自分の半生 ~小学校編

社会人になる前に自分について一度振り返りたいなと思いここに著した次第です。

僕がこのような無気力な人間になってしまったのか…ずっと環境や周りのせいにしてきましたが、それこそ自分の未熟さを裏付けているようなものです。ただ今からは半ば同情も含め少し被害者意識のような文章を書くかと思いますがご了承下さい。

第一章 劣等感

圧倒的な要領の悪さ、まず自分を一言で言い表すには的確なものと言えるでしょう。それは幼少期からはっきり出ていて人よりも習得するスピードが遅く、物心がついたのも6歳頃(それまでの記憶が限りなく薄いという意味で)と遅く、人と打ち解けるのに時間がかかり、異性や年上の人はおろか同性の同級生とも会話することもなくただ1人で遊ぶようなおとなしい子どもでした。

また運動能力も低く手先も不器用な上、落ち着きがなくすぐ喚いて泣き散らすし、諦めも早く書道や家庭科の糸通しなどは小学校では出来ませんでした。できない八つ当たりで人の作品を壊したりなどもしていました。その上愛想も悪くあらゆる面に関して周りの人よりも劣っており、両親もすごく迷惑かけたと思います。
この頃から既に劣等感に苛まれていました。

また自分の名前にもコンプレックスがあり、当時はあばらの全てが浮き出ているくらい痩せており上背も無かったため名前が虎のつく強そうなイメージもあったため名前負けしてると初対面には言われるのがお約束であり、今では考えられませんが自分の名前が心底嫌いでした。それも自分の自信を無くす1つの要素になりました。

更に食物アレルギーや動物アレルギーということによる普通よりも出来ないことが多い劣等感に拍車をかけ、実際問題それによるいじめもあり、いつの間にか自分という存在が嫌いになっていました。

また2つ下の弟が1人いるのですが僕とは違い身体能力も良くアレルギーもなく愛嬌があり異性にもモテて親族や親にも愛情がそちらに多く注がれていると当時は思い、少し恨めしくなっていた時期や弟に憧れた時期もありました。小3からくらいでしょうか、お互い同じ小学校となり他学年からもモテる弟と僕で比較されていくうちに卑屈になってゆき世の中は平等ではないのだと気付きひねくれた自分が出来つつありました。

また、ひねくれた上に性格の悪さも相まって友達がいなかったりいじめの的になってしまうことが多々ありました。
自分は何をしてもダメなのだから良いことしても悪いことしても同じなら悪いことをしようという発想が根底にあり、自分さえ良ければそれでいい短絡的な部分や、負けず嫌いで上手くいかなかった時は拗ねたり逆ギレし、暴言暴力や逃避で解決しようとしていました。その性格のせいでいじめの類は2つ3つありその度に泣いてた記憶も蘇ります。

性格も悪いくせに弱いし情けないなと思った反面、ただその時は相手が悪いとそればかり考えていました。実際は僕が悪かったのかなと今なら思えます。

道徳や国語の文章問題が非常に苦手で人の気持ちなどに寄り添って考えるものは必ずひねくれた発想で斜に構えながら受けていました。
特に広島の原爆などの戦争に対する日本の被害者意識がすごい苦手で加害者側の視線に授業が欠けていることに違和感を覚え歴史の授業もあまり好きじゃありませんでした。そういう触れにくい事柄を先生や生徒にも言っていくのでそれは確かに好かれないし、当時は相当ひねくれていました。

第二章 受験

ただこんな僕にも得意なものもいくつか存在していました。要領は確かに悪いですが一度身に付くと人より成長する側面もあり、漢字と計算に関しては小学校低学年の頃から周りより抜きんでいました。
また好きなことには没頭でき、絵を描くことや1人で独自のルールを起用したカードゲームを作って遊んだりと今でも得意だなと思う発想力はここで培われたと思います。
逆に苦手なものは取り組もうともしませんでしたので今でもそうですが苦手なものは未だに要領が悪いままのが多いです。

小学校は公立の普通の学校に通ってました。両親、特に母親は教育に力を入れており最終的に息子2人を高学歴の大学に入る計画を立てていました。その上で偏差値の高い高校に入るため、中学生までには賢くないといけません。

だが僕には大きな壁があり一つは内申点です。愛想も悪くしょっちゅう問題を起こしていたので反抗期になればもっと暴走するかもしれません。また近所も不良が多くすでに染まりかけていました。

だがそれよりも大きな問題は副教科の配点が高いことです。実は図工(美術)がすごく苦手で当時から絵は好きでしたが、立体的な作品を作るのが苦手でした。
また、体育も中の下くらいで小学校は走るのも好きではなく速くありませんでした、音楽は音痴がコンプレックスで口パク、リズム感もなく音楽もそうですがスポーツも下手でした。
家庭科は不器用で壊滅的と何一つ秀でているものもなく、このままでは十中八九良い高校にはいけないと小学校低学年時点で通っていた塾の先生に言われました。

しかし、塾の先生はそれを踏まえた上で1つ提案をしてくれました。国語と算数と理科だけ勉強すれば良い学校にいけると。それこそが中学受験であり私立の中高一貫の学校に入るという選択でした。それなら漢字と計算能力も生かせるし、副教科もいらず内申点も気にすることはありません。
最初はぼんやりとした計画でしたが小4の時には形となり小5から本格的に中学受験を始めました。

当時行きたい中学は六甲中学か須磨学園でした。どちらも賢い大学に行くには十分な学校で前者は男子校で同じ小学校で同じ塾の友達も六甲志望なので同じく第一志望にしていました。後者は共学ですが少し明るい人が多く女の子とは喋れなかったので滑り止めにしつつ六甲を目指していました。
1人遊びの延長で受験勉強ができたし言わば得意科目だったのでそこまで苦ではありませんでした。しかし、六甲はかなりの学力が必要でどうしても要領の良い人や天才と呼ばれる人達とは差が開く一方でした。
また、漢字は得意ですが文章問題はからっきしダメで思ったより苦労しました。だが発想力のおかげで算数や理科はかなり上達し努力もあって合格圏内までやってきました。

第三章 葛藤

急に話は変わりますが私立を行かせるにはかなりの金額がかかります。その選択肢を既に考えられるほどは余裕のある家だったかもしれないですけど、小5までは旅行に行くことも多く所々節約していましたがねだったものは買って貰っていたり子どもにしてみれば不自由ない裕福な生活をしてたかと思います。

父親は元々神戸勤務ということもあり、神戸に住んでいましたがこの受験期に京都での異動になり引っ越しして京都の中学にするかという家族会議もありましたが家のローンも払いきれていないので単身赴任として仕事を開始しました。しかし僕が小6の頃、父親は仕事でのストレスでうつ病となり半年ほど療養暮らしとなりました。

そのこともあり僕は中学受験を諦める訳に行かないかと母親から尋ねられましたが、せっかくの頑張りを水の泡にするにはあまりにキツすぎる努力量だったので絶対合格すると約束した上で続けることにしました。

そこで学校を六甲から白陵に変えて受験することにしました。白陵は六甲と須磨の間の学力で共学では兵庫県No.1でした。
最初から実は候補としてあったもののスパルタ教育という噂はすでに知っており敬遠していました。しかし、学費が3つの中では一番安い点と周りに白陵を受験する人が多かったこと、そして六甲を目指してた友達がもうワンランク上を志望変更したことから六甲に対する執着もなくなり、自然な流れで白陵を目指していました

しかし、受験する上で大変なことが起きてしまいます。先ほど述べたように父親は単身赴任先でうつ病となったので母親が1人で勉強をサポートしていました。しかもお金がないということで白ごはんと一品だけという食事の時もあり、僕の身長は伸びたのにガリガリの体重が半年で0.5kgも痩せ見るに耐えない姿になっていました。

そんな中でした…父親が浮気していたことが分かったのです。父親は昔から浮気性で僕が物心つく前はよくしていたそうですがこの時期でしかもうつ病の最中でやっていたのです。
更に相手にお金をかなり貢いでおり貧窮の原因はそこなのだと分かった瞬間、同情から苛立ちに変わりました。
今でこそうつ病の理解ができているので納得できますが、当時は母親をここまで蔑ろにして二度と許すものかと思っていました。

ただ勉強環境も良く(そこでもちょっとしたいじめはありましたが)おそらく一番勉強を頑張ってた時期はそこじゃないかというくらい努力してたので何とか白陵に受かることができました。しかしこの時は気付いていませんでした。これからの道のりは希望ではなく地獄だということに…

第四章 初恋

私立の学校なので今までのクラスメイトとはもう卒業すると離れ離れになりますが友達が少なかったからこそ寂しい気持ちはありませんでした。しかし1つだけ心残りはありました。僕には初恋の人がいたのです。
きっかけは小3の春、同じクラスの彼女は転入生として教室にあるテレビ越しに紹介されていました。一目惚れでした。

容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能で周りの男の子にも好かれていた彼女はいわゆる劣等の僕とは「釣り合わない」女の子でした。
つり目で鼻が高い顔を好きになったのは彼女が全ての始まりです。無論人見知りの僕は彼女としゃべることなんてなく1年が終わりました。できることと言えば帰り道を付いていく、俗に言うストーカーをして女子同士話してる会話を聞いては満足していました。
しかし、小4からは別のクラスとなり名簿も彼女しか見ていなかったので落胆は相当大きかったです。小5も同様に真っ先に彼女と僕が同じクラスかを見ましたが違いました。

もう諦めかけていた小6の時、なんと同じクラスとなったのです。もう2年も待っていたこの時、そしてこの頃には受験をすると決めていたのでラストチャンスでした。
すると神様はいるのでしょうか、席替えでは度々同じ班になっていったのです。これを機に勇気を振り絞って会話していきいつの間にか勇気を使わなくても楽しく会話できるようになりました。また一緒に縄跳びしたり給食の時間地図帳を開き地名当てクイズとかもやっていました。

彼女はクラスの中心人物でもあったため、彼女と仲良くなると自然に他のイケイケの女の子とも会話できるようになりました。当時はもしかしてモテ期??と鼻を伸ばしていましたが後々本当の目的は僕の弟だと知り少し卑屈な納得をし、彼女も恐らくそうだったのかもしれません。
ただ一番最後の席替えで彼女の隣になって僕(苗字)が隣でよかった と彼女は言ってお互いハイタッチをした時の高揚感は未だに忘れられません。そしてそれが一番最初の異性との触れ合いでした。(この次は5年後)

また、一番楽しかった班を僕がいた班を挙げてくれた時も僕が直接起因はしていないとは思うけど正直嬉しい気持ちはありました。でも彼女には僕に対する恋愛感情はないのだろうとは感じましたし、僕自身恋愛とは何かをあまり理解しておらず、どのみち中学からは会えないし好き以上の何かでつなぎ止めることも出来ませんでした。
それに意気地なしでもあったので好きという感情を告白することができないまま卒業してしまいました。なのでこれだけが唯一の心残りとして、そして中3までずっと彼女を引きずりながらの暮らしを続けていました。

第五章 負の決意

卒業間近、母方の祖父がお亡くなりになりました。耳が悪く何をしゃべってるのか分からないし、また僕が人見知りということもあり仲良くはありませんでした。しかしながら受験するということを祖父は知り既に病と闘っている最中、歩いて僕のために受験のお守りを買ってくれていたということを知りお通夜ではポロポロと涙が流れていました。
そんな中父親はまだうつ病であったので祖父の死を笑いながらしゃべりかけてきて少し苛立ちよりも恥ずかしさを覚えました。ここで僕は父親みたくはならないでおこう、反面教師になろうと決意しました。

次章で父親と母親に関しても少し話していきますが尊敬はもちろんしていて良いところもありますが、褒めてくれた思い出がほとんど無くひたすら人格否定だけだった(それもまた詳しくは次章で)のでもう少し形が違えばこんな煮えたぎる文章を書かずに済んだのかなと思います。

お通夜で親戚一同による食事会があり僕はアレルギーだったため買ってきたごはんを食べていました。すると亡くなった祖父の弟に声をかけられこの食事食べられないのは苦労するな~、これじゃ嫁さんできても迷惑かけるだけやし結婚できないな~と少し吐き捨てるように言われました。

なにげない一言ではありましたが、僕はそうだ、普通の人じゃないんだ…劣っているから結婚すら高い壁になるのか…しかもその選択を強いられるのは相手側で少なくとも僕がいるせいで食事に関しては大きな制限がかけられる。ならば一般人より魅力を出すにはコミュニケーション能力や頼りがいのある機転の利く要領の良さが問われるというのにそちらも言わばアレルギーと同じような欠点がある…別に顔もカッコイいってそういえば一度も言われたことないし僕にそういえば魅力なんて何1つ無かったんだな、勉強がそれなりにできる…それだけだ。でもそんなの結婚する上では必要ではない、そうか、僕は結婚はできないんだ…と改めて振り返させられ小6のタイミングで結婚は絶対にしない、独身で頑張る!とそう決めたのです。

劣等感の塊だった僕でしたが受験を成功させてもなお拭えることはできませんでした。ただこれから何かを変えられるきっかけにはなるんじゃないかと少し未来に期待を持つことはできました。
小5の頃、逆ギレした時先生から福知山脱線事故のことを引き合いに出され、あれはパニックから発生した、あなたは理解が追いつかないことが起こるとパニックになり、いつか取り返しのつかないことになる、治しなさい。そう確かに言われた記憶があり、結局小6では大ゲンカが2つあり悲しくも予想は的中しました。
このままでは生きる上でダメだなと思ったのと、受験の成功や初恋の女の子と上手く会話できたのを機に少し心にも余裕を持ち始め、まずは短気な性格だけでも今後治していこうと心から決めました。
これが無意識ではありましたがもう一人の優しい人格の僕を誕生させたきっかけでもありました。
 
今も小学校の頃みたいな根っこでもある短気な僕は心のどこかには常に存在していながら今では完全にコントロールが出来ています。それはアレルギーの負荷療法と一緒で結局出たものと向き合って抑えていくしかないのです。短気な僕は消えていきましたがそれと同時に副作用としてもう一人、つまり3つの僕が分裂する羽目にもなってしまったのです。それはもっと先になると思いますし忘れて下さい。
次回は中学生編です。