばヤケクソになっていたがそこからはそういうことじゃないだろと親父と母親がまた喧嘩していました。

まあ、周りはどうだっていい。僕は変われたんだから。でもまだモヤモヤとした感情は残っていたのでした。

第十四章 涙

就活中も暇があればまだ少しケガをしていましたが陸上をやり、また彼女と部活をしました。というより、彼女は毎日忙しかったのもありコアタイムを過ぎた夜中あたりに一緒にごはんを食べるか走ることしかできませんでしたが、そういった日常こそ僕にとってはかけがえのない楽しいものでした。

もう第一志望、第二志望の最終面接が一通り終わった後、加古川東の同期と会いました。なぜ会ったのか…これは完全に自分勝手な話ですが、自分自身だけではまた死にたくなると思ったからです。なので一番信用できる彼に楔を打ってもらうのを手伝ってもらうことにしました。
つまり、僕は今までのこの話を全て告白したのです。なぜ僕は死にたくなったのか、何から何まで。

恐らく彼は僕の言うてることの本質を理解できなかった…というより考え方が違うと思うので止めてきたのです。それはそうよなと思いながらただただ迷惑極まりない話だなと思ってました。
言われて勝手に死なれても困るしな、だから今まで黙ってたんだ。死ぬなら黙って死ぬからね…
でも僕はそれを彼に言うことで死んではいけない楔を自分の心に打ち付けたのです。

僕はただ独りよがりで身勝手な行為に彼は何も言わず僕は僕で今まで溜めていたもんですから、ものすごくすっきりしました。悪霊が消えたようなそんな感覚でやはり口に出すことは大事だなと思いました。

この話は既出ですが僕は感情を上手く表現できなくなってしまった時期があり、それもようやくこの大学3年間で治りつつありましたが、唯一「涙」だけは出ませんでした。感動はしてるけど自分を見ている自分がいてあ、今これって感動ってやつなのかなと冷静になってしまったり、そもそも物理的に涙を流そうとする仕草に興醒めとなりその胸に空いた穴のようなものは今の今まで閉じることはありませんでした。が…


第一志望が決まった翌日、B'z同好会の卒業ライブがありました。
ライブはそもそも僕の2つ上(学年は1つ上)の2人の先輩が初めて開催し、その先輩2人は高校も大学も浪人含めてて8年間も同じいわゆる切っても切れない親友同士でした。そんな彼らがバンドを始め、最初は2人だったのでライブの時はベース、ドラム、キーボードなどはすでに打ち込んだやつを流すといった形式でした。
ギターは(ここのブログでは)ボスと呼ばれる人で、僕の価値観を変えてくれた未だ謎多き人物でクールで客観的な視野で本物の松本さんみたいに心がどっしりした人でした。身体は細いけど。
ボーカルは(ここのブログでは)そのギターの人の親友であり当時の会長であり、メインは彼の方で情熱的ながらボスや周りを引っ張って行ってトーク力も抜群でした。

そんな2人のライブがあらゆる風を巻き起こし、数年の間にギターの追加、ベースやドラム、新たなボーカル、そしてキーボードと増えていき、いつの間にかのべ4グループできるような大所帯に成長していました。そしてそんな彼らが4回生でこれから社会人となるのでこのライブで卒業となるわけでした。
2人は親友ですがべったりしているわけではなく、お互いが認め合っているような感じです。

彼らのライブはとてもクオリティが高く、観るものを惹きつけました。
僕には好きな曲があります。
RUNという曲です。この曲に人生で一体何度救われたことか計り知れません。どれくらい好きだったかというと高校の頃は好き過ぎて普段は聴けませんでした。日常の曲ではなく「いざ」という時に聴きたくて試合の前日や、試験の前日、もう頑張れないくらい落ち込んだ時などに聴いてました。
おそらくB'zのお二人をモチーフとした曲で「何もないところからたよりなく始まって 数え切れない喜怒哀楽を共にすれば 時の流れは妙におかしなもので 血よりも濃いものを作ることがあるね」「人間なんてだれだってとても普通で出会いはどれだって特別だろう」「死ぬなら1人だ生きるなら1人じゃない」とフレーズも琴線に触れるものばかりです。

本家ではアニバーサリーな大きなライブだといつもアンコールMCの後に演奏します。なのでイントロから既に感動が止まらないのです。
今回の卒業ライブもアンコールのあとにMCがありました。まずはボーカルの相棒から、いや、色々あったけどね…と高校の時のたわいない昔話から今こうして2人でバンドやって同好会入ってみんなを動かして今もこうして立ってる…と言おうとした時に彼は思わず涙を流していました。彼の涙も熱いものがあり、僕はその彼らの紡いだ8年間のうち最後の2年しか一緒になってませんがその間にもほんと色々なことが起きました。
そして彼らによって成長していったB'z同好会も目の当たりにしてきました。僕はそのほんの一部ですがそれに関わることができたのがとても嬉しく思いました。
そしてボーカルがMCが出来ないくらい涙が止まらなくなり、繋ぎとしてギターのボスが話そうとしていたのですが、ボスもサングラスをかけていましたが涙がこぼれていたのです。
ボーカルの先輩は情に熱い人だったので泣くことは想像できましたがいつもそれをまるで母親のように見守ってる側の彼までもが腕を顔にこすりつけながら泣いていたのです。そして2人が抱き合ってギターの彼が泣くのをずっと我慢しながら弦に指をあてRUNのイントロを弾いたのです。

その瞬間でした。

僕はつーっと涙がこぼれていたのです。そしてそれは止められることが出来ずだんだんと視界が涙でぼやけるまで泣いていました。

大学…はおろか、小学校6年の親父の謝罪や祖父の死以降は涙が出ていませんでした。僕は9年ぶりの涙がようやく出たのです。
おそらく、僕の過去を同期に話したことや、内定した安心感があったからこそだと思います。それらが重なって手が震え泣いているギターを聴きながら僕も涙が溢れました。

曲が終わった後、ボスがニコッとしながらお前をどうしても泣かせたくてさ、と言いつつ、でも俺が泣いちまったよ…と笑ってました。彼らの卒業ライブが僕の濁った感情を洗い流してくれた瞬間でした。


………僕はまた淡路島出身の高校の時の先輩にお会いしました。
内定おめでとう!お前はやると思ってた!だってお前は俺が認めた男だからな!でも正直つまづくとは思ってた。俺と性格が似てるからな、でもお前がいけるってことは俺もいけるってことだな!ちょっと自信がついたぜ!

先輩は歯学部でしたが自分が果たしてこのままでいいのかと思い、別の道を模索していました。

でも、せっかく歯学に行く運命になったわけだし無駄にはしたくないし、持ってて損は無いしな、ちゃんと資格は取って卒業するよ!

運命論はそう言えばこの先輩から学んだものでした。

お前、彼女できたんやってな、やっぱすげーよ!

先輩はそう言うと僕はでも、色々普通じゃないところがあって…相手が僕のこと好きでは無いらしいんですよ、でも付き合ってくれてるんですよ。と少し相談してみました。

んー…それはあれだな、お前心が休まらんのとちゃう、お前は多分何かあっても我慢してまうやろ。他に発散するところを見つけるのはありかもな。
って言ってる俺は全然あれから何もないんだけどな…でも俺は恋愛はもう向いてないなって分かったんよ、だからこれからは結婚を見据えて本気で妻になる人を探す。だから次付き合うとなればもう結婚かもな(笑)
そういや、お前は誰か慕ってくれる人はいるのか?

僕のことを慕ってくれる人…僕が好きな人でも親友の顔でもなく浮かんだのは女の子の後輩でした。
1人、僕のことを肯定してくれる女子がいるんですよ、あっ!それこそこの運命論とか言い聞かせたりしています(笑)

…俺もな、こういう人間やから結構慕ってくれる人がおるのよ。やっぱそれが生きる糧になるし、彼らのために頑張れるっていうかね、頑張らなあかんなってなる。その人との関係を大事にしろよ…

と僕は言った後、自殺についての話をしました。

それは僕ではなく彼女の方でした。彼女は相当追い込む性格であえて茨の道を進んでいくようなタイプなので僕は不安しかありませんでした。
それで身体がダルい、しんどいと報告するのに、じゃー休んだらいいんじゃないかと聞いたら、それはだめっ!やる!となるのです。
僕はなぜ身体が滅ぶくらいまでやり続けるのと話したら
私はダメな人間だから何もしないと自分に価値が無くなるから死にたくなる。だから私は常に何かしなければならないの。身体を休めたら逆に心がしんどくなる。
…なるほどこれは俺とは違うけど何か似てるものを感じました。僕は何かをやると打ちのめされるが彼女は打ち込まないと死を考えてしまう訳です。

それに対して僕は何も言えませんでした。僕は基本身体を休ませてと言うタイプでした。しかし彼女は拒否します。でも心配なのですが、心配すると怒られる、僕は何を言えばいいのか分かりませんでした。

その話を先輩に言うと、それはしんどい人生を送ってるな…かなり不器用だな。と僕と同じことを思っていました。
もし死にたいって言われたらどう返したらいいですかね?これは彼女に対してと言うより僕自身がむしろ求めてる質問でした。

すると、まあ死にたいってなって死ぬのは最終的には自分の意志やしそこまでの流れになってしまったらそれはそれで運命やしなぁ…

どちらかと言うと自分が死にたいってなった時に俺は自殺しないということは決めてる。
なぜ生きてるかって言うたら運命が生かしてるからだよ、そして死に時も運命に任せればいいんだよ。交通事故…病気…寿命…それで勝手に殺してくれるんだからそれまでは生きる運命ってことだよ。

これは目から鱗でした。そうか…そんな単純なことだったのか…本当の意味で運命に身を任せるということは死ぬまでだよな。
そして、僕は生きる意味こそ無いですが死ぬ理由もありませんでした。かつての先輩の言葉、出会うために生きている。それを信じてみるしかなかったのです。


僕にもそんな自分よりも尽くしたいという気持ちにさせる相手が出来るのでしょうか。当時の彼女は確かに好きでしたが、相手が僕に振り向かない限りこの関係性も有限だなと思ったのです。

いつか、社会人は厳しいことが多いかもしれませんが、良い知らせもきっとあるでしょう。いつか必要とし必要とされるような人と会いたいなと夢見ながら大学卒業まで1年を切ってしまいました。
おそらくこの1年では何も新しいことをするつもりもないので我慢の1年だと…そう思っていました。
まさかその4回生で想定外のことが起きるとも思いもせずに…

大学編③-3 完